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氷の月、第5の闇の日。
高札が立ってから、昨日まで大変だった。施療院を訪れた人の半分は受診しない人で、奉納舞の問い合わせ。王宮から役人さんが派遣されてきた。業務に支障が出るからって。
大和さんの依頼の祝い歌の扇子を運ぶ役割は引き受けた。着付けやヘアメイクは王宮の侍女さんがやってくれるっていうし。立ち居振舞いのレッスンは受けさせられるみたいだけど。御使者様達と一緒にね。芽生えの月ってまだ立ち居振舞いのレッスンってしていたっけ?私のレッスンは2回だけ。芽生えの月の第3、4週の闇の日に王宮へ行く事になっている。
今日はユーゴ君が家に来て剣舞の練習をする。口上を述べる練習もするからまずは地下からだそうだ。昨日大和さんが言っていたんだけど、やっぱり起きられなかった。いつもよりは早かったけどね。7時半過ぎ位かな。でもいつもより遅いには違いないんだよね。
ため息を吐いて着替えて階下に降りる。
「おはよう、咲楽」
「おはようございます、大和さん」
「ちょっとずつ早くなってるね」
「切実にお願いします。手加減してください」
「ヤる前は気を付けているんだけどね」
「言い方に気を付けてください。ヤるって……」
「まだ慣れないんだね」
「言葉にされると、ちょっと」
時間的にパン焼きは出来ないから、買っておいたパンとベーコンエッグで朝食にする。大和さんはとっくにコーヒーを飲んでいた。
「朝食を食べたら、縄跳びだね」
「はい、大和先生」
「今度、そういうシチュエーションでしてみる?」
「しませんっ!!」
反射的に答えたけど、何の事だろう?でも、絶対にロクでもない事だと思う。
「分かんないって顔してる。いいよ、分かんなくて」
朝食を食べたら少し休む。食後に急に運動をするとね、ちょっとね。
フェリスが猫じゃらしを咥えて持ってきた。遊べということらしい。フェリスってこういうところが猫らしいというか、猫らしくないというか。
「おはようございまーす」
あ、ユーゴ君だ。
「おはよう、ユーゴ」
「フェリスゥ~、あ、逃げた」
「追いかけるからだ。すぐに地下に行くか?」
「うん。あ、えっと、もうちょっと待って」
「どっちだ?」
「待ってってば」
これ、絶対に面白がっているよね。
「まぁ良い。地下に降りるぞ。咲楽も行くよ」
「はぁい」
縄跳びはしなきゃね。地下への扉を開くと、フェリスが真っ先に駆け降りていった。
「良いの?」
「フェリス?いつも地下で遊んでいるよ」
「良いなぁ。遊べて」
「お仕事を始めると思うよね。そういう事って」
「ユーゴ、ちょっと待っていてくれ。咲楽はこっち。はい。今日のノルマからね」
「はい」
縄を渡されて縄跳びを始める。回数は150回。早さを上げるように指示が出された。私が縄跳びをしている横で、ユーゴ君の練習が始まった。まずはウォーミングアップかららしい。ストレッチというか、ジャンプしたり屈伸したり、軽い運動?縄跳びを終えてユーゴ君の練習を眺める。
「『只今より、常磐流ユーゴ、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』」
「腹から声を出すんだ。いいか?こうだ。『只今より、常磐流ユーゴ、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』」
「腹から……。『只今より、常磐流ユーゴ、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』」
「良くなっているぞ。いいか?神々に自分の存在を認めていただけるように、これから行う剣舞を眼に留めていただけるように、気合いを入れるんだ」
「うん」
「もう一度」
「『只今より、常磐流ユーゴ、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』。ねぇ、トキワさん、常磐流って何?」
大和さんが虚を突かれたようにユーゴ君を見つめる。そうして大きく息をして、私を見た。話す気になったんだと思う。大きく頷いておいた。
「今、話す予定じゃなかったんだがな。まぁ良い。座れ」
椅子にユーゴ君を座らせて、私達の事を話す。
「そっかぁ。前は他の世界に居たんだ」
「冷静だな」
「ううん。混乱してるよ。他の世界って何?って感じ」
「まぁそれはおいおいだな。それから常磐流だが、俺の生家の家業だ。元々、神々に舞を捧げ、敬い慰める。それを役目としてきた。その流派が常磐流。読み方を変えるとトキワになる」
「へっ?読み方を変える?」
「漢字と言ってな。読み方が複数ある文字なんだ」
「へぇぇ」
ユーゴ君が一応納得したところで、数回の声出しをして、口上の練習は終わった。
「ユーゴ、今日の昼からは時間は有るか?」
「うん。今日は1日練習のつもりだったから」
「神殿に行くぞ」
「神殿?何をしに?」
「7神様にご挨拶だ。その作法も教える」
「うげっ。いきなり行って平気なの?」
「エリアリール様には言ってあるぞ。真像の間で7神様にご挨拶をしたいと」
「天使様は?一緒?」
「一緒に行くけど、ご挨拶はしないよ」
「緊張するんだけど」
「今から緊張してどうする。次は剣舞に移る。連舞だからな。一挙手一投足を合わせろ。心配しなくても俺も合わせるから。咲楽、伴奏、頼める?」
「はい」
リュラを出してエチュードで指慣らし。
「用意、出来ました」
ユーゴ君と大和さんが構えを取る。3拍置いて弾き始める。この頃は余裕が出てきて、短時間なら舞いを見られるようになった。
こうやって同時に舞うとはっきり分かる。ユーゴ君の舞いはまだまだ拙い。大和さんの後を必死で着いていく雛鳥のようだ。
大和さんは安定感があるけど、ユーゴ君はやや不安定さが見られる。
「咲楽、どうだった?」
「えっと、じっと見ていた訳じゃないんですけど。大和さんは安定感があるけどユーゴ君はやや不安定さが見られました。大和さんがどっしりとした大木なら、ユーゴ君はまだまだ若い苗木のようです」
「批評をありがとう。若い苗木って事は、この先が楽しみだって事かな?」
「はい。この先、どんな風に成長するんだろうってワクワクします」
「まだユーゴは成長段階だからな。これだけ舞えれば大したもんだ」
「めっちゃ、疲れるんだけど」
「でも、ユーゴ君、最初の頃は1曲舞った後、へたり込んでいたよね?今は立てているけど?」
「それは……?そういえば?」
「毎日の走り込みと日頃の鍛練の結果が出ているんだ。成長しているって事だな」
「ヨッシャ!!」
ユーゴ君が小さくガッツポーズをする。
「少し休憩をする。咲楽、飲み物を頼んでいい?」
「はい。何にします?」
「水で。それから誰か来る。これは……マソン嬢?」
「えっ?リディーさん?お1人ですか?」
「そうだね。1人だ」
何があったんだろう?そう思っている間に結界装置が反応する。リビングに上がるとリディーさんの声が聞こえた。
「サクラさん、開けてくださいまし」
珍しい。リディーさんがこんな大きな声を出すなんて。
「はい。リディーさん、どうしたんですか?」
ドアを開けると、リディーさんが泣いていた。通りに馬車は見当たらない。まさか歩いてきたの?
中に招き入れて、紅茶をお出しする。リディーさんは泣いていた。何があったの?
「リディーさん、どうしたんですか?」
「サクラさん……。うぅっ」
「えっ、ちょっと、リディーさん?」
「私、王都に居られなくなりますの」
「はい?」
「お父様が領地へ行けって仰って」
「この時期に?」
「せっ、施術師として、王都に居れば良いって、仰ったのは、おっ、お父様ですのに」
「ちょっと落ち着きましょう?ね?」
「サクラさんや皆様と、せっかく仲良くなれましたのにぃ」
再びさめざめと泣き出したリディーさんを慰める。たぶん地下では剣舞を合わせていると思う。地下への扉は閉まっているから音も聞こえないけど。
「マソンの領地は王都の南方にございますの。そこに向かえと昨日言われたのですわ」
「どういった理由で?」
「おじ様の元に行けと言われましたの」
「おじ様って」
「領地に居りますお父様の弟ですわ。小さいですけれど領地を賜っておりますから、あちらで領地経営をしてくださっているのですわ」
「何の為に領地へって、その理由は聞きましたか?」
フルフルと首を振る。これは「領地へ行け」ってところだけ聞いて、思い込みで飛び出しちゃったのかな?
ガコンと音がして、地下への扉が開いた。大和さんとユーゴ君が上がってくる。スルリとフェリスが大和さんの足元をすり抜けていった。
「マソン嬢?どうなさいました?」
「トキワ様、ご迷惑をおかけしております」
「それはよろしいのですが。お家の方には言ってこられましたか?」
「いいえ、いいえ。言っておりません」
「お知らせしても?」
「お父様にはお会いしたくございません」
「他のご家族ならよろしいのですね?」
コクリと頷く。
「咲楽、ちょっと行ってくる」
「お願いします」
「必要なさそうだけどね。俺とユーゴ以外には開けないで」
「はい」
大和さんとユーゴ君が出ていった。
「申し訳ございません。ご迷惑を」
「大和さんに任せましょう。少し落ち着きましょうか」
「はい。恥ずかしいですわ。子どものように泣いてしまったりして」
「ここにはお1人で?」
「家を抜け出して参りましたの。門番に協力してもらいました」
その門番さん、処罰を受けなきゃいいけど。
改めてお茶とお茶菓子を出す。20分位して大和さんとユーゴ君が帰ってきた。リディーさんのお兄様を連れている。
「リディアーヌ」
「お兄様」
「どうも、マソン嬢から聞いた話と道々伺った話が食い違うのですが。何か行き違いがあるやもしれません。場所はお貸ししますので話し合われては?」
「すまない」
「席を外しますね……。リディーさん?」
「ここに居てくださいまし」
そんな涙に濡れた目で見上げないで。グラッと来ちゃうじゃないですか。美少女の上目遣いって破壊力があるのね。
「お兄様にもお茶をお出ししないと」
「天使様、僕が淹れるよ」
「ごめんね、ユーゴ君」
しっかりと私のスカートを握っての話し合いが始まった。
「リディアーヌ、どうして黙って抜け出したんだい?」
「お父様が私を領地に戻すと」
「それは違うよ。父上が言ったのは、従兄のジュリアンに子が生まれたから、その祝いを届けて欲しいと、そういうことだよ」
「それはお兄様が頼まれた事ではありませんか」
「僕とリディアーヌに頼んだんだよ」
「嘘ですわ。だってお父様はお前も領地に戻るが良いって言われましたもの」
「だからね、それは僕と一緒にって事だよ」
「やっぱり戻らされるのですね。施術師として王都で頑張ろうと思っておりましたのに」
ん?お兄様の話だと届け物をして欲しいって言っただけで、領地に戻れとは言ってないよね?
「私は嫌でございます」
「ずっと行っているわけではないよ」
「どれ位ですの?1年?2年?後1ヶ月もすれば新施療院が開業いたします。今離れるわけにはいかないのですわ」
「そんなに長くないよ。せいぜい往復に滞在数日と言った具合だ」
「……。サクラさん?」
「お兄様のお話ですと、お祝いの品を届けたら帰ってくるようにと聞こえましたけど?」
「お兄様?」
「そうとしか言ってないよ。早とちりだね」
かぁっと真っ赤になったリディーさんが可愛い。
「私ったら、早とちりをしてサクラさんにまでご迷惑をお掛けしましたのね」
「迷惑はかかってませんよ?びっくりはしましたけど」
その頃になってユーゴ君が紅茶を運んできた。
「遅くなりました」
茶葉の場所とか茶器の場所とか、ユーゴ君は知らないもんね。
「ごめんね。分かりにくかったでしょ?」
「大丈夫」
お茶菓子だけは私にしか出せない。異空間に入れてあるもんね。リディーさんがスカートを離してくれたのを確認して、お茶菓子をお皿に乗せてお出しする。
「あ、すみません」
「いいえ」
リディーさんとお兄様は少しお話しして、帰っていった。
「ユーゴ、昼飯を食ったら出るぞ」
「はい。ねぇ、ホントに行くの?」
「当たり前だ」
昼食を急いで作る。サンドイッチを3人分。スープは無いんだけど、どうしよう。
「大和さん、ユーゴ君、お昼なんだけど、スープがなくて」
「いい、いい。要らないよ。水で十分だし」
「俺はコーヒーかな」
「スープは要りませんか?」
「うん。要らない。冒険者ギルドにいたら、昼食はサンドイッチを水で流し込むのが精々だし」
「そんなので大丈夫なの?流し込むとか」
「いつもだからね」
サンドイッチをテーブルに並べて大和さんがコーヒーを淹れる。私はミルクティーかな?
「ユーゴ君は?何にする?」
「えっと、僕もコーヒーって飲んでみたい」
「苦味があるけど、大丈夫か?」
「……飲んでみる」
大和さんがコーヒーを淹れてユーゴ君の前に置く。
「ホントだ。苦いね。でも美味しいかも?」
飲み物とサンドイッチの昼食を終えて、神殿に出発する。その直前にフェリスが走ってきて地下への扉の紐に飛び付いて、器用に扉を開けて地下に降りていった。
「たまに開いていると思ったら、フェリスか」
「器用に開けてましたね」