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酷熱の月、第5の闇の日。
朝夕に少し涼風が吹くように感じられてきた、今日この頃。まだ日中は暑いんだけど、炎熱病の患者さんもずいぶん減ってきた。
ダーリエさんの傷痕はうっすらと線が残るまでになった。ライルさん担当の脹脛の筋肉をトレープールに食いちぎられちゃった冒険者さんの脹脛はなんと少しずつ再生してきている。その話を聞いた西の森の被害者さん達が大勢協力を申し出てくれた。以前と同じ冒険者活動が難しくて、冒険者ランクを下げて活動していたらしい。まだ部位欠損は治癒する事は出来ていないけど、筋肉は再生する事が確認出来ているし、もしかしたら、という空気が薬師協会内に漂っている。
今日は大和さんも私もお休みの日だ。昨日、鑑定士さんからピアスが出来たと連絡があって、今日行く予定にしている。
マヨネーズは今週の光の日に大和さんが頑張って作ってくれた。大瓶に3個分。何に使おう?ポテトサラダとか、マカロニサラダとか、レタスとトマトのサラダとか、色々作ってる。トラウトがあればマヨ焼きにでもするんだけど、王都に新鮮なトラウトは届かない。スタージョンでも良いんだけどな。
今日は相変わらず良い天気だ。このところ夕立が降っているけど、日中は晴れている時が多い。
起床して着替えてキッチンに降りる。朝食を作って庭に出た。今日は水撒きはいいかな?花壇とドリュアスの木だけ水やりをする。
離れを開けて風を入れたら、障子戸を閉めて冷風装置をONにする。薬草部屋に入って……。あれ?今日は炎熱病の薬湯は要らないよね。食欲増進の薬湯だけ作っておこう。味の改善はどうしようかな?ジューヤクの苦味を消したいけど。炎熱病の苦味は経口補水液で消えたよね?少し取り分けて同じ量の経口補水液と混ぜてみる。うん。味は変わらないね。というか、苦味が増した気がする。
「ただいま、咲楽」
「大和さん、おかえりなさい」
「研究熱心だね」
大和さんが水屋まで上がってきてくれた。
「あ、お出迎えが出来なかった。すみません」
「良いよ。何してたの?」
「食欲増進の薬湯の味の改善に挑戦してました。簡単にはいきませんね」
「まぁね。簡単に味の改良が出来たら薬師達の立場が無いよ」
「ですよね」
どうやら大和さんはすでにシャワーを浴びたらしい。ウッドデッキで瞑想を始めた。食欲増進薬の味の改善は諦めて、水屋を片付けて冷風装置をOFFにしてウッドデッキに出る。
どうしたらあの苦味が消えるのかな?確か、ピーマンの苦味は油通しをしたり切り方で軽減出来たりするんだけど、ジューヤクは油通しするわけにいかないし、切り方って言ったってどう切れば良いのか分からない。
「咲楽?考えすぎないで?」
薬湯を飲みながら考えていたら、大和さんに頭をポンポンされた。
「そうは言っても、自分の飲む薬湯の事ですから」
「そうなんだろうけどね。何を考えていたの?」
「ジューヤクの苦味はどうやったら消えるのかな?って」
「ジューヤクの苦味ねぇ。ドクダミの苦味ってピーマンと同じクエルシトリンって成分だっては聞いたことがあるけど。ピーマンと同じポリフェノールの1種だね」
「ピーマンと同じ?って事は油通しを……。出来ないですよね」
「葉っぱだしね。食欲増進の薬湯ってどうやって作るの?」
「乾燥させた薬草を煮出してます」
「それだけ?」
「その際に錬金術で薬効成分を取り出してますけど」
「出た。錬金術。魔法のある世界って感じだね。家で女子衆が長老連中の為にドクダミ茶を作っていたけど、乾燥させてカットしたら乾煎りしてたよ。後はほうじ茶とブレンドしてた」
「乾煎りですか?」
果たして乾煎りした後に薬効は変わらないのか、それは分からない。でも、やってみようかな?
「そういえば、大和さん。剣舞は良かったんですか?」
「話し込んでしまったからね。今日はやめておくよ」
「すみません」
「咲楽が謝ることじゃないよ」
そう言って大和さんが戸締まりをする。
「あ、ちょっと待ってください」
薬草部屋から乾燥させたジューヤクを持ってきた。
「何をしてたの?」
「ジューヤクを。後、薬草部屋だけヴァンティラトゥールを回してきました」
「障子戸を固定するだけだから、風は通ると思うよ?」
「この離れはそこまで気密性は高くないですけど、やっぱり気になってしまって」
「で?乾煎りしてみるの?」
「はい」
母屋に入って朝食にする。
「少しは食欲が戻ってきたかな?」
「一時期よりは食べられてますね」
「以前言っていた運動はどうする?」
「何からはじめて良いのか分からないんですけど」
「基本は歩行だけど。軽いウエイトを着けてみる?」
「軽いウエイトですか?」
「うん。俺みたいに1日中って訳じゃなくて、10分、20分位から。足にだけね」
「それなら手軽ですね」
とはいえ、大和さんは常時ウエイトを着けているけど、あれは特別に誂えた物だったと思ったんだけど。
「金属じゃなくても、砂でも良いんだよ。袋に入れて足首に巻けば良い」
「あ、そっか。砂でも良いんですね」
地属性があれば、石を砂に変える事も出来るし、袋は作れば良いよね。
朝食後にジューヤクの裁断をする。
「やっぱり薬草部屋でやった方が良いかも」
「鑑定士の所に行くにはまだ早いから、行ってくれば?掃除ならしておくよ?」
「そんなに時間はかかりません。ちょっと行ってきます」
薬草部屋でジューヤクを裁断して水屋で乾煎りする。少し色が変わったところで平ザルに広げて冷ましたら薬箪笥に仕舞う。食欲増進薬一回分だけを取り出して母屋に戻った。
「お待たせしました。お掃除だけしちゃいますね」
「ちょっと落ち着こう。慌てなくて良いから」
大和さんに小部屋に誘導された。
「休みの日位ゆっくりしよう?心に余裕を作ることも大切だよ」
「すみません」
「謝らなくて良いって。ほら、おいで」
大和さんの胡座に座らされて、ぎゅっと抱き締められる。
「何を焦ってたの?自分のペースで進めば良いんだよ」
「焦ってた訳じゃないんですけど」
「うん」
「やりたい事が多すぎて」
「やらなきゃいけない事じゃないんだよね?1度整理しようか。まず、薬湯の味の改善は?やらなきゃいけない事?」
「やりたいですけど、私じゃないとって訳でもないです」
「じゃあ、今すぐじゃなくて良いね。掃除は?」
「やらなきゃいけない事です」
「掃除は俺でも出来るよ。これは協力してやろうか。次にウエイトを着けての運動」
「運動は今すぐじゃなくても良いですけど、でも、早い内にしたいです」
「それには準備が必要だね。この準備も協力しよう。ね。優先順位が見えてこない?まずは掃除だけど、時間はまだある。少し休もうよ」
「はい」
知らない内に焦ってたのかな?あれもこれもしなきゃって思い込んで。
「咲楽は頑張りすぎるんだよね。頼ろうとしない。ギリギリまで自分でやっちゃう。もちろんそれは一概に悪い事とは言えない。責任感が強いって事だから。でもね、任せられるところは任せよう。ね」
優しく頭を撫でながら大和さんが言う。
30分位大和さんに抱き締められて、強制的にゆっくりさせられた。
「大和さん、そろそろ掃除をしないと」
「そうだね。そろそろ動こうか」
大和さんと掃除をしていく。掃除が済んだら鑑定士さんの所に出かける。大和さんは帯剣していた。治安がそこまで良い所じゃないんだよね。貴石を扱っているけど、大丈夫なのかな?
「ピアスの件が済んだら、東の草原に行って良い?」
「飛行訓練ですか?」
「うん。ちょっと手伝って欲しい」
「何をするんですか?」
「空挺降下」
「くうてい降下?字面が不穏なんですが。降下ってどこからですか?くうていって……。飛行訓練ですよね?えっ。まさか飛行装置からの飛び降り?」
「飛び降りはしないよ。ちゃんとロープを使う。パラシュートも無いしね」
「パラシュートがあれば飛び降りていたんですか?」
「そこは訓練を受けてるよ。他の奴にやらせるかどうかは状況次第だね」
「状況次第……。何を手伝えば良いんですか?」
「エルマースによるエアマットを作って欲しい。色を着けるって出来る?」
「赤以外なら。属性の色を使うので、持っていない赤は難しいです」
生活魔法で色を着けるにも限度があるし。
「じゃあ、濃い緑は?ビリジアン位の色」
「ビリジアンって言うと、ちょっと暗めの青みがかった緑色ですよね。たぶんいけると思います」
話をしている内に鑑定士さんの所に着いた。
「やぁ、いらっしゃい」
「本日はよろしくお願いします」
「天使様は礼儀正しいね」
チラッと大和さんを見ながら言う。
「敬語を使うか?」
「いや良い。黒き狼にそういう風に接せられると、むず痒くなる」
「何を言う。最初は喧嘩腰だったクセに」
「俺は最初から客に対して丁寧に接していたぞ?」
鑑定士さんと大和さんが楽しそうに言い合いをしている。私がここに来るのは3回目だけど、いつも気安い態度で言い合いを始めるんだよね。
「なぁ?天使様」
「咲楽は俺の味方だよね?」
何やら問いかけられた。
「あっ、えっと。ごめんなさい。聞いてませんでした」
「俺はいつも礼儀正しいって言ったんだよ」
「ぬかせ。いつも横柄じゃねぇか」
「あの、大和さんは横柄じゃないです。いつも礼儀正しいかって言われると……。使い分けてますよね?」
「黒き狼が手懐けられてるな」
「咲楽は内面も天使だから」
「違いない」
ワハハハっと豪快に笑った鑑定士さんは、魔空間から2つのケースを取り出した。
「2人とも、両耳に開けるって事で良かったな?」
「あぁ、そこは話し合ってきた」
私も頷く。
「じゃあ、やるか。まずはこれを塗る」
見せられたのは乳白色の液体。大和さんが僅かに目を細めた。
「パラリィジィか」
「違法な物じゃないぞ。正規品だ。ちゃんと薬師協会の許可も貰っている」
「麻痺させれば良いんだよな?」
「あぁ。色々手段はあるが、これが確実だ」
「それなら、違う方法を試して良いか?」
「構わないが。何をする気だ?」
「咲楽、耳朶を挟める位の氷を2個出して」
「はい」
氷を2個出す。それをハンカチに包んで大和さんが耳朶を冷やし始めた。
「少しだけ時間をもらえるか?」
「別に良いが。どうかしたのか?」
「そのパラリィジィの効果の範囲と持続時間が分からないからな。違法性が無いと言うことは信じられるが、一部でも麻痺するのは避けたい」
「ふん。好きにしろ」
パラリィジィって麻酔みたいな物なのかな?皮膚吸収で麻痺させるって結構強力なんじゃ?
「天使様はどうする?」
「この後、魔法を使う予定なんですが」
「この後?」
「1/3刻後位です」
「まぁ、影響はないと思うが。天使様は小柄だから黒き狼のやり方の方が良いかもな」
「おい。そんな影響があるのか?」
「人によっちゃ顔の半分が痺れるって人もいる。黒き狼位なら影響は無いだろうが、天使様だと保証が出来ない」
「自分で麻痺させて良いですか」
「構いませんよ」
「ずいぶん態度が違うな」
「天使様に無理は言えない」
耳朶だけに麻痺をかける。痛覚ブロックを続けてきたからか、スムーズに発動出来た。一応触って確かめてみる。
「大丈夫そうです」
「なんと言うか、むちゃくちゃだな」
「咲楽だから」
酷い言われようだ。
鑑定士さんが取り出したのは、太目の針とコルクのようなキューブ。
「先に天使様からで良いか?」
大和さんと頷くと、鑑定士さんが耳の前にキューブを当てて耳の裏から一気に針で突き刺した。痛みは無い。ちゃんと麻痺は効いているらしい。
「天使様、治癒はかけられるかい?」
「はい」
どうやらシカトリーゼも小さな範囲なら効くらしい。日焼けには効かないのに。
「何か不満?」
大和さんに聞かれた。
「シカトリーゼもこういう傷には効くんだなって。日焼けには効かないのに」
「それは俺にはなんとも言えないね」
耳にピアスを着けてもらって、手鏡で見てみる。少し下目に着けたピアスが大人っぽい。
続いて大和さん。氷だと時間がかかるからと、結局大和さんの左耳にも痛覚ブロックをかけた。
大和さんのピアスも中央やや下目。シカトリーゼをかけて完成。
「満足したかい?」
「あぁ、ありがとう」
「ありがとうございました。このピアスもすごく綺麗です」
「そいつは良かった。天使様に似合わない物を着けさせるわけにいかないからな」
「俺は?」
「黒き狼のは天使様のピアスと対にした」
「別に構わんが、どこまでも咲楽優先だな」
「この辺りに居るのは大体がそうだな。黒き狼にも感謝はしているぞ」
「そう思うなら少しは態度に出せよ」
「ヤだね」
2人で軽口を叩きあって笑う。仲が良いなぁ。
鑑定士さんのお店を出てバザールで昼食を食べた。
東門から出て、東の草原に向かう。