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ターフェイア領から帰って5日目。今日は空の月の第2のみどりの日。結局ターフェイアには1週間滞在した。飛行部隊の訓練は……。「離着陸も安定してきたから、後は各自で」と大和さんが言っていた。「訓練内容はマニュアル化してきたし、魔術師連にも協力要請をするようにと申し送ったから、大丈夫でしょ」だって。その代わりにターフェイア領の騎士が2人、王都に派遣されるらしい。ルブライト騎士団長様が、今後も各領の飛行部隊の為の騎士の派遣は続くんじゃないか、と言っていた。グリザーリテからも打診が来ているらしい。
メオハ村にも行ってきた。ライの実農家さんでジャンを購入して、サラザン農家のスヴェン君を訪ねた。スヴェン君はアウトゥに収穫するサラザンのお世話をしていた。それをハンネスさん達が手伝っていた。
「ライの実の収穫には来るのか?」
「その頃には王都に帰っている」
後5日ですからね。
「スヴェンの剣術はずいぶん上達したぞ。今年の騎士登用試験はかなり期待が出来る」
「ほぅ。楽しみだな」
大和さんとハンネスさんが話していた。
結婚休暇が開けて、初の出勤となる。外は雨らしい。
「咲楽、おはよう」
朝起きると大和さんの顔が目の前にあった。久しぶりだなぁ。寝起きドッキリ。
「おはようございます。雨ですか?」
「うん。瞑想をウッドデッキでやったら気持ち良かった」
「それは良かったですね。そろそろ起きたいんですが?」
「おはようのキスはいかがですか?」
「御遠慮申し……。その捨てられた仔犬のような目、止めてもらって良いですか?」
「仔犬のような目って。犬種はなんだろう?」
笑いながら身体を起こしてくれたから、ベッドから出て、自室で着替える。
「大和さんが犬だったら?何でしょう?ドーベルマンとかシェパードとかでしょうか」
「そのチョイスの真意は?」
「猟犬?」
「何それ」
大和さんと一緒にダイニングに降りる。
「俺って猟犬のイメージ?」
「イメージというか、シベリアンハスキーとかアラスカンマラミュートとか、見た目は少し怖いけど優しい感じは似ていると思いますよ」
「咲楽はネコちゃんだもんね。そういえばこの頃白ネコパジャマ着てないね」
「あれは封印中です」
「ケモ耳カチューシャも勧められてたよね?」
「あれは封印以前の問題です」
「似合いそうなのに」
朝食と昼食を作りながら会話する。
「大和さん、オオカミ耳、着けます?」
「はい。すみません。もう言いません。でも白ネコパジャマはまた着てね。初夜の時のセクシーネグリジェでもいいけど」
「もぅっ!!朝から止めてください」
いつもなら朝食と昼食を作った後は庭に出る。その後離れに行って食欲増進のハーブティーを作っていたんだけど、雨、なんだよね。
「どこに行くの?」
「離れに。食欲増進のハーブティーの薬草を取りに行かないと。ちょっと行ってきます」
「俺も行くよ。あっちで朝食を食べよう」
傘をさして離れに行く。板戸を開けて薬草部屋から材料の薬草を持ち出して、水屋でハーブティーを淹れる。
「お待たせしました」
「食べようか」
広縁でお膳に朝食を並べて待ってくれていた大和さんと向き合って、朝食を食べ始める。
「大和さん、ウッドデッキで瞑想って、もしかして濡れながらだったんじゃ?」
「そうだよ?その後シャワーを浴びたから大丈夫だよ」
「それなら良いんですけど」
「地下でトレーニングをしてから瞑想だったからね」
「ターフェイアから来た騎士様達はどうですか?」
大和さんは王都に帰ってきてから、アインスタイ騎士団長さんに泣き付かれて飛行部隊の訓練のみ指導に行っていた。アインスタイ騎士団長さんは「協力を要請しただけ」って言っていたけど、けっこう必死だったと思う。
「飛行装置だけ俺が見てるけど、まぁまぁなんじゃないかな?編隊飛行とか必死にメモを取っていたし」
「あの人達がターフェイア領の飛行部隊の隊長になるんでしょうか?」
「さぁね?俺は地球での経験があるから編隊飛行とか考えて実行出来るし、ミエルピナエ達が協力してくれるから、訓練も出来ている。実戦にはまだまだだけど偵察に使うらしいし、あれ以上をってならないと思うから、彼等でも飛行部隊の隊長は勤まるだろうね」
「グリザーリテからも来るって聞きましたけど」
「昨日着いたって聞いた。今日から訓練開始かな?」
「施療院も新たな研修生を受け入れているらしいです」
「新人?ベテラン?」
「ローズさんから聞いたんですけど、施術師になってからは長いそうです。ただ、実務経験が乏しいって」
「施術師になってから長いのに、実務経験が乏しい?何をしてたの?その人」
「領城勤めだったそうです」
「へぇぇ。そんな人でやっていけるの?」
「書類審査が通ったって事は問題は無かったんでしょうけど」
「平民を見下さない事って条件も入っていたっけ?」
「はい。西と東に配属になると、患者さんはほぼ平民ですから、特に東施療院は他領からの方も多いでしょうし、階級で差別する人はやっていけないと思います」
「元領城勤めだったからって考えの人じゃないといいね」
「そうですね」
朝食を食べ終わって、母屋に帰る。大和さんが食器を洗ってくれている間に着替えに上がった。出勤用の服に着替えて髪を纏める。リップを塗ってサコッシュを持ったら階下に降りる。
「おはようございます、サクラ様。今日から再出勤ですね」
「おはようございます、カークさん。施療院について、何か聞きました?」
「特には。今施療院に来ている施術師がエイラト伯爵領からだと聞きました。ずいぶん自信無さげだったと冒険者が話しておりました」
「自信無さげなんですか?」
「緊張していた感じだと言っていましたが」
「お待たせ、出ようか」
大和さんが降りてきて、3人で出勤する。
「カーク、今日は昼までは王宮内で座学なんだが」
「かしこまりました。お茶の用意をしておきます」
「あぁ。人数は俺を含めて5人の予定だ」
「5名様ですね」
「昼からは東の草原に行く」
「飛行部隊の訓練ですか。分かりました」
「カークさんって座学の時にお茶を淹れているんですか?」
「サクラ様ほど上手くは淹れられませんが」
「紅茶だけですか?」
「コーヒーも淹れてくれるけどね」
「トキワ様の満足する味にはほど遠いですが」
「あれは数をこなして慣れていくしかないんだ」
「精進いたします」
王宮への分かれ道まで来た。
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん。そちらは?」
王宮への分かれ道にはライルさんとローズさんの他に、ジャクリーンさん位のちょっとオドオドした女性が一緒に居た。
「ドロテ・セグールさん。ジェイド商会の近くにお家があるのよ」
「ほ、本物っ?ド、ドロテです。あの、よろしくお願いします」
「サクラ・トキワです。こちらこそよろしくお願いします」
「ヤマト・トキワです」
感激した感じのドロテさん。セグール様の方が良い?
「セグール様、サクラをよろしくお願いします」
「セグール様だなんて。ドロテで良いです。もうすぐ貴族じゃなくなりますから」
「えっ?」
貴族じゃなくなる?
「サクラちゃん、そろそろ行きましょ?」
「じゃあね、咲楽」
「はい。行ってきます」
施療院に向かう。
「天使様と黒き狼様って本当に実在したんですね」
「だから言ったじゃないですか。サクラちゃんは王立施療院所属の施術師だって」
「伯爵様から黒き狼様とお会いしたとお聞きしましたけど、本当だと思えなくて。なんだか伯爵様は考え込んでおられましたし」
「大和さんと会ったって、いつですか?」
「2年前の学園都市だと聞きました。奉納舞があるからと伯爵様もアインスタイ領に赴いておられて」
「2年前?って、騎士団対抗武技魔闘技会のご褒美?」
「そうだよ。何か有ったって聞いたけど」
「あれでしょうか?あの……」
「たぶんそれだと思うよ」
あの時に会っていたって事?大和さんから聞いていないってことは、騎士団絡み?たしか揉め事を起こした貴族の子息が居たんだよね?私は見ていないけど、リディー様達が何かあったらしいって教えてくれた。ライルさんが言葉をぼかしたのはあまり名誉な事では無いからだと思う。
「何があったの?」
「私にはよく分かってないんです」
「サクラちゃん、しばらく王都を離れていたわよね?ターフェイア領に行っていたというのは聞いたけど、ターフェイア領にも新婚旅行で行ったの?」
困っちゃった雰囲気を察したのか、ローズさんが話題を変えた。
「新婚旅行というか、あちらでのお披露目会に招待されちゃって。それが終わったら大和さんが騎士団から頼み事をされて、それであちらに滞在してました」
「じゃあ、サクラちゃんは放っておかれたって事?」
「私も協力してました。魔法関係でですけど」
「何をしていたの?」
「救助要員?」
「救助ってトキワ様は何を頼まれたのよ?」
「もしかして飛行部隊関係なのかな?」
「そうです」
「飛行部隊?」
ドロテさんが不思議そうだ。
「エイラト領ではまだなのかな?もう少しこちらにいるんでしょ?闘技場とか東の草原で訓練をしているから見に行けば良いよ」
「はい。フリカ……。っと。ライル様」
「さん、で良いんだけどね」
ライルさんが苦笑する。
「エイラト伯爵領って穀倉地帯なんでしょう?良いわよね。見てみたいわ」
「穀倉地帯って麦だけですか?」
「小麦、大麦、ライ麦、オーツ麦を作っています。後は、アワ、マメ、キビ、キヌアなんかも作られています。大麦をお茶にしたりもするんですよ」
大麦をお茶にって、麦茶?飲んでみたい。
「サクラちゃんの目がキラキラしてるわよ?」
「なにか思い付いたようだね」
「ドロテさん、大麦のお茶って?」
「大麦を煎って煮出すんです。お飲みになりますか?」
「是非っ」
「ずいぶん食いつくわね」
ローズさんが呆れている気がする。
「施療院に着いたらお飲みいただけますが?」
「お昼休憩の時でも良いですけど」
「では、お昼休憩の時に。天使様はこういった物がお好きなのですか?」
「サクラと呼んでください。はい。好きですね」
「ライ麦はどうですか?パンを焼くしか使われないんですよね」
「ライ麦クッキーとかライ麦ケーキ?」
「クッキーは試したのですけど薄焼きしか作れないんですよね。今流行ってる絵入りクッキーは黒っぽくなっちゃうから上手くいきませんし」
「そっか。ライ麦粉だと黒っぽくなっちゃいますね。でも、サクサクするクッキーが作れそうですけど」
「あら。それって美味しそう」
施療院に着いて、更衣室に向かいながらローズさんが言う。
「サクラちゃんは作るのが好きなのよね。自分じゃあんまり食べないのに」
「仕方がないじゃないですか。今は戻ってきましたよ?」
「お披露目会ではあまり食べてなかったものね。元々食べる量が少ないのに。でも、サクサクのクッキーって食べたいわぁ」
ローズさんがまっすぐに私を見て言う。
「ローズさん、作ってほしいんですか?ライ麦粉が無いから無理ですよ?」
「手に入りますよ?」
ドロテさんが言った。
「え?」
「王都にはエイラト領からの移住者の集まりがあるんです。そこで手に入ります」
「そんな所があるんですね」
「アリティナムもありますよ」
「アリティナム?」
「豆の1種ですね。スープにしたりします。今日のお昼に持ってきているんですよ」
「見せてください」
「本当にお好きなんですね」
ドロテさんにクスクスと笑われながら診察室に行く。待合室を通る時にやけに沢山の患者さんが居るなぁと思ったら、一斉に拍手をされた。
「サクラ先生、結婚おめでとう」
「サクラ先生、復帰、待ってたよ」
口々にかけられる祝福と、復帰を喜んでくれているみんなの声。
「皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げると、所長の声がした。
「やれやれ。患者ではない者まで集まりおって」
「お邪魔しましたぁ。仕事に行ってきまぁす」
待合室に居た約1/3の人数が居なくなった。唖然としていると、所長に声をかけられた。
「サクラ先生、おかえり」
「またよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
診察が始まった。最初の患者さんはパメラ様。イスパニョーレ元男爵夫人だ。
「お久しぶりね、シロヤマちゃん。ダメね。もうシロヤマちゃんじゃないわ。サクラ先生って呼ばないとね」
「名前が変わっただけって認識なんですけどね」
「私もそうだったわ。この人と一緒に寝起き出来るって嬉しかったのも……。あら、あなた?何を照れていらっしゃいますの?」
イスパニョーレ元男爵様が真っ赤になっていらっしゃる。
「お若い先生に聞かせる話でもないだろう?」
「良いじゃないですか。最近ではこういう話も出来なくなっちゃって。仲良しの奥様方もずいぶんと居なくなっちゃって」
「居なくなられたってその……?」




