63
5の鐘がなった。帰り支度をして、外に出た時、猫人族の女性がエマちゃんを連れて来た。
「天使様はどなたでしょうか?」
「私ですが」
何かあったかな?ドキドキしながら一歩出る。
「エマがお世話になったようで。デリックに聞いてお礼を、と来たのですが」
「お礼なんていいですよ。エマちゃん、あの後痛い事は無い?」
「大丈夫!!」
元気に答えてくれた。
「あの、お礼を」
差し出されたのは綺麗なスカーフ。
「受け取れません。エマちゃんが元気でいてくれるのが嬉しいんですよ」
しばらく押し問答が続いた。所長が出てきてくれた。
「治療費は頂いております。規則で受け取れないのですよ」
そう言ってくれたんだけど、諦めてくれない。
どうしよう。
「金品は受け取れませんので、手伝いをしてくだされ。その方がこちらも嬉しい。もちろんエマちゃんも連れてきてよいですぞ」
所長が名案を思い付いたように言う。
「手伝い?」
「掃除ですな」
「それで良いのですか?」
「何せ敷地だけはありますからな。手伝って貰えるとありがたい」
「わかりました。いつですか?」
「いつもは星の月に入ってからじゃの。その頃に来てくだされ」
「必ずお伺いします」
エマちゃん母子は帰っていった。
「所長、ありがとうございました」
「いやいや、年に何人かはああいうのが来るんじゃ。気にせずともよい。あぁお迎えじゃな」
見ると大和さんがいた。
「何かございましたか?」
「大掃除要員1名確保じゃな」
所長が笑う。
「それは良かったですね」
「トキワ殿は星の月は王宮かの?」
「このままですとそうなります」
「ほう。王宮騎士団にも応援を頼むから、よろしく頼む」
「承りました。改めてご連絡下さい」
大和さんが礼をする。指を絡め取られて、ポケットに入れられた。
「帰ろうか」
「はい。所長、失礼します」
挨拶をして歩き出す。
「大和さん、今日はシチューが作ってあります」
「あぁ、昨日作ってたのってシチューだったの?」
「2日続けて買って帰りましたもん。何か作りたかったんです」
「もしかして迷惑だった?」
「正直言って楽でしたよ。でも、やっぱり作りたいって言うのがあるんです」
「それなら良かった。じゃあ今日はこのまま帰っちゃって良い?」
「明日って大和さんは……」
「明日は東市場だね」
「じゃあ今日は大丈夫です」
「了解。このまま帰ろうか」
「このままって?」
「手を繋いで、って事」
「繋いでって言うか、これって『恋人繋ぎ』ですよね」
「そうだね」
「……見えないから良いです」
「俺は見えても良いんだけどね」
しばらくは黙って歩いた。
「大和さん、今朝、副団長さんと何か真剣に話してましたけど、何だったんですか?」
「あぁ、あれね。王宮騎士団のとある問題の首謀者の目星が着いたって話ね」
「それってもしかして?」
「分かっちゃうかな?」
「腐女子問題、ですか?」
「そうなる」
「でもあれって無くなりませんよね。地下に隠れるだけですもん」
「だよねぇ」
「その問題で大和さんに話が来てるってことはもしかして……」
「ご推察の通り。まんまと題材になってた」
「え?なってたって、見たんですか?」
「見せられた」
大和さんが憮然とした声で言う。
「大丈夫ですか?」
「帰ったら慰めてね」
「ヨシヨシって?」
「咲楽ちゃんからのキスでも良いよ」
「それは……まだ無理です」
「待ってる。俺からはしても良い?」
恥ずかしくて返事ができなくて、黙って頷いた。
ポケットの中の大和さんと繋いだ手が熱くなった気がした。多分、今、私の顔は真っ赤だ。
もう外が暗いから、大和さんの表情は見えない。私の顔も見えないよね。
そっと大和さんの方を見てみた。
「どうしたの?」
「大和さん、見えてるんですか?」
「何となくね」
「暗視ゴーグルでしたっけ?標準装備ですか?」
「よく知ってたね」
「メカ物のラノベをお薦めされて、その中に出てきました」
「そんなのあったっけ?」
「確か巨大ロボに乗って魔法を使うっていうのだったと思います。はっきり言って全く分かりませんでした」
「そういう類いは興味がないと分からないよね」
「大和さんはどういうのを読んでたんですか?」
「よく借りてたのは異世界転移、転生物かな。咲楽ちゃんは?」
「同じです」
そんなことを話ながら家に帰る。もし誰かに聞かれてても、訳が分かんない会話だっただろうけど、幸い誰とも行き合わなかった。
家に入って、着替えてからキッチンでシチューの味を調える。
パンも温めて、お夕食の準備は出来てるんだけど。
大和さん、慰めて、って言ってたよね。前にも一度言われた気がする。
私には腐女子の方の気持ちは分からない。でも題材にされるのって嫌だよね。
大和さんが降りてきた。
「大和さん、お夕食、食べちゃいましょう」
シチューとパンをテーブルに運んで食べ始めた。
「こういうシチューって前日から用意しないといけないの?」
「ルゥとかあれば良いんでしょうけど、この世界にはないですから。少しでも味が馴染むようにって思って前日からです。昼間に時間があったら、4の鐘辺りから煮込み始めたら良いんですけど。この世界ってスパイスはあってもコンソメキューブとかないし、スープストックを作っておこうと思っても、冷凍庫が家にはないから置いとけないし、密閉袋もないから冷蔵保存も怖いし」
「言ってる意味はあんまり分かんなかったけど、冷凍庫があれば便利だってことは分かった」
大和さんが笑う。
「でもカレーが作れてないです。パエリアも」
「奉納舞が終わってから楽しみにしてる」
「そうだ。奉納舞の前に施療院の待機が入っちゃいました」
「前だけ?後は?」
「舞の後は来て欲しいって言ってたじゃないですか。だから辞退しました」
「覚えててくれたんだ」
「当たり前です」
「当たり前なんだ」
「大和さんがお願いしてくれたんです。叶えたいって思ったんです。それに先の約束ですから」
「それは素直に嬉しい」
大和さんの顔に朱が上った気がした。照れてくれてる?
それを見てたら私も照れてきた。
「咲楽ちゃん、顔が赤いよ」
言われて両手を頬に当てる。顔が熱かった。
「大和さんもですからね」
大和さんにそう言ったんだけど、よく考えなくても、この状況って端から見たらどうなんだろう。
食事を終えて大和さんがお皿を洗ってくれる。私はソファーでスヌードを編んでいた。
「咲楽ちゃんの?」
「はい」
「ふわふわだね。似合いそうだ」
そう言って私の隣に座る。
「なんだかね、精神的にクるものがあるね。出来るだけ平穏な気持ちでいたいんだけど」
「大丈夫……じゃなさそうですね」
「ごめんね」
そう言って寄り掛かってきたから、慌ててスヌードを魔空間に仕舞う。
大和さんはそのまま私の膝に頭をって……膝枕になってる。
なんだかすごく弱ってる感じで、思わず頭を撫でていた。
「気持ちいいね」
大和さんが呟く。
「大和さん、足をソファーに上げたらどうですか?」
「それはさすがにしたくない。オヤジっぽい気がする」
そうかな?若い人がしてるイメージがあるんだけど。
「じゃあ寝室に行きますか?ベッドなら足を上げても大丈夫ですし」
「積極的だね」
笑われてしまった。
「足を上げた方が疲れがとれますし、楽かなって思って言ってみただけです」
「そうだね。せっかくの咲楽ちゃんからの提案だし、乗らせてもらおうかな。その前に風呂に行ってくる」
大和さんは立ち上がってお風呂に行った。
明日の朝のスープの仕込みだけしちゃおう。
ホントにスープストックを作っておきたい。冷凍庫がないと難しいけど。フリーズドライってどう作ってたっけ?
考えながら野菜を刻んで炒めていく。そういえば、奉納舞の時のスープは炒めない方が良いかな。確か祖母と作ったときには炒めてなかった。
仕込みを終わって、結界具の確認をする。うん。大丈夫。
2階に上がって、着替えを準備して寝室でスヌードの続きを編む。
少ししたら、大和さんが寝室に入ってきた。髪が濡れてる。
「大和さん、髪が濡れてます」
「乾かしてもらおうと思って」
「わざとですか?風邪引いちゃいますよ」
「体力だけはあるから大丈夫」
「そういう問題じゃありません。大事な時期でしょう?気を付けてください」
そう言いながら大和さんの髪を乾かす。前髪が目に掛かりそうになってきてる。髪の毛って1ヶ月でそんなに伸びたっけ。確か1cm位だったはず。
「髪の毛、伸びましたね」
「鬱陶しくなったら切るけどね。咲楽ちゃんも伸びてるんじゃない?」
「前髪は分かりやすいんですけど、後ろは分かりません」
「そうだね。長いと分からないよね。でも咲楽ちゃんにはもっと伸ばして欲しい」
「長い方が好きですか?」
「ショートも見てみたいけど、長いといろんなアレンジが見られるから。ほら、咲楽ちゃんの髪を弄りたがる人、多いし」
「本音は?」
「長い方が触り心地が良い。って何を言わせるの」
ひとしきり笑って、私はお風呂に行った。
大和さん、髪は長い方が好きなのかな。前髪が少し伸びてきたけど、伸ばしちゃおうかな。
でも前髪って伸ばしてる途中に絶対に鬱陶しくなる時期が来るんだよね。で、切りたくなる。
髪が長い方が良いっていうのは好みの問題なのかな。前に言ってた『年上のお姉さん』も長かったのかな。大和さんは大人の男性だから、付き合った人も何人かはいるだろうし。『他人に興味がなかった』って言ってたけど、カッコいいからモテただろうし、って言うかこっちでもモテてるし。ダメだ、モヤモヤしてきた。
今は奉納舞の前で、ナーバスになるって言ってたし、気付かれないようにしなきゃ。
髪を乾かして寝室に行くと、大和さんが横になっていた。何か考え事をしてる?
「大和さん、戻りました」
「お帰り」
そう言ってその身を起こす。
「考え事ですか?」
「考えたくはないんだけどね」
ベッドをポンポンと叩いて座るように促される。もしかしてまた膝枕?
足を伸ばして座ると苦笑いされた。
「正座の方が良かったですか?」
「これで良いよ」
そう言って私の足に頭をのせる。つい反射的に頭を撫でてしまった。
「何を考えてたんですか?」
「考えたくないけど、考えなきゃいけない事」
もしかして腐女子問題?そう思ったけど、言わない方がいいよね。
「聞かないの?」
「聞かれたくないことかな?って思って」
「聞かれたくはないけどね、聞いて欲しいって気もする」
「私は聞くことしかできません。それでも良いですか?」
「そう言うってことは目星はついてるってことかな?多分合ってるよ。腐女子問題」
やっぱり。
「元はね、副団長にフラれたご令嬢みたいなんだけど、しばらくショックで塞ぎ込んでいたらしい。で、あの副団長、結構モテるから何人かフってて、その何人かで話をしてて、最初は腹いせに嫌がらせで副団長の男色の噂を流した。そこに登場したのが俺だった訳。笑って話してる副団長って結構レアらしくて、あんなに仲が良いんだからって相手役に選ばれたらしい。他の団員は完全にとばっちりかな」
「そこまで分かってるってことは、目星が付いたって言うより特定できた、って事じゃないんですか?」
「それがね、その、書いてたのは見つけて事情も吐かせたんだけど、最初に企画?提案したのが居るらしくて、それも高位貴族のご令嬢らしくて、言わないんだ」
そう言ってため息を吐く。
「話だけ聞いてると、大和さんも完全にとばっちりですよね」
「そうか。そうだね。まぁ、それでも気は晴れないんだけどね」
そう言って力なく笑う。
「一応はこれ以上書くと訴えるって脅しといたけど、どうなるかな?」
「しばらくは大人しいんじゃないですか?」
「しばらく、だろうね。厄介なのはそういったのを楽しみにしてるのが、何人か居るらしくて」
「腐教してたってことですか?」
「布教?」
「腐女子を広めることを腐教って言うらしいです」
「嫌な宗教だね」
そう言って大和さんは頭を起こした。
「話を聞いてもらうと少し楽になるね。ありがとう」
「少し……ですか?」
「少しでも楽になれば、他の方法を考えることもできる。十分だよ」
頭を撫でられた。おかしいな。結局私が頭を撫でられてる。
「慰めになりましたか?」
「なったよ。ありがとう」
そう言われて自然にキスされる。
キスして良い?って言われて頷きましたよ。でも暗かったし、見えてないって思うじゃないですか!!
心の中では盛大に叫んでた。でも言葉に出てこない。
「咲楽ちゃん?」
どうしよう。嬉しいんだけど、私はこういうことに慣れてなくて、大和さんが自然にキスをすることに戸惑っている。浴室で考えていたことを聞きたくなってしまう。
「大和さんってキスに慣れてますよね」
「あっちでは挨拶だったしね」
「挨拶のキスは唇にしません」
「そういえばそうだね。妬いてくれたの?」
「知りません!!」
そのまま大和さんと反対の方を向いた。後ろから大和さんが笑ってる声が聞こえる。
「慣れてる訳じゃないよ」
そう言って後ろから抱き締められた。
「咲楽ちゃんが可愛くて、つい、ね」
「ついってなんですか……」
「こうやって妬いてくれたりが嬉しい」
「あんまりやきもちって妬きたくないです」
「このくらいのやきもちは可愛いだけだけどね」
「もっとすごいやきもちを妬かれたことがあるんですか?」
思わず振り返った。
「あ、こっち向いてくれた。俺じゃないよ。部隊の妻子持ちの人の夫婦喧嘩が凄かった。どっちも格闘戦が出来るから被害甚大。その人達の喧嘩が始まりそうになったら避難するって言うのが暗黙の規則だった。だいたい30分位で収まって、濃厚なキスシーンが始まるから、1時間位してから避難が解除されてたけどね。仲間達の間じゃ緊急避難訓練って呼ばれてた」
「なんですか、その傍迷惑な喧嘩」
「普段は仲の良いカップルだったんだけどね。原因はだいたい女の子に手を出しただの出さなかっただのって感じだったけど」
「それって男の人が悪いってことですか?」
「見てた感じじゃ誤解が3割くらいあったけどね」
「見てた感じって止めたらよかったんじゃ?」
「40の男が20代前半の意見を聞くと思う?」
「……聞かなさそうですね」
「でしょ?」
大和さんが横になった。私も横になると抱き締められる。
「咲楽ちゃんは精神安定剤みたいだね」
「なんですか、それ」
「こうやって眠ると安眠できる」
「私って抱き枕でしたね」
「うん。そう言うことにしておく」
その日はそのまま眠りについた。
ーーー異世界転移37日目終了ーーー




