62
翌朝、目が覚めると、良い天気だった。こっちの雨って長く降らないのかな?日本だったら秋雨とかってあったよね。
奉納舞の日も晴れてくれるかな。後3日?4日?
着替えて階下に降りる。昨日のスープの仕上げをして、今日のお昼の食材を食料庫から出して準備しておく。味付け前にスープの味を見たけど、良い感じだった。
庭に出ると、今日はエスターさんもいた。
「おはようございます、シロヤマ嬢」
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、今日はパイロープ様も一緒なんですね」
「エスター、と呼んでください。私だけ『パイロープ様』って寂しいじゃないですか。こいつ等にもそう言いたいのに、ゴットハルトが許してくれないから」
言ってる。今言ってる。
「私もシロヤマ嬢って「嬢」ってつくのが落ち着きません。けど名前で呼ばれるのって抵抗が……」
「じゃあ、シロヤマさんで良いですか?」
「おい、エスター……」
「私は構いません。ゴットハルトさんもそれでお願いします」
「私は止めておきます。礼儀と言うものは大切にしたいですから」
「本人が良いって言ってますのに」
「本人が良いって言ってるのに」
「正直に言いますとヤマトが怖い」
「そのくらいで大和さんは怒ったりしません」
大和さんが瞑想を終えて立ち上がった。
「始まりますね」
ゴットハルトさんが私から距離をとる。
大和さんが胡座に座ってサーベルを両手に捧げ持った。え?口上を言うの?
『只今より、常磐流第28代が2子、常磐大和、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』
そして深く一礼してサーベルを抜き放って鞘を戻すと舞始めた。
気のせいじゃない。口上を言った時の方が枝垂桜がはっきり見える。
「ゴットハルト、お前、これを毎朝見てたのか」
「あぁ」
「なぜ知らせなかった」
「お前はその前のランニングで疲れ果ててただろうが。無理はさせてはいけないからな」
ゴットハルトさん達が何か言い合ってる。何となく楽しそうだ。
大和さんの舞が終わった。鞘にサーベルを戻して舞台を降りる。
「咲楽ちゃん、おはよう」
そう言って両手を広げる大和さん。これって抱き付いて欲しいって事?
「おはようございます。大和さん、急にどうしたんですか?」
抱き付きながらそう言ったら、にこやかに言われた。
「何となく」
思わず離れて、大和さんを見上げる。
「何となく?エスターさんが初めて居るから、とかじゃないですよね」
「違うよ」
嘘っぽい……。
「今日は口上を言ったんですね」
「後3日だしね。本番モードにしてかないと」
ゴットハルトさんがみんなを促して家に入っていった。
「大和さん、口上を言った方が枝垂桜がはっきり見える気がします」
「そうなの?」
「はい」
話をしながら家に入ると、ゴットハルトさんとエスターさんがダイニングで待っていた。
「どうした?」
「あちらで我々が座るとあいつ等が座らない」
「あぁ、なるほど」
「椅子が足りないとかですか?」
私がそう言ったら、3人が一斉に振り返った。そして3人でこそこそ話を始める。
えぇっと、3人は放っといて、スープを温めて、朝食とお昼の準備。
昨日の鳥肉のスライスとオムレツを挟んだ1品と、野菜とソーセージとチーズのサンドと野菜とチーズと卵のサンド。
朝食の用意が出来る頃には大和さんもシャワーから戻ってきてたんだけど……。
「ゴットハルトさんとエスターさんもダイニングで良いですか?」
「え?いや、私は帰って食べますよ、シロヤマさん」
「咲楽ちゃん、スープは大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「と、言うことだ。2人共、ここで食べていったら良い」
「大和さん、コーヒーはどうします?」
「淹れる。ゴットハルト、あれから淹れてみたか?」
「淹れては見たが、旨くない」
「慣れが必要だからな。要るか?エスターはどうする?」
「俺は貰う」
「私は……どうしようか。少し貰っても?」
「了解。3人分だな」
そう言ってコーヒーを淹れ始める大和さん。やっぱりギャルソンの格好をして欲しい。って考えてると、大和さんがこっちを見た。と、言うか流し目?
「咲楽ちゃん?しないからね」
あ、バレた。
「今は作りません」
「今は、ね」
そう言いながらも大和さんはドリップを続けている。
カップに3杯注ぎ分けると、ゴットハルトさんとエスターさんに渡す。
エスターさんは一口飲んで噎せ込んだ。
「これはっ、けっこうっ苦味がっ、来ますっねっ」
「大丈夫か?」
「すみません。無理です」
「咲楽ちゃんミルクと砂糖、出してあげてくれる?」
「カフェ・オ・レにしましょうか?」
「そうしてあげて?」
「はい」
私のカフェ・オ・レはコーヒー:ミルクが4:6だ。味的に私にはこれがちょうど良かった。少し前からコーヒーを少しでも飲むと、気分不良が来るから、飲めなくなったけど。
カフェ・オ・レにしてあげると、エスターさんも飲めたみたい。
スープを4人分注ぎ分け、テーブルに運ぶ。私達の朝食プレートをテーブルに持っていって朝食を食べ始めた。
「トキワ殿、今朝のあの舞は、今度の奉納舞の物ですか?」
「そうですね。と、言うかエスター殿、と呼びましょうか?」
「トキワ殿、と言うのは許してくれ。貴方と相対すると、敬語になってしまう」
「なんだそれ?」
ゴットハルトさんが「分かる……」と、呟いていた。
「まぁ、あれが奉納舞の物になる」
「なんと言うか、華やかと言うか、剣舞なのに優しい感じだな」
「そうか?」
剣舞に四季があって、って事、話してないから、その事には触れないようにしてる、って感じかな。エスターさんには私達の事、話してないんだよね。
食べ終わって大和さんがお皿を洗ってくれる間に自室で着替える。
服を着変え、練り香水を伸ばし、髪を纏め、ネックレスを付ける。そうだ。闇の日のお泊まりの為の着替えを用意しておこう。ワンピースと羽織るもの、って感じかな。それを2組。
リビングに行くと、ゴットハルトさんと大和さんが待ってくれていた。エスターさんはいない。
「お待たせしました。エスターさんは?」
「エスターは一旦帰った。行こうか」
大和さんが結界具を作動させて、家を出る。
「大和さん、昨日のアレクサンドラさんの話って話したんですか?」
「話してある。ブランとダニエル、アッシュとゴットハルトが今日行くって言ってたな」
大和さんがゴットハルトさんに確認をする。ゴットハルトさんが頷いた。
「その、アレクサンドラと言う人の話は聞きました。ブラン達に妙な影響がなければ、まともな人であれば、格好や言葉遣いは気にしません。逃亡前のような事は二度と味わわせたくない」
ゴットハルトさんが少し厳しい顔で言う。
「ゴットハルトさんは、皆さんのこちらに来る前の事、知ってるんですよね?」
「保護者として動く際に、聴取はしましたから。一応は知ってますが、本当に"一応"ですね。ブランの事も『奉公先から逃げ出して来た』と言うことは知っていましたが、細かいことは聞いていませんでした。アッシュに至っては、いまだに大まかなことも話してくれません。ブランと一緒に逃げ出して来た、ってだけです」
アッシュさんの背景って何だろう。知られたくない事を話すのは、心理的にかなりキツいと思う。相手を信頼しているとか、感情に任せて言ってしまうとかじゃない限り、誰かに言うのは難しい。人は誰にも知られたくない事の1つ2つあって当たり前だ。
ただ、一人で抱え込むのもキツいことがある。私のようにヒドい目に合わされた、という事も人に言いたくない事の1つだと思うけど、加害者側で意図しないものであったというのも、言いたくない事の大きな要因だと思う。
大和さんとゴットハルトさんが話をしている横で考え込んでしまった。自分の考えに入り込んでしまうのは、私の悪い癖だ。
「咲楽ちゃん、何を考え込んでるの?」
大和さんに聞かれてハッとする。ゴットハルトさんも心配そうに私を見ていた。
「人に言いたくない、知られたくない事って、誰にも1つ2つあるよね、って考えていました」
「まぁ、それが人だからね」
ゴットハルトさんも頷いてる。
「強引に聞き出した方が良い時もあるけどね」
王宮への分かれ道に来た。ライルさんとローズさんと副団長さんがいた。
「おはようございます」
「おはよう、サクラちゃん」
副団長さんは大和さんと何か真剣に話していた。何を話しているんだろう。
「サクラちゃん、行きましょうか」
「はい。大和さん、行ってきます」
ローズさんに促されて、施療院に向かう。
「何か真剣に話していたわね」
「何もないと良いんですけど。大和さん、もうすぐ奉納舞なのに」
「そうだね。憂いなく、って言う方が良いよね」
「トキワ様って、奉納舞の練習っていつしてるの?」
「朝です。毎朝走った後に瞑想して、その後にしてます」
「毎朝見てるの?」
「はい」
「そうなのね。良いわねぇ、ラブラブで」
って言われても、同居してるんだし。
「奉納舞ってどういう感じなの?」
「剣舞です」
「剣舞?」
「はい。格好良くて綺麗です」
「格好良くて綺麗?」
「男性なんだから格好良いって言うのは分かるけど、綺麗?」
「はい」
「おはよう、サクラちゃん。なんの話をしてるの?」
「おはよう、ルビー。闇の日の奉納舞の話よ。トキワ様が舞うって事だから、どんな感じか聞いたら、サクラちゃんから『格好良くて綺麗』って返ってきたのよね」
「格好良くて綺麗ってどんな舞なの?」
「剣舞です。あの、見ていただかないと私では表現しきれないです」
フラーの花畑が見えるとか、言わない方が良いよね。
「剣舞なら、今までも奉納舞で有ったじゃない。格好良いって言うのは分からなくもないけど、綺麗って言うのが分からないわね」
「そうだよね。今までの剣舞は大剣を振り回しているだけとかが多かったしね」
「大剣は使いません。サーベルって言う細身の剣です」
「見なきゃ分からない、か。楽しみだね」
施療院に着いた。着替えて診察室に向かう。
何人かを見た後、デリックさんに連れられて猫人族の女の子が入ってきた。
あの時大和さんに引っ付いてた子だと思う。
「シロヤマ様、この子の腕を見てやってください」
そう言ってデリックさんが腕を見せようとするんだけど、女の子は痛がって見せようとしない。
名前はエマちゃん。
「エマちゃん、こんにちわ。今日はどうしたの?」
笑顔で聞いてみたんだけど、俯くばかりで答えてくれない。
「ちゃんと言わなきゃダメだろう。痛いところを見せなさい」
「デリックさん、無理をさせないでください。エマちゃん、どこか痛いの?」
「お手々が痛いの」
小さな小さな声で答えてくれた。
「痛いお手々を見せてくれる?」
そっと左手が差し出された。
「痛いのはこっち?」
小さく頷くエマちゃん。
「痛いと言うだけでどこが痛いのか言わないんですよ。この子の母親が依頼で出ていて、今夜帰ってくるんですが」
「エマちゃん、お姉さんはね、エマちゃんの痛いのを無くしたいの。ちょっと診ていいかな?」
「痛いことしない?」
「大丈夫。診せてくれる?」
「うん」
スキャンをかけていくと肘関節の少し上辺りにおかしな所があった。ひどい炎症を起こしている。幸い骨に異状はない。
「エマちゃん、ここかな?」
小さく頷く。
「少し冷たいけど、我慢してね?」
水魔法で薄い膜を作って、風魔法で冷やして、炎症を取っていく。同時に痛みを和らげるように闇魔法を使う。
「痛くなくなってきた」
エマちゃんの声が少し大きくなる。良かった。
「エマ、そんなところ、どうして怪我したんだ?」
デリックさんが聞いたけど、エマちゃんは答えない。
どこかダメって言われてた所に入り込んだとか、かな。
「エマちゃん、お姉さんにどうして怪我をしたか教えてくれる?」
「怒らない?」
「怒られるようなことをしたのか?」
デリックさんが大声を出す。
「デリックさん、声を押さえてください。エマちゃん、大丈夫。教えてくれる?」
「あのね、新しいおうちのところで遊んでたの。そうしたらおじさんにぶつかったの。そのおじさんにすごく怒られて怖くって泣いちゃったら、腕を掴まれて突き飛ばされたの。それから痛くなったの」
何かを怒鳴りそうなデリックさんを押さえて、エマちゃんに話しかける。
「新しいおうちのところで遊んでたら、危ないね。でも、そのおじさんも怖いね。掴まれた腕が痛かったところ?他は痛いところは無い?」
コクンと頷いた。
「デリックさん、その"おじさん"が冒険者さんか大工さんかはわかりません。けど、腕を掴んで投げるってそれはどうなんでしょう」
「エマ、なぜすぐ言わなかった?」
俯くエマちゃん。
「入っちゃダメって言われてる所に入ったことを、知られたくなかったんでしょう。でも、これで入っちゃダメって言われてる所に入ることはいけないって、分かったでしょうし、怒らないであげてください。エマちゃん、約束してくれる?ダメって言われてる所にもう入らないって」
「約束する。天使のお姉ちゃんありがとう」
エマちゃんは私にギュっと抱きついて帰っていった。
それから何人かを診察してお昼になった。
「サクラちゃん、さっきの子、わざわざサクラちゃんのご指名だったみたいだけど、なんだったの?」
「さっきの子?」
「猫人族の女の子よ。施術師の指名なんて滅多に無いから気になったの」
「一緒に来た方が知り合いの冒険者さんなんです。スラムの倒壊の時、私が治した方です」
「あの足が潰れてた方?あら?あの方って狼人族じゃなかった?」
「はい。あの子の母親が依頼で留守になるからって預かったそうです」
「そうなのね。それなら納得だわ。それで?何だったの?」
言っても良いのかな?守秘義務とか……。
「所長、言っても大丈夫ですか?」
「施療院内で納めるようにな。外では言わない事。分かっておるな」
「「分かってます」」
「スラムの建築現場に入り込んじゃったらしくて。おじさんに腕を掴まれて突き飛ばされた、って言ってました。骨に異状はなくて、炎症だけだったんですけど」
「突き飛ばされた?誰が突き飛ばすなんてしたの?」
「痛みは訴えたけど、何があったか言わなくて、診察室で聞き出したんです。おじさんってだけで冒険者さんか大工さんかはわかりません」
「ヒドい事するわね」
「でも入っちゃいけないって言われてた場所なんでしょ?」
「注意ならともかく腕を掴んで投げるだなんて許せないわよ」
2人がワイワイ言ってる。編みかけのスヌードを取り出した。少しづつ進めたい。
お昼からの診察は患者さんが少なかった。所長に借りた症例集を読み進める。
中には魔物に入り込まれた、みたいな症例もあった。寄生虫?寄生魔物?その寄生虫は少しづつ筋肉を溶かしていたらしく患者さんは足が動かなくなったらしい。寄生虫のイラストも載っていた。見た目は山蛭の大きい物。正直あまり見たくない。高熱が出たけど痛みはなくて、脹脛に3cm位の傷跡があっただけだったらしい。発見場所は南のコーラル領とマルリガー領の間の大湿地帯近くの町。
こんなのもいるんだ。魔物って動物型だけかと思ってた。
あの有名な魔物も居る。スライム。ただし正確には魔物と分類されていない。何故なら汚物処理をしてくれるから。この世界のスライムはアメーバ型。スライムが汚物処理をするって聞いて、ワクワクして大和さんと覗いて、黙って蓋を閉めたもん。後でプロクスさんに笑われたなぁ。
結局5の鐘までに来た患者さんは数人だった。マルクスさんが来たのと同じくらいに、所長から集合がかかった。みんなで所長の診察室に集まる。
「今度の闇の日の奉納舞の事じゃが、ワシは神殿の一室で待機する。出来れば待機人員が欲しいのじゃが……希望は?」
誰も手を挙げない。
「あの、奉納舞は見られるのでしょうか?」
ライルさんが聞いた。
「もちろんじゃ。欲しいのは奉納舞の前後じゃからの」
「多分、奉納舞の前ならお手伝いできると思うんですけど、後は難しいです。大和さんに頼まれてることがあるので」
私がそう言うと、ルビーさんとローズさんが、少し考え込んだ。
「では、後の待機は、僕が参加します」
ライルさんが言う。
「サクラちゃんは前日から神殿に泊まるんでしょ?私達は相談して前後、どちらかに決めます。それで良いですか?」
「おや。全員参加してくれるのじゃな。ちなみに特別手当も出るぞい」
後で聞いたら、こういった事に全員参加は珍しいらしい。1人2人は用事があったりするのだとか。
「所長、一月後には『星見の祭』ですが、その時はどうします?」
「その時、なぁ。遅くなるしの。どうするか考え中じゃ」
「あの、その頃は大和さんが神殿勤務です」
「トキワ殿は掛け持ちじゃったの。まぁ考えるから待ちなさい」