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翌日。いつもの日常が始まる。昨日は「特別な日」で、何もかもが「非日常」だった。
でも今日からまた、いつもの毎日だ。着替えてキッチンに降りる。スープは作ってある。後は朝食とお昼御飯。確かベーコンがあったはず。食料庫で確認をする。後は、野菜と卵?かな。食材を出して、庭に出る。
薄々感じていたけど、こっちの気温って日本より低いよね。
大和さん達はまだ居なかった。私の起きるのが早かったか、大和さん達が余分に走ってるか、だよね。
と、思っていたら、大和さん達が庭に入ってきた。
「咲楽ちゃん、おはよう。早いね」
って事は私が早かったのかな。
「おはようございます……って、皆さんは大丈夫ですか?」
「あぁ、いつもだね。無理して合わせなくて良いのに、付いてくるからこうなる」
ゴットハルトさん、ダニエルさん、アッシュさんが大和さんと一緒に、少し遅れてシンザさん、エイダンさん、ラズさん、ブランさんが入ってきた。みんなゼイゼイ言ってる。後はエスターさん?
「お水とか、どうですか?」
そっと聞くと大和さんを除くみんなから、視線で「欲しい」って言われた、気がする。
コップを家の中から取ってきて、それぞれに『ウォーター』でお水を出して渡していく。
「それで、どうするんだ?今までは奉納舞の練習だったんだろう?」
ゴットハルトさんが大和さんに聞く。ゴットハルトさんは座り込んだまま、大和さんは普通に立っている。
「そうだな。決めてないんだが、朝稽古でもやるか?」
全員に「えっ?」って視線を向けられた大和さんが苦笑いする。
「無理っぽいな」
「なんで、そんなに元気なんだ」
ゴットハルトさんがまだ調わない息で聞く。
「日頃の鍛練の賜物じゃないか?」
「体力の違い?」
私が小声で言うと大和さんに見られた。
「咲楽ちゃんも言うね」
「え?だっていつも走ってたって言ってたじゃないですか。距離も今より長かったって」
「そうなんだけどね。ほら、解しておかないと、後が辛いぞ」
大和さんが号令をかけて、みんなでストレッチを始める。その頃にエスターさんが入ってきた。用意してあったお水を渡す。
「すみません」
「エスター、大丈夫か?」
ゴットハルトさんが聞く。
「なんとかね」
その向こうでは大和さんがストレッチの指導をしてた。結局指導するんですね。大和さんは一人一人に声をかけていた。
「そうだ、シロヤマ嬢に返さなければいけないものがありました」
そう言って、ゴットハルトさんが魔空間からお鍋を取り出す。一昨日渡したスープのお鍋ですね。
「ありがとうございます。お味はいかがでしたか?」
「優しい味でしたね。貴女の人柄のようです」
「人柄?まぁ、野菜のみでしたし、味もシンプルなものでしたし」
エスターさんが笑ってる。
「ちょっと早いけど、中に入るか」
大和さんがそう言って、みんなが家に入っていく。
「白ネコちゃんが人間になったね」
囁かれて、思い出してしまった。普通に着替えたけど、そういえば着ぐるみパジャマだった。
「もう着ません」
「もったいない。せっかくだしさ、着ようよ」
「大和さん用に狼でも作って貰いましょうか?」
「すみません。それだけはご勘弁を」
「それだけってことは、カフェエプロンとかはOKですか?」
「咲楽ちゃんが強引だ」
そんな会話をしていたら、出てきたゴットハルトさんに呆れられた。
「朝から仲が良くて何よりだ」
「羨ましいか?」
大和さんが私の肩を抱きながら言う。
「早く結婚すればいいのに」
「俺はいつでもいいんだけどな。咲楽ちゃん次第かな?」
「待ってもらってる自覚はあります」
「ゆっくりでいいよ」
「シロヤマ嬢が踏み切れないのは、何故ですか?」
「何かがブレーキを掛けてるんだと思います。自分でもよく分からないです」
「ゴットハルトは婚約者とか居ないのか?」
「貴族でも俺は五男だ。長男、次男、三男は比較的早くに決まるが、五男の所に来てくれる物好きは居ない。だから騎士になったんだ」
「五男?何人兄弟が居るんだ?」
「姉が2人、兄が4人だな」
「末っ子か」
「エスターはもっとすごいぞ」
エスターさんが笑いながら答える。
「兄が3人、姉が2人、弟が2人、妹が1人だな」
9人兄妹?!
「賑やかそうだな」
「トキワ殿は?」
「兄が1人居るだけだが、出入りしていた兄弟みたいなのはたくさん居た」
そんな話を聞きながら、朝食とお昼ご飯を作っていく。
「ヤマト、今日はシャワーはいいのか?」
「あぁ、行ってくる。悪いな」
大和さんはシャワーに行った。
「シロヤマ嬢、昨日はお疲れ様でした」
「ゴットハルトさんこそ、お疲れ様でした」
「昨日のトキワ殿はすごかったですね。あんな綺麗な剣舞を初めて見ました。朝見ていたのとも違う雰囲気で、7神様もお喜びになられたでしょうね」
エスターさんが興奮して話している。
「私も何名かに話しかけられました。『あれは本当に黒き狼か?』というのが殆どでしたが」
「吟遊詩人も何人か居ましたね」
「まさか新たな二つ名が付いたりとか……」
「ははは。まさか……」
「まさかね……」
沈黙。
「無いですよね」
「否定しきれません」
「無い、と信じたいが、吟遊詩人だから」
再び沈黙。
「どうした?」
大和さんがシャワーを終えて出てきた。3人が黙り込んでいるのを見て、訝しげな声で聞いた。
「いやぁ、なぁ……」
「絶対に不機嫌になると思う」
「あり得ないと思いたいですけど」
「なんなんだ?」
「シロヤマ嬢、お願いします」
「そうですね。シロヤマさんが最適です」
「えぇぇ……私が言うんですか?」
「咲楽ちゃん?」
「えっと、あの、奉納舞にですね、吟遊詩人さんが来ていたらしくて、ですね……」
「公式なイベントだから来てただろうね」
「その、大和さんに、新たな二つ名が付いたりとか無いですよね、って話してました」
「そう言うことか。咲楽ちゃんじゃないけど、色々諦めたよ。あれだけの人前で舞ったんだ。色々と覚悟してる」
「そうか」
「咲楽ちゃん、朝食出来た?コーヒー、淹れていい?」
「あ、大丈夫です。お湯も沸かしてます」
「ありがとう」
出来た朝食プレートをテーブルに運んで、スープもセッティングした頃に大和さんがコーヒーを淹れ終わって、ゴットハルトさんに渡す。いつも通り過ぎてなんだか戸惑う。
「食べないのか?」
「食べますけど」
「いつも通り過ぎてなぁ」
「戸惑う、と言うか」
それぞれポツリポツリと独り言を言いながら朝食を食べる。
「ヤマトは気にならないのか?」
「気にしてたら、やっていけない。いろんな声があるのは承知している」
大和さんってもしかして、日本に居たときから色々言われてたのかな?好意的な声はもちろんだけど、批判的な声もあったりしたのかも。
いつもよりも静かだ。みんなが何かを言いたくて、でも、言えないんだと思う。
朝食を食べ終えて、エスターさんがお皿洗いを引き受けてくれた。なんだか楽しそうに洗っている。
「すみません。着替えてきます」
一言断りを入れて、自室で出勤準備。時計とか無いのかな。ある程度は慣れてきたけど、やっぱり不便だ。
リビングに行くと、大和さんとゴットハルトさんが待っていてくれた。エスターさんはお皿を洗い終わってそのまま帰ったらしい。
「お待たせ致しました」
「行こうか」
3人で家を出る。
「昨日のヤマトはいつもと違っていたな」
「そうか?」
「ヤマトなのに、ヤマトじゃない感じがした」
「今は?」
「元に戻ってる。昨日あの後、何があった?って聞くのは野暮か?」
「咲楽ちゃんの可愛さを再確認した」
「何だそれは」
大和さんがちらっと私を見て、にっこり笑った。あ、嫌な予感。
「神殿に泊まったとき、衣装部3人娘からパジャマを貰ったらしくてな。白ネコちゃんになってた」
嫌な予感、的中。
「は?白ネコ?」
「白ネコを模したパジャマを着てくれた。耳とか尻尾も付いてた」
ちょっと上を向いていたゴットハルトさんが若干赤い顔をして言った。
「それは人に見せちゃいけないな」
何を想像したんですか?!
「当たり前だ。俺だけが……あ、先にあの3人娘が見てるな」
「しかし、それを売り出したら、売れるんじゃないか?」
「やっぱりこの世界には無いか?」
「聞いたことはないな。まぁ寝室での格好を聞くほど、親しい女性も居ないが」
「あっちに居たときに飼ってたネコを思い出した」
「猫は飼うものじゃ無いだろう。あぁ、あちらでは魔物は居ないんだったか」
「そうだな。居ない。こっちではネコは魔物だけか?」
「そうだな。前に言った雪猫や森猫、砂漠猫、魔猫がいる。雪猫は真っ白で、臆病だ。森猫は緑の猫だ。隠れるのが上手い。砂漠猫は滅多に見つからない。茶色だったかな。常に砂嵐を生んでいる、と伝えられている。魔猫は探せば街中に居る時もある。コイツは魔法を使う黒猫だ。魔術師の元に居着く事があるらしい。まぁ、かなり信憑性の無い噂だが」
「猫さん、いるんですか?」
「居るかもしれない、ですよ。一応魔物ですし。見つけても手を出さないでくださいね」
「見つけたらどうしたらいいんですか?」
「その時は見つけた場所を騎士団に知らせてね」
「騎士団に?」
「ほら、一応魔物だから」
「あれって猫さんじゃ?」
道端の茂みの中に黒い何かが見えた。
「言ったとたんにフラグ回収とか……」
大和さんがボソッと言った。
「知らせないとな。そこに副団長も居るし」
立ち止まった私達を不審に思ったのか、ローズさん、ライルさん、副団長さんがこっちに来た。
「おはようございます。どうしました?」
「あそこに黒猫さんが居ます」
私が指を指すと、副団長さんが目を丸くした。
「こんな所に魔猫?」
「知らせてきましょうか?」
大和さんが聞く。
「確かに足はトキワ殿が一番速いでしょうが……」
「何か?」
「戦力を離すのも、と思いましてね。何があるかわかりませんから」
猫さんが出てきた。緊張感が走る。
「座ってください」
静かな声で大和さんが言う。皆が静かにしゃがみこむ。
「おいで」
静かに大和さんが言って、そっと手を出す。
「大丈夫。おいで」
少しづつ猫さんが寄ってきた。やがて大和さんの側まで来た猫さんがその手に体を擦り付ける。
「抱き上げても?」
動かないまま尋ねた大和さんに副団長さんが静かに答える。
「刺激しなければ、危険はないはずです」
「よしよし。良い子だ」
大和さんが優しい声で言って猫さんを抱き上げる。猫さんは大人しくしていた。
「怖くないのですか?」
「怖くはないですね」
静かに副団長さんと大和さんが話をしていた。
「まぁ、騎士団に向かいましょうか」
副団長さんがそう言って、騎士団に歩いていった。
「魔猫がいるとは思わなかったわ」
「突然立ち止まったから何事かと思ったよ」
「ちょうど猫さんの話をしていて、何か動いた気がして見たら居たって感じです」
「トキワ様は慣れてるようだったわね」
「ネコには好かれてるって言ってました」
「でも魔猫よ?魔法を使うから、ってけっこう怖がられているのよ?」
歩きながら話す。
「ヤマトは知りませんでしたよね?」
「あれ?ゴットハルトさん?」
「ずっと一緒でしたのに、気が付かれなかったんですか?」
「僕は知ってましたよ。と言うか、話してたし」
「ライル様、楽しんでみえましたわね?」
「あの猫さん、どうなるんでしょうか?」
「普通なら研究所に送られるけど、トキワ殿に懐いたようですからね」
「どうなるかしらね」
「研究所って何の研究所ですか?」
「魔物研究所よ。魔物の生態とか調べて、冒険者とかに情報提供するの。そうして魔物駆除に役立ててるのよ」
「蜂も駆除対象だったのが、研究所の調べで対象から外された、って聞いたよ。かなり前の話だけど」
施術院に着いた。
「一応、所長に知らせてくるよ」
ライルさんが行ってしまった。ゴットハルトさんは帰っていった。
「所長に知らせるって、どうしてですか?」
「今までに怪我をした人が居ないとは限らないでしょ?魔猫の傷って治り難いこともあるから」
「そういう場合ってどうするんですか?」
「魔力を抜いて治療するんだけど、あまり例がないから」
「おはよう、何の話?」
「おはようございます、ルビーさん」
「おはよう、ルビー。さっき王宮への道の近くに魔猫が居たのよ」
「それって大変じゃない。騎士団には知らせたの?」
ローズさんと顔を見合わせる。
「それがね……」
「知らせてないの?」
「知らせる前にトキワ様が捕まえちゃったわ」
「え?だって魔猫でしょ?そんなに簡単に捕まえられた?」
「思ったより簡単に捕まえてた気がしたわ」
「猫には好かれてたって言ってました」
診察室に向かう。待合室には数人の患者さんが待っていた。
所長に手招きされて、そっちに行く。
「魔猫が居たらしいが」
「はい。大和さんが捕まえてましたけど」
「何人かが引っ掛かれたらしくてな」
「魔力を見た方が良いですか?」
「頼めるかの?」
「はい」
少し集中してみた。冒険者らしき男の人の腕に黒っぽい魔力が見えた。
「あの男の人の腕に黒っぽい魔力が見えます」
「治療を見ていくか?」
「見せていただけますか?」
所長がその男の人に話をしに行く。頷いた男の人が立ち上がって所長の診察室に入る。私は所長と一緒に入った。
「すみませんな。彼女は経験があまり無いから、魔力の抜き方を教えたいと思いましてな」
「大丈夫ですよ。天使様のお役に立てるならどんなことでも」
「すみません。勉強させていただきます」
「引っ掛かれたのは腕でしたかな?」
「はい。左腕ですね。いきなり飛び掛かられました」
「こういう魔力の残る傷は、まず魔力を抜くのじゃが、傷口の魔力を自分の方に集める感じじゃな。やってみなさい」
「はい。失礼します」
魔力を自分の方に集めるって聞いて、とっさに浮かんだのは掃除機だった。極々規模を小さくしてやってみる。
所長は何かの紙を用意していた。
「これは魔力判定紙。本来ならこれで魔物の傷の場合は魔力の有無を判定するんじゃ」
そう言って判定紙を傷口に当てた。変化は無い。
「きちんと抜けたようじゃな。傷の手当てもやってしまいなさい」
「はい」
傷口を塞いで、修復する。
「出来ました」
患者さんはお礼を言って帰っていった。
「さっきの魔力の抜き方じゃが、何を思い浮かべたんじゃ?」
「掃除機って機械です。空気を吸い込む力を利用して、ゴミとかを集めます」
「ほう。面白いのう。魔力の抜き方は分かったの?」
「はい。ありがとうございました」
お礼を言って、自分の診察室に戻る。
その日、来た患者さんのほぼ全員が奉納舞の話をして行った。
「奉納舞が素晴らしかった」「また見たい」そんなことを言う患者さんも居る。「そうですね」としか言えなくて困ってしまった。
私の事を「天使様」という人は多い。でも、大和さんと一緒に暮らしている、という事を知る人は少ない。冒険者さんには知っている人が多いんだけど、黙っててくれてるみたい。
マルクスさんのお母様が診察室に入ってきた。
「天使様、昨日はありがとうございました」
「おばあ様、頑張られましたね」
「その事で相談があるんですよ」
「どうかされましたか?」
「いえね、何かをしたい、と言うんです。寝ているだけには飽きた。って」
「お仕事って事ですか?」
「元々商品説明なんかをやっていましたからねぇ。人と接したいらしいんです」
「無理さえしないようなら、良いと思いますけど」
「そうですよね。無理しなかったら良いんですけど、ずっと見ているわけにもいかなくて」
「時間を決めてみるとか?」
「そこからですよねぇ」
お母様はお礼を言って帰っていったけど、これって私が受けて良い相談だったのかな?
3の鐘が鳴ったので、休憩室でルビーさんに聞いてみた。
「おばさまったらそんなことを相談に来たの?ごめんねサクラちゃん」
「いいえ。私は良いんですけど、私で良かったのかな?って思っちゃって」
「あぁ、良いのよ。昨日帰ってから、お婆様が言い出して、おじさまとおばさまの意見が対立して大変だったのよ。時間を決めて、って言うのは良いと思うわ。元々やりたいって言うならやらせれば、って言うおじさまと、無理するから駄目って言うおばさまが対立してたから」
「話を聞いていたけど、それしかないんじゃない?おばさまって『やらせてあげたいけど、心配』って感じでしょ?」
ローズさんがそう言った。
「そうね。そうするわ」
あの猫さん、どうなったんだろう。研究所ってどんな所なんだろう。
私は知らないことが多い。みんなに教えてもらってなんとかなってるし、大和さんには頼ってる。
今朝、結婚の話が出た。『何かがブレーキを掛けている』って言ったけれど、本当は分かってる。怖いんだ。結婚に対してではなく、『家庭を持つ』と言うことが。
私は一般的な家族像を知らない。みんな仲が良くて、時々喧嘩して、って友人達は言っていたけど、私の知っている家族はいつも家に居ない父と、いつも私を馬鹿にする母、いつも私を物として扱う兄だけだ。
大和さんの家庭の話を聞いていると、暖かい家庭が思い浮かぶ。お父様とお兄様、出入りしているたくさんの人達。あれ?お母様は?
いつか、大丈夫になるのかは分からない。もし、って考えると不安になる。
誰かに相談できれば良いんだけど、相談できる人が思い付かない。
「サクラちゃん、どうかしたの?」
考え込んでたらローズさんに声をかけられた。気が付いたら、みんなが私を見ていた。
「すみません。ちょっと考え事をしていました」
「悩み事でもあるの?」
「いえ。ご心配をお掛けしました」
お昼休みが終わって、診察が始まってからも、なんだかずっとモヤモヤしていた。




