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実りの月、第3の木の日。今日は大和さんも私も3の鐘から休みを貰っている。明日が結婚式の本番だから、神殿に行って最終確認を、とライルさんに言われてしまった。私達は準備とか特に無いんだけど、前日位は休みなさいって所長にも言われちゃったんだよね。
明日が本番だと思うと緊張とか、大和さんと結婚できる喜びだとかで落ち着かない。お陰でいつもより早めに目覚めてしまった。時刻は4時半過ぎ。まだ陽は昇っていないけど、まぁまぁ明るい。パンも仕込んでないしスープも作る感じじゃない。薬草部屋で薬草の下処理でもする?
着替えをして、階下に降りる。大和さんは走りに行っているらしく、不在だ。久しぶりに朝食に和食を作っちゃおうかな?えぇっと、お味噌汁の材料はシュピナートとラディジャとポワローがある。これにしよう。出汁はいつものイリコ出汁。冷凍して異空間に入れていた物を使う。ライの実を研いで吸水させておく。お味噌汁の具材を煮ている間に卵焼きを作る。ここにもイリコ出汁を入れてだし巻き玉子にする。吸水が終わったライの実を炊く。お味噌汁に味噌を溶いて火を止めたら異空間へ。だし巻き玉子も異空間に入っている。一応食器も持っていこうかな?ご飯が炊けたらこちらも異空間に入れて、庭に出た。この頃には朝日が昇っていた。
庭の水やりを済ませたら、花壇とドリュアスの木のお世話をする。薬師協会のドリュアスの木も無事に定着したらしい。
花壇とドリュアスの木のお世話を終えたら離れに行く。戸を開け放って風を入れた。薬草部屋で食欲増進の薬湯の薬草を選んで、水屋で薬湯を作る。暑さが収まってきたから、炎熱病の薬湯は作っていない。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「シャワーを浴びてくるね」
「はい」
大和さんがシャワーを浴びている間に離れを片付けて、戸締まりをしてウッドデッキに出る。サンシェードを広げて椅子とテーブルを出した。
「今日ね、昼からゴットハルトが来るよ」
ストレッチをしながら大和さんが言う。
「ゴットハルトさんが?どうなさったんでしょう?」
「どうなさったって、明日の咲楽のブーケを届けてくれるんだよ。ヘリオドール領は花の一大産地だから。ゴットハルトが持ってくるというよりは、アイツの兄嫁が届けてくれるんだそうだ。ゴットハルトは案内してくるんだよ」
「生花なんですよね?生花を萎びれさせることなく運んでくる、その手段に興味があります」
「そっちなんだ」
ちょっと笑って大和さんが瞑想に入った。大和さんを包むのは真紅のモヤ。えっ?『夏の舞』?
緋龍が辺りを睥睨する。爛々と輝く金の瞳。畏縮してしまう程美しい存在。
大和さんが立ち上がって刀を手にした。いつもはサーベルなのに。一挙手一投足の度にヒュッヒュッっと音がする。異次元の舞。そんな言葉が頭に浮かんだ。
たぶんこの後の大和さんは危険だと思う。視えている光景も人々の熱狂の渦の中の戦いだ。
大和さんが舞台を降りた。身を守る為にマルドゥを立ち上げる。これなら人を傷付けることはない。息を調えていた大和さんがマルドゥを見て苦笑した。そのまま無言で母屋に入る。怒っちゃった?大丈夫かな?
「ごめん。落ち着いた」
再び庭に出てきた大和さんがウッドデッキに上がった。マルドゥは大和さんが母屋に入った時点で消したけど、一定の距離から近付かない。
「大和さん、怒っちゃいましたか?」
「ん?さっきの対応はあれで良いと思うよ。あのまま咲楽に近付いていたら間違いなく襲っていたから。でも、おかしいな?あそこまで解放するつもりじゃなかったんだけど」
「関係があるかどうかは分からないんですけど、緋龍が最初から大和さんに巻き付いていませんでした。大和さんの後ろで辺りを睥睨していました」
「いつもは巻き付いているんだよね?」
「はい。あんな風な緋龍を見たのは一番最初以来です」
「最初に剣舞を見せた時か」
テーブルに朝食を並べる。和食に大和さんの目が輝いた。
「はい。それと、視えた光景も人々の熱狂の渦の中の戦いって感じで」
「攻撃的だね。何故だろう?」
朝食を食べながら、大和さんが考えている。
「旨い。和の朝食って、良いよね」
「そうですね」
あれ?考え込んでたんだけど?
「たぶんね。明日が咲楽との結婚式の本番だから気分が高揚しているんだと思う。俺の気分の高揚に反応して、緋龍も出てきたし、『夏の舞』のイメージも戦っている物になった。自覚は無いけど」
「無いんですか?でも、先週のヒポエステスの大和さん、凄く楽しそうだってみんな言ってましたよ?たまに捕食者の目になってるとも」
「捕食者……」
「私には対等に競える仲間と、楽しそうにしているって見えたんですけどね。実際に楽しそうでしたしたし」
「フォロー、ありがとう」
朝食を食べ終わって母屋に戻る。大和さんが食器を洗ってくれている間に着替えに自室に上がる。
出勤用の服に着替えてリップを塗る。サコッシュを持ったら階下に降りる。
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、カークさん」
「サクラ様、本当に今日もお仕事をされるのですか?大抵は前日休んで本番に備えるのですよ?」
「そこまで派手にする必要はないですし、私としては大和さんと結婚できるというだけで幸せなんです。お披露目会がエスパスだと聞いていますし、宣誓の儀式の前にパフォーマンスも頼まれていますけど、本番に備えるってどうすれば良いか分かりません」
「お髪を整えたり、お肌の手入れを行うようですよ。リンゼが言っていましたが」
「ん~。そこまでしなくて良い気がするんです」
「サクラ様……」
困ったようにカークさんがため息を吐いた。
「話は終わったか?」
大和さんが降りてきた。
「終わっておりませんが、聞き入れてはいただけないというのは悟りました」
「俺も咲楽も休めと言われて3の鐘からの休暇だからな」
3人で家を出る。
「必要な所には挨拶は終わっているし、何かをしなければという緊急性のある事柄もない。休みなんか要らないんだが」
「そうですよ。必要なのは私の心の準備だけな気がします」
「トキワ様もサクラ様も落ち着いておられますね」
どこか呆れたようにカークさんが嘆息した。
「それはのんきだとか危機感がないという事を言っているのか?」
大和さんが真面目な顔を作って言う。
「そういう事ではございません」
「そうか。カークはそういう風に見ていたんだな」
「トキワ様もサクラ様も冷静だと申し上げて……。トキワ様?」
カークさんの言葉の途中で、大和さんが耐えきれなくなったのか忍び笑いを漏らす。
「必死だな、カーク」
「揶揄われたのですね?トキワ様」
「揶揄ったわけじゃない。カークがどう答えるか興味があっただけだ」
「それを揶揄うというのです」
「そうムキになるな」
大和さんがカークさんを宥めている。でも、どう見ても揶揄っていたようにしか見えなかったよね。
「サクラ様、傷痕が薄くなってほぼ消えました」
「本当ですか?良かったです」
「今日は神殿に行く予定はありますか?」
「どうでしょう?予定はしていませんけど」
「ヴィックがサクラ様に会いたがっていると伝言を受けたのですが」
「ヴィクターさんが?」
「はい。出来ればお2人にと」
「大和さんとってことですか?」
「俺は聞いていないが?」
「トキワ様が私を揶揄いましたので言いませんでした」
ツーンとそっぽを向いてカークさんが言う。拗ねちゃってる?あ、ポーズだ。大和さんに見えないように笑っているもの。
「そうか。従者にとあれだけ言っておきながら、主人たる俺をそんな風に扱うんだな?」
大和さんがまたもや悲しげな表情を作る。
「そういう事ではございません」
「いいさ。従者となった者に蔑ろにされる。それでは主従関係として破綻している。そうだろう?」
「ですからっ」
なんだろう?このコントっぽいやりとり。思わず笑みがこぼれる。
王宮への分かれ道で、ライルさん、ローズさんと合流する。
「おはよう、サクラちゃん」
「おはよう、サクラ先生」
「おはようございます、ライルさん、ローズさん」
「いよいよ明日ね。本当に今日は休まなくて良かったの?」
「はい。一月の結婚休暇も頂けるんですし、前日にしなきゃならない事ってそんなにありませんよね?」
「しなきゃならない事はないけど、しておいた方が良い事はあるわよ?」
「手続きも挨拶も済んでいますし」
「お肌のお手入れは?」
「必要ですか?」
「必要……は無さそうだけど。良いの?トキワ様」
「宣誓の儀式に際して身を清める位はしますが、それ以上は、どうでしょう?」
「2人してそういう反応なのね」
「サクラ先生は今日は新施療院についての打ち合わせがあるから、出勤してもらえるのは嬉しいんだけどね。トキワ殿もなんだね」
「私は新騎士達の指導が主な業務ですね。飛行部隊の方は基本動作は大丈夫そうですし。その他の訓練も頼んでありますから」
「大変だね、カーク君」
「はい」
「まぁ、頑張れ」
ライルさんからの激励を、カークさんは苦笑いで受けていた。
「私の時はエスセティックを受けたわ。サクラちゃんもやってもらえば良いのに」
施療院へ向かいながら、ローズさんが言う。エスセティックとは日本でいうエステの事。ブライダル専門の人が居るんだって。肌を綺麗にする薬草を使ったりするらしい。
「でも、それって、貴族様以外はやらないんですよね?」
「あら、ルビーもやったわよ?紹介したもの。ねぇ、腕だけでもしてみない?」
「やけに熱心ですね?」
「頼まれちゃったのよ。『サクラちゃんは必要ないって言うわよ?』って言ったんだけどね」
ローズさんが肩をすくめる。
「天使様を着飾らせたいって人はたくさん居るからね。貴族関係はサファ侯爵様が目を光らせているらしいけど、庶民となるとね」
「ご迷惑をお掛けしているのじゃないでしょうか?」
「ん?サファ侯爵様の事?父から聞いた話だと、嬉々としてやってるらしいよ。後見人の役目だからって」
「ご挨拶に伺ったら宣誓の儀式の介添えを、名乗り出ていただきました」
「所長に頼んだんじゃなかったの?」
「所長にはお披露目会の方を頼もうと思っています」
「それが良いね」
施療院に着いた。更衣室に向かう。
「マックス様が『僕には何も言ってくれない』って拗ねていたわよ」
「拗ねてって言われても」
「その後菓子職人に混じって一緒に作っていたらしいわ。ジェイド商会の傘下の菓子職人が言っていたわ。手先が器用で驚いたって」
「マックス先生も手伝ってくださったんですね。それは知りませんでした」
「作っていたのって、見送りの際のフォン プレジールだって聞いたけど、菓子職人って事はお菓子なのよね?」
フォン プレジールはプチギフトと同じような物だ。こちらには引き出物と言う物は無い。結婚式に参加してもらったことへの感謝としてフォン プレジールを帰りに手渡すようだ。
「はい。ローズさんの時はボンボニエールでしたよね?」
「えぇ。貴族向けには大きい物、庶民向けには片手に収まる陶器よ」
「小物入れとして使ってます」
「嬉しいわ。ユリウス様ったら絵柄はバラにするって聞かないんですもの」
「綺麗な意匠でお気に入りなんです」
更衣室を出て、診察室に向かう。
「おぉっと、サクラ先生はこっち」
「えっ?ちょっと、マックス先生?」
「サクラ先生は新施療院に薬師部屋を作ることになったから、何が必要なのか薬師と話し合って欲しいんだよね」
「薬師さんが施療院に来てくれるんですか?」
「うん。だから協力お願いね。僕達には分からないから」
連れていかれたのは2階の会議室。6人の薬師さんが居た。薬師協会で会った人ばかりだ。
「久しぶりですな、天使様」
「お久しぶりです」
「久しぶりって程長く会わなかった訳じゃないけどね」
薬師さんの1人が笑う。10日位前にもドリュアスの木の事で会いましたもんね。
ここからは薬師部屋についての話し合い。必要物品とか必要な設備とかだね。あれ?私は診察しなくて良いの?
「薬師部屋といっても、本格的な魔物素材なんかは置いておかなくても良いでしょう。それは市井の薬師の仕事を奪うことになりかねませんからな」
「施療院で処方するのは、あくまでも急性の症状ということですな」
「そうそう。頭痛とか腹痛とかね」
「それって薬草だけで処方出来るんですか?」
「詳しい配合は教えられないけどね。出来るんだよ」
「それらを入れる為の棚が必要だけど、良いのが無いんだよね」
「あれは?最近売り出された小さい引き出しがたくさん付いた棚。エリアス先生、買ってましたよね?」
「使い勝手は良いですな。ただ、施療院の薬師部屋に置くとなると、少し小さいかと」
「そこは木工職人に注文しましょう」