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マルクスさんから、というか、おばあ様からお許しが出た。
「天使様に診てもらえるなんて、お迎えがいつ来ても自慢ができるよ。こんな年寄りのでよかったら、いくらでも見ていっておくれ」
「縁起でもない。止めてください」
マルクスさんが怒っている。確かに縁起でもないよね。
「歩けないと言うことですけど、痛む場所があるんですか?」
「数年前だったかね。転んでからだよ。立とうとすると足の付け根が痛くてね。まともに立てなくなったんだよ」
「ちょっと見せてもらっても良いですか?」
ある予感があった。
スキャンに集中する。大腿骨の骨頭部がずれている。どうしよう。これって本来は整形外科の領域だ。
「おそらく数年前に転倒されたときに、骨の一部が折れてしまって、そのままくっついてしまったんです。しっかり支えることができないから、立てないんです」
「治せますか?」
「難しいです。ごめんなさい」
治せない、と言うのは辛い。無力感を感じる。せめて痛みを取り除いてやりたい。
「痛みを押さえることならできるかもしれません。やってみて良いですか?」
「痛みがなくなるのかい?やっておくれ。ひとおもいに、さあ、天使様」
「ひとおもいにって、強盗に言うようなことを言わないでよ」
マルクスさんが言うと、周囲に笑いが生まれた。見に来ていたマルクスさんのご両親まで笑っている。
血管の位置、神経の位置を思い出す。痛みのブロックは何度もやって来た。けどあれは一時的なものばかりだった。持続性のある痛みの遮断なんて出来るのだろうか。
はっきり言って自信はない。
再びスキャンをかけて骨折部位を特定する。その周辺のみを囲って痛覚のみを遮断。
やってるうちに思い出した。これって痛覚ブロック注射と同じだ。イメージがはっきりする。
どれくらい時間が過ぎたのかははっきりしない。
「終わりました。立ってみてもらって良いですか?」
マルクスさんとお父様が両脇を支えて、おばあ様を立ち上がらせた。
「痛くないよ。でも、立っているのが辛いねぇ」
「長く動かしてなかったから筋肉が衰えてるんだと思います。少しづつ立つ練習から始めてください。無理をすると、余計に歩けなくなりますから、無理だけはしないようにしてください」
嬉しそうなおばあ様に一応釘を指しておく。聞いてなさそうだけど。マルクスさんのご両親がしっかりと聞いていてくれたから、大丈夫かな。
マルクスさんのお家を出るとゴットハルトさんが興奮していた。
「天使様って呼ばれるのがわかりますね」
ダニエルさんが泣いている。エスターさんは呆然としていた。この一帯だけカオスだ。
ルビーさんが言った。
「治療費をどうしようかしらね。正規の治療じゃないから請求できないけど、絶対に渡そうとするわよ」
「神殿に寄付とか、スラムの復興事業に寄付って出来ないんですか?」
「それがサクラちゃんの希望?分かった。そう言っておくわ」
一旦帰って一休みすることにした。
家に着いて、ふと思い出した。こちらに来たときに持ってたバッグの中に、リハビリの本ってなかったっけ?ルビーさんとミュゲさんの3人になってから、魔空間に入れっぱなしになってたバッグを取り出す。
バッグの中から出てきたのはスマホに財布、向こうで読んでた小説、借りた児童書、それから……。
「あった。リハビリ読本」
中を見てみると、懐かしい日本語が書いてあった。
「なあに?それ」
「リハビリの本です。衰えた筋肉を戻すにはどう動かせば良いか、って言うのが書いてあるんです」
「こっちは?」
「物語です。子ども向けの」
持っていたのは借りっぱなしだった児童書。施設の子達に読み聞かせをしてあげた物だった。
財布にはこちらの硬貨。スマホは充電が切れて動かなくなってた。当たり前だよね、1ヶ月経ってるんだし。スマホを見て思ったより動揺していない自分に気が付いた。
日本語は懐かしいけど、それだけだった。
紅茶を淹れて、休んでいると来客があった。ブランさんがアッシュさんと立っていた。
「サクラ様、紅茶の入れ方を教えてください!!」
聞けば、誰もお茶が淹れられないと言う。考えたら当たり前だ。ゴットハルトさんとエスターさんは貴族様。淹れてもらう方だし、他の人達もやったことがないと言う。
「あちらで淹れましょうか?」
そう言ってみたんだけど……。
「教えていただけたら、やります!!」
と、泣きそうになってる。
「アッシュさん、どう言うことですか?」
「サクラ様の紅茶の味にならないと言うんですよ。渋すぎたり味がなかったりで。ヘリオドール様もパイロープ様も、笑って許してくれたんですが、本人が許せないらしくて」
「私達も紅茶はうまく淹れられないわ。でも、紅茶って1度で上手く淹れられる様になるものじゃないわよ。練習が必要。ねぇ。一緒に練習しましょ」
ルビーさんがそう言ってくれた。
とりあえずゴットハルトさんのお家に行く。
キッチンで驚いた。
コンロの魔石の魔力が空だ。
「お湯ってどうやって沸かしたんですか?」
「自分達が魔法でお湯を出しました。オ……私が火属性で妹が水属性なので。それからポットの中で温めました」
「それも原因かも。最初から熱湯じゃないんですよね。ゴットハルトさん、この魔石の魔力って込めて良いですか?あと、鍋かケトルはどこですか?」
「魔力はお願いします。ケトルは……どこだったかな?」
紅茶のポットは多分3人分くらいの物。
「何人分淹れようとしたんですか?」
「8人分です」
「これじゃ8人分には小さいです。濃く淹れて薄めるってやり方もありますけど、私の知っている淹れ方にしますね」
ティーコゼーもない。布を巻いて代用にしよう。
「お水は汲みたて、沸かしたて。紅茶の葉は人数分プラススプーン一杯。これはポットの中の妖精さんの分です。カップを温めてポットに茶葉を入れます。蓋をして少し待ちます」
3分って私のやり方だと砂時計なんだけど、無かったらいつもは脳内再生で歌うんだよね。
「砂時計があれば良いんですけど」
「砂時計?紅茶用にって母が持たせてくれたのなら、これかな」
エスターさんが砂時計を出してきた。あったんですね。
砂時計で計って紅茶を淹れて、淹れ方の確認でもう一度淹れてもらう。
これで6人分。
「サクラ様達の分はどうすればいいですか?」
「私達はさっき飲んできたわ。気にしないで」
ミュゲさんがそう言ったけど、ブランさんは気にしてる。
「ブランちゃんはお裁縫はできるの?」
「はい。奉公先で習いました。けど、上手にできなくて、いつもバカにされて……」
「上手くできない?それって教える方の責任もあるのよ。なのにバカにした?」
ミュゲさんが怒り出した。
「一緒にやってみない?大丈夫。ゆっくりで良いんだから」
ブランさんは迷っていたけど、頷いて言った。
「やりたいです。教えてください」
「いきなり何かを作るって言うのは難しいわね」
「小さな小銭入れとかどうですか?」
「良いわね。多少縫い目が荒くても硬貨が出なきゃ良いんだもの」
と、言うわけで縫い物教室開催。生徒はブランさん、ルビーさん。何故かエスターさんも参加してる。
テーブルランナーの残りの布とミュゲさんが出した端切れを使うことに。
ミュゲさんの魔空間からは裁縫道具一式が出てきた。私も入れてるけど、裁ち鋏と針と糸位だ。
布の裁ち方、糸結び、直線縫いのやり方……ブランさん、上手に出来てる。反対にルビーさんが落ち込んだ。
「縫い目にまで笑われてる気がするわ」
うん、縫い目が斜めになってるね。
しばらくの間、ブランさんは夜、紅茶の入れ方を練習していくことになった。
4の鐘が鳴って少しして、お暇することに。ルビーさんとミュゲさんはダニエルさん達が送っていくことになった。私はゴットハルトさんが送ってくれると言ってくれた。
「ヤマトに怒られますね。2人きりというのは」
家への道を歩きながら、ゴットハルトさんがそんな事を言う。
「以前、貴女を私の領に、と言いましたが」
「はい」
「是非来てください。ヤマトとの結婚後にでも」
「結婚……」
「貴女にその気持ちはあるのでしょう?」
「ありますけど、怖いんです。色々と怖いんです。私は何も出来ない。大和さんは1人でたくさんの人の気持ちを動かすことができる。せめて大和さんの支えになりたいって思うけど、それも自信がないんです」
ゴットハルトさんは静かに聞いていてくれた。
「自信が無いなんて当たり前です。いつも自信がある人なんて余程の怖いもの知らずですよ。でも貴女はもっと自信をもって良い。立派にヤマトを支えています」
「そうでしょうか」
「えぇ、この前、ヤマトが言っていました。シロヤマ嬢、貴女が居なかったら騎士にはなってなかったと。貴女と居たい、そう思って騎士になったと。あの男にそう思わせるんです。自信を持って良いです」
『自信を持って良い』と大和さんにも言われる。自信が持てないのは家庭環境の所為だけじゃないと思う。
私はいろんな事にコンプレックスを持ちすぎている。背が低い。眼の色。幼く見える事。この世界に来て倒れたりして、大和さんや他の人にもたくさん心配をかけた。その事も多分自信のなさに繋がっている。
「一人前の事も出来ない」よく、兄や母に言われた言葉だ。でも今になって思う。兄や母こそ一人前の事が出来ていなかった。
この世界に来て、大和さんと出会えて、大切にされて、あの家族の異常さも気付けた。それでも大和さんっていう『何でもできる人』と自分を比べている。
「シロヤマ嬢?」
黙り込んだ私を心配したのかゴットハルトさんが声をかけた。
「ゴットハルトさんは、何かコンプレックスとか、ありますか?」
「無かったらおかしいでしょう。誰にでもありますよ。ヤマトにもね」
「お料理?」
「知ってましたか。それでも受け入れるしかないんです。完璧に見える人も水面下ではみんな頑張っているんです。私から見れば貴女も『完璧な人』なんですよ」
「私が?完璧な人ですか?」
「料理ができて、奥ゆかしい。人の話をきちんと聞いてくれて、治癒力は誰にも負けないでしょう。いつも笑顔で一歩引いて人を立てて、気遣いもできる。私には出来ないことばかりです」
気が付いたら5の鐘がなってしばらく経っていた。ずいぶん話してしまった。
「ヤマトが帰ってきましたね」
ゴットハルトさんの指した方を見ると大和さんが見えた。
「咲楽ちゃん、お出迎え?」
「えぇっと……」
「そこは肯定しましょうよ。私が悪さをしているみたいじゃないですか」
笑ってそう言ったゴットハルトさんに大和さんがニヤッと笑い返して言う。
「悪さをしてたのか?」
「してない。今日はシロヤマ嬢に世話になったから、送ってきて礼をしていたんだ」
「世話?家に入るか?いつまでも外にいると冷えるだろう」
「エスターが待っているだろうから帰る。明日も一緒に走って良いか?」
「あぁ、なんなら迎えに行くが」
「すぐそこだ。迎えなんか要らない」
ゴットハルトさんはそう言うと帰っていった。
「世話って何の話?」
家に入りながら大和さんが聞く。
「話しますけど、私はなにもしていませんよ。まず、着替えてきてください」
「咲楽ちゃんがなにもしていないって言う時って、何かしらしてるんだよね」
そう言って、大和さんは着替えに行った。何かしらしてるって……。
お夕食、何にしよう。何も考えてなかったことに気付く。
最近パスタってしてないよね。食料庫の中を見る。
私の明日のお昼はパンと野菜と卵のサンドで良いから、今日はカルボナーラっぽくしてみようかな。あとはサラダ?
ベーコンとパスタ、卵とミルクをもって顔をあげると大和さんが食料庫の入口でこっちを見てた。
「声をかけて下さい」
「いつ気付くかな?って思って」
ナチュラルに私の手からベーコンとミルクを取ると、キッチンに持っていってくれる。
「で?何があったの?」
「何もないんですけどね。西市場で会いましたよね。あの後、マルクスさんのおばあ様の治療をして……」
「治療?」
ゴットハルトの興奮とダニエルの号泣とエスターの呆然自失状態は、咲楽の体が光っていたからです。
ついでに言うなら大腿骨骨頭頚部って、転倒して歩けないってなったら即骨折を疑う場所だったりします。大腿骨の中で一番細くて折れやすい所です。お気をつけください。




