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星の月、第5の火の日。
昨日リディーさんに喫茶ルームでの飲み物はどうするのか、ミンミさんに聞いておいてほしいと言ったら、どうやらエメリー様に宿題で出されていたらしく、「昨夜、お兄様と2人で考えておられましたわ」と聞かされた。さすがエメリー様。抜け目はないようだ。
エメリー様は領地は持っていないけれど、ご実家のヴェルーリャ家がフルーツを主に育てているらしく、そちらの伝手も使えるようにしてくださったらしい。その事をローズさんが知って、自慢していた。「凄いでしょ?」って。ローズさん、エメリー様にベタボレですね。
今日は雪が降っている。そこまで大粒ではないけれど、昨日の夜から降りだしていて、大和さんが顔をしかめていた。どうやら走れなくなるのがご不満らしい。その反動か今朝は一緒に運動しようと誘われた。だから今朝はパン焼きはお休み。スープは昨日作って、温野菜も作って異空間に入れてある。だから今朝はすることがないんだよね。卵も焼いてあるし。こちらも異空間に入れてある。
起床して着替えてダイニングに降りる。大和さんが小部屋で本を読んでいた。
「おはようございます、大和さん」
「おはよう、咲楽。しまったな。本に夢中になりすぎた」
「何の本ですか?」
「魔法属性と人の性質についての考察」
「また小難しい本を。買ったんですか?」
「筆頭様に借りた。エメリー殿からも『土地の性質と魔物の分布について』と『魔物と人の関わり』って本を借りたからそれも読みたいんだよね」
「夢中になりすぎないでくださいね。地下はどうしますか?」
「俺の毎日の運動スケジュールはこなしたよ。後は咲楽との運動だけ。行こうか」
「起き抜けですから激しい運動は止めてくださいね」
「咲楽は縄跳びだけにする?」
「私はって、大和さんは?」
「何をしよう?」
2人で地下に降りる。準備体操をしてから大和さんの指導で、縄跳びを始める。
「爪先を意識して爪先で飛ぶようにね」
「はい」
「速度は1分間に60回以上を心がけて」
「けっこう、速い、ですね」
「縄跳びは上半身をまっすぐ保って身体の中心線を意識しながら跳ぶ事で、自然と体幹を鍛えるトレーニングとして活用できるからね。姿勢も意識して」
「飛ぶので、精一杯です」
「……まぁ、無理はしなくて良いからね」
そう言って私の隣で軽々と縄跳びを始める。ヒュンヒュンヒュンヒュンという連続した音が次第に速くなる。凄いな。
「ほら、咲楽。サボらないの」
「はい」
今までは回数のみのノルマだったけど、今日はさらに速度と姿勢が追加された。意識して縄跳びをするとけっこうキツい。
「いい時間だね。今日はこのくらいにしておこうか」
大和さんから声をかけられて縄跳びを止める。
「ありがとう、ございました」
「どういたしまして。汗をかいただろうからシャワーを浴びた方が良いよ」
「大和さんは?」
「咲楽がバスルームを使うならここで浴びていく。どうする?」
「上でシャワーにします」
「分かった。もうちょっと時間はあるから、ゆっくりでいいからね」
地下から上がってきてバスルームでシャワーを浴びる。疲れた。朝から疲れた。大和さん達はこれが日課だけど、私は今日が初めてだ。筋肉痛になったりしないよね?シャワーを浴びたら着替えて朝食の用意。といっても、異空間から出すだけなんだけど。パンを暖炉で温めて朝食を並べていく。
「疲れた?」
「疲れました」
「体力、無いねぇ」
「最初から分かってたじゃないですか」
「そうだけどね。筋肉痛は大丈夫そう?」
「分かりません」
「夜にマッサージをしてあげましょう」
「ありがとうございます。久しぶりですね。大和さんのマッサージ」
「大腿部までしてあげようか?」
「拒否っていいですか?」
「ほら、夫婦なんだし。良いでしょ?」
「下心が透けて見えてます」
「おかしいな。分厚いフィルターで隠してあるんだけど」
「結局はあるんじゃないですか、下心」
「そりゃあね。俺だって男だし?」
「大和さんが女性だったらビックリです」
「アレクサンドラさんのように似合ってるならいいんだけどね。俺は似合わないんだよ」
「女装をした事が?」
「無いよ。任務でさせられそうになったけど、無理だってため息を吐かれた」
「させられそうになった事があるんですか?」
「武装集団のアジトに潜入しなきゃならなくて、女性の方が入りやすいからって。小柄な奴が潜入してたけど」
「潜入って、でも、女性の傭兵さんも居たんですよね?」
「居たけどね。彼女達なら潜入も容易だっただろうけど、あの時は呼びに行っている時間がなくて。人質の命がかかっていたからね」
朝から重い話になっちゃった。朝食を終えて片付けをして、着替えは済ませてあるから小部屋で話をする。
「今日はちょっと早く出る?」
「カークさんが来ないと出掛けられないじゃないですか」
「まだ家を出ていないね」
「今、大和さんの索敵ってどの位の広さなんですか?」
「最大に広げたら闘技場がすっぽり入る。その分精度は落ちるけど。詳細に情報を知ろうと思ったら、直径80m位かな」
「直径80m?ってどの位?」
「世界選手権のサッカーコートが105m×68mって定められているから、それより少し小さいね。ゴールからゴールは行かない位」
「イメージは出来ますけど、距離感がいまいち……」
「闘技場の半分位だね」
「なるほど」
「魔力消費量によっても、精度は変わるしね。詳細に知ろうとすると集中力もいる」
「そうですよね」
大和さんの空間認識力は高い。それでも情報を処理するのは大変だと思う。私には真似できないなぁ。やってみたいけど。
「索敵って私にも出来ますか?」
「出来るよ。地属性を薄く均一に広げればいいから」
「地属性を薄く均一に……」
シートを広げる感じかな?
「大和さん何か動いていて気持ち悪いです」
「あぁ、急に無理をしないの。地属性を切ってゆっくり深呼吸して」
ゆっくり深呼吸していると、気持ち悪さは治まっていった。
「はじめてでいきなり成功させるとか。本当に規格外なんだから」
「大和さんには言われたくありません」
「おはようございます。遅くなってしまいましたか?」
「いや、大丈夫だ。俺達が早かっただけだから」
3人で家を出る。
「何かあったのですか?」
「今日はランニングが出来なかったから、地下で縄跳び指導をしていたんだ。そうしたら思ったより早く準備が出来てしまってな」
「そうだったのですか」
「しかし、止まないな。これは1日中止みそうにないな」
「そうですね」
道路上はうっすらと白くなってきている。
「それで、サクラ様は何をトキワ様に何を言われたのですか?」
「え?あぁ、さっきの話ですか?」
「なにやらトキワ様には言われたくないと言っておられましたが」
「規格外って言われたんです」
「あぁ、それは……」
「それはなんだ?カーク」
「あ、えっと、その、トキワ様も規格外ですからね」
「カーク?」
「以前から言われておりましたでしょう?」
「それはそうなんだが。改めて言われるとなぁ」
「サクラ様は何をされたのですか?」
「索敵が出来たら良いな、って思って、大和さんに教わってやってみたら、なんだか1度で成功しちゃって。ただ、頭の中を何かが動き回っているようで、気持ち悪くて」
「まさか、広範囲に広げたのですか?」
「広範囲、なのかな?どの位の広さって分からないんですけど」
「トキワ様?」
「俺もそこまで広げると思ってなかったし、1度で成功させるとは思ってなかった。完全に俺の油断だよ」
「私が調子に乗っちゃっただけですよ。大和さんは悪くありません」
「この先も続けるつもりなら、自分の周り4~5m位から始めよう。魔力の出力は1時間で1位」
「そんなに少なくて良いんですか?」
「どれだけの強さで出力したのか、気になるんだけど」
「えっと……。5?」
国民証を見ながら答える。
「強すぎるよ。俺が最大に強化して7~8なんだよ。魔力出力のコントロールからの方が良いかもね」
「魔力出力のコントロールですか?」
「最初に光球でコントロールしていたでしょ?あれをもっと長い時間するの」
「あれをですか」
集中力が要って、けっこう疲れたんだよね。
「気長にね。急いで習得しなくて良いんでしょ?」
「出来たら良いなってだけですから」
「しかし、サクラ様はどうして索敵を取得しようと思われたのですか?」
「便利だなって思ったんです」
「確かに便利ですが」
「後は地属性を鍛えたいなって思って。ほとんど使っていませんから」
「何に使う気なの?」
「……何に使いましょう?」
「使い道も考えずに鍛える気?」
「私の魔法って偏っているんです。だから出来ない事に挑戦しようと思って」
「出来ない事に挑戦するのは良いことだけど、無理はしないようにね」
「分かってます」
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん」
いつの間にか、王宮への分かれ道に来ていた。
「おはようございますわ、サクラさん」
「おはようございます、リディーさん」
「サクラさん、お義姉様が相談に乗ってくれたお礼にって、これを渡して欲しいと」
「お礼ですか?」
そんな気遣いは不要なんだけど。包み紙の中から現れたのは、可愛らしいボンボニエール。
「あら、ボンボニエール?」
横から覗き込んだローズさんが言う。
「はい。ボンボニエールはお義姉様の出身領で作られているらしくて、中には砂糖菓子が入っていますの。美味しかったですわ」
「食べたの?リディーさん」
「私にも以前にくださいましたもの」
「サクラちゃんのには何が入っているのかしらね?」
「砂糖菓子って言いませんでしたっけ?」
「こういう蓋付きの容器って、ワクワクしない?分かっていても、何が入っているんだろう?って思うの」
「確かにそうですね」
「喫茶ルームでもそうすれば人気が出そうね」
「隠して運んできて、目の前で開けるんですか?お料理でもありますよね?」
「あるわね。クロッシュでしょ?」
「あれって確かにワクワクしますわね」
大和さんと何かを話していたライルさんとダンテさんが戻ってきて、施療院へ向かう。
「先に言っておくね。今日の昼休憩の時に各施療院に配属の施術師の発表をする。王都の施療院所属の施術師の所属先は決まっているしみんな分かっているだろうけど、新しく所属する施術師を言うからね。ルビー先生にも来てもらうことになっているよ」
「ルビーさん、来るんですか?」
「双子ちゃんも外出出来ているしね。みんなにお披露目というか、見たいんじゃないかって、所長が言ってね。あれは自分が見たいんだろうね」
「お孫様の感じなのでしょうか」
「そうかもしれないね。ダンテ先生はルビー先生に会うのは初めてだっけ?」
「そうですね。揃っちゃうんですね」
「いつまで言うの?それ」
「フルールの御使者様は特別ですって」
「3年前よ?」
「それでもです。みんなの憧れなんですから。あの年は特に天使様が選ばれたって評判で、1番馬車は特に華やかで。護衛騎士の黒き狼様とお似合いで現実味が無かったです」
「興奮してるね。とりあえずは落ち着こうか」
「ライル先生、すみません」
「ファティマさんにも来てもらう?」
「止めてください。心臓が止まります」
「ダンテ先生の心臓を止めちゃったらいけないから、呼ばないでおくわ」
あ、そうだ。
「ライルさん、騎士団対抗武技魔闘技会って、また私達も救援要請が出るんでしょうか?」
「たぶんね。都合悪かったりする?」
「もしかしたら2日目は難しいかもしれません」
「何かあるの?」
「はい。まだ言えませんけど」
「それなら仕方がないね。所長には言っておくよ」
「お願いします」
施療院に着いたら、着替えをする。
「サクラちゃん、さっき言っていたのって、まだ言えないのよね?」
「はい」
「サンドラが別枠で張り切っていたのと関係あるかしら?」
「別枠で?」
「王宮から直接依頼があったのよ。名指しでね」
「その辺りは聞いてないんですけど」
「ん~。でも、サンドラに依頼が来るくらいだから、これかな?っていうのはあるんだけど、言えないのよね。また教えてね」
「もちろんです」
「私も楽しみですわ」
更衣室を出て診察室に向かう。
「やっぱり患者さんは少ないわね」
「というか、ほとんど居ませんね」
「雪がやみませんものね」
「あれ?ヴォルフさんとタビーちゃん?」
「サクラ先生、おじいちゃまを助けて」
タビーちゃんが走ってくる。
「どうしたの?」
「あのね、おじいちゃまがね、おじいちゃまが死んじゃうの」
「えっ!!」
「こら、タビー。大丈夫だと言っているじゃないか」
「ヴォルフさん、どうしたんですか?」
私に引っ付いてえぐえぐと泣いているタビーちゃんを宥めながら、ヴォルフさんに聞く。
「もうすぐ着くと思います。火傷したんですよ」
「タビーがわるいの。タビーがおじいちゃまにぶつかっちゃったから」
1台の荷馬車が施療院に到着した。