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芽生えの月、第2の闇の日。今日は王宮で私の所作の確認と指導が行われる。
ヴィクターさんの治療はうまくいった。瘢痕改善薬も飲んでもらって今は経過観察中だ。アキレス腱も無事に再生したから歩く練習もしてもらっている。今までの歩き方が癖付いているから苦労しているようだ。カークさんは心配しながらも大和さんの従者という立場を放り出せないから、チェーザレさんに頼んでいた。
今日は大和さんは出勤日だから私と一緒に出勤して、昼食も一緒に食べる事になっている。その後、王宮を辞してジェイド商会に寄って、ドレスの確認だ。ローズさんがエメリー様に会いに来るついでに私を迎えに行くと言ってくれた。堂々と『エメリー様に会いに来るついで』とみんなの居る前で言えちゃうローズさんは、エメリー様の事を本当に好きなんだろうな、って思う。私は恥ずかしさが勝っちゃうから、堂々と人前で『大和さんに会いに行くついで』って言えないと思う。
今日は少し曇っている。今日はパンを焼ける。大和さんも昨日は意識がある間に終わってくれた。いつもこうだと良いんだけど。起床して着替えたら階下に降りる。あれ?フェリスが寄ってこない。暖炉に火を入れてリビングを覗く。あ、やっぱり。地下への扉が開いてる。
「フェリス?地下に居るの?暖炉を入れたよ。上がっておいで」
上がっておいでと言いながら地下に降りていく。キャットタワーで丸くなっているフェリスを見つけた。
「フェリス、上に行こう。閉めるよ?」
困った。フェリスが動いてくれない。チラッとこっちは見るんだけどな。諦めてリビングに上がる。地下への扉は開けておいてパンを成形して焼き始める。焼いている間に朝食と昼食の用意をする。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん。フェリスが地下から戻ってきてくれません」
「ん?フェリス、地下に居るの?」
「キャットタワーで丸くなってます」
「仕方ないね。放っておいて良いよ。用意が出来たら出てきてね」
「はい」
良いのかなぁ?
朝食と昼食を作って庭に出る。大和さんは瞑想中で、ユーゴ君はずっと振りの練習かな?イメージトレーニング?
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、カークさん。用意をしましょうか」
カークさんとウッドデッキに向かう。
「大和さんとユーゴ君って集中の仕方が正反対ですね」
「トキワ様は動かれませんし、ユーゴ君はずっとどこかしら動いてますね」
「間にあったぁ!!」
大声が響いた。
「カトリーヌ、静かになさい。あら、私達だけ?」
カトリーヌさんとアウローラさんだ。そっと手招きする。
「天使様、すみません。煩くしてしまって」
「いいえ。大丈夫そうですよ」
「申し訳ありません、リシア夫人、リシア嬢。いつも一緒の連中は冒険者活動が入っておりまして」
「あらあら。大変ですわね。そうしましたら、今日は私達だけですの?」
「そうなりますね」
「まぁ。2人じめですわね」
アウローラさんが嬉しそうに言う。大和さんが立ち上がった。ユーゴ君に合図して舞台に上がる。私とカークさんも準備を終えた。
大和さんとユーゴ君が構えを取ったのを見て、演奏を始める。ユーゴ君の剣舞は少しずつ上達しているようだ。背景の花の色が鮮やかになってきている。大和さんの花畑が大きすぎて見分けが付きにくいけど、鮮やかさが違うんだよね。
舞い終わると2人が舞台を降りた。アウローラさんとカトリーヌさんを庭の入口までカークさんが見送る。
「どうだった?」
「ユーゴ君の背景の花が鮮やかになってきています」
「うん、そうだね。隣で舞っていて、空気が変わっていくのを感じたからね」
「トキワさん、僕、自信が無いよ」
「振り自体は間違ってないんだ。後は自分のイメージをどれだけ舞いに乗せられるかだ。確実に表現力は上がってきているから、後は自信だけなんだが」
「自信かぁ。どうやったら付くんだろう?」
「場数を踏むしかないな」
「場数かぁ。難しいな。完璧になれるまでどの位掛かるんだろう」
「完璧など目指さなくて良い。完璧など存在しないからな。僅かな隙も無いモノはただ綺麗なだけだ。ホンの僅かな隙があってこそ心は動かされる。今回は祝いの場だ。神々に捧げる物じゃない。神々に捧げる奉納舞なら完璧を目指さなくてはならないが、今回はそこまでじゃない。そう思って気楽に行け」
「完璧じゃなくても良いの?」
「振りを間違えさえしなければフォローはしてやる。心配しなくても振り自体は完全に自分の物にしているんだ」
「うん」
カークさんとユーゴ君が戻っていった。
「完璧じゃなくても良いんですか?」
「完璧はまだユーゴには無理だろうからね。余裕が無いと潰れるよ」
「そうですけどね」
家に入ると、フェリスが暖炉の前にいた。あんなに呼んでも動かなかったのに。
「フェリスは猫だから。人間の思い通りには動いてくれないよ」
うちひしがれる私にそう言って、大和さんはシャワーに行った。
「フェリス、お願いだから言う事を聞いてよ」
そ知らぬ風に顔を洗ってるフェリスに文句を言ってみる。こうしてフェリスの為にご飯をあげて、自由気ままに過ごすフェリスを見ていると、自分がフェリスの下僕になった気分になる。
「何を言ってるの。前に言ったでしょ?たいていの猫飼いは猫の下僕だよ」
シャワーから戻ってきた大和さんにそう言われた。
「猫にしてみれば鳴き声と態度ひとつで自分の機嫌を取って、快適に過ごさせてくれるんだから」
「そうですよね。大和さんは下僕に見えないんですが」
「俺は犬派だから」
「関係あります?」
「どうだろう?」
朝食を食べながら話をする。
「そういえば扇子って私が持っていて良いんですか?昨日渡されたままですけど」
「咲楽の方が容量が大きいでしょ?」
「魔空間ですか?確かにそうですけど。もしかして入らないんですか?」
「入るけど?」
「……まぁ、良いですけど」
「サイズ感を覚えて欲しいから、っていうのは表向きだね。咲楽に持っていて欲しかったんだよ」
「どうしてですか?」
「なんとなく?」
「なんですか?それ」
「上手く言えないんだよ。大切な物だから大切な人に持っていてほしいって感じかな?」
「分からないでもありませんけど」
自分の大切な物を自分の大切な人に持っていてほしい。なんとなく分かる気がする。
朝食が終わると大和さんは着替えに行った。私は食器を洗ってからだ。
「サクラ様、お着替えください」
カークさんが来てくれた。お言葉に甘えて着替えに上がる。
今日の服装はロングのフレアスカート。軽いメイクをしてレモンイエローのドレスとハイヒールを魔空間に入れて階下に降りる。ダイニングでは大和さんとカークさんが話をしていた。
「準備は出来た?行こうか」
「はい」
家を出る。
「サクラ様、所作の練習は来週ではなかったのですか?」
「そうなんですけど、2日前に連絡が来たんです。1週前倒しさせてくれって」
「サクラ様はそれで良かったのですか?」
「今日は予定が入ってませんでしたしね。ローズさんにドレスのサイズ調整を言われていたくらいですから」
ローズさんは私以上に張り切ってくれて、今日もお昼からジェイド商会で待っていてくれる。どうやら悪阻が軽いらしく、今でも元気一杯だ。ちょっと羨ましい。
「あの方はお元気ですね」
「元気ですよ。こっちがハラハラします」
「忘れてた」
「大和さん、どうしたんですか?」
「ダフネから連絡があったのを忘れてたんだよ」
「ダフネさんから?」
「指輪が出来ているから、って」
「このところバタバタしてましたからね。謝っておきます」
「俺も終わったら寄るって言っておいて」
「はい」
「指輪ですか?」
「結婚指輪だな。出来れば着けたくないんだが、咲楽とお揃いにしたいという欲が勝った」
「今までのように国民証に通しておかれては?」
「そうするつもりだが?」
「そ、そうですか」
あまりに当然という顔で大和さんが言うものだから、カークさんがひきつっていた。大和さん、装飾品を嫌うもんね。特に指輪。今のところ、結婚式の時の指輪は着けてくれているけど。私は外さないように大和さんに厳命されている。
「お2人のお揃いの指輪はされていますよね?」
「そうなんだが。なんというか、咲楽に似合うって思ったんだよ。そうしたらお揃いにしたくなった」
「結婚式の時の指輪って私は外すなって言われましたけど、大和さんは外しているんですか?」
「剣を握る時だけね。傷付けたくないから」
「金属ってそんな簡単に傷付きます?」
「付く時は結構簡単に傷付くよ?」
「私に外すなって言ったのは?」
「虫除け」
「結婚したって事はみんな知っているから、言い寄られたりしませんって。それに私が逃げます」
「分かってるけどね。独占欲も混じっているから諦めて?」
「諦めというか、ちょっと嬉しかったりします」
「トキワ様もトキワ様ですが、サクラ様もサクラ様ですね」
なんとなく失礼な事を言われた気がする。
ジェイド商会の前でダフネさんが腕組みして待っていた。あまりの迫力に思わず足が止まる。
「ダフネさん、おはようございます」
「天使様、おはようございます。え?どうして避けるの?」
「何かあったんですか?なんだか迫力が……」
「ディーンを待ってるの。今日は休みだから、って約束してたのに来ないから」
「何時に待ち合わせなんだ?」
「2の鐘」
「早くないか?」
「だってアイツ、時間通りにしか来ないんだよ。少し早く着いてる方が良いでしょ?」
「それは用件によるな。デートか?」
「デデデデートっ!!違うよっ」
「力一杯否定しなくても。ディーンが悲しむぞ?」
「だって、私はこんなだし。ディーンの理想は天使様だし。私なんか……」
「そうか?ディーンはいつもダフネの事を楽しそうに話しているぞ?」
「話してって、男勝りとか、そういう事でしょ?」
「一生懸命で気が利いて良い女だとさ」
「良いオンっ」
あ、噎せた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう、天使様」
「そろそろ来るんじゃないか?楽しんできてくれ」
「デートじゃないってば」
顔を真っ赤にして否定するダフネさんをその場に残して、王宮に向かう。
「絶対にデートですよね?」
「少なくともディーンはそのつもりだろうね」
「ダフネさんも意識している感じでしたね」
「そうですね。お可愛らしいと思ってしまいました」
「あら、ダフネさんは元々可愛い人ですよ?あの言動と格好で可愛いという枠から自分で外れにいっていますけど」
「男性はそう思わないんだよ。まず外見から入るから」
「それって女性も同じですよ。人間の第一印象は外見が8割です」
「第一印象は外見が8割ですか?」
「背が高い低い、太ってる痩せている、顔立ちが大人っぽい幼い。それらに加えて言動がその人の印象を左右します。私のような人間を最初から元気一杯だって思う人は居ないでしょう?」
「そうですね。ただ、サクラ様は見た目通りの方ですが。お優しく慈愛に溢れておられます」
「私は臆病で自分が傷付きたくないだけですよ」
「お優しいからですよ」
王宮に着いた。
「すみません。サクラ・トキワですが、今日はここで……」
「はいはい。伺ってますよ。第5会議室へどうぞ」
第5会議室ってどこ?
「案内をお願いできますか?」
「まっすぐ行った最初の階段で2階に上がっていただいて、右折していただけばすぐですよ」
「2階に上がって右折……」
階段を2階に上がって、右折……?物置ですけど?どうしよう。迷っちゃった。元に戻れる気もしない。「迷子はその場を動かない」は原則だけど、ここって誰か通るんだろうか?
不安になり始めた時、足音が聞こえた。誰か来た。
「サクラさん?サクラさん……居た!!」
「アザレア先生、良かった。会えた」
「どうしてこっちに来たの?ここは物置しかないわよ?」
「受付の方の言う通りに来たんですけど」
「どう聞いたの?」
アザレア先生に案内してもらいながら内容を思い出してみる。
「階段を2階に上がって、右折したら分かるって」
「その後もう1回曲がっているわよ?サクラさん、どうして曲がっちゃったの?」
「え?」
「え?って、サクラさん、貴女……」
方向音痴なんです。って自慢できないよね。
「あはははは」
「笑って誤魔化したわね?」
「アザレア先生、練習しましょ?」
「まぁ良いわ。始めましょうか」
第5会議室は6畳位の広さだった。そこで歩き方の確認をしてもらう。
「うん。良いんじゃないかしら?これに何か持つのよね?」
「あ、はい。これです」
扇子を魔空間から取り出した。
「これ?シンプルね」
「あちらの扇子を再現してもらったそうです」