554
「あら、違うのよ。ご家族に着いて任地に行っちゃったとかね。そういう事よ。魂の休息所に行っちゃった友人もいるけどね」
あっけらかんとパメラ様は笑われた。そうか。私はお亡くなりになったのじゃないならまた会えるかもって思っちゃうけど、ここじゃ気軽に旅行は行けないんだよね。
パメラ様の施術の後にも常連さん達が次々と訪れた。私が居ない間は主にフォスさんが診ていてくれていたようで、悪化している人は居なかった。
「今日は嬢ちゃんが居たんだな。おっと、もう嬢ちゃんじゃねぇな」
そう言いながら入ってきたのはオスカーさん。真っ赤に染まった布で左手を押さえている。
「どうなさったんですか?」
「手が滑ってな。ザックリいっちまった」
「木材を加工していたら、イードルヴィンド発生機に手を接触させたんですよ。辺り一面に血が飛び散って、修行に来ていた若いのが真っ青になってました」
着いてきていたミゲールさんが説明してくれる。
「イードルヴィンド発生機?そういうのがあるんですね」
「知らなかったのけぇ?細工師や木工師しか使わないやね。アタシの所にあるのは小さいものだが、丸太を加工出来る物もあるからね」
「神経や腱に傷は付いていませんね。良かったです」
「おぉ、そうだ。嬢ちゃん、贈った魔道具の使い心地はどうだい?」
「とても使いやすいです。ありがとうございました」
「イードルヴィンドとプティトルナドをごく小さくして発生させる物をって、あれは何に使うんですか?イードルヴィンドだけなら大型の物は肉屋に有りますけど。しかも威力は弱くて良いんでしょう?」
「お料理に使うんです。材料を細かくして混ぜ合わせる時に使います」
私がオスカーさんに頼んだのはフードプロセッサー。ミンチも作れるし他にも色々出来る。オスカーさんの所からは他に小型プティトルナド発生器付き鍋とヴァンティラトゥールもいただいた。全て街の人達のご厚意だ。
「嬢ちゃんの結婚祝いの祝儀はまだ残ってるんだが?」
「今は特に思い付きません」
「後はダンナに頼まれた魔道風景切取機だな。近所の若ぇのがある程度まで完成させちゃあいるんだがな。もう一歩が足りねぇ」
ピンホールカメラは成功しているけど、魔力紙が要るし鮮明な像が撮せない。それにオスカーさんが目指しているのは動画撮影の方。いわゆるビデオだ。カメラの方はアーロンさんが開発中らしい。オスカー企画は細工師ばかりだから、魔道具は専門外。それでもアイデアは魔道具師に話したりしているらしい。仕事柄魔道具師に知り合いは多いんだって。
3の鐘になった。休憩室に移動する。途中の給湯室でドロテさんが何かをしていた。
「ドロテさん?休憩しませんか?」
「もう少しお待ちください。ヴァッサーゲルステがもう出来ますから」
「ヴァッサーゲルステ?」
「ほら、言っていた大麦のお茶ですよ」
ヴァッサーゲルステっていうんだ。
ドロテさんと一緒に休憩室に行く。
「サクラちゃん、遅かったわね」
「ドロテさんのヴァッサーゲルステ作りを見てました」
「後はお豆だったわね?」
「あ、はい。これです。アリティナムのスープ」
スプーンで持ち上げてくれたアリティナムはどこかで見たようなお豆だった。ん~?あ、ひよこ豆。ガルバンゾとも言われている豆で、大和さんが好きだって言っていたっけ。
「サクラ先生?このアリティナムもご入り用ですか?」
こくこくと頷くとライルさんに笑われた。
「食べる量は少ないのに、そういう物には興味があるんだね」
「すみません。大和さんが好きだって言っていたので。以前食べて美味しかったんだけど、王都じゃ見なくって諦めたらしいです」
「アリティナムの粉でパンケーキも焼くんですよ」
「アリティナムの粉で?」
「はい。明日持ってきましょうか?」
「良いんですか?」
「アリティナムは明日には無理ですけど、粉はありますから」
「ありがとうございます」
「ドロテ先生、どうかな?自信がないって言っていたけど、慣れた?」
マックス先生がドロテさんに聞いた。
「今日はなんとか。朝から天使様と黒き狼様に会えた喜びで緊張する暇がありませんでしたから」
「ハハハ……。良いのか悪いのかだね。家の方は落ち着いたの?」
「手続きがもう少しありますが、今は家主の好意で居候させてもらっている状態です」
居候?家主って?
興味はあるけど、踏み込めない。後でもう1回資料を読み返しておこう。
「失礼します。ライル先生、サクラ先生、ご予約のお客様がお見えになりました」
受付のお姉様の声に席を立つ。
「悪いね、サクラ先生。復帰初日に」
「いいえ。大丈夫です。今日の方はどのような方ですか?」
「今日は……。あぁ、居た居た。フリカーナ領の隣のミモルファ領の騎士だった女性」
「女性騎士様ですか。格好いいですね」
キリッとしたお顔で姿勢よく立っている。惜しむらくはちょっとバランスが?
「座っていてって言ったのに」
「フリカーナ様のお言葉ですが、習慣となっておりますので」
「まぁいいや。彼女がサクラ先生。今日診てくれるのはサクラ先生だよ」
「分かっております。よろしくお願いいたします」
待合室には女性騎士様以外に、まだ若い男性と老年期に入った男女が居る。
「彼等はフリカーナ領の元庭師の夫婦と、若い彼はフリカーナ領の門兵だね。確か賊の襲撃を受けた時に一番最初に応戦したんだっけ?」
「はいっ」
「彼等のお陰で領は平和だからね。お願い出来るかな?」
「分かりました」
「それではこちらの薬湯をお飲みください。飲んですぐに傷痕がムズムズすると思いますが、心配はありません。その後で施術をさせていただきます」
施術師の顔になったライルさんが説明をしている間に、薬湯を配る。全員が飲んだのを確認して診察室に案内した。
「傷痕を見せていただけますか?」
女性騎士様に話しかける。傷痕は右の側腹部から大腿部にかけて。30cmはある大きな傷痕だ。
「姫様を狙った賊にやられました」
端的に言って、後は口を引き結ぶ。経緯は言いたくないんだと思う。
「そうでしたか。姫様はご無事でしたか?」
「仲間が離脱させてくれましたので。ただ、私を見る度に姫様が悲しそうなお顔をされるのです。ですので騎士を辞めました」
「お2人ともご無事で良かったです」
丁寧に施術していく。やがて傷痕は綺麗に消えた。
「傷痕が……。ありがとうございました」
診察室を出ていった女性騎士様を見送って、次は庭師のご夫婦をお呼びする。
「老い先短い身ですから、このままでも良いですのにねぇ。坊っちゃまにもそう言ったのですが長年の苦労に報いたいと仰せられて。優しい坊っちゃまです」
「ライル様はご自分には厳しいお方ですけれど、お優しいですよね」
「えぇ、えぇ。そうなんです」
庭師の奥さんの傷痕は刃物で付いた背中の傷。刃物で?庭師の奥さんが?しかもたくさんあるけど。
シカトリーゼをかけて施術を終える。笑顔で帰っていくご夫婦を見送っていると、ライルさんに話しかけられた。
「不思議に思ったでしょ?庭師の夫婦に刃物傷がたくさんある事に」
「えぇ。どうされたんですか?」
「彼等はいわゆる影の人達だよ」
「影?ってもしかして御庭番とか?」
「御庭番って?」
「えっと、あちらの昔の職業と言いますか、諜報活動をしていた人達です」
時代劇でやっていた知識しかない私。忍者の役割って諜報活動が主だよね?
「おおむね合ってるよ。諜報活動とか裏の身辺警護とかだね」
診察室に戻りながらライルさんと話をしていた。
「あの女性騎士様、騎士に戻れるでしょうか?」
「どうだろうね?彼女の意思次第だろうね。でも、離れて何年も経ってるしね」
「お怪我をされたのはいつなんですか?」
「聞かなかったの?珍しいね」
「言ってもらえなかったんです」
「そうか。言いたくないんだろうね。あの事件は今から10年ちょっと前だよ。僕が学園を卒業した年だったから」
「10年前って、姫様はおいくつだったんですか?」
「あの時、たしか10歳だった。学園に入る直前だったんだよ」
「お命を狙われたんですか?」
「命を狙ったと言うより、傷物にしたかったらしい。そうすれば婚姻に支障をきたすって考えたんだろうね。その辺の事情はよく知らないんだよ。貴族令嬢にしてみればずいぶんな醜聞だしね」
「貴族って……」
「嫌になるでしょ?」
力無くライルさんが笑った。
お昼からの診察は飛び込みの患者さんが多い。多いとは言っても今日は雨天だからかいつもよりは少ない。
「天使様」
「リディー様?」
「卒業しました。またよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「ご結婚されたんですよね?おめでとうございます」
「ありがとうございます。リディー様はいつからですか?」
「次の光の日からですの。当分は所長に着いていただきます」
「そうですか。卒業してから今日までは何をしていらっしゃったんですか?」
「挨拶回りですわ。主家筋ですとか縁戚関係ですわね。後は友人と会っておりました」
「お忙しかったんですね。あ、そうだ。これ、新婚旅行のお土産です」
リディー様に渡したのは、キュアノス領で大和さんが海底から拾ってきた珊瑚で作ったチャームとドライフラワーを固めたチャーム。
「天使様、こちらは……?」
「作りました。私とローズさんは緊急呼び出し装置を入れるサコッシュに付けてます」
「お作りになりましたの?」
「結婚休暇で時間がありましたから」
5の鐘になって、施療院を出る。リディー様は私達が帰るのを待っていたようで、お付きの侍女さんと一緒にガゼボで話をしていた。
「リディアーヌ様、待ってらしたの?」
「はい。ご迷惑でしたでしょうか?」
「私達は迷惑ではないけれど。お家の方は?」
「今日は遅くなると言ってきましたもの」
侍女さんが苦笑している。ドロテさんがリディー様を見て目を丸くした。
「リディアーヌ様?」
「ドロテ様、お久しぶりでございます」
「まぁまぁ、お綺麗になられて。学園はもうご卒業されましたの?」
「はい。先の月に。次の光の日からこちらでお世話になります」
「リディアーヌ様がお働きになられるの?」
「私、属性が光だけですので、なんとか身を立てたいと思いまして。ローズ先生に教えていただいておりましたの。それにここには天使様がいらっしゃるんですもの」
「あのご令息とはどうなさいますの?」
「婚約はまだですけれど、話は進んでおりますわ。あの方は私が施術師になると言いましたら、応援してくださっております」
リディー様、婚約間近な方がいらっしゃるんだ。
「ドロテ様こそお家の方は大丈夫ですの?」
「後はもう少し手続きがありますが、落ち着きましたわ。奥様にお世話になったとお伝え願いますか?後日お伺い致しますと」
「分かりましたわ」
何かがあったんだろうけど、聞けないよね。
王宮への分かれ道で大和さんが待っていてくれた。
「おかえり、咲楽」
「大和さん、お疲れ様でした」
「トキワ様、お久しぶりでございます」
「マソン嬢、お久しぶりです」
「兄が先日の事でお礼を言っておいてくれと申しておりました」
「騎士として当然の事をしたまでです。礼などよろしいですのに」
「そう言うだろうけど、と申しておりましたわ」
うふふ、とリディー様が笑われた。
みんなと別れて帰路につく。
「何があったんですか?」
「西街で破落戸に絡まれていたから救出しただけだよ」
「西街で?」
「治安が良くない地域だね」
「そんな地域にリディー様のお兄様は行っていたんですね」
なんとなく会話が続かないまま家に着いた。夕食はキノコのパスタ。見た目を気にする大和さんの為にラングピルツとシータクウェを選んだ。それと新たに見つけたフングスオウムというキノコ。見た目は白い卵形の幕に包まれた大きなナメコ。ヌメリはない。売っていた人のおすすめの食べ方はソテー。
結論から言うとものすごく美味しかった。一応トキスィカシオンはかけたよ。大和さんの目の前で。
「アウトゥって感じだね。旨い」
「大丈夫だって言っているのに、トキスィカシオンをかけさせるんですから。しかも目の前で」
「記憶って厄介だよね」
「どなたか毒キノコでも食べちゃったんですか?」
「傭兵時代に近所のガキ達がキノコで中毒起こして、病院に運んだ。それが忘れられなくてさ」
「あぁ、そういう……。1種のトラウマですよね」
それなら仕方がないよね。
夕食を食べ終えて寝室に上がる。
「今日はどうだった?」
「順調でしたよ。お出迎えされました」
「誰に?もしかして患者かな?」
「はい。その為だけに集合してくれたようです」
「さすが咲楽」
「大和さんは?」
「通常通り。ギタールを自慢されただけだね」
私の足に頭を乗せて膝枕をしながら髪の毛を弄ぶ。
「疲れたでしょ?もう寝ようか」
「そうですね。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」