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眠りの月、第4の闇の日。トレープールの情報が得られたとのことでにわかに忙しくなった。今日は大和さんも私も休日だけどいつ緊急呼び出しがあるか分からない。昨日所長にも今日は王都外に出ないようにと言われた。
今日は雨が降っているらしい。音がしないから霧雨かな?室内が少し暗い。時計を見ると7時過ぎ。いつもより遅かった。ベッドの上で思わず項垂れる。
「咲楽、おはよう」
「おはようございます。雨ですか?」
「そうだね。1の鐘頃に冒険者達が東街門を出ていったよ」
「見てたんですか?」
「ちょっとね。様子を見に行ってきた。フェアシュテッケンのいい訓練になったよ」
「フェアシュテッケンですか。私も習得しようかな?」
「何に使うの?」
「夜の大和さん対策?」
「俺の探知能力を甘く見てるね?絶対に見つけ出すよ?咲楽なら特にね」
「ナニソレコワイ」
軽口を叩きながら自室で着替える。大和さんには「今さら?」って言われたけど、それでも人前で着替える気はありません。
着替えたらキッチンに降りて朝食を作る。
「今日は何をするんですか?」
「地下でトレーニングかな。咲楽も一緒にどう?」
「激しいのは無理ですよ?でも体力は付けたいです」
「体力無くて寝ちゃうもんね」
「大和さんがありすぎるんです」
「おぉ、真っ赤になりながらも言い返している。成長したね」
「なんだか親目線の言葉ですね」
「ゴットハルトに言わせれば、俺は咲楽の過保護者らしいよ」
「過保護者?」
「過保護な保護者。自覚はあるけどね」
朝食を食べながら大和さんが言う。
「朝起きられないんですよね」
「疲れちゃうんだろうね。全身運動だし」
「他人事ですね」
「疲れて寝ちゃった咲楽を見ながら反省してるんだよ?ちょっとだけ」
「ちょっとだけですか?」
「うん。ちょっとだけ。だってね。咲楽が可愛いのが悪いんだし」
「理不尽に責任転嫁された気がします」
笑われながら朝食を終える。朝食の片付けが終わったら緊急呼び出し装置を持って、地下に降りる。大和さんは「まずは軽い運動から」と言いながら、縄を持って縄跳びを始めた。最初はヒュン、ヒュンという音だったのに、その内にヒュッヒュッヒュッヒュッという連続音に変わる。動きは上下運動だけ。凄いなぁ。しかも速い。何回飛ぶんだろう?
「咲楽は縄跳び100回目標だからね」
飛んでいる最中なのに、私に指示を出す。100回かぁ。連続で飛べないんだよね。途中で引っ掛かっちゃう。大和さんは軽々と飛んでいるけど、私は不格好だ。私が課題の100回縄跳びを終えた頃、大和さんは懸垂に移っていた。壁の肋木を握って一心に身体を持ち上げている。
「咲楽、休んでまだやる気があるなら、縄跳び100回をもう1セットね」
「はい」
少し休んで息を調えたら、縄跳びを再開する。次の100回を終えた頃、大和さんがバトルロープを握った。
真剣な大和さんが更に真剣になって自分を追い込んでいく。私が見ていると1セットを終えた大和さんがこちらを見た。
「どうしたの?」
「格好いいなって」
「見とれてくれていたの?」
「はい。それと私には無理だなって」
「バトルロープは無理かな?他のなら出来るでしょ?」
「他のって言われても」
ビー、ビー、ビーと大和さんの緊急呼び出し装置が鳴った。私のは鳴らない。
「俺のだけ?」
「みたいですね」
「シャワーだけ浴びるよ。メッセージも東街門だけど、至急じゃないみたいだし」
「至急じゃない?」
私が疑問を浮かべている間に、大和さんはシャワーブースに入った。
大和さんの緊急呼び出し装置を見ると、『非緊急』の文字。緊急じゃないのに呼び出すの?私の緊急呼び出し装置が鳴らないって事は、負傷者は居ないって事なんだろうけど。
「出るけど、咲楽はどうする?一緒に行く?」
シャワーブースから出て、着替え終わった大和さんに聞かれた。
「待ってますよ。緊急呼び出し装置も鳴りませんし」
リビングに上がって、小部屋に刺繍枠をセットする。
「行ってくる」
「気を付けてくださいね」
いってらっしゃいのキスをして、東街門に向かう大和さんを見送る。姿が見えなくなったら掃除をして、小部屋で刺繍を刺す。
情報が欲しいなぁ。今のところ情報入手手段は通信装置位だ。後は自分で見聞きするだけ。大和さんは何をしているんだろう?考えちゃって刺繍に身が入らない。一針一針丁寧に刺していく。
気が付けば雨が止んでいた。離れに行って離れも掃除する。私の薬草部屋はハーブが置いてあるけど、大和さんの仕度部屋は剣舞の為の剣や今まで使ったお衣装が掛けられている。剣は剣立てに、衣装はトルソーに着せてある。剣は触らないけど、衣装の管理は私の仕事だ。たぶん。だって前に大和さんに聞いたら良いよって言ってくれたし。
奉納舞の衣装に、傷んでいるところや汚れが無いのを確認して、半着と袴の手入れをする。畳んである半着と袴を丁寧に開いてチェックする。大和さんは休みの時はこの半着と袴を着ているらしいし、丁寧に扱っているのは知っているんだけど、気が付かない所の汚れは私の方が見つけるのが上手い。これは密かな私の自慢。半着は3着、袴は2着に増えていた。またアレクサンドラさんかな?直線裁ちの直線縫いだから初心に戻るのにちょうど良いって作っているらしいし。お弟子さん達はスルステルの甚平さんを作っているってダフネさんに聞いた。お弟子さんのお弟子さんのお弟子さんまで動員しているらしい。と、いうのも、スルステルを訪れた貴族様からお風呂上がりにちょうど良いと噂が広まって、他の保養施設からの注文が入っているからだそうだ。
11時を過ぎた時、チコさんがやって来た。
「サクラ先生、東街門に来てもらって良いですか?」
「構いませんけど、怪我人ですか?」
「マックス先生もいらっしゃるんですけどね」
半着と袴を畳んで片付けて、いまいち歯切れが悪いチコさんに付いて東街門に行く。
「トレープールはどうなったんですか?」
「巣はまだ見つかっていません。調査チームも頑張ってくれているようですが、トレープールが出てこないようです」
「あぁ、雨が降っていたから?」
「そのようですね」
言葉少なに返される。何か言えない事でもあるのかな?
「ごめんね、サクラ先生。休日に呼び出して」
「いいえ、マックス先生。どうなさったんですか?」
街門に到着すると、マックス先生が待っていた。
「安眠効果のあるハーブティーって作るの、時間はかかるの?」
「ハーブさえあればそうでもないですけど」
「街門兵士長に淹れてあげてくれない?しばらくまともに寝てないようでね」
「良いですけど。薬師さんには頼まないんですか?」
「薬師協会に言ったら、サクラ先生の方が適任だって言われたんだよ」
「私が?」
幸い東施療院にハーブはある。
「必要なのは兵士長さんだけですか?」
「ちょっと待って。確認してくるよ」
マックス先生が街門に歩いていって、大和さんを連れて現れた。
「ごめんね、咲楽」
「いいえ。それで何人ですか?」
「兵士長と副長2人の、合わせて3人」
ハーブティーを淹れると、もう1つ依頼をされた。
「リュラでベルスーズを弾いてやってくれない?」
「構いませんけど。眠らせるのなら闇属性のソムヌスでも良いんじゃ?」
「それも考えたんだけどね。ソムヌスは長く寝ちゃうんだよ。たぶんあの連中に使ったら明日まで起きてこない」
「ソムヌスの効果は1刻位じゃなかったでしたっけ?」
「見てもらえば分かるよ」
ハーブティーを持って街門長室に行く。マックス先生にイルシオンで変装させてもらった。髪の毛をライトブラウンに長さも肩くらいまでにして、街門兵士の制服に着替える。
「ダボダボだね」
「身長が足りないのは分かってますよ」
仕方がないからメイドさんの制服を借りた。街門にもメイドさんは居る。メイド服を着ているけど秘書のような立場だ。それって侍女さんじゃないの?
「ここでのメイドさんはスティルルームメイド。侍女は貴人の女性に仕えるんだよ」
「そんな違いがあるんだね。トキワ君は物知りだねぇ」
マックス先生の言葉に大和さんが苦笑する。
「それで?スティルルームメイドってどんな役割なんだい?」
「お茶やお菓子の貯蔵・管理を専門職です。食品室女中とも言いますね。ハウスキーパーの管理下なんですが、ここにはハウスキーパーは居ませんから」
「あぁ、東施療院の打ち合わせに来た時にお茶を出してくれた。彼女達をスティルルームメイドって言うんだね」
「そんなに何人も居たんですか?」
「2人だよ」
大和さんとマックス先生がハーブティーを持っていく。私は街門長室の隣で待機。変装した意味って?
〈咲楽、お願い〉
15分位して、大和さんから合図のテレパスが届いた。
〈はい〉
リュラでベルスーズを弾く。微かに聞こえる程度だと思うんだけど、どうやら効いたらしい。
「お疲れっ」
「眠られましたか?」
「うん。ぐっすりと。ソファーに寝かせてきたから、大丈夫でしょ」
「トキワ君の魔空間はいろんな物が出てくるね。毛布も入れていたんだ?」
「毛布は色々と使えますから」
日除けや保温なんかに使えるもんね。小雨なら雨避けにもなる。
「ところでマックス先生?私が変装した意味って何でしょう?」
「トキワ君が喜ぶでしょ?」
真面目に返された。大和さん、マックス先生に握手を求めないでください。
「結局、大和さんは何故呼ばれたんですか?」
「作戦のアドバイザー的な?トップ3人があの状態でしょ?1番近くにいる隊長クラスってことで派遣されたらしい」
「マックス先生は?」
「僕は気になっちゃってね。友人の所に行っていたんだよ。で、たまたま通りかかったら多少の怪我人を見つけてさ。その内トキワ君が来て、あの状態を相談されて……。今ここ」
「なるほど」
「でもさ、トキワ君なら近くに行ったら分かるんじゃない?トレープールの巣」
「どうでしょうね?冒険者達の邪魔は出来ません」
たぶん、大和さんには分かると思う。騎士という立場上しないだけだ。冒険者には冒険者の立場と生活があって、それを犯すべきじゃないと考える人だから。
3の鐘が鳴った。
「昼食、どうします?」
「ここに俺達が居ることをチコは知っているから、持ってきてくれるよ」
「チコさんを便利に使ってません?」
「アドバンにここに来てもらおうか?きっと喜ぶと思うし」
「アドバン君かぁ。天使様の絵姿を持ち歩いてるって本当?」
「なんですか?それ」
「小さい絵姿を持ち歩いてるって噂なんだよ。チコに聞けば分かると思うけど」
「聞かなくて良いです」
チコさんもアドバンさんも困っちゃうよね。
「隊長、お食事です。こちらが隊長で、こちらがマックス先生。それでこちらがサクラ先生の分です」
「あぁ、ありがとう。何か情報は入ってきたか?」
「トレープールが再び目撃されたそうです。負傷者は無し」
「場所は?」
「監視地点Aから南に35m、監視地点Bから西に16mです」
「目撃情報を出来る限り集めてくれ。兵士長が目覚めるまでは情報は俺に集約させるように伝達を」
「分かりました」
チコさんが帰っていく。
「トキワ君って本当に隊長なんだねぇ」
「何だと思っていたんですか?」
「いやぁ、騎士だし強いとは思っていたけどさ、サクラ先生に甘々で、ああいう感じで部下にも接してるのかと思ってさ」
「人によって対応は変えますよ。当然でしょう?その時々の立場もありますしね」
「なるほどね」
大和さんは街門に戻っていった。私とマックス先生は東施療院の備品や設備について話をしていた。今でも週1回患者さんの受け入れはしているけど、使ってみないと不足な物や使い勝手が悪い物が分からなかったりする。
「保育室は実際に世話係の人に聞かないとね」
「ぬいぐるみを何体か置いておきますか?」
ミエルピナエのぬいぐるみとクルーラパンのぬいぐるみを出してみた。
「いやいやいや、どうして持ってるの?」
「ルビーさん家のビル君とボブ君にあげようと思って、数日前から入れています」
「どうする?それ、置いていくの?」
「どうしましょう?ビル君とボブ君にはまだありますし、置いていきます」
「まだあるって、どうしてそんなに持ってるの?」
「ターフェイアで作ったものです。王都の子に分けてあげてって言われて、たくさん渡されたんです」
「渡さなかったの?」
「孤児院に寄付しましたよ。まだ余っているんです」
「まだあるって、いったいどれだけ持ってるの?」
「うーん。50~60体位でしょうか?」
ターフェイアでミエティトゥーラプレエールの屋台用に作ったけど、あの後も作り続けて数が増えちゃったんだよね。