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お昼休憩に急いで中庭に出る。地属性で作られた檻に入ったシャヴェルトゥが全身の毛を逆立ててシャーシャーと威嚇していた。
「か、可愛い……」
檻の前で座って眺める。大和さんの言っていたように、決して目を会わせないようにして側に居た。その内にシャーシャーという威嚇音が収まって来た。
急激に動かないように気を付けて、そっと手を伸ばす。当然冒険者さん達に止められた。
「天使様、危ないです」
「大丈夫ですよ。触れるなんて思ってません」
「でも、大人しくなったな、コイツ」
今から冒険者ギルドにシャヴェルトゥを連れていくらしい。名残惜しいけどシャヴェルトゥと冒険者さん達を見送った。
「あ、あれ?シャヴェルトゥは?」
ダンテ先生が中庭に顔を出した。
「冒険者ギルドに行っちゃいましたよ」
「えぇぇ、見たかった……」
「ダンテ先生、私には魔物だから、とか止めたのに、自分だけ見るつもりだったんですか?」
「僕は……、えぇっと、サクラ先生が危なくないようにって見張りです」
「冒険者さん達が居るのに?」
クスクス笑いながら聞くと、ダンテ先生が外方を向いた。
「サクラちゃん、シャヴェルトゥは?」
「ローズさんまで?冒険者さん達が冒険者ギルドに連れていっちゃいましたよ」
「間に合わなかった……」
「可愛かったです。ものすごく威嚇してましたけど」
「威嚇ですの?」
リディーさんまで出てきた。その後ろに所長、マックス先生、ライルさんが居る。
「シャヴェルトゥってけっこう居るはずなのに見ないからね。誰だって見たいと思うよ」
「みんな、私が見たいって言うと止めるくせに」
「可愛くても魔物だからね。妹が痛い目にあいそうなのに黙って見ている兄は居ないよ」
「ライルさんも見たかったんですよね?」
「当たり前でしょ」
「こらこら、ライル君、それを認めちゃダメでしょ」
マックス先生がそれを言っても説得力が無い。前に見たいって言っていたもんね。
シャヴェルトゥは地球のネコと同じくらいのサイズだ。見た目は黒猫さん。一応魔物分類されているけど捕獲が難しくて、研究が進んでいない。この世界にはシヤン(魔物じゃない普通の犬)は居るけど、普通のネコは居ないって聞いた。シヤンが居るんだから、普通のネコも居ると思うんだけど。
お昼からの診察に戻る。お昼からはダンテ先生にほぼすべてを任せる。ダンテ先生は血液の浄化はまだ出来ないけど、他の施術は出来ている。
「サクラ先生、リシャールを知っていますか?」
「イスパニョーレ家の?」
「はい。アイツ、たぶん、来年にここに応募しますよ」
「浄化に苦労しているって聞きましたけど」
「僕が手紙でコツを知らせました。ここで習った事をリシャールに手紙で送っているんです。所長の許可は貰ってます」
「頑張っているみたいですね」
「学園で外部講師を招いて講義をしてもらう計画もあるそうです」
「その辺りは貴族って恵まれていますよね。平民にもそういう場所があれば良いのに」
「施術師学校ですか?」
「薬師の学校はあるのに施術師の学校が無いって、おかしくないですか?」
「僕には何も言えませんけど」
まぁ、そうだよね。
患者さんが入ってきた。木工所でのお手伝い中に階段落ちをしちゃった15歳の男の子だ。
「記録は私が付けるから、ダンテ先生は診断をお願いします」
「はい。右足首の捻挫と左手のひらの擦り傷です」
ダンテ先生が施術をしているのを見守る。擦過傷の施術は上手くいった。次は捻挫だ。
「サクラ先生、これって……」
「どうかしましたか?」
私もスキャンしてみる。あれ?足首は捻挫だけど、その先、第5中節骨が骨折しているよね?
「第5趾の骨折を見落としましたね」
「はい。すみません」
施術を終えて患者さんが帰っていってから、ダンテ先生と反省会。患者さんが捻挫したって言ったから、思い込んじゃったんだと思う。
「捻挫だって言われたからって、捻挫だけって決めつけちゃ駄目なんですね」
「そうですね。思い込みと決めつけが1番良くないです」
「思い込みと決めつけですか」
ダンテ先生は実践経験が少ない。それに光属性は上手くても、それを施術に活かしきれていない。
「どうすればサクラ先生のように出来ますか?」
「私のように?」
「今まではナザル所長に憧れていたんです。でも、ナザル所長はなんというかその……」
「決断力と判断力がけた違いですからねぇ」
「そうなんです。マックス先生のようにはなれないし」
「ダンテ先生はダンテ先生のままで良いんですよ?人の真似をしなくても」
「でも、僕は上手く出来なくて」
「最初から上手く出来る人も居ますけどね。ほとんどの人は少しずつ慣れていくんです。ダンテ先生のペースで進みましょう?大丈夫ですよ。ダンテ先生に足りないのは実践経験だけです。焦らずにいきましょう。ね?」
「はい」
5の鐘近くになって患者さんが居なさそうなので、少しずつ片付けを始める。
「サクラ先生、さっき言っていた最初から上手く出来る人って誰ですか?」
「施術師じゃないんですけどね。大和さんです。たいていは1度見れば出来てしまうし、コツを掴むのも上手くって、何でも出来ちゃうんです」
「何でもですか?」
「小屋を建てちゃったり、剣も使うし弓も使うし、ヴォルフさんと拳闘で勝負しちゃうし」
「聞いているだけでも、なんだか凄いですね」
「その分心配なんですけどね。怪我とか」
5の鐘になったから、施療院を出る。
「サクラちゃん、バザールに寄っていかない?」
「良いですね。どこのバザールですか?」
「東地区よ。兄様達に頼まれたんだけど、私じゃよく分からなくて」
「何を頼まれたんですか?」
兄様達に頼まれたって、どういう事?
「トキワ様にも来てほしいの。トキワ様は武器にも詳しいわよね?」
「たぶん。武器ですか?」
「武器だと思うって兄様達は言っていたわ」
武器だと思う?見た目はそうじゃないって事?
「咲楽、お疲れ様」
「お疲れ様です、大和さん」
「トキワ様、ちょっと付き合っていただけません?」
「良いですが」
エメリー様も合流して、東のバザールに行く。ローズさんの説明によると、東のバザールに見た目は雑貨屋さんのお店が新規オープンしたらしい。見た目は雑貨屋さんなんだけど、鉄製のエヴァンタや変わった指輪や変わった杖が置いてあるらしい。髪を結う簪なんかもあって、商品に一貫性がない。
「あぁ、あそこですか。護身用の武器を売っている店ですね」
大和さんが商品のラインナップを聞いて、すぐに答えた。
「変わった指輪はナックルダスターといわれるものです。角指もありましたね。変わった杖はソードステッキです。鉄製のエヴァンタは鉄扇と呼ばれています」
「もしかして行かなくてもいい感じ?」
「騎士団で把握していますよ。警戒する気持ちは分かりますが」
「でも、見てみたい気はするね」
エメリー様が言ったので、そのお店に行ってみることにした。
「あら、騎士様。どうなさいました?」
「何の店か分からないから付いてきてほしいと言われてな。彼女がこの店の店主兼創造者」
紹介されたのはまだ若い女性。
「ようこそ、ハウッカテルム店へ。当店は主に女性の身を守る為の護身具を売っています。店主のサイミ・ハウッカと申します」
丁寧に挨拶をされた。確かに使い方が分からない物が多い。太い針にリングが付いていたりとか、縄の端に金属球が付いている物とか。
「使いかたはご説明しますので、お気軽にどうぞ」
「咲楽にはこの辺とか合うと思うよ」
大和さんに勧められたのはトゲトゲが付いた指輪。指輪って事は当然指に付けるんだよね?で、護身用って事は、もしかしてこれを付けて殴るの?
「気に入らない?じゃあ、これかな?」
次に出てきたのは簪。これをどうしろと?突き刺すの?
「これは?ちょっと重いけど」
次いで渡されたのは鉄扇。骨が鉄製だ。
「大和さん、これを普段持ち歩けと?」
「だよね。じゃあ、角指か簪だね」
「買うのは決定ですか?」
「連れてこようとは思っていたんだよ。良い機会だから買っちゃおう。使い方は教えるからね」
結局簪と縄の両端に重りの付いた物を買った。これ、何だろう?
「それはボーラ。投擲武器だね」
「どうやって使うんですか?」
「家に帰ってからね」
「はい」
投擲するなら往来では使えないよね。
東のバザールで熱々のラザニアを買ってきたからこれを夕食にする。家に着いて、先にお風呂に入る。大和さんが行っている間に明日のスープを作っておいた。
簪かぁ。お団子風に纏めるなら使えるけど、三つ編みにしてクルっと巻こうかな?あれこれと試してみる。
「そういう髪型も似合うね。あまり外ではしてほしくないけど」
お風呂から出てきた大和さんに言われてしまった。
「外でしない方が良いですか?」
「うなじがなんとも言えず色っぽいんだけど。押し倒して良い?」
「駄目です。お風呂に行ってきますね」
「じゃあ、その後だね」
「今日は緑の日ですよ?」
「知ってるよ?」
そんな笑顔で知っているって言われても。
ニコニコしながらお風呂に送り出された。
普段はそういった事は休みの前日のみだ。私が翌朝起きられなくなっちゃうからね。えっと、そういうことではなくて、その事も考えなくちゃいけないんだけど、他に考える事があるはず……。あれ?無かったかな?
今日のシャヴェルトゥ、可愛かったな。シャーシャー言っていたけど、それでさえも可愛いかった。ネコは好きなんだけど、どうも懐かれないんだよね。犬には妙に懐かれたんだけど。
お風呂から出て、夕食を食べる。
「アルフォンスの事なんだけど」
「はい」
「今日、騎士団に来たよ。飛行装置の操縦の習得の為に滞在するんだって」
「あぁ、その為の王都入りだったんですね」
「俺の顔を見たとたんに勝負を申し込んできたけど」
「良いんですか?それ。私闘は禁止じゃなかったでしたっけ?」
「禁止されているよ。騎士団内の訓練の一貫という事になってた」
「なっていた?って公認ですか?」
「そう。団長公認。アルフォンスの今の所属先の団長に頼まれたらしい。今の実力を知る事も大切だってさ」
「それに大和さんが使われるんですね」
クスクス笑いながら言うと、大和さんにジトっと見られた。
「他人事だと思っているだろうけどね。咲楽にも十分関係あるよ」
「私も?」
「アルフォンスの目的は咲楽と話をする機会を得る事。俺と結婚した事は知っているけど、それでも話をしたいらしい。もちろん2人きりで。とは言っても完全に2人きりには出来ないけど。話を聞いたエリー様達女性騎士が憤ってるからね。もしそんな事になったら周りを取り囲んで天使様を守るってさ」
「…………アルフォンスさんってあのままでした?」
「雰囲気は変わってたね。相当厳しい経験をしたんだと思う」
夕食の後片付けをしながら大和さんが言う。小部屋で大和さんに膝に乗せられた。
「その対戦っていつなんですか?」
「次の闇の日。明後日じゃなくてその次ね」
「行った方が良いんでしょうか?」
「アルフォンスが張り切りそうだね。好きにして良いよ」
「ちょっと悩みます」
「うん。そうして」
大和さんはずっと私の頭を撫でている。時々キスを落とされているけど。
「そういえば、ボーラでしたっけ?あれの使い方って?」
「縄の中心付近を持って、振り回して十分に加速が付いたところでロープを離して標的に投げ付ける。錘の重量と遠心力で広がった状態で回転しながら飛んで相手の動きを阻害するんだ。非殺傷型の武器だね」
「私の護身用のリュラと同じ感じですか?」
「大きく違わないね。どちらも動きの阻害が目的だし」
「それで、簪はやっぱり突き刺すんですか?」
「そうだね。それが一般的な使い方」
「一般的ではないと思います」
一般的な簪は装飾用で武器じゃないですよね?
「振り回すだけでも威嚇になるけど」
「こんなに小さくても威嚇になりますか?」
「なるよ。何かを持っているのは分かるからね」
「使わない事を祈ります」
「使わないのが1番だけどね。こういった物は万が一の為の物だから」
「他にも色々ありましたね、あのお店」
「女性騎士はいくつか購入しているよ。実験台にされるのがちょっとね」
「実験台にされちゃうんですか?」
「使い方をレクチャーしたらやってみたくなるんだってさ」
「レクチャーしたら?大和さんが教えているんですか?」
「ハウッカテルム店で何となく分かるから、って聞かずに買ってきて、あーだこーだやったあげくに『教えろ』って言ってくるんだよ。断れると思う?」
「断れないですね」
お姫様抱っこされて寝室に運ばれる。ベッドに降ろされてキスされて押し倒された。
「大和さん?今日は緑の日ですって。分かってます?」
「分かってるよ。大丈夫。ちゃんと起こすから」
「そういう事じゃなくてですね」
「何か問題が?」
「…………はぁ、もう良いです。諦めました」
「素直でよろしい」
加減だけしてくれると嬉しいなぁ。




