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霜の月、第2の火の日。
アートルムさんの息子さんのお店にはまだ行けていない。本格的なオープンは花の月で、今は親しい人とだけ売買をしているらしい。売買としたのには訳がある。元々はルリジオンターニュに埋まっている魔石を加工して、それで魔道具を作っていたんだけど、ルリジオンターニュの素材だけでは作れない物も出てきた。そこで冒険者ギルドと交渉して、ギルドの素材鑑定人に出張してもらうことになったのだそうだ。他にも直接素材を持ち込んでの魔道具製作もするという。アートルムさんの息子さんのお店といったけど、実際には共同経営で、店名は『エキュールー魔道具店』。
ルリジオンターニュは麓にはそこまで雪が積もらないらしい。山頂付近には年中雪が残っている峡谷があるらしい。おかげで狼人族の里はホアは涼しいんだって。コルドはものすごく寒いらしいけど。良いなぁ。ホアに避暑に行きたい。登れるかどうかは別問題としてね。
今日は雪が降っている。少し積もっているようだ。寝室の入口でさっきからみゃあみゃあとフェリスが鳴いている。寒いのかな?急いで着替えて寝室のドアを開けると、フェリスが寝室に入ってきた。ピョンとベッドに飛び乗る。
「フェリス、ちょっと待って」
タオルをベッドに広げると、その上で丸くなる。
「下に行かないの?暖炉を入れるよ?」
チラッと私を見て、そのまま動かない。たぬき寝入り?猫なのに。
フェリスが丸くなったタオルごと抱えて、ダイニングに降りる。フェリスは大人しく抱かれてくれた。暖炉の前に降ろして暖炉を入れる。
「咲楽、おはよう」
大和さんが勝手口から入ってきた。
「大和さん、居たんですか?フェリスが鳴いていたから、居ないのかと思っていました」
「庭に居たんだよ。家の前の雪かきはしておいた」
「雪かきですか。この雪の中走りに行ったのかと思いましたよ」
「この近所を一周してきた。フェリスは暖炉の前?」
「寝室に入ってきました」
「留守番中、寒いかもね」
「バスケットにクッションを入れてありますけど」
「家を出る前に温石を作っておくよ」
パンを焼いて、フェリス用のご飯を作る。人間用のご飯ももちろん作っている。
「庭では雪かきだけですか?」
「瞑想もしていた。寒さで身が引き締まった」
「嬉しそうに言わないでください」
「さすがに深い瞑想はしていないよ」
「当たり前です」
今日は地下には行かないらしい。猫じゃらしを持ってきてフェリスを構っている。フェリスは私が連れてきた時のたぬき寝入りが嘘のように、猫じゃらしにじゃれついている。
「さっきね、フェリスったらたぬき寝入りをしていたんですよ?猫なのに」
「猫もたぬき寝入りをするよ。動くのが面倒だったり、やりたくなかったり、失敗を誤魔化そうとしたり、理由は色々だけどね」
「そうなんですね」
猫ってたぬき寝入りするんだ。でも、猫でも『たぬき寝入り』なのね。
朝食をテーブルに並べて、朝食を食べ始める。フェリスにも朝食をあげる。
「今年は雪像は作らないんですか?」
「作ろうかな?咲楽も一緒に作る?」
「作りたいです。氷魔法を使えば力も要らないですし」
「何言ってるの?ブロックを積み上げるのは魔法でするけど、細かい造作は自分でしないと面白くないでしょ」
「えぇぇ……。便利に使える魔法があるのに」
「便利ばかりじゃ色々萎えるよ」
「主に筋力ですね?」
「そうだね。発想力なんかは鍛えられるかな?既存の魔法を使うという点では無理かもね」
「雪像かぁ。氷像なら作ったことがあるんですけど」
「氷像を?いつ?」
「ホアですよ。一気に暑くなった時があったでしょう?その時にライルさんと作りました」
「どんなのを作ったの?」
「ライルさんが立体的な花を作ったから、私は、あれですよ。氷柱の中に花が咲いているように見える、えっと……」
「フローラルアイス?」
「それです……。たぶん」
「氷柱にドリルで彫っていって、色を付けたものでしょ?」
「そうです。それを作ったんです」
「属性色を混ぜるんだっけ?」
「はい」
「見てみたいね。そのフローラルアイスはどうしたの?」
「お持ち帰りされちゃいました。代金が置いてありましたけど」
「売れたんだ」
「売ってはいなかったんですけどね」
あのお金は施療院の備品を買ったんだっけ。
朝食を食べ終えて、大和さんが食器を洗ってくれる。フェリスが自分のエサ皿を、前足を使って器用にチョイチョイとキッチンに持って行くのが見えた。
「えっ?」
「いつもだよ。咲楽は知らなかった?」
「知りませんでした」
朝食後だけ?夕食後はしていない気がする。他にも大和さんだけにするしぐさがある。声を出さずに鳴いているような行動。あれってなんだろう?大和さんが帰ってくるとしているんだけど。
着替えて髪を纏めて、軽くメイクをして階下に降りる。
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、カークさん」
「フェリスさんはいつもの所に居られます」
いつもの所ってリビングの暖炉の前だよね。
「ありがとうございます」
リビングの暖炉の前にフェリスが長くなっていた。猫って案外長いよね。
「フェリス、ここに寝床を持ってくる?」
まぁ、答えないよね。ナイオンは分かってくれている気がするけど、フェリスとはまだそこまでじゃない。大和さんとフェリスは分かり合えている気がするんだよね。
「フェリス、ここに寝床を置いておくから。寒かったらここに入っていろ」
大和さんが持ってきた寝床にフェリスが素直に入る。バスケットに毛布で屋根を付けただけなんだけど、フェリスは気に入ってくれたようだ。大和さんが温石を仕込んだから暖かいというのも、あるんだろうけど。
「じゃあな。行ってくる。大人しくしてろよ」
大和さんがフェリスの頭を撫でた。それを合図に3人で家を出る。
「サクラ様、ご不満ですか?」
「良いんですけどね。フェリスが大和さんの方に懐くのは分かってましたし。でもああまで対応が違うとなんだかな、って思っちゃうんです」
「フェリスは咲楽にも懐いているよ。そんなに拗ねないの」
「サクラ様は、トキワ様がフェリスさんに取られてしまったとお考えですか?」
「そうじゃなくて」
「そうじゃないの?俺は咲楽が取られたら嫌なんだけど」
「……。そうなんですけど、フェリスにも大和さんと同じ様に接して欲しいというか」
「言い換えたね」
「フェリスさんは私の事は居ないものと思っていそうです」
「なんだ?カークもフェリスに好かれたいのか?」
「危険な存在ではないという事が分かってきましたから。分かってしまうと可愛いじゃないですか。私は可愛いものが好きなんです。触れませんけど」
「触れない?」
「やはりですね。今までの考えに引きずられるといいますか。何かされるのでは?と思ってしまうのです」
「聞きたかったんだが、シャヴェルトゥはどこが怖がられていたんだ?何もしなければ何もされないんだろう?」
「いつ何をしてくるか分からないじゃないですか。それが怖いんです」
「魔法を操るんだったか?」
「はい。主に闇属性と言われていますが、個体によって操る属性が違うようで。シャヴェルトゥは全て黒猫だと言われていますので、区別が付かないんですよ」
「必要以上に怖がらなければ良いだけなんじゃないのか?」
「ですよね」
気持ちは分かるけど。
「フェリスが家に居るって、隠しておいた方が良いですよね?」
「一応、報告はあげているけど、もう少し隠しておいて」
「はい」
フェリスが家に居ることを知っているのは、私と大和さんとカークさんだけ。庭に出ていたりもしたけど、上手く隠れていたようで、噂にもなっていない。
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん」
「おはようございますわ、サクラさん」
「おはようございます、リディーさん」
このところ王宮への分かれ道で男女が分かれる事が多い。ライルさんが大和さんと話をしていて、ダンテさんはカークさんと話をしている。ダンテさんは昔、冒険者になりたかったと言っていた。お家の方の反対で諦めたそうだ。
「ねぇねぇ、今年は作らないの?雪の遊具」
「あ、忘れていました」
「忘れないでよ。昨日聞かれちゃったのよ。楽しみにしているからって言っていたわ」
「ローズさんも楽しみなのですわよね?」
「リディーさん、違うわっ。子どもの為よ」
「でも、ローズさんも遊んじゃうんですよね?」
「だって楽しいじゃない」
「結局、ローズさんも遊ぶんじゃないですか」
「安全確認の為よ。私で壊れなければ子ども達も安心じゃない」
遊ぶ為の言い訳っぽいけど、ローズさんが遊びたいからってだけじゃないのは、知っている。
「あぁ、そういえば、雪がもう少し積もったら、闘技場でイベントをすると聞きましたわ」
「イベント?」
「雪のボールを投げ合うとか」
「雪合戦ですか」
「でも、今年は雪が少ないわよね?」
「そうなのですわ。お父様と上のお兄様がやきもきしておりましたもの」
「リディーさんのお父様とお兄様って?」
「行事等を企画運営する部署に居りますわ。ライル様のお父様の部下ですの」
「フルールの御使者とか?」
「それは典礼行事。典礼儀式課と遊戯行事企画課の合同行事だよ」
ライルさんの声が聞こえた。
「ライルさん、おはようございます。お話は終わりましたか?」
「おはよう、サクラ先生。あっ……」
「どうしたんですか?」
「サクラさんって呼ぼうと思って、先生って付けちゃったんだよ」
「お気を使わせまして」
施療院に向かう。
「ライルさん、雪の遊具は作りますか?」
「作ろうか。僕も忘れていて、昨日寝る前に気が付いた」
「私はローズさんがさっき言ってくれるまで忘れていました」
「昨日聞かれたんです。今年は雪の遊具は無いのか、って」
「あぁ、あの辺りの子はたくさん来てたね」
お昼休みにライルさんと雪の遊具を作ることになった。
「雪の遊具って、僕も作って良いですか?」
「良いよ。僕とサクラさんは氷魔法で作るけど、魔法で作らなければならないって訳じゃないから。時間はかかるだろうけどね」
「えっと、誰か手伝って……」
「あはは。綺麗にみんな、顔を逸らせたね」
寒いしね。
「でも、ライル先生とサクラ先生は一緒ですよね?」
「一緒に出て作らないと、時間も無いしね」
「今日は患者さんは来られるでしょうか?」
「どうだろうね?もしかして計算するの?まぁ、それはサクラさんにしか出来ないよね」
そう言われても、苦手な高校物理を必死に思い出して、「速さが2倍だと4倍の遠心力がかかる」、「速さが3倍だと9倍の遠心力がかかる」という簡単な法則を最終的に当てはめているだけだ。雪の遊具でそこまで厳密な計算は要らないしね。
箱そりはどこだったっけ?ライルさんなら知っているかな?
「ライルさん、箱そりはどこにありますか?」
「あぁ、第2物品庫に入れてあるよ」
「第2物品庫?ってありましたっけ?」
「新しく作ったんだよ。使わない部屋があったからね。作ったのは去年のホアだから、サクラさんが知らなくて当然だよ」
「あったのに忘れているのかと焦りました」
施療院に着いて、更衣室に行く。
「でも、本当に患者さんは来るのかしらね?」
「どうでしょう?今までの雪の日よりも降ってますもんね」
「風はございませんけど、雪は積もっていますもの。ここまで来るのは大変ですわ」
風は無いから静かだ。でもだからって安心は出来ない。いきなり大雪になる時もあるから。
「3年前のようにならなければいいですけど」
「大丈夫よ。王宮も対策はしているでしょうし、貴族も商人も動いているわ。凍死者は出さないってね。それに南門外の人達って減ってきているんでしょう?」
「そう聞いています。ゲオルグさんも、頻繁に様子を見に行ってくれているようです」
「ゲオルグさんね。最初は怖かったわ。無精髭を剃ったら若くてビックリしたけど」
「私も驚きました」
着替えを終えて、診察室に行く。待合室には数人の患者さんがいた。みんな常連さんだ。
「嬢ちゃん、雪が止んできたよ」
そう言って診察室に入ってきたのはオスカーさん。オスカーさんはいまだに私を「嬢ちゃん」と呼ぶ。一時期は「サクラ先生」になっていたんだけど、すぐに戻っちゃった。
「止んできましたか。良かったです」
「アタシらも対策はしていましたがね。ゲオルグが先に動いてやした。アイツも門内に入ったんだから、落ち付きゃ良いのに」
「長く纏め役をやっていたから、気になっちゃうんじゃないですか?」
ゲオルグさんが以前盗賊をやっていた事は、みんな知らない。盗賊といっても被害届が出ていないらしい。ゲオルグさんが盗みを働いたのは、評判の悪い貴族家や裕福な町人の家ばかりで、そのお金はほとんどを貧しい人の為に使っていた。これはゲオルグさんが自ら騎士団に行って打ち明けた事らしい。私達がターフェイアに行っている間に全てが終わっていた。