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王都に戻って10日目。今日は実りの月第5の木の日。
今週の光の日に施療院に行って、キュアノス領のお土産を渡してきた。その時にイグナシオ君の帰郷の同行を頼まれた。木の日にターフェイアに向かうと言うと、研修を前日のみどりの日に終わらせるということで話がついた。イグナシオ君は無事にホームシックも克服して、元気に頑張ったらしい。元々グリザーリテのキタール施術師の元で修行をしていて、施術に問題が無かった事、人当たりもよくて懸命である事が評価された。
私と大和さんは今日と明日はターフェイア領でお泊まりの予定。イグナシオ君はターフェイア領にお迎えが来るようだ。今日の2の鐘に王都を出る予定にしている。イグナシオ君は騎獣屋でピヨーリを借りるそうだ。私は大和さんの前に乗せて貰う。大和さんが操るのはもちろんエタンセル。2の鐘前に北街門に集合だ。
大和さんは帰ってきた翌々日からランニングを再開した。今日も朝から走りに行っている。カークさんとユーゴ君は私達より早く帰ってきていて、すでに仕事に復帰している。ユーゴ君はお母さんの様子を大和さんには話したらしい。私は聞いていない。まだ冷静に聞けると思えないし、大和さんがそれを嫌がった。話を聞く事で私が再び傷付くのじゃないかと危惧してくれたらしい。
その大和さんが教えてくれたのが、ユーゴ君のお母さん、アイリーンさんの現在。真面目に採掘作業に従事していたという。他の元光神派の人達も真面目に従事していたとの事だ。監視役の役人さんも感心する程の真面目さらしい。
たぶん他にも色々聞いたんだと思うけど、私が教えてもらったのはそれだけ。
今日はどんよりと曇っている。起床して着替えて階下に降りる。朝食と昼食を作り終えたら庭に出た。
庭は荒れていない、帰ってきた時に私が除草した。高さはそれほどでもないけどやっぱり雑草がワサワサ繁っていたんだもの。帰ってきて数日は荒れた庭の復旧に時間を費やした。
希求繁栄はあれから大和さんと夜に庭で合奏した。7神様に婚姻のお礼と報告を兼ねている。合奏が終わった時、お隣からみんなが覗いていた。見られるだろうということは予想出来ていたから、狼狽える事は無かったけど恥ずかしくて大和さんの影に隠れてしまった。
離れの戸を開けて風を入れる。薬草部屋に入って食欲増進の薬湯を……。まだ要るのかな?クルスさんの所には昨日お邪魔して症状を話してきた。薬湯というよりもハーブティーのカテゴリーに分類出来る物を薦められた。ジューヤクは使っていない。新婚旅行の間は薬湯を飲まなかったからもう大丈夫だと思うんだけど。
「咲楽、ただいま。薬草を見つめて何やってんの?」
「あ、大和さん、おかえりなさい。まだ薬湯は要るのかな?って」
「クルスさんは必要だって判断したんでしょ?薬師の言うことは聞いておきなさい」
「はぁい」
私がハーブティーを淹れている間に大和さんはシャワーを浴びに行った。食欲増進のハーブティーはマンサニージャ、メリッサ、シトロネルを使う。レモンの香りの爽やかなハーブティーだ。氷魔法でアイスティーにして広縁からウッドデッキに降りた。
大和さんが母屋から出てきてストレッチを始める。
「今日はどの剣舞にしようか?」
「うーん。『冬の舞』はどうですか?私もスォーロに慣れておきたいです」
「『冬の舞』ね。やる気があってよろしい」
「大和先生のお陰です」
ふざけて言ったら大和さんが吹き出した。
「シリアルバーは来週作るんだっけ?」
ひとしきり笑った後、話題を変えた。ユーゴ君とアリスさんの依頼の『手軽に食べられる携帯食』の事だ。オートミール、ハチミツ、バター、ドライフルーツ、ナッツを使うから腹持ちも良いと思う。
「はい。まずはパティシエの皆さんと試作です」
「よく作り方を知ってたね」
「学祭で売りましたから」
手軽に食べられる栄養のある物として、栄養学の講師と一緒に作ってキューブ形にして売ったんだよね。カロリー計算をして、満足出来て太らない物という要求に試行錯誤したのを覚えている。あの時は大さじ1杯あたりのカロリーを調べたっけ。確かバター約90kcalでサラダ油約120kcalだった。カロリーだけを見ればバターの方がカロリーは低い。栄養素を鑑みてバターとサラダ油を半々にしたんだっけ。実際にはサラダ油の方が少なかったけど。
大和さんが瞑想に入った。リュラを出してセットしておく
冬には良い思い出がない。寒い冬の夜に上着も着させてもらえず外に閉め出されたり、冷たい水に手を浸して兄の服を手洗いさせられたり、とにかく寒くて辛いという印象が強い。兄に対する怒り悲しみは思い出せないけど、私の中で冬=辛い、悲しいというイメージがこびりついている。
後は百人一首の『朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪』の歌。『夜がほんのり明け初めるころ、有明の月の光かと思われるほどに吉野の里に雪が降り積もっている』という意味だ。こちらをイメージすれば良いのかな。
大和さんが瞑想を解いた。リュラの指慣らしをする。舞台に上がった大和さんがチラリと私を見て構えを取った。3拍置いてからスォーロを弾き始める。
辺りの空気が一気に冷えた気がした。リュラを見ているから見えないけれど、雪が積もっている気がする。
大和さんが舞いを終えた。季節が実りの月のものに戻る。
「完璧だね」
「何音か外しましたけど?」
「うん。知ってる」
「……。朝食にしますか?」
「呆れた?」
「通常運転デスネ」
思わず棒読みになった私は悪くないと思う。
サンシェードの下にテーブルを持ってきて朝食を並べる。
「ターフェイアではスタージョン湖畔の貸別荘でしたっけ?」
「うん。トリアさんの猛攻は凄かったね」
「手紙が何往復もしましたもんね」
『対の小箱』の通知音が鳴りっぱなしだったもんね。大和さんはトリアさんからの返事を待ってる間に予想して書き始めちゃうし。
「だって、トリアさん達の別荘を借りたら、もれなくトリアさんが付いてくるでしょ?咲楽とイチャイチャしたいじゃない」
「イチャイチャはともかく、食事会のメンバーにグランテ先生が居ることに驚きました」
「あれから交流があるそうだからね」
「グランテ先生の口振りが変わっていれば良いんですが」
「変わってるでしょ。初対面の時も結構無理して露悪的に言っていたじゃない」
「そうでしたね。一生懸命悪者になろうとしてましたね」
朝食を食べ終えて、母屋に入る。食事会用のワンピースは魔空間に入っているし、お泊まりセットも入れてある。掃除だけしちゃおう。
大和さんが朝食の食器を片付けてくれているから、その間に掃除をする。
「咲楽、ハーブティーの薬草、忘れないようにね」
「はい」
忘れてた。薬草部屋に行かなきゃ。掃除が終わったら離れに行って薬草を1回分ずつに分けて紙に包む。シトロンピールも入れて良いと言われたから、シトロンピールを混ぜたものも用意した。後は健胃剤と消化剤。こちらはクルスさんに処方してもらったものだ。どんな料理か分からないし一応持っていこう。
母屋に戻ると大和さんが待っていてくれた。急いで着替えて階下に降りる。
「ゆっくりで良かったのに」
「お待たせする訳にいきません」
2人で家を出る。
「カークさんは今頃期間限定の冒険者ギルドの講師でしたっけ?」
「主に新冒険者の講義をしているらしいよ。たまにピエレランクやフェイルランクの付き添いを頼まれるんだって言っていた」
「頼りにされているんですね」
「カークは個人でもラルジャランクだからね」
「そうなんですか?調査員のチームでって話じゃなかったでしたっけ?」
「実力があるんだから受けろってギルド長に言われたらしい」
「大和さんが冒険者だったらどのランクなんでしょうね?」
「さぁ?キュイールランク位でランクを上げずにいるかもね」
「ロールランクとか余裕でいっていそうです」
「どうだろうね?」
北街門にはエタンセルが待っていた。ピガールさんが直々に連れてきてくれたらしい。
「トキワ殿、来年ニハエタンセルモ父親ダ」
「は?お前、どこのお嬢さんを妊娠させたんだ?」
エタンセルが顔を逸らしてブルルっと鳴く。どことなく気まずげに見えるのは気の所為じゃないよね?
イグナシオ君もやって来た。ピヨーリを連れている。
「よろしくお願いします」
「手続きは済んだか?じゃあ、行こうか」
大和さんがヒラリとエタンセルに乗った。その後、私を引き上げる。イグナシオ君もピヨーリに騎乗する。今日はそこまで急いでないからエタンセルも早足だけど駆けさせていないし、ピヨーリはそもそもが足が速い。ドスドスというかドッドッドっと走っている。ピヨーリの全速力ってどの位なんだろう?
「イグナシオ君、ピヨーリって乗り心地はどうですか?」
並走しているイグナシオ君に聞いてみた。
「上下はするんですけど、ピヨーリの羽毛で衝撃が抑えられているので、そこまで悪くはないです」
「そうなんですね」
「サクラ先生はいつも乗せてもらってるんですか?」
「1人で乗るのはちょっと……」
「咲楽はナイオンなら乗れるんだけどね」
「ナイオン?」
「虎だ。そのピヨーリ、どこで借りたんだ?」
「西街門近くの騎獣屋です。えっと、虎ですか?」
「咲楽は最初から乗せてもらってたよね?」
「最初からというか大和さんが勧めてくれたからですよ?」
「虎って乗れるんだ。怖くないの?」
「怖くないですよ」
「見たいかも」
「神殿地区のマイクさんの騎獣屋に居るぞ。次に来る時に会いに行けば良い」
「僕、どこに配属になるんでしょう?」
「所長とマックス先生とライルさんの話し合い次第ですね」
「その3人は決まってるんですか?」
「それぞれの責任者ですね。そこは決まってます」
「サクラ先生は?」
「秘密です」
「チェッ」
「咲楽と一緒が良いのか?」
「うーん。フォス先生もローズ先生も親切だったけど、僕が気後れしちゃって。サクラ先生は親しみやすい感じだし、気持ちが楽かな?って」
「まぁ、楽しみにしておけ」
大和さんが笑いながら言った。
休憩所に着いてお昼にする。イグナシオ君はバザールで買ったらしいパンと飲み物を出して食べ始めた。
「あ、美味しそう」
「旨いぞ。食べてみるか?」
イグナシオ君の呟きに大和さんがサンドイッチを勧める。渡したのは厚焼き玉子サンド。
「オムレツ?なんだか普通のオムレツと違うね」
「厚焼き玉子サンドです」
厚焼き玉子というか、だし巻き玉子というか。出汁が入っているからだし巻き玉子だね。甘くない味付けだし。甘いのも美味しいけど、今日は甘くない味付けにしてみた。
「イグナシオ君の飲み物はジュースですか?」
「うん。緑のセンテニアのジュース。甘くて美味しい。サクラ先生達のは?」
「シトロン水とコーヒーです」
「シトロン水?売ってたっけ?もしかして作ったの?」
「この時期になるといつも作ります」
「咲楽のシトロン水は甘すぎなくて旨いんだ」
「へぇぇ」
急いでいないからゆっくりと昼食を食べる。
「あー、久しぶりだねぇ」
「モフィおじさん、お久しぶりです」
「そんなに大きな子が居たの?」
「はい?」
とっさに意味が分からなくて聞き返してしまった。
「僕は同行してもらってるだけです。イグナシオといいます。今からグリザーリテに帰るんです」
「そうなんだぁ。ビックリしたよ」
「それにサクラ先生達は新婚さんです」
「あぁ、聞いたよ。おめでとぉ」
「ありがとうございます」
「ん~、んん?あれ?」
「どうしたんですか?」
「ちょっと騎士さん、いいかな?」
モフィおじさんが大和さんを連れてどこかに行ってしまった。
「どこに行ったんでしょう?」
「さぁ?」
昼食後の片付けをして、エタンセルとピヨーリの所に行く。なんだかどちらも寛いでいる。ピヨーリは長い脚を折り曲げて座ってキャベツを突っついているし、エタンセルは狸人族さんにブラッシングしてもらって気持ち良さそうだ。
「すみません」
「良い馬だね。この子の飼い主の奥さん?」
「はい」
「水と飼い葉を与えて、水浴びとブラッシングをしておいたよ。そっちのピヨーリは今はご飯だね。風で埃は落としておいたよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。今からターフェイアの方だっけ?」
「はい。その予定です」
「それなら少し行った所にシャテーニュの木があるよ。季節だから拾っていくといいよ」
「ありがとうございます」
栗拾いかぁ。やった事がないんだよね。外のトゲトゲはこちらにもあるんだろうか?
「咲楽、イグナシオ、お待たせ。そろそろ行こうか」
エタンセルとピヨーリを柵の外に連れ出して休憩所を出発する。モフィおじさんが手を振って見送ってくれた。




