566
最初の患者さんは東街門を通ってきた親子。お子さんの方が発熱していた。
「先生、助けてください。娘が急に熱を出してっ!!」
「落ち着いてください。気が付いたのはいつですか?」
「今朝です。王都に来る途中で」
「その前に何か怪我はしていませんか?」
「怪我?してないわ。お願い先生、娘を助けて」
娘さんはすでに首と両脇を冷やしてある。スキャンで原因を探る。
「先生、治る?」
娘さんに聞かれた。
「うん。1つ聞かせて?どこか怪我をしなかった?」
「ママには内緒にしてね?昨日ね、お家を出る前に転んじゃったの」
「もしかして、そのまま?洗ってもいない?」
「洗ったよ?ちょっとだけ」
ちょっとだけ……。
「もう1つ聞かせて?転んだ場所って?」
「お家の近くに沼があるの。その近く」
もしかして蜂窩織炎?怪我の部位は前下腿部。旅装でパンツ姿だから気が付かれなかったんだと思う。受傷部位に発赤、腫れ、熱感、痛みが見られるからたぶん間違いない。全身発熱があるから感染が全身に回っちゃってる。
全身にトキスィカシオンをかける。傷も治したし、後は熱が引くのを待つしかない。休養室で休んでいてもらうことにした。娘さんには内緒にしてって言われたけど、お母さんに原因をお話しする。くれぐれも叱らないようにお願いしておいた。
その後に来る患者さんも東街門を通ってきた人ばかりだ。外傷なら治せるけど発熱や胃痛等の患者さんもいる。その人達は薬師さんに回すしかないけど今は薬師さんが居ない。お昼から来てくれる予定なんだけど。
「薬師さんが早く来てくれると良いんですけどね」
「お昼からですもんね」
時間が空いたからフォスさんと話をする。薬師さんに回す予定の人は休養室で休んでもらっている。一応解熱鎮痛効果のあるハーブティーと安眠効果のあるハーブティーは作れるから、それらは飲んでもらっている。
「サクラ様、何かご用事がございましたら、お申し付けくださいね」
カークさんが東施療院に来てくれて、言ってくれたから、薬師協会に事情を伝えてもらうことにした。すぐに薬師さんが来てくれて、薬湯を処方してくれる。
「遅くなってすみません」
「いいえ。この事態は予想外でした。来てくださってありがとうございます」
「私達も予想外ですよ。知らせてくれて助かりました」
「薬湯を持ち歩く訳にいきませんしねぇ」
「丸薬の研究もしているんですけどね。簡単にはいきません」
落ち着いた頃、薬師さんと話をする。フォスさんも興味深く聞いていた。
一段落したお昼休憩に、大和さん達がやって来た。あちらもお昼休憩らしい。
「中はこうなっているんですね」
「良かったら案内しましょうか?」
フォスさんと薬師さんがみんなを案内して行ってしまうと、大和さんと2人になる。
「気を利かせたのかな?」
「どうでしょう?」
「あぁ、そうだ。ここの業務が終わったら王宮で話し合いをする。やっぱり遅くなりそうだよ」
「分かりました。お夕食を作って待ってますね」
「先に風呂に入ってて良いよ」
「はい」
短い会話の後、そっと唇が重ねられる。
「大和さん、勤務中ですよ?」
「朝から咲楽を避けざるをえなかったんだから、これ位は許して?」
「誰も見てないなら良いです」
「うん。大丈夫そう。近くには居るけど、見てないんじゃないかな?」
「大丈夫じゃない気がします」
大和さん達が戻っていった。ここからは私とフォスさんと薬師さんの3人体制だ。フォスさんは薬師の仕事に興味があるようで、色々と質問していた。
4の鐘が鳴る少し前に、にわかに慌ただしくなった。咬傷の冒険者さんが4人運び込まれた。この傷、トレープールだ。
「フォス先生、トレープールです。魔力判定紙を」
「用意出来ました」
魔力反応が出たのは2人。魔力を吸いとってから施術する。
「全身浄化出来ました」
「トキスィカシオンは?」
「要らないと思います」
冒険者さんの後に騎士様や兵士さんも施療院にやって来た。その人達も施術する。その内の1人から話が聞けた。以前から噂のあったトレープールの討伐を引き受けた冒険者さんが、トレープールを見つけて戦闘開始になった。トレープールは2匹。その2匹をもう少しで討伐できるという時に、横から違う個体が2匹飛びかかってきたらしい。1人が街門に助けを求め、2匹は残った冒険者さん達がなんとか討伐。残るトレープールを街門騎兵士さんが引き受けたという経緯らしい。
「トレープールが増えた時は、どうしようかと思いましたよ」
「増えたんですか?」
「後から来た2匹に、その後から1匹。増援でしょうかね」
「と、いうことは群れが居るって事なんじゃないですか?」
「先生もそう思います?冒険者ギルドに調査員を出してもらわないと」
「調査員さんも大変ですよね」
「ただでさえ危険なのに、トレープールですからね」
兵士さんは帰っていった。
「先生方、私は帰ります。サクラ先生、こちらに一般的な薬湯を1回分ずつに分けておきました。必要なら煎じてください」
「ありがとうございました」
薬師さんも帰っていった。東施療院の患者さんの傾向は掴めないけど、もし内科症状が多ければ体制を考えないといけない。
必要物品は揃っているし、特に何かを追加しないということも無い。
「サクラ先生、ここって寂しくないですか?」
フォス先生が言ったのは待合室の壁龕部分。フルールの御使者の時のミニチュア花馬車が飾ってあるだけだし、寂しいっちゃあ寂しいけどね。
5の鐘になって帰る準備をして、街門の兵士さんに声をかけて帰宅した。
帰宅後、結界具と戸締まりを入念に確かめて、お風呂に行く。肉体的な疲れはないんだけど、慣れない場所だったからか、精神的に疲れた。
壁龕の飾りかぁ。キュアノス領の刺繍はまだまだだし、簡単に出来る飾れる物は無いかな?暖簾でも飾る?
明らかにこの世界には合わない代物を考えて、1人で笑う。絵があれば飾るんだけどな。飾るなら背景になりそうな物が良いよね。
お風呂から上がったら、夕食の支度。今日はシュニッツェル。ヴァーモウ肉を叩いて薄くして、衣を付けて揚げ焼きにする。付け合わせに温野菜サラダを作っていたら、大和さんが帰ってきた。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「風呂に行ってくるね」
「はい」
夕食を作り終えて、刺繍枠をセットしておく。大和さんがお風呂から出てくるまでちょっとだけ刺しておこう。
刺していると、大和さんがお風呂から出てきた。刺繍を置いて夕食にする。
「今日はどうだった?初めての東施療院は」
「内科症状の人が多かったですね。カークさんが薬師さんを呼んできてくれて、助かりました」
「大変そうだったからね。言っておいて良かったよ」
「最初に言っておいてくれたんですか?」
「最初にというか、街門の業務をしていると分かるんだよ。具合が悪そうだな、っていうのが。そういう入門者は隣に施療院があるのを見つけて駆け込んでいくからね。カークに言って施療院に行ってもらった」
「タイミングバッチリでしたよ。本当に助かりました」
「発熱の女の子、行ったでしょ?母親がプチパニック状態でね。隣に施療院があるって担当の兵士に言われて飛んでいったよ」
「ああいう患者さん、たぶん多いんですよね。身体の不調を感じてもそのまま王都入りしちゃうの」
「王都内に入れば施術師にかかれるって分かっているんだろうね。東施療院の事は知らなくても、民間施術院があるのは知っているだろうしね」
「無理はしてほしくないんですけど」
夕食を食べたら、小部屋で寛ぐ。私は大和さんの膝に乗っけられていた。
「大和さん、刺繍をしたいんですけど?」
「俺は咲楽を感じていたい」
「朝の状態から抜け出せたのは分かりますけど。大丈夫ですか?」
「朝の状態ね。どんな感じだったか聞いても?」
「大和さんが何かと戦っていました。周りに熱狂が渦巻いていて、私も巻き込まれそうで少し怖かったです」
「ごめん。やっぱり枷が外れたからかな?」
「枷ですか?」
「『夏の舞』の時、1番近くで居るのは咲楽だ。今までは咲楽を襲っちゃいけないって戒めていたからね。結婚してその枷が完全に外れたのが、今朝だったんじゃないかって思う」
「でも、今までも『夏の舞』は舞ってましたよね?」
「うん。今までも抑えるのに苦労してたんだけどね。今日はもうね……」
大和さんが苦笑する。
「これからもああいう事はありそうですか?」
「分からない」
「分からない、ですか」
「危険だと思ったら逃げてね」
「はい。防御魔法を使います」
「そうして」
「大和さんは苦しくないんですか?」
「うーん。思い通りに動きたいって感情と、それを抑えないとって感情の鬩ぎ合いはあるけどね。苦しくはないよ。しばらくしたら落ち着くし」
「苦しくないなら良いんですけど」
大和さんは隠すのが上手いから、分からない事が多い。理屈じゃなく察してしまう事もあるけど。大和さんはずっと私の髪を撫でている。落ち着くのかな?私の髪の毛は大和さんの精神安定剤?
「咲楽の髪の毛はサラサラで気持ちいいね」
「ちょっと危なくなっていませんか?」
「人に見られたらヤバイよね」
寝室に誘われた。
「トレープールはどうなったんですか?」
「調査次第だね。カークに聞いてみたけど、どこに居るかを突き止めるのが1番大変だって言っていた。トレープールは機動力があるけど、必ず巣があるから、それを突き止めるのに最低で1日はかかるし、その時に警戒されると巣に行かないって可能性が高いから、難しいんだって。隠密スキルと追跡スキルが要るから。魔術のフェアシュテッケンが役に立ちそうだから調査チームに教えているらしいよ。難しいけど、使えたら大きなアドバンテージになるから」
「そうですね。トレープールは機動力がネックですよね。着いていけないと突き止められないし、近すぎても気付かれてしまいますし」
「地属性の索敵やソナーを使えるのが居ないんだよ。カークもなんとかって位だって言っていたし」
「地属性が育ってませんもんね」
「そうなんだよ。ハズレ属性なんて言われて積極的に育てようって人が少なかったからね。急務として冒険者ギルドの調査員には魔術のフェアシュテッケンを習得させるらしいよ。魔術なら属性は関係ないからね。カークが言っていた」
「冒険者ギルドだとカークさんが唯一の習得者ですもんね」
「習得している人自体が少ないからね。俺も習得したけど、使いどころも難しいし」
「大和さん、何に使っているんですか?」
「魔物の討伐時とか、不審者の追跡とか。難しいけど色々使うんだよ」
「そうなんですね」
とは言うもののあまりよく分からない。
「咲楽は?東施療院で何も無かった?」
「そうですね。私の診察室が決まってましたけど」
「決まってた?」
「ミニキッチンが付いていました。ハーブティーを淹れるのに必要だろうからって」
「ターフェイアでやっていたような事をするの?『サクラ先生のお悩み相談室』」
「そんな名前が付いていたんですか?」
「有名だったよ。施術室にいけば悩みを聞いてもらえるって。事情を知っている俺とか上層部はハラハラしていたけど。やりたいようにさせようって話し合って見守っていたけど」
「知りませんでした。反対されなかったのってだからなんですね」
「それもあるけど、最初の彼、レリオだっけ?彼の不調に気付いたでしょ?咲楽が。それまでも報告を受けていて、そこまで深刻だと思ってなかったらしくてね。気軽に話を聞ける場所を作ろうって事になったんだけど、咲楽もやりがいを感じているからターフェイアを去るまでは咲楽に任せようって話していたんだよ。後任をトリアさんが引き受けてくれたから、今も稼働しているらしいよ」
「ターフェイアに行った時に、ハーブの効能を聞かれたのはそれでですか」
「ターフェイアでも薬師との協力体制は出来ているけど、あちらは助言程度らしいね」
「そうでしょうね。今まで完全に住み分けが出来ていたんですから。王都の新施療院は所長と薬師協会が理解を示してくれたのが大きいです」
「咲楽が重要性を説いたからでしょ?」
「私は理想を話しただけですよ。実際に動いてくれたのは所長と薬師協会です」
「それでも思い付かなかった事だからね」
「あ、そうだ。施術師養成学校も作る話が出ているんですって」
「施術師って今まで養成施設がなかったんだっけ?」
「はい。完全に師弟制度だったらしいです」
「あぁ、それじゃ停滞してもおかしくないね」
「そうなんですよ。切磋琢磨するんじゃなくて、狭い世界で完結していましたから。養成施設が出来れば解決する訳でもないですけど」
「はいはい。落ち着いて。寝る前に興奮しないの」
「あ、すみません」
「良いよ。それが咲楽だしね。でも、今日はもう寝よう。疲れたでしょ?」
「精神的にですね。初めての場所でしたし」
「興奮している咲楽も可愛いけどね。おやすみ、咲楽」
「おやすみなさい、大和さん」
駄目だなぁ。この話題になると止まらなくなっちゃう。