606
「小さい子が一生懸命食べているのって、なごみますよね」
イグナシオ先生が少し離れた所から2人を見て言う。ポピーちゃんとジニアちゃんは側に行きたそうにしていたんだけど、お母さんのシャノン先生に阻止されていた。「食事は座って食べなさい」だって。
「サクラ様、よろしいでしょうか?」
カークさんが呼びに来た。なんだろう?断りをいれて席を立つ。
「カークさん、どうなさいました?」
「ヴィックがここまで歩いてきました。お礼を言いたいと」
「ヴィクターさんが?」
急いで待合室に行く。
「ヴィクターさん」
「サクラ様、ありがとうございました。ここまで歩けるまでに回復しました。トキワ様のお手伝いも出来そうです」
「良かったです。でも、無理はしないでくださいね。どこか違和感は無いですか?」
「違和感ですか?特には……。あぁ。ムズムズするのが持続してます。動いていると気になりませんが」
「持続というと、夜は眠れていますか?」
「はい。長年の癖で眠りは浅いですが」
「ぐっすり眠れるハーブティーをお渡ししましょうか?」
「しかし……」
「あ、私がお渡しするので代金は頂けないんです」
「はい?」
「私は施術師なので、知識はありますが営利目的で処方は出来ないんです」
「……お願い出来ますでしょうか?」
「はい。少々お待ちください」
東施療院の私の診察室でハーブティーを淹れる。ヴィクターさんがぐっすり眠れますように。
蓋付きのカップに入れてお渡しする。
「冷めても美味しいと思いますけど、温めてもらっても良いですよ。カップは次回会った時にでも返してください」
「カークに渡しておきます」
「お願いします」
ヴィクターさんはカークさんと東街門の方に歩いていった。何か用事があるのかな?
お昼からは新規組に診察を任せて、イグナシオ先生と2階、3階を見て回る。窓も開けて換気もしていく。
「窓にガラスがたくさん使われていて、贅沢ですよね」
「一応王立だから。でも、全部がガラスじゃないですよ?」
「そうなんですか?」
「黄色っぽいのはスライム液を固めた物。スライム局の努力の結果ですね」
「へぇぇぇぇ」
「イグナシオ先生は私と大和さんの事情は知っていますよね?」
「うん。あの時居たから」
「マックス先生とフォスさんは知っているけど、他の人は知らないんです。だから」
「言いませんよ。言ったら叔父の事とか、ウチの先祖の事も言わなきゃいけないじゃないですか」
「ごめんなさいね」
「いいえ。叔父からも言われてますから。迷惑をかけるなって。最初に迷惑をかけたのは叔父ですよね?」
「迷惑という訳じゃなかったんですけどね」
不快にならなかったと言えば嘘になるけど、そういう人だと分かってしまえば、それなりの対応で返せたからね。
「ここが街門への通路ですか?」
「えっと、そうですね」
貰った院内案内図を見ながら答える。
「サクラ先生、覚えてない?」
「覚えられないんです」
「……。大丈夫?」
気遣いの前の沈黙が痛いです。
「なんとかなります。たぶん」
「ものスゴーく不安になるんだけど」
「たぶん、みんなそう思ってますね」
「トキワ様は心配してないの?」
「大和さんが心配する時期は過ぎました。今は、私が覚えられるように協力してくれてます」
「さすが、トキワ様」
大和さんに対する周りの評価って高いよね。私絡みだと特に。
一通り回って、窓を閉めながら戻る。ちょうどお昼寝から目が覚めたポピーちゃんとジニアちゃんのおままごとに少し付き合って、診察室に戻る。
「患者さんは居ませんねぇ」
「サクラ先生、夜ってまだ開けないんですよね?」
「花の月からですね」
「街門兵士が出来るだけ早く開けてくれって言ってきましたよ。街門は非公式に夜間も開いていますからね」
「マックス先生に相談しておきますね」
「それと、喫茶ルームに関する問い合わせが何件か来ています」
「具体的には?」
「いつから開業なのかとか、どんなメニューがあるのかとか、です。この2つが多いですね。開業は花の月から、メニューは楽しみにしておいてくださいと言っておきました」
「ありがとうございます。喫茶ルームは完全に別業態なんですけどね」
「施療院の中の喫茶ルームなのだから、施療院の設備なんだろうと考えたらしいですね」
「あ、サクラ先生、こちら。王立施療院のナザル所長から届いていました」
「ありがとうございます」
所長から?なんだろう。えっと、なになに?『騎士団対抗武技魔闘技会とフルールの御使者の当日は東施療院を開院する。王立と西からも施術師を回すから希望を聞いておいてほしい』、か。
「王立施療院のナザル所長からです。騎士団対抗武技魔闘技会とフルールの御使者の当日は東施療院を開院するから、希望を聞いておいて欲しいそうです。王立と西からも来てもらえるようですね」
「シャノン先生とイグナシオ先生を呼んできます」
みんなで集まって話し合う。
「この日はどうしても無理って予定のある人は?」
シャノン先生とブルーノ先生が手を上げた。私もフルールの御使者の当日は駄目だよね。
「他の人は良いんですか?」
「見たいですよ?見たいけど、仕事だって言われたら……」
「たぶん、全員待機って事にはならないと思います。騎士団対抗武技魔闘技会の時に闘技場に何人かとここに何人か、でしょうね。今までは施療院の施術師だけで回していたんですから。民間の施術師さんも協力してくれていましたし、他領の施術師さんの協力もありました」
「サクラ先生もさっき手をあげてましたけど?」
「フルールの御使者当日だけですね。手伝いを頼まれています」
「それって『黒き狼による剣舞』の手伝い?」
「そうですけど、そんなタイトルが付いているんですか?」
「勝手に言っているだけですよ。でも、そっか。サクラ先生も出るのか」
「私は出ませんよ。あくまでもお手伝いです」
ピーっと音が鳴った。ファックス音みたい。
「サクラ先生、追加です」
「ありがとうございます」
「フルールの御使者当日は東施療院の待機勤務だけ。パレードは東施療院の前を通るよ」って、マックス先生、何をバラしているんですか。仕方がないからそのまま伝える。
「それならここにいた方がいい?」
「闘技場で出発式は見られないけど、ここだと目の前を通っていくし」
「サクラ先生、2階の療養室、開けませんか?そこから見えますよね?」
「ブルーノ先生、頭良い。サクラ先生、良いですよね?」
「マックス先生に聞いてからです。私の独断では結論が出せません」
マックス先生は良いって言いそうだけどね。自分も見たいからって進んで開放しそう。
話し合いの結果を『対の小箱』で送る。
「あれ?」
ターフェイアとの『対の小箱』に何か来ている。え?何通あるの?
「サクラ先生、それは?」
「ターフェイア領の施術室からの個人的な通信ですけど」
「何通あるんですか?」
「1、2、3……。7通ですね」
えっと内容は、『今年も騎士団対抗武技魔闘技会の救護の手伝いをさせて欲しい』か。これは所長に聞かなきゃね。所長に手紙を送る。
「やけに綺麗なデザインですね」
トラヴィス先生がターフェイアとの『対の小箱』を見て言う。
「ありがとうございます。自作です」
「自作?」
「ターフェイア領の施術室に居た時、暇な時間があって、魔道具の本を借りて自作してみました」
「回路から刻んだって事?」
「はい」
「サクラ先生って……。いいや。サクラ先生だもんね」
「そこで認めないでくださいよ」
5の鐘になって、大和さんが迎えに来てくれた。
「咲楽、ちょっと残業して良い?」
「はい。待ってましょうか?」
「俺の執務室なら良いよ。ついでに手伝って?」
「手伝いって、見て良い物ですか?」
「咲楽は口外しないでしょ?」
「しませんけど」
良いのかな?他の先生達と別れて、東街門内の大和さんの執務室に行く。
「お疲れ様です」
大和さん付きの文官さん、エルマーさんが挨拶をしてくれた。そういえばカークさんと不穏な雰囲気だって聞いたけど。
「カーク先輩、すみません。僕はお先に失礼します」
「気を付けて帰ってください」
うーん。蟠りはありそうだけど、上手くいっているのかな?
「結局私が連れてこられたのは何故ですか?」
「俺の癒し」
「書類仕事ですからね。サクラ様が居てくださると助かります」
「助かる?」
見ていると分かった。大和さんにはねられるリテイクの山。そっと覗くと書式がめちゃくちゃだ。
「フォーマット、作りましょうか?」
「頼める?こういうのを見ているとイライラする」
1番リテイクが多いのが物品購入伺い。購入伺いに修繕依頼は入れちゃ駄目でしょ。こういう経験はないけど、字を書くのが面倒な人用にレ点付け出来るようにしておいた。
「こんな感じで良いですか?」
「上出来。カーク、悪いけど、これを兵士長に届けてきてくれ。書式を統一したいと言って」
「かしこまりました」
カークさんが出ていく。大和さんが伸びをした。
「マッサージ、しましょうか?」
「それは寝室でお願い。咲楽のマッサージは気持ち良すぎて確実に寝る」
「分かりました」
カークさんが戻ってきた。どうやら残業は終了のようだ。
「兵士長様が絶対にこれを通すと興奮していました。書きやすいし分かりやすいと」
「購入伺いと修繕依頼は一緒にしちゃ駄目ですよ。修繕も制服などの衣類と器具類は分けないと」
「そこを思い付かなかったようなんだよ。俺もそういうのを作っている暇が無かったし」
「トキワ様は副隊長職と兵士長様の補佐を、兼務されていますからね」
「そうなんですか?」
「いつの間にかそうなっていた。王宮から兵士長の補佐を選任中だと連絡が来ているから、あと少しだと思う」
「私の方は今日、所長から『騎士団対抗武技魔闘技会とフルールの御使者の当日は東施療院を開院する』って連絡がありました。フルールの御使者当日は私は無理だって前から言っていますけど、今、施療院の施術師って20人位居るんですよね」
「人数は多すぎても少なすぎても大変だよね」
「そうなんですよね。ターフェイアからも参加させてくれって手紙が届きましたし」
「どうするの?」
「所長に聞かなきゃですね。所長にお任せしますよ。私の独断では何も答えられません」
「咲楽も大変だね」
家に帰って、暖炉に火を入れたら、大和さんはお風呂に行った。私は夕食作り。今日は簡単にパスタにしよう。ポワンシュとベーコンのパスタを作る。フェリス用には異空間に入っているペクス肉と野菜の煮込みを細かく切ったパスタにかける。
「咲楽も行っておいで」
「はい。これ、フェリスの分です。お願いします」
大和さんにお願いしてお風呂に行く。
騎士団対抗武技魔闘技会とフルールの御使者の東施療院の開院か。フルールの御使者の当日に勤務が出来ないのが口惜しい。でも、大和さんの手伝いを他の人にさせたくない。大和さんの手伝いは誰にも譲りたくない。
お風呂から出てキッチンに行く。パスタを異空間からテーブルに出す。
「フラーだね」
「このパスタはフラーにしか作りませんからね」
「フラーになると食べたくなるね」
「ポワンシュでかさ増ししているだけなんですけどね」
「旨いから良いんじゃない?」
「そうですね」
夕食を食べ終わって、片付けと明日の仕込みを終えたら、寝室に行く。ベッドに横になって貰ってマッサージをしていく。
「筋肉があるからコリが分かりません」
「でも咲楽のマッサージは気持ち良いよ」
「光属性を使っていますからね」
「温かいんだよね。身体もだけど気持ちも暖かくなる」
「そうですか?身体の方はよく言われますけど」
「誰に?」
「患者さんです」
「患者にもやってるんだ?」
「要望が多いんですよね。ご指名でマッサージをって」
「そんなにご指名が多い訳?」
「今の所、11人ですね」
「そんなに居るんだ。ちょっと妬けるな」
「患者さんですよ?」
「それでも、だよ。それでも咲楽が誰かを悦ばしていると思うとね」
「えぇっと、ニュアンスが……」
「俺にとっては大問題なんだよ」
ベッドから身体を起こして、私を抱き寄せる。
「まだ途中なのに」
「気持ち良くなったよ。ありがとう」
「大和さんを眠らせたかったのに」
「俺を眠らせてどうするつもりだったの?」
「どうもしませんよ。ゆっくり休んで欲しかったんです」
「咲楽を抱き締めていたら、ゆっくり休めるけど?」
「それは嬉しいですけど、マッサージで大和さんを寝落ちさせるのが、私の今の目標です」
「壮大な目標だね。俺はそうそう寝落ちはしないよ?」
「でも、今日は、もう寝ましょう?」
「そうだね。おやすみ、咲楽」
「おやすみなさい、大和さん。で、結局、私は抱き枕なんですね?」
「当然でしょ?」
「当然なんだ」
結局は抱き枕になって眠った。




