フルールの御使者 ①
翌日のフルールの御使者の当日。今日は1の鐘過ぎには闘技場に行かなければいけない。だから少し早く起きた。
着替えて階下に降りる。ご飯を炊いてスープを異空間から出して温める。朝の分のスープは昨日の夜の物とは別にして異空間に入れてあった。もう花の月だし、食中毒も怖かったからね。
ご飯が炊けたら、塩むすびを作る。うーん。大和さんは良いって言うけど、他の人達はどうだろう?卵焼きとか作っておこうかな?
塩むすびを異空間に入れて悩みながら庭に出る。
「おはよう、咲楽」
「おはようございます、大和さん。ランニングは終わったんですか?」
「今日はランニングはしてないよ。あぁ、もうすぐカーク達が来るね」
「瞑想は?」
「あっちでする。深い瞑想は終わっているし」
「おはようございます、トキワ様、サクラ様」
「おはよう、カーク、ユーゴ」
「おはようございます、トキワさん、天使様」
「おはようございます、カークさん、ユーゴ君」
「今日は朝からの剣舞は?」
「したいか?したけりゃ付き合うぞ?」
「えぇっと、どうしよう」
「集中の仕方は人それぞれだからな。自分の思うようにすればいい」
大和さんの言う事は分かる。言葉だけ聞けば、突き放している感じだけど、ユーゴ君の自主性を尊重しているんだよね?
結局剣舞は舞わないらしい。みんなで母屋に入って朝食にする。
「ユーゴ君、これだけで足りる?」
「分かんないけど、大丈夫だと思う。トキワさん、剣舞が終わったら何か食べても良いんだよね?」
「あぁ。別に今、追加して食べても良いんだが……」
「でも、このライの実、美味しいね」
「ありがとう。剣舞が終わった時用にミニパンは持っていくからね」
「サクラさんは今日は忙しいんでしょ?そんな暇、有るの?」
「無いです……」
リンゼさんに叱られてしまった。
「食べ終えたら出るよ」
「はい」
いつもより早く家を出るから、急いで朝食を食べる。今日はフルメイクを闘技場で侍女さん達に施してもらうから、メイクはしなくていい。着替えも済んでいるし、スプリングコートを着れば家を出る準備は完了だ。ドレスはアレクサンドラさんが「責任もって届けるわ」って言ってくれていたし、忘れ物は無いよね?
全員で家を出ると、さすがに注目が集まる。私達の家は、「黒き狼と天使様の家」として有名になっているらしい。一般家屋を見に来る人も居るんだね。なんの変哲もない普通の家ですよ。
「何を言っているの?黒き狼様と天使様が暮らしている家なんて、他に無いのよ?」
「でも、リンゼさん、普通の家ですよ?少し敷地は広いですけど」
「少し……、ねぇ。それでも特別って感じがしちゃうのよ」
「そんなものですか?」
そういえば○○さんの生家とか、観光名所になっていたっけ。
闘技場に着いたら、私はみんなと別れて着替える。リンゼさんが付いてきてくれた。
「おはようございます、天使様。準備をいたしましょう」
「やっぱりマッサージからなんですね」
「当然ですわ」
当然なんだ。諦めて用意されたベッドに横になる。香りの良い香油でマッサージされて、髪の手入れも受ける。ドレスを着付けられて、髪を結い上げられた。
「トキワ様のリクエストはフラーの精霊ですけど、天使様にはすぐに着替えていただかないとなりませんものね」
「髪は簡単に直せるようにしてございますわ」
「剣舞を見終わってからでも時間はございますからね?お急ぎにならなくてもよろしゅうございますわよ」
「ありがとうございます」
ドレスに着替えてヘアメイクも終わったら、部屋を出る。
「サクラちゃん、綺麗だわ」
「ローズさん、来てくれたんですか?」
「さっきそこでルビーに会ったわ。あぁ、来たわね」
「サクラちゃん、久しぶりね。スゴい。綺麗ね。フラーの精霊って聞いていたけど、本当にそんなイメージだわ」
「ルビーさん、お久しぶりです。ルビーさんもフルールの御使者の演出に出るんですよね?」
「えぇ。サクラちゃんの晴れ舞台を見てからね」
「メインは私じゃないんですけど」
「うふふ。分かっているわ。トキワ様とユーゴ君でしょ?」
「天使様、ご用意ください」
進行役の役人さんに呼ばれた。
「はい。じゃあ、行ってきます」
「観客席で見ているわ。頑張ってね」
ローズさん達と別れて、大和さん達と合流する。
大和さんは騎士服に似た例の衣裳、ユーゴ君は着物と袴だ。
「ユーゴ君、似合うね」
「そうかな?スースーして落ち着かないんだけど」
「そうかもしれないな。袴での練習もしていたが、着慣れてないと落ち着かないかもしれない。まぁ、やる事は一緒だ。舞い始めれば気にならなくなる」
「はい」
時間になって、まずは大和さんと私だけがフィールドに出る。大和さんが先に舞台に上がって、私は舞台下で待機する。
『本日の、この佳き日に王太子殿下のご成婚を言祝ぐと共に、王家の御代の繁栄を祈念致します』
大和さんが言って、私が舞台に上がる。舞扇を大和さんが受け取ったら、舞台を降りる。それだけなのに拍手されてしまった。
大和さんが祝い歌を舞い始める。
『庭の砂は金銀の 玉を連ねて敷妙の
五百重の錦や瑠璃の扉
硨磲の行桁 瑪瑙の橋
池の汀の鶴亀は 蓬莱山も余所ならず
君の恵みぞ ありがたき 君の恵みぞ ありがたき』
金・銀・瑠璃・玻璃・珊瑚・瑪瑙・硨磲は七宝と呼ばれる宝物で、元は仏教用語らしい。宝物をふんだんに使った宮殿に住んでいらっしゃる帝は素晴らしいお方だと褒め称えているのがこの歌で、本来はこの前後にまだ歌詞が続いている。
大和さんもそこまで覚えていないらしく、「詳しくは分からないけどね」と言っていた、気がする。半分眠りながらだったからよく覚えていないんだよね。
祝い歌が終わったら、舞台上を整えている間に、大和さんは衣裳チェンジ。今度は袴だ。どうしてこんなに似合うんだろう。色気が漏れている気がする。
「咲楽」
私は着替える前のドレス姿だ。袴姿の大和さんが私をフワリと抱き締めた。
「俺の巫女姫。春の女神。行ってくるね」
「はい。ここから見ています」
巫女姫って言われたのは久しぶりだな。春の女神は初めて言われた。
剣を渡したカークさんとヴィクターさんが戻ってきた。
「サクラ様、お座りください」
「ありがとうございます」
カークさんが勧めてくれた椅子に座る。このドレスはパニエで膨らましているから、なんとか座れた。
大和さんとユーゴ君の剣舞は続いている。フィールド一杯に広がる鮮やかな花畑。そこに佇む華やかな花馬車。花馬車は毎年意匠が違う。でもユーゴ君の視せる花馬車は私が乗ったそれと酷似している。大和さんとユーゴ君では剣舞に掛ける気迫が違うんだと思う。そこに達するまでにどれ程の研鑽を重ねたんだろう。
7神様の光は柔らかく包み込むように舞台上に浮かんでいる。宮廷演奏家が奏でるこちらの楽器と大和さんが舞う地球の剣舞が融合している。ようやくこの世界にしっかりと根を張れた気がする。
剣舞が終わった。カークさんとヴィクターさんが鞘を渡して、2人が納剣する。割れんばかりの拍手が闘技場を満たした。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
無事に現世に戻ってきてくれたみたい。私を抱き締める手が暖かい。
「ユーゴ君、ユーゴ君?」
「ユーゴは戻ってきてないか」
大和さんがユーゴ君の目の前で強く手を打つ。パンっという音と共にビクッとユーゴ君の体が揺れて、目の焦点が合った。
「あれ?僕……」
「おかえり、ユーゴ。戻ってきたな」
「あれって何?スゴく現実感がなくて、気持ち良かったんだけど」
「トランス状態という。現実感が喪失したり、刺激に対する感受性が低下したり、通常とは異なった精神状態になる事だな。あの程度の刺激で戻ってこられるなら軽いもんだ」
「トキワさんは?あんな風になった事は無いの?」
「あるぞ?何度も。だからいつも咲楽に縋っているんだ」
「天使様に?」
「咲楽は俺のフラーだから。咲楽の元に帰りたいと渇望してしまう。ユーゴもそういう存在が居れば良いんだが、こればかりは自分で見つけるしかない」
「もしかして、奉納舞の朝にやってるのも、意味がある?」
「舞いは神にも魔にも通じる。トランス状態になるほど入り込めばなおさらだ。自分自身が無くなるんだ。だから魔が入り込まないように心身を浄める。神々に捧げるものだから無礼にならないようにという意味合いもあるが」
用意された控室に向かいながら、大和さんが説明する。
「そうなんだ」
「そういえば、7神様がおいでになっておられました」
「ん?天使様?おいでにってどうして分かるの?」
「だって7神様の光が見えたから」
大和さんとカークさんが頭を抱えた。どうかした?
「咲楽、何をサラっと暴露してんの?」
「サクラ様、普通は7神様の光は見えません」
あっ。やっちゃった。
「私は何も聞いてません」
カークさんがヴィクターさんを見ると、生真面目にヴィクターさんが答えた。
私だけ着替えに別室に行く。大和さんは着替えがあるから、カークさんが送ってくれた。
「サクラちゃん、着替えるわよ。サクラちゃんはそのドレスを替えてらっしゃい」
「はい。カークさん、ありがとうございました」
「では、後程」
カークさんが頭を下げて戻っていく。
「トキワ様がハルノマイの前に舞ったのは何だったの?」
「祝い歌だそうです。天下泰平、国家の長久を祈念し、祝福する舞いだって、大和さんが言っていました」
「なんだかいつものトキワ様じゃないように感じたわ」
「そうよね。それに剣舞の衣裳。トキワ様ったら色気が凄かったわよ?何人か倒れていたわ」
「えっ?」
「施術室に運ばれたと思うわ。所長達も困ったでしょうね」
「そうよね。どこも悪くないんだもの」
「サクラさん、ローズさん、ルビーさん」
「リディーさん、着替えましょ?サクラちゃんはドレスを脱がなきゃね」
ワイワイとみんなに着替えた部屋に連れていかれた。ついでにそこでみんな一緒に着替える。ヘアアレンジは他のみんなが集まっている部屋で行うらしい。
久しぶりに会う顔が多い。あちらこちらで再会を喜ぶ笑い声が上がっている。
「サクラさん、お久しぶりですわ」
「スサンナ様、お久しぶりです。ご結婚されたんですよね?」
「えぇ。今はスサンナ・イオリットですわ」
「おめでとうございます」
「サクラさんもご結婚されたと伺いましたわ」
「はい。今はサクラ・トキワです」
「お幸せそうね」
「ありがとうございます。スサンナ様も」
「結婚してすぐに子を授かって、今日は子ども達も見ていますのよ。サクラさんは?お子様はまだですの?」
「まだです。どうやら出来にくいみたいで」
「あら。ごめんなさいね」
「いいえ。以前から言われていましたし、大和さんもそれは承知してくれています」
「以前から言われていた?」
「授かりにくいって」
「どなたにですの?」
「あ、えっと……」
言っても良いのかな?
「スサンナ様、お話いたしますわ。こちらへどうぞ」
先にヘアメイクを終えたローズさんがスサンナ様に声をかけた。本当はマナー違反らしい。スサンナ・イオリット様は伯爵家夫人、ローズさんは男爵夫人。下位の者から上位の者に声をかけるのは失礼に当たるんだって。スサンナ様はフルールの御使者で一緒だったからと特別に許してくださっている。
「サクラちゃん、ヘアメイクをしていただきなさい」
「はい」
ルビーさんに言われて、ヘアメイクのブースに向かう。
「お願いします」
「はーい。いったんこのセット、崩して良い?」
「はい」
手早く結い変えられていく。
「サラッサラねぇ。羨ましいわ」
「結い難くないですか?」
「そこを何とかするのが私達よ。心配しなくて良いわ」
私にはどうなっているのか分からないけど、ヘアメイクが終わると、担当してくれたお姉さんに声を潜めて話しかけられた。
「もしかして、天使様?」
「はい」
「剣舞の前に何かを渡したわよね?あれってエヴァンタよね?変わった柄だったけど」
「おめでたい柄だそうです」
「そうなのね。そういう謂れの柄だったのね」
「私も詳しくないですけどね」
「うふふ。はい。出来たわ」
「ありがとうございました」
みんなの所に戻る。
「お待たせしました。ローズさんは大丈夫そうですか?」
「ちょっと無理そう。食べてしまうわ」
ローズさんは今、悪阻が始まっている。食べ悪阻のようで、何かを少し食べると気持ち悪さが収まるらしい。悪阻止めの薬草が入った低カロリーな携帯食を少しずつ食べている。水分も取っているから、お腹の中で膨らんでちょうど良いと笑っていた。