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3の鐘前に、クルスさんが飛び込んできた。薬湯を持ってきてくれたらしい。
「生き返る気分だよ。涼しいね。それに何?この氷像。1つ欲しい」
「溶けるよ?どうやって持ち帰るの?」
「魔空間に入れていくよ。氷なんだから溶けるのは当たり前でしょ」
「それはサクラ先生が作ったから、彼女に許可を取って」
目線で訴えられたから、頷いておいた。ホクホク顔でクルスさんが氷像を魔空間に仕舞う。薬湯は預かって氷魔法で冷やしておく。
「急に暑くなったわね」
「サクラ先生、大丈夫?お昼から新しい施療院を見に行くんでしょ?」
「はい。マックス先生、よろしくお願いします」
「はいはーい。任せておいて」
3の鐘になって、休憩室で話をしていた。
「サクラちゃん、あのお花の氷柱、どうやって色を着けたの?」
「光の乱舞と同じ要領です。氷魔法に属性魔力を混ぜたんですよ」
「サクラちゃん、赤はどうしたの?」
「私は火属性は無いから、生活魔法の火の要領で魔力を混ぜました」
「サクラ先生、さらっと言わないで。つまり僕にも出来る?」
「はい。たぶん」
「たぶん、ね」
ライルさんが小さい氷塊を生み出して、そこに何かを描いていく。
「ライル君、それって」
「ラナンキュラです。僕は下手ですね」
私の花の氷柱は花を着色してから回りを氷で固めている。ライルさんは氷柱を先に作ってそれを彫刻している。どちらが容易なのかは分からない。人それぞれやり方があると思う。
お昼休憩後にマックス先生と施療院を出る。
「東の施療院ははじめてなんだよね。近くまでは行ったけど」
「私もです。ちょっと楽しみです」
「サクラ先生の家から近いんだよね」
「そ、う、ですね……?」
「どうして疑問系なの?」
「ほら、私って方向音痴ですから」
「自慢しないで?」
マックス先生と話をしながら歩く。マックス先生は馬車でって言ったんだけど、施療院の馬車は緊急使用の為に置いておきたい。途中で辻馬車に行き逢ったら乗っていこうと話していた。
「あ、辻馬車だ。ちょっと急ごうか」
「えっ?マックス先生、待ってください」
「早く早く」
「待ってくださいってば!!」
「乗った、乗った。おっと先生、気を付けて」
馭者さんはジョシュアさんだ。テミンクの猫人族さん。以前タビーちゃんの種族判断に協力してもらった。
「先生方はどこまで?」
「東門だよ。よろしくね」
ジョシュアさんの隣に座る人に紙を渡された。
「これはキップだよ。彼女はシャフナーだね」
「シャフナーさん?」
「馭者の助手……じゃなくて、えっと、乗客の……」
「お客様のお手伝いをする仕事ですよ。はじめまして天使様。兎人族のティアと申します」
「はじめまして。サクラ・シロヤマです」
「はじめまして、マクシミリアンです」
マックス先生が混ぜっかえしたものだから、馬車内が笑いに包まれた。
乗客は5人。2人の子どもさんと女性が3人乗っていた。
「東門って何しに行くの?」
「新しく施療院が出来るからね。見に行くんだよ」
女の子の質問に、マックス先生が答えている。
この辻馬車は幌馬車だ。今日は日差しが強いから天井部だけ幌が覆っている。
東門に着いた。みんなに手を振って、馬車を見送る。
「サクラ先生、こっちだよ」
門の側に以前は無かった建物が建っていた。白い建物で、清潔感がある。隣に建っているのが騎兵士の詰所だそうだ。こっちは街門に接していてレンガのような赤っぽい色をしている。空中廊下で繋がっていた。
内部は3階建て。1階は広い診察室と施術師休憩室、資料庫と大きな更衣室があった。街壁ギリギリまで回廊が延びていて、回廊に囲まれた中庭もある。
2階は資料室とちょっとした図書室、療養室があった。3階には、シャワールームが3室とキッチン、施術師宿泊室。
「東門はね、閉鎖無しになるんだよ。閉鎖無しって言っても7の鐘から1の鐘までは門は閉門するけどね。手続きすれば旅人専用の宿泊施設に宿泊出来るんだ。だから毎日、2人夜勤が居る予定。騎士、兵士も同じだよ。トキワ君が夜勤の時はサクラ先生も夜勤を入れて良いかな?」
「はい。男女ペアでの夜勤もあるんですか?」
「申し訳ないけど、そうせざるを得ないんだよ。ごめんね」
「いいえ。東施療院に配属予定なのってマックス先生とフォスさん、私とルビーさんが決まっているだけですよね?」
「そうなんだけどね。ルビーちゃんは少し遅れるかもね。乳飲み子を抱えてじゃ大変だし」
「ですよね。保育室を作るわけにいきませんしね」
「保育室?」
「お子さんを預ける施設です。その間にお母さんは働けます」
「良いね、それ。信頼できる人を探さないと駄目だけど、働きたいってお母さんは何人か知っているんだよ。提案してみるよ」
「部屋はどうするんですか?」
「更衣室を分ければいいよ。男女の更衣室は隣り合っていたでしょ?あそこの壁を取り除いて、3室にして更衣室の間に保育室を作るってどう?」
「それは良いですけど、出来ますか?」
「出来るかどうか、コンクラーウェに聞いてみるよ」
「出来るなら、子どもさんが中庭に出られるようにドアを付けられないかも聞いてもらえませんか?」
「回廊から出れるけど?」
「遠回りになるかな?って」
「アハハ。大丈夫だよ。たぶん子ども達はそんなことは気にしないから。探検だ!!って動き回るよ、きっと」
新施療院の内覧を終えて、外に出る。中庭にウッドデッキと日除けを付けることもマックス先生が提案してくれた。
「あの中庭にね、ちょっとした仕掛けをしてあるんだよ。ホアになったら分かるからね。楽しみにしていて」
「仕掛けですか?何でしょう?楽しみです」
お隣の騎兵士の詰所も内覧が行われていたようだ。何人もの騎士様と兵士さんがぞろぞろと出てきた。
「先生方も内覧ですか?お送りしましょうか?」
分隊長さんの1人が声をかけてくれて、お言葉に甘えることにした。マックス先生がいそいそと馬車に乗り込む。
「はいはい。天使様はこっち。あんなむさい男共と一緒に乗っちゃいけません」
女性騎士様に別の馬車に乗せられた。車内ではエリーさんが苦笑していた。
「サクラさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。エリーさん」
以前に"さん"で呼んで欲しいと言われたのを思い出した。
「皆さんも東街門勤務になるんですか?」
「そうです。女性でないと都合の悪い事もありますし、昼勤が多いのですけどね。夜勤もあります。そうそう。街門詰所は屋上があるのですよ」
「良いですね」
「施療院とは宙廊で繋がっていますから、施術師先生も屋上に上がれますよ」
「ヤマト隊長が是非にって希望したんですって」
「大和さんが?」
「詰所の裏手には訓練用の広場もあるんですよ」
女性騎士様が色々と教えてくれた。馬場と馬車置き場もあるんだって。騎士だけなら馬に乗っていけばいいんだけど、兵士さんは乗馬が出来ない人も多いし、門外からの救援が要請された際には施術師も行かなければならない事もある。
「ヤマト隊長が屋上をって希望したって事は、やっぱり天使様と星空を眺めたいとかかしら?」
「きゃあぁぁ。ロマンチック」
「ヤマト隊長ってロマンチストなのかしら?」
「きっとそうよ。天使様へのプロポーズも素敵だったじゃない?」
騎士様といっても女性だけだとおしゃべりに花が咲くようだ。黙っているのはエリーさんだけ。
「静かにしないか。今は勤務中だ」
「「「はぁい」」」
エリーさんに一喝されて、女性騎士様達が黙った。こそこそ話しはしているけど。
「サクラさん、すみません」
「いいえ。皆さん仲がよろしいのですね」
「えぇ。女性騎士というだけで特別視される事が多いですからね。最近では減ってきましたが」
「イヤらしい言葉を言われたりね」
「露骨に『いくらだ?』って聞かれた事もあったわ」
「そうそう。アインスタイ団長様が気が付いて第二王子殿下に言ってくれたのよね」
「結構大規模な粛清人事になったじゃない?」
「今じゃ隊長達が目を光らせているし、そういう事を言う奴らったら弱いのよね」
「剣術で私達に負けるんだもの」
「いい気味だわ」
おしゃべりが復活してしまった。エリーさんが困ったように見ている。
結局施療院まで送ってもらった。降りる時にエリーさんが手を貸してくれたんだけど、見ていたご近所さんに何故か拍手されてしまった。
「サクラ先生とエリーちゃんのカップルは人気だからね」
「はいっ!?」
「何枚か売られている絵姿は人気商品らしいよ。『麗しの2人』って」
「何ですか?それ。売られてる?」
「サクラ先生がフルールの御使者をした時に、エリーちゃんがエスコートした事があったでしょ?確かエスパスだったかな?」
「はい」
「それがいまだに売れているんだって」
施療院に入りながら、マックス先生が教えてくれた。3年前だよ?
終業までの間に、新施療院についてのレポートを纏めた。マックス先生が所長に提出してくれるらしい。
5の鐘になって、施療院を出る。保育室の話をしたら、ライルさんが深く頷いた。
「その手があったか」
「ライルさん?」
「施術師の採用が決まったのが、一昨年でしょ?結婚して子どもが出来た。どうしましょう?採用取り消しですか?って問い合わせが何件かあってね。後は子どもが学門所に通える年齢じゃないとか。近隣の領なら少し留まってもらってって出来るけど、遠いとね。そういうわけにいかないし。困っていたんだよ」
「そうね。サクラちゃんも他人事じゃないもんね」
「そっ、そうですね……」
「真っ赤ね。可愛いんだから」
「ローズ先生も他人事じゃないでしょ?」
「そっ、それはそうですけど」
「楽しみだね。僕とかおじさんって呼ばれちゃうのかな?」
話題を変えよう。
「ローズさん、これってアクセサリーに出来ませんか?」
「何これ?バラの花弁が閉じ込められている?」
「スライム液をバラの花弁に塗って固めたんです」
「スライム液を?」
「後はこれです」
「これは?鏡?」
「薄い金属板をピカピカに磨いて、同じくスライム液を塗布しました。花弁は途中で埋め込みました」
ローズさんは考え込んでいる。
「サクラちゃん、ごめん。私じゃ手に負えないわ。王宮に話を持っていった方が良いわ。父様に話して良いかしら?」
「ユリウス殿に話したら?そういうの得意でしょ?」
「あぁ、そうですね。ユリウス様に話してみます。サクラちゃん、これ、預かっていい?」
「はい」
ローズさんは自宅へ帰っていった。
「スライムってそんなに都合よく液を出してくれるの?」
「家のスライムさんだけでしょうか?こういう風にしたいって言うと、消化液とは別のスライム液を器に入れてくれるんです。強化紙を作ったときには、紙の上を自ら這いずってくれました」
「いやいや、普通のスライムはそんな事はしないからね?思い付きもしないだろうけど」
「でも、スライム液が乾くと硬化するって、カークさんが教えてくれたんですよ?トレース台にも使ってますけど」
「トレース台?」
「えっと……」
「明日ゆっくり聞かせてもらうよ。トキワ殿のお迎えだよ」
「おかえり、咲楽。何の話?」
「カーク君、ちょっといいかな?トキワ殿、カーク君を少し借りるよ。先に帰ってて。責任持って送るから」
カークさんがライルさんに連れていかれた。
「何の話?」
「スライム液の鏡についてです」
「あぁ、あれ。大騒ぎだね」
「スライムさんって有能ですよね」
「たぶんスライムが有能じゃなくて、咲楽が大発明したって話になると思うよ」
「そうですか?」
バザールで買い物をして、家に帰る。私がお夕食を作っている間に、大和さんはお風呂に行った。
今日は冷製パスタ。トマトと香辛料とビネガーで味付けをする。
「咲楽、風呂に行っておいで」
あぁ、大和さんが上がってきてしまった。って早くない?いつもはもう少しかかるはず。
「いつも位だけど?」
怪訝な顔をしていたのか、大和さんがキッチンに入ってきた。
「行っておいで」
「はい」
お風呂に行く前にスライム液の様子を確認した。実は鏡はもう1つ作成中だ。木の枠にスライム液を入れて、少し乾燥した所にアルミナムの金属板を置いて、スライム液に封じ込める。手鏡にならないかな?と思って作ってみた。アルミナムを分けてくれたムラードさんには不審がられたけど。アルミナムは柔らかくて加工は簡単だけど長くは保たないらしく、「何に使うんでぇ?」って言われた。ムラード工房では新人さんの練習に使うらしい。
お風呂から上がったら夕食にする。パスタを冷やしたドレッシングと和えると、大和さんがテーブルに運んでくれた。
「東施療院の内覧だったんだって?」
「はい。エリーさんから聞いたんですか?」
「エリー様だけじゃなく、一緒に行ったみんなからだよ。女性騎士達に許可を求められた」
「許可ですか?」
「咲楽を"サクラさん"と呼ぶ許可だって。エリー様が呼んでいるのが羨ましかったらしい。ついでに自分達も"さん"で呼んでほしいって」
「呼び名はご自由に。個人は……良いのでしょうか?」
「良いんじゃない?本人が許可しているんだから」
夕食を食べ終わって寝室に上がる。
「咲楽って人タラシだよね」
「貶された気がします」
「貶してないよ。いつまでもそのままでいてね?俺はそこまで慕われるタイプじゃないから」
「大和さんは慕われるタイプだと思うんですけど?」
「そんな事はないよ。もう寝よう、ね」
「照れました?」
「おやすみ、咲楽」
「ふふっ。おやすみなさい、大和さん」
珍しく照れちゃった大和さんがなんだか可愛かった。本人には言わないけどね。