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キレスタールのお料理を美味しく頂いたお返しという訳じゃないけど、ファティマさんのリクエストのバージニーリルアを演奏した。バージニーリルアを弾くのは久し振りだったけど、指が動いてくれて安心した。
「天使様、前に聞いた時より腕を上げたんじゃないかい?」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「他には何が出来る?あたしの知らないのは出来るかい?」
「大和さんと一緒なら」
大和さんが来てくれて、事情を話す。
「咲楽の好きなのを弾いて良いよ」
「Brise d'automneとProserpinaと希求繁栄で迷ってるんですよね」
「『ヒュドール』、『アネモス』、『スォーロ』、『フィアンマ』は?」
「それは、良いんですか?」
「かまわないけど?」
「トキワ様、天使様、無理なら良いんだよ?」
「咲楽がやる気になってますからね」
ファティマさんと大和さんが話をしていた。やる気というか、大和さんと一緒にやりたいってだけなんだけどな。
「咲楽、もしかして、2人でやりたかったの?」
「はい」
「それなら希求繁栄かな?他のは季節的にね」
「一緒に良いですか?」
「勿論」
大和さんがトラヴェルソを取り出して、習曲の後、朱暉を吹き出した。懐かしいな。たった2年ちょっと前の事だけど、初めて聞いた時と印象は変わらない。光神様と闇神様の僅かな逢瀬だ。それを他の5柱の神様達が暖かく見守っている。そんな印象を受けた。
「咲楽、用意は良い?」
「はい」
2人でアイコンタクトをして希求繁栄を演奏する。ここに集った人達とそれに関わる人達の幸福を願って、心を込めて弾く。弾き終わると大きな拍手を頂いた。
「暖かい気持ちになったよ。お2人さん、ありがとうね」
「さぁ、ここからは宴会だよ」
ファティマさんが声をかけて、お酒も振る舞われだした。以前ファティマさんが『キレスタールは乱暴者の国』って言っていたけど、あれはこういう事なの?あちらこちらで拳による話し合いが始まっている。絶妙な力加減で怪我をしないように殴っているようだけど。
「驚いたかい?」
「肉体言語による話し合いですか。キレスタールの方達はお強いのでは?」
「あれは日頃溜まった鬱憤を晴らしているだけだよ。本気の殴り合いになってきたら周りが止めるし。キレスタールに居た頃はケンカ祭が年に1回有ったもんだよ」
「ケンカ祭……」
「ここに居れば飛び火はしないから安心しておくれ」
「はい」
あ、棒を持ち出した人がいる。周りの人が上手く宥めて別の棒に取り替えさせた。
「ファティマさん、あの棒って?」
「中に綿が入っているのさ。硬く詰めてあるから多少は痛いけど、怪我はしないようになっている」
「考えているんですね」
「そうじゃないと流血沙汰だからね。昔は本当に木の棒を使っていたらしくて、何人もが死んだってあたしの大バアちゃんが言っていたよ。それを避けるために考えられたのが、あの殴り棒。目的がケンカ祭で人を殴打する為ってぇのがなんともキレスタールらしいねぇ」
「あ、エリジェ様が参加した。良いんですか?」
「ご本人も楽しんでるようですから」
ワフシュ様が答えてくれた。
「相手は誰ですか?」
「あぁ、弟君ですね」
「つまりは兄弟ゲンカですか」
「弟君も負けていませんからね。公爵家でよく殴りあってました」
ワフシュ様の上司だという人が懐かしそうに言う。殴り合いがコミュニケーション手段ってどうなの?
ムラード工房の人が走ってきてムラードさんに何かを言う。ムラードさんが億劫そうに席を立った。
「トキワ様、ちょっと良いですかい?」
「どうかしたのか?」
「騎士団が来ちまった」
「通報されたのか。この騒ぎなら仕方がないか」
大和さんがムラードさんと一緒にムラード工房の方に歩いていく。しばらくして戻ってきた2人の後ろに、チコさん達が居た。3人は騎士服だけど、2人は私服だ。
「見ての通りだ。『棒で殴りあって』と言っても怪我をしないように配慮されているし、施術師も居る。心配はない」
「ヤマト隊長が出てきた時点でそれは理解しました。ただまぁ、通報されてしまいましたので」
「俺もこうなるのは予想外だった」
「奥様までご覧になっていると思いませんでした」
「咲楽は楽しんでいる訳じゃなくて、負傷者が出た場合に備えているだけだ。こういった事は彼女はあまり好きじゃないようだし」
「天使様ですからね」
「ほら。もう帰れ。報告があるんだろう?」
「はい。では失礼します」
チコさん達は帰っていった。
「通報されちゃったんですか?」
「知らない人から見たら、ただの殴り合い、ケンカだからね。ここは通りから丸見えだし」
「殴り合いでコミュニケーションを取っているとは思いませんよね」
あ、セルマンさんが参戦した。セルマンさん1人に4人掛かり?セルマンさんはサンクルジャンランクだし、ハンデ戦かな?
「盛り上がってるね」
「そろそろ止めた方がいいんじゃねぇか?」
「でも、どうやって?」
何人かの視線が大和さんに向けられた。
「まったく。ワフシュ殿、手伝っていただきたい」
「あ、あぁ」
ワフシュ様と一緒にセルマンさん達の所にたどり着くと、大和さんが無造作にセルマンさんとまさに殴り合いをしようとしていた男性の手首を掴んだ。さらに殴ろうとしたセルマンさんの反対側の腕も掴んで止める。何事かを言うとセルマンさんの手から力が抜けた。対戦相手の人達はワフシュ様が大人しくさせていた。良かった。収まったみたい。
エリジェ様が着崩れた格好でケンカ祭の閉幕を告げる。弟様との殴り合いでぼろぼろになっちゃったんだよね。
「皆の者、楽しかったか?日頃の鬱憤は存分に晴らせたか?今日はアプトの料理に故郷を思い出した。セルマンの話に年甲斐もなくハラハラした。さらにはケンカ祭というこの国では味わえないであろう興奮を味わわせてもらった。礼を言う。さらには素晴らしき演奏を聞かせてくれた黒き狼と天使様、トキワ殿とサクラ先生に惜しみ無い拍手を贈ろう」
たくさんの拍手を頂いて頭を下げる。
「エリジェ様、ケンカ祭の開催は闘技場をご利用ください。あそこは今は何も使っておりません。申し込みをしていただければ誰でも使えますよ。それなら通報もされません。入場料を取れば賃料も賄えますしね」
大和さんが笑顔でエリジェ様に進言していた。
「おぉ、良い事を教えてもらった。皆の者、またやろうぞ!!」
楽しそうなエリジェ様とムラードさん達に挨拶をして、西のバザールへ向かう。今日のお夕食は何にしようかな?
西のバザールにはイリコが売っているから時々大量購入する。家のイリコの消費率は多い。和食にはイリコ出汁を使うから、あらかじめ大量に作って凍らせてストックしている。鰹節出汁とか昆布出汁とか欲しいんだけど、鰹節は無いようだし、昆布は北方からの輸入品で物凄く高い。ラミナリアという名前で売っていたのを一度見たけど、50cm位で小金貨2枚だった。あれは売れたんだろうか?
イリコは出汁を取ったら油で揚げて南蛮漬けのようにして食べている。消費しきれなければスライムさん行きだけど。きょうのお夕食は薄切り肉と野菜の重ね蒸し。付けダレはお馴染みのナツダイポン酢。そろそろ天然酵母を起こそうかな?レザンを見つけたから考えていると、大和さんがスッと離れた。珍しい。いつも側に居てくれるのに。
「咲楽、迷子を送ってくるけど、一緒に行く?」
「行きます」
大和さんにしっかりしがみついているのは、3~4歳位かな?金髪の男の子だ。
バザールの事務所のような場所で、大和さんが事情を説明して子どもを預けた。直後に女性が走り込んできた。
「坊やっ!!ごめんね、ごめんねぇ。怖くなかったかい?」
「こちらの騎士様が連れてきてくれました」
「騎士様?」
女性が大和さんを見上げる。どこか縋るような目をしているのが気になった。
「どうかされましたか?」
「い、いえ。何でもありません」
何でもありませんって風には見えないけど。何も言ってくれない以上、私達には何も出来ない。
「それでは失礼します。何かありましたらお声掛けください」
後半を女性に向けて言うと、大和さんはその場を離れた。私も大和さんを追う。
「大和さん、良いんですか?」
「良くないよ」
周りを見渡して、冒険者さんに指示をしたら、その場を離れた。えっ?何?
「大和さん?」
「このまま帰るよ」
ほとんど会話せずに家まで帰った。大和さんは真剣な顔をしていてなんだか話しかけ辛かった。
「何があったんですか?」
「情報を集めてから話す。夕食の用意をしておいて。先に風呂に行ってくるね」
大和さんは若干急いでお風呂に行った。急がなきゃいけないのかな?私も夕食を急いで作る。
「急がなくて良いのに」
お風呂から出てきた大和さんが苦笑する。少しして結界具が反応する。大和さんが対応して、庭に回ったようだった。何をしているかは分からない。話し声は聞こえるけど、不明瞭だから内容は分からない。
お夕食が出来ても大和さんは家の中に入ってこない。大和さんは庭にいるし、お風呂に行ってしまうことにした。
キレスタールの人達、楽しそうだったな。ケンカ祭には驚いたけど。肉体言語が対話の手段ってなんなのよ?その国独自の文化を否定はしないけど、ちょっとなぁ?って思ってしまう。ただその一点だけ首を傾げる感じだったけど、お料理は美味しかったし、バージニーリルアのように陽気に踊ったりして、「キレスタールは乱暴者の国」って聞いていたけど、実際は陽気な人達の国なんだと思う。たまにコミュニケーションの手段が肉体言語になるってだけで。
お風呂から出ると、小部屋で大和さんが居てくれた。
「お話は終わったんですか?」
「うん。夕食にしよう。待たせてごめんね」
「何のお話だったんですか?」
騎士団絡みなら話してくれないだろうなぁ。
「最近、学齢前の幼児の誘拐が増えている。さっきの親子には冒険者を護衛に付けさせた。何事もなく帰ったって報告だよ」
「それなら良かったですけど。幼児の誘拐ですか?」
「うん。ただ、金銭の要求は無いし、何かの取引って訳でもない。大抵の親は数日探して諦めるし、なんだか妙なんだよね」
親が数日探して諦める?確かに変だよね。私のように放置されていたならともかく。
「それって本当に親子ですか?」
「届けでは血縁関係有りになってるよ。届け出の時に国民証を確認するから、それは間違いないと思う」
「でも、これって偽造出来そうですよね?」
「国民証の偽造は犯罪だよ?」
「知ってますよ。国民証の形のプレートに、例えば地属性で刻印したら、似たような物は出来ませんか?」
「出来るかもしれないけど、無理じゃないかな?材質がね」
「騎士団の確認って見るだけ、ですよね?」
「パッと見で誤魔化せれば良いってことか」
夕食を食べ終えて、小部屋で刺繍道具を出す。大和さんは隣で本を読んでいた。でも、集中してないよね?ページが進んでいないし、考え込んでいるし。本を読みながら考え事って出来るんだ。凄いなぁ。
場違いな事を考えながら針を刺す。夕日に染まった海の色を再現したいけど、色合いが難しい。朱色やバラ色に染まった海の色は再現出来ない。なるべく近い色を選んで刺していく。
「咲楽、そろそろ寝室に行くよ」
「もうそんな時間なんですね」
時計は6の鐘前。刺繍道具を片付けて寝室に上がる。
「咲楽に頼みがあるんだ。施術の時に幼児誘拐事件の話題を出して欲しい。それでどういう話が出たかを教えてもらえないかな?」
「別に構いませんけど。個人情報は隠して良いんですよね?」
「うん。ごめんね」
「情報が漏れるって事も考えられますけど」
「箝口令は強いていないし、別に構わないよ。誘拐を仄めかすことは言わないで欲しいけど」
「分かりました。大和さんの名前は出しても良いですか?」
「良いよ」
「じゃあ、迷子を見つけて大和さんと騎士団へ送っていったって話にします。西のバザールとかって場所の特定は避けますね」
「張り切りすぎないでね」
「気を付けます」
「誘拐事件の事を話して、怖くない?」
「誘拐事件=怖いっていう感情を封じて貰ってますから、そこまでじゃないです」
「それなら良いけど」
「私は大和さんの方が心配です」
「俺?」
「だって大和さん、まだ自分を許してませんよね?」
まじまじと見つめられた。
「ヤバい。俺の奥さんが超可愛い」
「何を誤魔化したんですか?」
「襲いかかる手前で自重した」
そういう感じじゃなかったけど。
「言いたくないんですね?」
「咲楽には俺の感情を見透かされている気がする」
「最初の頃は全く分かりませんでしたけどね。ずっと大和さんを見ていましたから、なんとかって感じです」
「咲楽は最初から分かりやすかったけどね」
「そんなに顔に出ていましたか?」
「俺からすればね。他の人には分からなかったと思うよ」
そっと口付けられる。抱き締められたまま横になった。
「おやすみ、咲楽」
「おやすみなさい、大和さん」