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東のバザールに着いて、『イストワール』に向かう。雑貨屋や服屋を見ながら歩いていく。途中、宝石店があった。宝石店といっても小さすぎる宝石やクズ宝石と呼ばれる宝石を、安く仕入れて加工して安く売っている店長さん曰く「少し高級な雑貨屋」のお店だ。
「エタニティリングだね」
指輪の周囲をグルリと透明な宝石が囲んでいる。ダイヤかな?このお店にしてはお高めの値段だ。
「色違いもあるんですね」
青い宝石の物と緑色の宝石の物があった。
「いらっしゃいませ。おや、これはトキワ様とサクラ先生ではないですか。そちらのリングですか?7神様のお色を用意したのですが、残りがこれだけになってしまいまして」
店長さんが私達を見つけて店頭に出てきた。
「青と緑を見せてくれるか?」
「こちらですね」
「地金を銀色で作れないか?」
「銀ですか?それでしたらプラチナムかサンクルジャンになりますが。ミスリルはお高いですからね」
「サンクルジャンも高いだろう?」
「プラチナムよりはお高いですね。銀色がお好みですか?」
「彼女には銀色が似合うから」
「サクラ先生にでしたか。そうですね。サクラ先生には主張しすぎないプラチナム辺りでいかがでしょう?サンクルジャンもお似合いですが」
色の違いとしてはプラチナムが白金色、サンクルジャンがもう少し金色が強く出ているといった具合だ。
「咲楽、どっちが良い?」
「私ですか?好きなのはプラチナムですけど。大和さん?」
「オーダーを頼めるか?」
「もちろんでございます。それではサクラ先生、こちらへどうぞ」
「えっ?えっ?」
あれよあれよという間に奥に連れていかれる。お店の奥にはもう1人居た。
「天使様?どうしたの?」
「ダフネさん?どうなさったんですか?」
「私はジェイド商会で売れない物をここに置いてもらっているの」
「そうだったんですか。私はえっと……」
「店頭のエタニティリング、ダフネのデザインだろう?」
「トキワさん、居たの?天使様が居るなら、居るか。そうだよ。私のデザイン。それよりエタニティリングって何?」
「永遠を意味するリングだ。グルリと切れ目無く宝石が取り囲んでいるからそう呼ばれていた」
「永遠かぁ。良いね、それ」
「オーダーを頼もうと思ってな」
「それなら私に作らせてよ。天使様のもトキワさんのもサイズはあるからね。良いよね?」
「デザイナーがそれで良いというなら私は止めませんよ。いろんなデザイナーさんにチャンスを与える為の店ですからね」
この店は若手のアクセサリー職人の作品を委託販売しているそうだ。知らなかった。安く仕入れて加工して売っているだけじゃなかったんだね。
「このスリズィエシリーズは天使様をイメージしたんだよ。ジェイド商会じゃ可愛すぎるからって言われたんだけど、ここだったら置いてもらえるから」
「スリズィエシリーズは好評ですよ」
スリズィエシリーズは桜の花のデザインで、ブローチだったりネックレスだったりブレスレットだったりする。輪郭だけの物、全て貴金属の物、いろんな材質の物があって可愛らしい。
ダフネさんにエタニティリングを注文して、宝石店を出た。ダフネさんは今から店長さんと打ち合わせだそうだ。
イストワールに着いた。いつもよりは空いている。
「いらっしゃいませ。個室も空いておりますが、どうなさいますか?」
「では、個室でお願いします」
個室に案内された。コルドなのに中庭が綺麗だ。
「ここは相変わらずほっとしますね」
「あぁ、落ち着く空間だね」
メニューを2人で見る。
「美味しそうですけど」
「けど?」
「食べられそうにないです」
「好きなの選んで。食べられなければ俺が食べるよ?」
「じゃあ、このトラウトのムニエルを」
「俺はヴァシューカのリンダールラーデンにしよう」
「リンダールラーデン?」
「牛肉のロール煮込みとでもいうのかな。ドイツで食べたんだよ」
注文を終えて、大和さんが説明してくれる。ドイツかぁ。ロール煮込みってどんな料理なんだろう?
運ばれてきたトラウトのムニエルは1匹丸々だった。これは予想外だ。皮はパリパリで身はふっくらとしていて、とても美味しい。量は多かったけどね。1/4位を大和さんに食べてもらった。
リンダールラーデンは牛肉の薄切り肉でピクルス、玉ネギ、ベーコンを巻いてトマトソースで煮込んであった。ピクルスって煮込むとスッキリとした味わいになるのね。少し食べさせてもらったけど、美味しかった。
東のバザールには特徴的な店がいくつもある。大和さんが私を食後に連れて来たのは、そんなお店の1つ。ガラス製品ばかりを扱っているお店だ。ガラスは全て輸入物だから高い。大和さんはグラスが欲しいと言っていた私の言葉を覚えてくれていたようだ。
「ここなら種類もたくさんあるからね。どれが良い?」
「どれがって……」
何にでも使える汎用的な物で良いんだけど。店内を一通り見てみる。選んだのは持ち手の付いたカップ型のグラス。ホアに冷やしたハーブティーを飲むのに使いたい。大和さんが選んだのは大きめのタンブラー。店員さんにガラス製品の取り扱い方を丁寧に説明して貰ってお店を出る。
「ありがとうございました」
「ん?いや、俺も欲しかったからね」
「タンブラーを買っていましたけど、お酒用じゃないですよね?」
まじまじと見つめられた。
「こういう事は勘が良いんだから」
「飲むなとは言いませんよ。飲みすぎないようにしてくださいね」
「分かっているよ。奥さんを悲しませるような真似はしません」
大和さんはお酒に強いし、翌日に残る事もないと言っていた。肝臓が丈夫なのかなぁ?私とは大違いだ。私はすぐに寝ちゃうもんね。
バザールで夕食の買い物をする。今日の夕食は何にしよう?あ、白豆があるからカスレにしようかな?
カスレは白いんげん豆をお肉と一緒にぐつぐつ煮込んで作るフランスの料理らしい。こちらにも同じような料理があって「カスレ」と呼ばれている。以前に作った時に大和さんが言っていた。傭兵さんをしている時のお休みの日に同じ部隊の奥さんが作ってくれたんだって。お家に招かれて頂いたと言っていた。
「カスレ?」
白豆とポルポ肉を買っていると、後ろから覗き込んだ大和さんに聞かれた。
「はい。温かい煮込み調理が美味しいですから。これだったらフェリスも食べますよね?」
「味付け前ならね」
「フェリスって豆類が好きみたいなんですよ。最後まで残して食べないから要らないのかと思って片付けようとしたら、痛くないネコパンチをもらいました」
「取られると思ったのかな?そういう所はあいつにそっくりだ」
「お家に居た猫さんですか?」
「そう。あいつは豆類が好きで、よく煮豆とか貰ってた」
「その猫さんの名前は?」
「ミケ」
「大和さん命名?」
「親父命名。俺が付けると覚えられないって言っていた。そんなに難しい名前じゃなかったんだけど」
「どんな名前があったんですか?」
バザールを出て、話をしながら家に帰る。
「クリスマスの頃だったからノエルとか、白猫だったからネーヴェとか、サビトラだったからエカイユとか。べっこう猫だったからね」
「べっこう猫?エカイユって?」
「エカイユは鼈甲の事。茶トラの柄に黒色が混ざったまだら模様の毛色の猫をべっこう猫って言うんだよ」
「二毛猫じゃなくて?」
「1種というか、別名というか。正式名称ではないね」
家の前にカークさんが居た。ヴィクターさんと一緒だ。
「どうした?カーク」
「やっと、倉庫の片付けが終わりました。あの倉庫、あんなに広かったんですね」
「遅くまでご苦労さん」
「それで、こちらを。街門兵士長様より渡して欲しいと預かりました」
大和さんが数枚の紙を受けとる。ザッと見た大和さんが顔を顰めた。
「厄介なものを押し付けやがって。分かった。ありがとう」
「それでは失礼いたします」
「気を付けて帰れよ」
家に入ると、フェリスが近寄ってきた。大和さんが暖炉に火を入れる。
「何ですか?それ」
「ここ数年で出入りのあった手配犯の詳細」
「出入りって事は逃げた人も居るんですか?」
「居るだろうね。反対に王都に逃げ込んだ奴も居る」
大和さんが2階に向かった。
「自室でこれを纏めてくる」
「はい。お夕食を作ってますね」
大和さんが2階に上がっていくと、フェリスが後を付いていった。階段の途中で私を見て、戸惑ったように降りてきた。
「フェリス、行かなくていいの?」
フェリスは暖炉脇の昼間用バスケットに丸くなっていた。行きたいけど私が下に居るからって感じかな?ちょっと嬉しい。
カスレを作り始める。煮込んだ方が美味しいから、今から作らなきゃね。出来たカスレの鍋を暖炉に置いて、小部屋で編み物を始めた。私の手袋がもうちょっとなんだよね。聞こえるのは薪が炭になっていくチリチリという音と風が窓を揺らす音。
手袋が出来上がった頃、大和さんが部屋から降りてきた。
「あぁ、疲れた」
「終わりましたか?お風呂に入って疲れを取ってきたらいかがですか?」
「風呂ってワザとでしょ」
ブツブツ言いながらも大和さんはお風呂に行った。だって間違いなく私を構おうとしてたんだもん。お夕食は出来ているから、先にお風呂に行って欲しい。
明日の分のスープとパンを仕込んでいると、大和さんがお風呂から出てきた。
「咲楽も行ってきたら?」
「そうします」
エタニティリングは嬉しい。大和さんからアクセサリーはいくつか貰っているけど、指輪って特別な気がする。でも、あの指輪、仕事中に付けておけるかな?立て爪じゃないから、大丈夫かな?
グラスも嬉しかった。あと1つ欲しいガラス製品があったんだよね。ガラスの平皿が欲しかったんだけど、お値段がちょっとね。だって大金貨10枚もしたんだよ?あれを買うのは貴族様以外に居ないと思う。
そういえば朝の内にハーブは持ってきたのに、ハーブティーを飲んでない。さっき飲めば良かった。
お風呂から出ると、テーブルのセッティングがあるから済んでいた。キッチンに向かう私を大和さんが不思議そうに見ていた。
「足りない物でもあった?」
「食欲が無いって言いながら、ハーブティーを飲んでいない事にさっき気が付いたんです」
「さっき?」
「大和さんを待っている間に飲めば良かった」
「もしかして昼も?」
「そうですね」
ハーブティーを持って、席につく。
「リングだけど、10日は欲しいって言っていたね」
「あのお店は知っていましたけど、委託販売をやっているって知りませんでした」
「騎士の間では結構有名だよ。ディーンが積極的に宣伝しているしね」
「ディーンさんとダフネさんってどうなったんでしょうか?」
「ディーンに言わせると順調らしいよ。花の月には家族に紹介するんだって言っていた」
「ダフネさんには幸せになって欲しいです」
「辛い思いもたくさんしただろうからね。咲楽のいい友人になってくれて俺は嬉しい」
「ダフネさんは、たぶん今では私に恋愛感情は抱いてませんよ」
「そう?一時期の熱はなさそうだけどね」
「大和さん、まだダフネさんをライバルだと思っているんですか?」
「当然でしょ?男の俺には踏み締めない領域ってあるからね。咲楽がダフネにっていうのは考えていないけど、より心を許せるのは同性のダフネだと思っているから」
「踏み締めない領域ですか」
確かに同性にしか分からない事はあるよね。
食事を終えて片付けをしたら、小部屋で寛いだ後、寝室に上がる。
「冗談じゃなく俺の1番のライバルはダフネだと思っていたよ」
「そうなんですか?」
「咲楽を好きだという気持ちは誰にも負けないと思っていたからね。ダフネに会うまでは。ダフネの咲楽さえ居れば何も要らないという気持ちも理解できてしまったし。ダフネは俺が居るって知って、手を引いてくれた。その件は感謝しているし尊敬できる」
「私のライバルはフェリスですね」
「フェリスは猫でしょ?」
「大和さんにべったりくっついて、素直にだっこされたりって私には出来ませんもん。どうしても羞恥心が勝っちゃって」
「羞恥心がなかったらどうなの?」
「知りません」
「そんな事、言わないで。聞かせて?」
「羞恥心が勝っちゃうって言ったじゃないですか。ここで言えるなら実行してます」
「実行ってことは行動か。向い合わせで俺の膝に乗るとか、一緒に風呂に入るとか?」
どうして分かるんだろう?
「真っ赤だね。という事は正解かな?」
ジィっと見つめられて、顔を逸らしながら小さく頷く。
「そうか。その気持ちが知れただけでも嬉しい。その気が無いって思っていたから。羞恥心か」
あ、何かを思い付いたかも?
「そうか。灯りを落としたらOK?」
「灯りですか?」
「明るい所でっていうのが恥ずかしいんでしょ?じゃあ、暗くすればいいよね」
「そういう問題じゃ……」
「今度試してみようね」
「決定ですか?」
「決定。まぁ、今は寝ようか」
納得はしていないし、本当は恥ずかしいからやりたくない。でも、大和さんは有言実行の人だ。絶対にやるんだろうな。
「おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽。ため息吐かないの。幸せが逃げるよ」
「ため息は身体には良いことなんですけどね」




