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星の月、第2の土の日。
昨日、アルフォンスさんと話をして来た。場所は宿舎の面会室。個室になっていて、室外からは見えないし聞こえない。
「シロヤマ嬢、おっと、今はトキワ夫人でしたね。お綺麗になられましたね」
面会室に入って、アルフォンスさんと向かい合う。私の隣には大和さんが居てくれる。
「夫人という呼ばれ方は慣れていないんですが」
「しかし、名前をというわけにもいかないでしょう?」
「まぁ、そうなんですけど」
「そういえばサクラ先生と呼ばれていましたね。僕もそう呼んでも?」
「はい」
アルフォンスさんはネフィラ領に異動して、ひたすら剣の稽古に打ち込んだそうだ。あちらで剣の師匠も紹介してもらって、フォームを見直したり、体力を付けるために大和さんのようにひたすら走ったりしていたらしい。
「サクラ先生に次に会った時に、恥ずかしくない男になろうと思ったんです。その時に彼と結婚しているかもしれないとは思っていました」
「アルフォンスさんには婚約者の方はいらっしゃらないんですか?」
「居ませんね。理想が守ってあげたい女の子でしたので。貴女が理想の女性だったんです。一目惚れってああいう状態なんでしょう。あの時はどう声を掛けて良いか分からなくて、普段通りにやってしまいました。ヤマトに窘められて、迷惑かも?と思って、でも貴女を目で追ってしまって、ちょうどヤマトに負け続けていたこともあって、異動を願い出ました」
「アルフォンスの剣だが、まだ迷いがあるな。咲楽に久しぶりに会って動揺したというのもあるんだろうが」
ずっと黙っていた大和さんが口を挟んだ。
「迷い、か」
「それで?会ってみてどうだった?」
「思ったより冷静な自分が居る。あの時のような気持ちは無いな」
アルフォンスさんとの面会を終えて、家に帰ると、大和さんの全力の甘やかしで大変だった。昨日帰ってから、お風呂に行く以外、たぶん1歩も歩いていない。
今朝は雨が降っているらしい。大和さんがベッド脇に居るもの。
「おはようございます、大和さん。雨ですか?」
「おはよう、咲楽。うん。降ってる。アルフォンス達、今日出発なのに」
「すみません、大和さん。着替えます」
「あぁ、出ていようか?」
「いいえ。自室で着替えますから」
「クローゼット、寝室に移動しない?」
「しません」
自室で着替えたら、キッチンに降りる。パン種を捏ねてパンを焼き上げたら、朝食と昼食の用意をする。
「咲楽、ハーブティーは?」
「飲まなきゃですよねぇ」
雨が降っているんだよね。
「一緒に行こうか?」
「相合い傘で?」
「そう」
相合い傘というか、私が傘をさして大和さんに抱えられているんですが。
「はい、到着」
「到着というか、運ばれたんですけど」
「ほら、ハーブを取っておいで」
「はい」
離れに入って、薬棚からハーブを取り出す。ついでに2~3回分、異空間に入れておこう。
「お待たせしました」
大和さんが広縁で瞑想していた。板戸を開けて、外を向いている。
「あぁ、ごめん。ハーブは持ってきた?」
「はい。水屋でハーブティーを淹れて来ようかな?って思っていたんですけど」
「時間はあるから、そうしたら?」
「そうします。瞑想したいからってウッドデッキでしないでくださいね?サンシェードは有っても雨避けは無いんですから」
「先に釘を刺された」
再び瞑想を始めた大和さんを残して、水屋でハーブティーを淹れる。広縁で瞑想をしている大和さんを見ながら、ハーブティーを飲む。
「終わったよ。待たせてごめんね」
ハーブティーを飲み終わった頃、大和さんに声をかけられた。
「満足出来ました?」
「満足まではいかないかな?でも、落ち着けた」
再び大和さんに運ばれる。
「歩くって言ったのに」
「俺がしたかったの」
朝食を食べて、出勤の準備をする。いつもより時間は早いから、急がなくても良い。少し時間を掛けてメイクをしてみた。
「お待たせしました」
ダイニングにはカークさんが居た。
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、カークさん」
「サクラ様、お化粧をしておられますか?」
「はい。変じゃないですか?」
「とてもお綺麗です」
「ありがとうございます」
「お待たせ。あれ?咲楽、メイクしてるの?」
「はい。時間があったので。変じゃないですか?」
「可愛い。よく似合ってるよ」
「そうですか?嬉しいです。リンゼさんにも教えていただいてるですけど、顔に何かを塗っているのが落ち着きません」
「慣れるしかないんじゃない?」
「ですよね」
メイクをするのは初めてじゃない。フルールの御使者の時はメイクをされたし、結婚式ではフルメイクだった。でも、自分でメイクして外に出た事は無い。
「なんだか視線を感じます」
「すれ違う人が咲楽を見てるんだよ」
「やっぱり、メイクを落としてきます」
「あぁ、待って待って。大丈夫。可愛い美人になっているから、だからみんな見ているだけだから」
「そうですよ、サクラ様。変だと見ているわけではありませんから」
「だって……」
「俺の言葉は信じられない?」
「しっ、信じたいですけど」
「それなら信じて?オレもカークも嘘は言わない。カークは大袈裟に言う事があるけど」
「ちょっ!!トキワ様っ、大袈裟ってなんですか?私はサクラ様には、正直な気持ちをお伝えしていますよ」
「咲楽には、な」
「含みのある言い方をしないでください」
「いや、本当の事だし」
大和さんとカークさんって良いペアだよね。今はこうやって笑いあっているけど、お仕事中の主従モードになると、口調や雰囲気を2人ともガラッと変えるし。
「咲楽、アルフォンスだ」
「えっ?」
大和さんの手をぎゅっと握る。
「大丈夫だよ。アルフォンスも無茶な事はしないし言わないから」
「分かってるんですけどね」
昨日話したし、警戒心は解けていると思っていたんだけど、やっぱり緊張する。
「サクラ先生、おはようございます」
「おはようございます、アルフォンスさん……。ダーナ様の方が良いですか?」
「アルフォンスで。貴女になら呼び捨てでも許してしまいそうですが、ご主人の怒りが怖いので、それは止めておきます」
「アルフォンス、どうした?」
「帰還の挨拶に。サクラ先生、貴女は私の憧れであり、私の理想でした。お元気で。ご主人とお幸せになってください」
「ありがとうございます。アルフォンスさんもお元気で」
アルフォンスさんは東街門の方に歩いていった。今からネフィラ領に帰るんだそうだ。
話をしながら歩いていくと、王宮への分かれ道にローズさん達が待っていた。
「サクラちゃん、おはよう。あら?珍しいわね」
「朝、時間があったので」
「似合っているわよ。毎日メイクしてくれば良いのに」
「慣れなくて落ち着きません」
「こればかりはね。慣れるには回数をこなさないと」
「サクラさん、魔法と同じですわよ」
「分かっているんですけど」
大和さんと話をしていたライルさんとダンテさんが、こっちに歩いてきた。
「じゃあね、咲楽。行ってくる。気を付けてね」
「はい。いってきます。大和さんも気を付けてくださいね」
施療院にみんなで向かう。
「雨って事は、患者さんは少ないかしらね?」
「そうだね。この時期はいつも患者は少ないし、カルテ整理が捗るよね」
「毎日カルテの症例纏めで混乱してきますわ」
「サクラちゃんは毎年熱心なのよね」
「まぁ、溜めて後で苦しむより、少しずつコツコツやった方が楽ですし。こういうのは性格もあるでしょうけど、私は苦にならないんですよね」
「羨ましいわ、その性格」
「僕は勉強だと思って纏めてます。やらなきゃいけないんですよね?だったらそう思った方が仕方がないからやろうって思えて、諦めがつきます」
「ダンテ先生も真面目ねぇ。施術師としては信頼できるんでしょうけど」
「ローズ先生は毎年逃げ回ってるからね」
「あ、ライルさん、バラさないで」
「あれが毎年だったんですのね」
「そうなんだよ。あの状態が毎年。サクラ先生が来てからは少しマシになったんだけどね」
施療院に着いた。更衣室で着替える。
「そういえば、私の時は臨時手伝いだからって素敵なエプロンを頂きましたけど、男性が臨時手伝いをしたいとなりましたら、どうなさいますの?」
「エプロンって訳にはいかないわよね?」
「今の白衣ってドクターコートですよね?こういった羽織る型の。花の月から新制服が支給されるから、その心配は要らないんじゃないですか?」
「そうね。この白衣ともお別れなのね」
「所長なんかはドクターコートの方が似合いそうですけど」
「好きな方を選べるとか?その方が良いわよね」
「どういった制服になるのでしょう?」
「その辺りはサンドラが話してくれないのよね」
「私も聞いてません」
「この前伺いました時、キトリー様がアレクサンドラ様と何かを話していましたわ。絵を見ていらっしゃいましたけど」
「もしかして、デザイン画かしら?」
「でも、何故、キトリー様が見ているんでしょう?」
更衣室を出て、診察室に向かう。予想通り、待合室には誰も居なかった。
「誰も居ないわね。これはもしかして朝からカルテ纏めの感じかしら?」
「うげっ」
通りかかったダンテさんから貴族らしからぬ声が聞こえた。貴族らしからぬとはいっても、ダンテさんは元から貴族らしくはない。本人もそれは自覚しているし、なんとご家族にも「好きにやれ」と言われているそうだ。
「カルテ纏め前のあの選別作業が苦手なんですよね」
「ダンテ君、一緒にやろうか」
「マックス先生、フォスさんは?」
「フォスは他にやる事があるからね」
あ、連れていかれた。
「フォス先生のやる事ってアレよね?」
「カルテの魔力抜きですよね。アレも大変ですよね」
私とローズさんもカルテ庫に向かう。
「マックス先生、手伝います」
「じゃあ、サクラ先生はカルテをこっちに運んでくれるかな?ローズ先生はカルテの選別を手伝って」
カルテ運びは重労働に見えるけど、魔空間に入れてしまえば、重くもなんともない。だからこの世界では重労働にはならない。私は魔力量が多くて魔空間も広いから、カルテ運びなんて歩いているのと変わらない。
「サクラちゃんがカルテを運んでいるのを見ていると、来年の今頃が憂鬱になってくるわ」
「だよねぇ。カルテ纏めの時期にサクラ先生だけ貸し出ししちゃう?」
「それ良いっ。マックス先生、お願いします」
「うんうん。冗談だけどね」
「えぇぇぇぇ」
「えぇぇぇって言われてもね。サクラ先生の事も考えようよ。物じゃないんだから、貸し出しとかダメでしょ。トキワ君が大きなため息を吐きそうだよ。そうなったトキワ君って、なんだか迫力があって怖いんだよね」
「そうですか?」
「そうなんだよ。僕の方が年上なのに逆らえないっていうか、逆らっちゃいけないっていうか……」
「それってマックス先生よりトキワさんの方が、大人だからじゃないですか?」
「ダンテ先生、これ全部やっておいてね。僕は魔力抜きの方に運んでいくから」
「あぁぁぁぁ、待ってくださいぃぃぃ」
ダンテ先生ったら余計な事を言うから。マックス先生が選別済みカルテを持っていった。ついでに患者さんの有無も見てきてくれるようだ。
「でも、マックス先生の言った事って分かる気がするわ。逆らえないっていうのは無いけど、仕方がないねって感じで見られている事はあるもの」
「うわぁ。格好いいなぁ。サクラ先生、家でのトキワさんってどんな感じですか?」
「どんなって、あまり変わらないですよ。見守ってくれているって感じです」
甘えてくるとか言いたいけど、なんとなく言わずにおいた。弱い所は知られたくないって言っていたし、その姿を知っているのは私だけっていうのもちょっと嬉しい。
「ダンテ先生、患者さんだよ」
「僕ですか?」
ダンテ先生も固定の常連さんが少しずつ出来てきている。ダンテ先生より年下の女の子が多い。常連さんっていうより、ファンというか。当然リディー先生には男性ファンが多い。こちらは純粋(?)な患者さんだ。
「この時間にお嬢さん方が来ちゃったのかしら?」
「時間的に早くないですか?」
「今は学門所の時間よね?卒業しちゃった子達かしらね?」
「その通りだよ。どうやらサボって遊びに来ちゃったみたいだね」
マックス先生が入ってきた。
「サクラ先生、すぐに所長の診察室へ。ローズ先生はご実家に連絡して。マックス先生、神殿に連絡できますか?」
ライルさんがカルテ庫に走ってきた。何があったの?急いで診察室に戻る。
「サクラ先生、こっちじゃ」
所長に呼ばれた。所長の診察室には擦りきれそうなドロドロの衣服を纏った、痩せた男性が2人、横たわっていた。
「行き倒れのようじゃな。西街門の数百m手前で見つかったそうじゃ」
「まだ息はありますね。スキャンは?」
「骨折などの大きな怪我は無かった。ただのぉ。あまりにも痩せすぎじゃし、なによりもこの跡、分かるかの?」
「拘束の跡ですか?」