527
熱の月、第2の闇の日。
今日は大和さんは出勤。私はお休み。
先週からの新施療院の内覧の意見を受けて、東施療院には保育室が作られた。マックス先生が言っていたように男女の更衣室の壁を取り除いて3室にして、真ん中に保育室を作ったらしい。私は見ていないんだよね。マックス先生とフォスさんは保育室が出来てから見に行ったんだけど。
保育室の保育職員の募集も始まった。東施療院の周辺での募集となる。そちらの方が通勤しやすいだろうという配慮らしい。
実は今日、私にはやることがある。薬湯の作成だ。ターフェイアからジャクリーンさんが王都に来ていて、クルスさんと一緒に「傷痕を薄くする為の薬湯」を作るらしい。そこにシカトリーゼをかけて欲しいと依頼があった。もちろん私だけでは行かない。ライルさんが一緒に行ってくれる。この事は大和さんには伝えてある。実験台になろうか?と笑って言ってくれた。
スライム液については、エメリー様にお任せした。ローズさんから『スライム局が大騒ぎになっているそうよ?』って言われてしまった。もう少ししたら、話を聞かれるかもとも言われた。
今日も良い天気だ。起床して着替えて、階下に降りる。朝食と大和さんの昼食を作って、庭に出た。風はあるんだけど、日射しがキツい。帽子をしっかり被って花壇とお庭の水やりをする。
それが終わったら離れの戸を開ける。離れの戸は板戸と障子の二重構造だ。夜間は板戸まで閉めておく。普段こちらで生活している訳じゃないから、戸締まりは必要だよね。結界具があるから泥棒の心配はないし、取られる物もないんだけど。水屋の食器ぐらい?
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「シャワー、行ってくる」
「はい」
シャワーに行く大和さんを見送って、離れの掃除を始める。掃除具を使っていると、大和さんが戻ってきた。
「咲楽、暑くない?大丈夫?」
「大丈夫ですよ?」
「そう?」
気遣われているようだ。大和さんはサンシェードを張ってから、瞑想に入った。今日のモヤの色は深紅。最近『夏の舞』が多い。
広縁に座って、大和さんを見る。『夏の舞』の時は緋龍が眼を開けている事が多いから、緊張してしまう。今日も緋龍の眼が開いていた。爛々と金の眼を開いて辺りを睥睨しているように見える。1度緋龍に魅いられてしまってから、なるべくその眼を見ないようにしている。
大和さんが眼を開けると、緋龍は消える。ホッと息を吐いた。
「咲楽、暑いんじゃない?」
「サンシェードもありますし、大丈夫です。さっきのはちょっと緊張しちゃって」
「緊張?」
「『夏の舞』の時って、緋龍の眼が開いている事が多いんです。それで……」
「あぁ、ごめん」
「謝らないでください」
大和さんは私の頭をくしゃって撫でて、舞台に上がった。くしゃって撫でられるのは久しぶりだなぁ。
『夏の舞』は見ていると楽しい。ただ時々、大和さんが楽しそうに見えない時がある。辛そうというか苦しそうというか。表情はあまり変わらないんだけど。
大和さんが舞台を降りて、立ち止まって眼を閉じる。しばらくすると眼を開けた。
「咲楽」
ウッドデッキにあがって、私にキスをした後、ぎゅっと抱き締められる。
「大和さん、『夏の舞』って大和さんが楽しそうに見えない時があるんですけど」
「バレてた?」
ハグをされたままの会話。顔を見られたくないのかな?大和さんの背中に手を回す。
「今日は風景は見えた?」
「見えていないです。大和さんが炎に包まれている感じはありましたけど」
「見えていない、か」
私から離れて、大和さんが広縁に座った。
「朝食にしますか?」
「うん」
お膳に朝食を並べて、大和さんがジュースを搾ってくれた。今日のジュースはキトルス。甘くて酸味もあって、大好き。
「今日はクルスさんの所だっけ?」
「はい。薬湯を作ってきます」
「傷痕を薄くする為の薬湯ねぇ。ヴィクター達には必要かな」
「そうですね」
今回の薬湯作りはスクラーヴさん達の為というのが大きい。人体実験ではないけど、身体に傷痕があって、消したいと希望した5人が参加してくれる。薬湯自体に有害な物は入っていないし、失敗しても害はない。ドリュアスの木の葉を使うけどどの属性が有効か分からない。薬効として有力なのは光属性の免疫力UPと水属性の治癒促進効果。後は私の光属性の木の葉だ。どうやら家のドリュアスの木の葉は薬効成分が強いらしくて、私の光属性の葉は感染症の患者さんが、普通の葉を混ぜた薬湯を飲んだ人より回復が早かったり、地属性の方は致死量一歩手前の毒が解毒されたらしい。その報告に大和さんと2人で「どんなチート?」って首をかしげた。
「私は大和さんの傷痕も消したいんですよ?」
「俺のなんて痛みも違和感も無いし、服の下に隠れるから気にならないのに」
「そう言いながら、他の人に見せないようにしているじゃないですか」
「見て気持ちの良い物じゃないだろうからね。その辺の配慮はするよ」
「ほら、気を使っているじゃないですか」
大和さんが黙り込んだ。
「俺も一緒に行きたかった」
しばらく黙っていた大和さんが不意に言った。
「クルスさんの所ですか?」
「そう。ジャクリーンさん以外は男性でしょ?」
「そうですね。大丈夫です。ライルさんも居てくれるし」
「そういう事じゃないんだけど。まぁ良いか。咲楽だし」
「あ、ちょっとムカッとしました」
朝食を終えて、母屋に戻る。大和さんが着替えている間に後片付けをする。カークさんが家に入ってきた。
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、カークさん」
「今日はお出掛けでしたか」
「はい。ちょっと協力してきます」
「ヴィック達をよろしくお願いします」
「はい」
大和さんが2階から降りてきた。
「じゃあ、行ってくる。気を付けてね」
「はい。大和さんもお気を付けて」
玄関まで見送る。チュッと額にキスされた。
家から見えなくなるまで見送って、家事に戻る。お掃除をしてしまわないと。窓を開けてシーツを剥がして洗濯箱に放り込む。掃除具で各部屋を掃除していく。
今日はエプロンを持ってくるように言われたなぁ。どのエプロンにしよう?最初に作ったものが何枚か有るんだよね。
掃除を終えて、シーツを掛けていく。よし。終わった。
「サクラ先生、用意は出来てる?」
結界具の反応と同時に馬車の音が止まって、ライルさんが迎えに来てくれた。
「はい。おはようございます、ライルさん」
「おはよう、サクラ先生」
馬車に乗ろうとすると、中に人影が見えてビックリした。
「サクラ先生、実施場所が王宮魔術師塔になっちゃったんだけど」
「はい?え?どうして?」
「筆頭様がね。話を聞いたらしい。それで、王宮魔術師も協力するって」
ジャクリーンさんが物凄く緊張していた。馬車に乗り込んで、王宮に出発する。
「サ、サクラさん、王宮って……」
「おはようございます。ジャクリーンさん、落ち着いてください。王宮といっても魔術師塔です。王族の方々はいらっしゃいません、よね?」
「居ないと思うよ。ほら、あそこって魔境だから」
「確かに何が出るか分からないですけど、失礼です」
「アリス嬢も顔を出すって」
「アリスさんが?」
「ピペータ殿が居るからね」
「あぁ。納得しちゃいました」
ぎゅっと手が握られた。ジャクリーンさんだ。無意識だと思う。
「ジャクリーンさん、炎熱病一歩手前の方に良いハーブって何かありませんか?」
「炎熱病一歩手前の方に良いハーブ?ミントは清涼感があるけど」
「キトルスはどうでしょう?」
「ふふっ。お得意のフルーツ水?」
「はい。経口補水液も良いんですけどね」
「ミントにも種類があるわよ。試してみる?」
「試したいですけど、植える気はありません」
「植えると大変よね」
「爆殖植物ですもんね」
「何の話?」
「ミントだよ、ライル。あれは有用なんだけどね。薬用にもなるし。環境が合えばあっという間に庭を覆い尽くしちゃうんだよ。種でも地下茎でも増えるから」
「へぇぇ」
魔術師塔は王宮正面でなく専用の入口がある。そこで馬車を降りると上から筆頭様が降ってきた。
「やぁやぁ、ようこそ。サクラさんは飛べるよね。一緒に行こうか」
「筆頭様、お客様はちゃんとご案内してください」
魔術師塔から、数人の文官さんが出てきた。筆頭様はへらりと笑うと、飛んで戻っていった。
「まったく。ようこそ魔術師塔ヘ。まずはお寛ぎください。まともな部屋が事務室しか無いのですが」
「あの、元スクラーヴさん達は?」
「向かいの塔に収監者が居るからね。あまり会わせたくないし、保護施設で待ってもらってるよ」
お茶を出してもらって、ひと息吐く。
「サクラさん、スクラーヴっていうのは?」
ジャクリーンさんから質問された。
「光神派っていって、光属性を狂信している人達が居たんですけど、そこで闇属性持ちだからって不当に虐げられていた人達です」
「えっ?」
「ほとんど壊滅状態だそうですけど」
「光神様を崇めている光神教は知っているわ。友人も光神教の1人よ。でもそんな闇属性を虐げるって聞いた事がないわよ?」
「常人には理解出来ない思想の持ち主だから、理解しようとしなくて良いよ」
「フリカーナ様」
「ライルって呼んでね。もうすぐ貴族籍を抜けるから」
準備が出来たからとアリスさんが呼びに来てくれた。エレベーターに案内される。
「例の葉はペピータ様に絶対に渡さないでくださいね。何をされるか分かりませんから」
ペピータ様、よほど信頼されてないんですね。
4階に案内された。この階が1番設備がオーソドックスなんだって。
クルスさんとジャクリーンさんが指示を出して、薬湯を作っていく。今回の薬湯は24種類。それを5人分作る。ドリュアスの木の葉を使った物と使わない物、私の育てたドリュアスの木の葉を使った物、それぞれに光属性を込めた物、私の祈りを込めた物。祈りの有無は関係あるの?これ。
まずは研究されている体力回復湯を作る。それを正確に24等分する。
カチャカチャと機材が触れる音がする。理科の実験みたいで楽しい。
「サクラさん」
筆頭様が部屋の入口から手招きした。
「はい」
「研究内容は記録してるよね?」
「はい。ライルさんがしてくれています」
「1種類ずつ、分けてくんない?」
「……ライルさんに聞きましょうか?」
「いや、いい。駄目だって言われるに決まってる」
「何をするおつもりですか?」
「傷痕を消すって事は外傷も治るのかな?って……。わぁ~。嘘です。ごめんなさい」
ん?
「筆頭様、執務を抜けられては困ります」
イイ笑顔の文官さんが筆頭様の後ろに立っていた。有無を言わさず筆頭様を引っ張っていく。
「あー、なんだか珍しい薬草の匂いがする」
お次はペピータ様がやって来た。あちこち泥だらけだ。
「ペピータ様、泥だらけでここに入らないで!!」
アリスさんが対応している。というか怒鳴りつけている。良いのかな?
「放っておいていいですよ。あの2人はいつもああですから」
付いてくれている文官さんが言った。
「サクラさん、シカトリーゼをお願い。こっちのには普通のを、こっちのにはお祈り入りね」
「はい。お祈りって必要ですか?」
「天使様のお祈りって効きそうだしね」
「クルス、いい加減にしろ。サクラ先生に無理を言うんじゃない。サクラ先生、シカトリーゼのみのは僕が担当するよ。もう一方はお願い」
「はい」
薬湯はまだ一人分の容器に入っていない。深呼吸して祈りながらシカトリーゼを発動する。
どうか付けられた傷がこの薬湯で治りますように。傷痕の無い綺麗な肌になりますように。心の傷も癒えますように。
「綺麗ねぇ」
「彼女のお祈りって綺麗なんだよね」
「ねぇ、ペピータ様、魔力って見えますよね?」
「うん。光属性って白い魔力だったと思うんだけど、彼女って白金っぽいね」
「ペピータ様もそう見えるって事は見間違いじゃないんだ」
みんなの声が聞こえる。意味は分からないけど害意は感じない。
「終わりました」
「サクラさん、こっちに来て」
アリスさんに腕を引っ張られた。部屋の隅に連れていかれる。
「光属性を手のひらに出して」
「はい」
「次は闇属性」
「はい」
「どう、ペピータ様?」
「闇属性は夜空のようだね。深い青色に金色の粒が散りばめられてるよ」
「サクラさん、ちょっと筆頭様の所まで付いてきて」
「どうしたんですか?」
「アリス嬢、おそらく筆頭様は知っているよ。行かなくてもいいんじゃないかな?」
ライルさんの声がして、アリスさんを止めてくれた。
「彼女の魔力が他と少し違うのは施療院のみんなは知ってるよ。でもそれを騒ぎにしたくないんだ」
「でも……」
「そういう人も居る、で納得してもらえないかな」
「……分かりました」
「私っておかしいんですか?」
「私より魔力量が多くて、私より多属性で、それを誇らないって相当おかしいわよ」
アリスさんが小声で怒鳴るという器用な真似を披露してくれた。おぉぉ、スゴい。
「感心しているんじゃないわよ」
「感心じゃなくて、称賛してます」
アリスさんが絶句した。