72
翌日、起きるのが、大和さんに会うのが気が重かった。
でも起きなきゃいけない。お仕事もあるし。気が重いながらも着替えて、キッチンに降りる。食料庫から食材を出して、庭に出る。
今日も大和さん達は居ない。少し待ってると、大和さんが帰ってきた。
「おはようございます。お帰りなさい」
「おはよう、大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもです」
「今日は休む?」
「そんな無責任な事、出来ません」
「言うと思った」
そう言って笑ってくれた。
「ちょっとストレッチだけやってしまうね」
大和さんがストレッチを始める。そこで気がついた。
「あれ?ゴットハルトさん達は?」
「家に戻ったよ。元々奉納舞までの間、って感じだったしね。ランニングは続けてるけど」
「じゃあ、今日からまた2人ですね」
「だね。思う存分咲楽ちゃんを構い倒せる」
「行きすぎだと思ったら抵抗しますからね」
「分かってる。朝からは程々にしておくよ」
ストレッチの終わった大和さんと一緒に家に入って、私は朝食とお昼の準備。大和さんはシャワーに行った。
お昼もいつもサンドイッチじゃあ、ワンパターンだよね。でも、バリエーションが思い付かない。
シャワーから出てきた大和さんと2人だけの朝食を食べて、自室で着替える。魔空間に刺繍の道具を入れて、部屋を出る。
リビングでは大和さんが待っていてくれた。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないよ。行こうか」
結界具を作動させて家を出る。大和さんと2人で歩くのも久しぶりだ。
「大和さんと2人で歩くのって久しぶりです」
思わずそう言う。
「最近はゴットハルトがいたしね」
「夕方、って言うか、夜は2人でしたけど」
「来週から別方向になるけど、大丈夫?」
「多分大丈夫です」
「不安になってきた。ダニエル達に頼むか?」
「大丈夫ですって。来週の光の日って何でしたっけ?」
「昼勤。2ー5勤務だね」
「にーご勤務?あぁ、2の鐘から5の鐘までって事ですか?」
「そう。ごめん、通じなかった?」
「意味は分かりましたよ」
「変なところで習慣が抜けないんだよね」
「他には?」
「つい指導してしまう、とか」
「望んでる人も居るんじゃないですか?」
「そうかな?」
「私はそう言ったことは分かりませんけど、強い人に指導してもらいたいって思うんじゃないですか?」
大和さんはじっと私を見た。
「咲楽ちゃんは俺の望む事を言ってくれるね」
「そう思っただけですよ」
王宮への分かれ道で4人が待っていた。クリストフ様が居るのかな?
待っていたのはローズさん、ライルさん、副団長さん、魔術師筆頭様だった。
「おはようございます」
「本当にここでいたら会えるんですね」
「だから言いましたでしょう」
副団長さんと魔術師筆頭様が言っていた。魔術師筆頭様の持つケージの中には黒ネコちゃん。けっこうご機嫌が悪そうだけど。
「トキワ殿、シロヤマ嬢、おはようございます。頼みがあるのですよ」
「頼み、ですか?」
「昨日トキワ殿は簡単にこの魔猫を捕まえた、と聞いたんですけどね。どうやったんです?」
「どうやったって言われましても、普通に接しただけですが」
大和さんが戸惑ったように答える。思わず小声で言ってしまった。
「大和さん、この世界って普通のネコって居ないんじゃなかったでしたっけ。猫に対する普通の接し方が分からないんじゃないですか?」
「あぁ、そう言う事か」
納得したように大和さんが言って、魔術師筆頭様の持つケージの中の黒ネコちゃんに目を向ける。
「猫と言うのは大きな音、甲高い声なんかを嫌います。急激に動いたりすることも、ですね。ネコにしてみれば自分の数倍以上のモノが、苦手な音をたてて近付いてくるんです。警戒どころか逃げますよね」
「この猫の警戒を解くには?」
「一旦警戒されてしまったら、根気比べしかないです。常に同じ室内にいて、決して猫を追わず、ネコから寄ってくるのを待つしかないです」
「トキワ殿ならなんとか出来る?」
「何日か仕事を休めるのなら、ですね。休む気はありませんが」
魔術師筆頭様が苦笑したのが分かった。
「諦めるしかないのか」
「懐けばよろしいのでは?」
「数日内には研究所に送ることになっていてね」
「言うことを聞かせようと、魔法を使ったりしてませんよね?」
「やっぱり駄目かな」
「ご自分がされて不快にならないのでしたら、良いのではないですか?魔法属性の高い魔物が魔法で屈服させようとされて、警戒心と嫌悪感を抱くのは、当然だと思いますよ」
「なるほど、そうだね。説明されるとよく分かる」
魔術師筆頭様は納得されたように頷かれた。
「時間をとらせてすまない」
「筆頭殿、失礼いたします」
ライルさんが挨拶をして、私達は施療院に向かった。
「みんな知ってる事なの?」
「ネコへの接し方ですか?」
「そう。みんなが知っているの?」
「有名な話ではありますけど、実践できる人と出来ない人がいます。私はネコには好かれていなかったので」
「そうなの?」
「犬には好かれてましたけどね」
「犬ってあの大きいのよね」
「大きいんですか?」
「貴女の連れていた虎くらいあるわよ」
「超大型犬だ」
「超大型?」
「両手で抱えられるくらいの小型犬から超大型犬までいたんです。超大型犬は立ち上がると大和さん位の大きさでした」
「それってサクラちゃん、潰されちゃうじゃない」
「潰されはしないですよ」
笑って答える。そう。潰されはしない。押し倒されて顔中舐められるのはあったけど。
「そう言えば、『猫は魔物だけ』って聞きましたけど、犬は普通なんですか?」
「犬は動物ね。野犬になってたりしたのは、極々稀に魔物になったりするけど」
「大犬だね。元の犬の性質を受け継いでるから、懐っこいのもいるけど、大きさが大きさだからね」
「どのくらいの大きさなんですか?」
「大きいのだと、普通の馬の3倍くらいかな?滅多に居ないけどね。小さいと言われるのでも、バトルホースよりは大きいらしい」
「見つけたらそれこそ騎士団出動の騒ぎになるわよ」
そんな大型の犬だと目立ちそうだよね。
施療院に着いた。着替えて診察室に向かう。
朝から患者さんが少ない。ポツリポツリとやって来る程度だ。怪我する人は少ない方がいいんだけど、いつも来る患者さんも来ていない。
何かあったのかな?
出来ることは少ない。症例集を読むことも考えたけどデザインだけやってしまおうと思った。
7分割した単一のそれぞれの色で、背景を刺繍した方がいいかな。光の球をイメージしてたけど、そっちの方が分かりやすい気がする。
悩んでいたら、後ろから来たローズさんとルビーさんに気が付かなかった。
「サクラちゃん、何してるの?」
「あー、何これ?」
あ、見られた。
「星見の祭の刺繍のデザインです」
「昨日言ってたのってこれ?」
「はい」
「綺麗ねぇ」
「この中心のって何?」
「折鶴です。これですね」
折った鶴を見せる。もちろん普通の鶴。妹背山は見せない。説明するのは恥ずかしいし。
「これ何?鳥よね?」
「そうですね」
「こういうのってどうやって思い付くの?」
「これは、奉納舞の朝、ちょっと早く起きちゃって、その時見た空からです」
「へぇ」
「星見の祭はどうするの?」
「まだ何も決まってません」
「トキワ様がその頃は神殿勤務って言ってなかった?」
「はい。来週から神殿勤務です」
「今までお迎えだったじゃない。どうするの?」
「え?1人で帰りますよ」
「暗くなるわよ」
「でも、人に迷惑をかけるわけにいきませんし」
デザインを布に写す。結局単一色の背景にした。主神リーリア様の部分は他のより広めにして、残りを6等分にする。真ん中に2羽の折鶴の図案を描いて、下絵は完成。後はこれを刺繍していくだけだ。刺繍枠に布をセットする。
鶴の色は決めている。ピーコックブルーとパパラチアピンクの2色だ。
「あら?2羽なのね」
「何か意味があるの?」
「1羽だと淋しそうなので」
本当の「2羽の意味」は教えません。
患者さんが来なさそうなので、鶴の縁取りから始める。
縁取りが終わったら、鶴の面を埋める。
「鳥の色に意味はあるの?」
「対比がはっきりするのでこの色です」
色の意味も教えません。
「そうなのね」
はっきり言って見られてるとやりにくい。
「もしかして見ていない方が良い?」
「はい。すみません」
ローズさんが言ってくれて、2人は診察室を出ていった。
本当に患者さんが少ない。おかげで刺繍は進むけど。
本当に何もないんだよね。所長とライルさんは相変わらずの症例纏めだし、ルビーさんとローズさんはおしゃべりをしてる。
3の鐘が鳴った。
お昼休憩の為に休憩室に移動する。
「今日って患者さん、少ないわね」
「そうよね。何もなかったわよね」
「まぁ、怪我人が少ないのは良いんだけど」
「それには理由があるらしいよ」
ライルさんの声がした。
「理由?」
「スラムの一棟目が出来たらしくてね。そのお祝いがあって、そっちに行ってるんだそうだ」
「そう言うことなのね」
「この先もあるのかしら」
「あるだろうね。後、3棟位建てるらしいし」
そんなに建てるんだ。
その会話を聞きながら、刺繍を進める。神殿に居たときのように、夢中になって時間を忘れるわけにいかないから、その辺は気を付けないといけない。
程々のところで刺繍は止めて、昼からの診察に戻る。4の鐘が鳴った辺りから患者さんがポツポツ来るようになった。
「天使様、お昼までに来れなくてごめんなさいね」
ヴァネッサさんが、処置にやって来た。
「スラムの一棟目が出来たお祝いだって、聞きましたけど」
「ウチは臨時の屋台を出したんですよ。たくさんの人が来てくれました。王宮騎士様もみえてました。黒き狼様は、子ども達に人気ですねぇ」
「子ども達に人気?」
「女の子達はなんだかソワソワしてたし、男の子達は纏わりついてましたね。何かやってたらしくってね。詳しくは知りませんけど、男の子達は楽しそうでしたよ。天使様も安心ですね」
「安心って……」
「黒き狼様は子ども好きみたいだから、お子様が出来ても喜んでくれますでしょう?」
「子ども……」
「天使様?どうかしたんですか?」
「何でも……」
「何でも無いって顔じゃありませんよ。天使様は子どもが嫌いとか?」
「好きです。けど、怖くて……」
「怖い?ちょっと、天使様?どうなさったんです?」
「私は幸せな家庭を築けるんでしょうか?」
「築けますよ。私でもなんとかなってるんです。大丈夫ですよ」
「はい。ありがとうございます」
「こんな話をするってことはもうすぐですか?」
「まだ決心が着かなくて、待たせてしまってます」
「きちんと決心してからの方が良いですよ。急いでもロクな事になりませんからね」
患者さんに悩みを聞いてもらうなんて、施術師失格だ。
「すみません。施術師失格ですね」
「天使様はご自分の事は話されませんからねぇ。私でよければ話くらい聞きますよ。もちろん誰にも言いませんからね」
「ありがとうございます」
処置が終わると、ヴァネッサさんは「元気出してくださいね」と言って帰っていった。
ヴァネッサさんが優しくて、つい話してしまった。
5の鐘が鳴って、診察を終わる。
しばらく待って迎えに来てくれた大和さんと一緒に家に帰る。
しばらく黙っていた大和さんが静かな声で聞いてきた。




