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お昼の休憩が終わった。診察に戻る。
お昼からの診察にセルパンさんが来院した。店員さんなのか、厳ついというか、目付きの悪い男の人が一緒だ。
「天使様、すみませんな。コイツなんですが、拳を痛めたようで」
「拳を?って、骨折しているじゃないですか。いったい何をしたんですか?」
「気に入らない……」
「むしゃくしゃして岩を殴り付けたらしいんですよ」
セルパンさんが途中から被せぎみに説明してくれる。
「駄目ですよ。むしゃくしゃしていたからって岩に喧嘩を売っちゃ」
「ヤダなぁ、天使様。ウチは小さいながらも商売をしていますが、喧嘩なんて売買してませんよ」
「そうですよね」
にっこりと笑うと、男の人が気まずげに目を逸らした。
「天使様は喧嘩はお嫌いですか?」
「嫌いです。私は臆病なんですよ。だから怖いのも痛いのも嫌いです」
「天使様らしいですね。男はそうも言ってられませんが」
「喧嘩は嫌いですけど、自らを高める為に努力する方は好きですよ」
「黒き狼様はお強いですからね。そういう所に惹かれたのでしょうか?」
思わず動揺して、手元が狂いそうになった。
「セルパンさん、動揺させないでください」
「天使様はお可愛らしいですね」
ニコニコの笑顔でセルパンさんが言う。からかわれてる、んだよね?
「はい。終わりました。岩になんか喧嘩を売っちゃ駄目ですよ」
「ありがとうございました」
「では、天使様、ありがとうございました」
「はい。お大事にしてください」
セルパンさん達を見送る。セルパンさん達の後は患者さんもほぼ来なくって、組紐について考えていた。プレートというか、ディスクを作れば良いんだろうけど、上手く作れるかというと自信が無い。厚紙で作ろうかな?
「サクラちゃん、今、良い?」
「はい。ローズさん、どうしたんですか?」
「朝言っていた紐が気になってね。こちらにも飾り紐は有るから」
「思っているものと近ければ良いんですが」
「今日、行ってみる?」
「エメリー様は良いんですか?」
「……大丈夫よ」
「タメが怖いんですけど」
5の鐘になって、施療院を出る。結局ローズさんは家に帰ってから、追いかけると言っていた。
「咲楽、お疲れ様」
「大和さん、ジェイド商会に寄っていっても良いですか?」
「良いよ。何が欲しいの?」
「組紐みたいなのがあるかもってローズさんが言ったから、見たいんです」
「あぁ、こっちにもエギュレットは有るからね。組紐も有るかな?」
「作るって言ったのに、すみません」
「無理しなくて良いって言ったでしょ?」
「まぁ、そうなんですけど。でも、作りたかったんです」
「ありがとう。考えてくれたんだね」
「エギュレットってあの肩から胸にかかっている紐ですよね?」
「そう。日本語で言うと飾緖だね」
「あれっていったい何なんですか?」
「軍装では副官や参謀が付けることが一般的で、勲章的な意味や、制服の装飾として付けられるね」
「つまりは権威付けの飾り?」
「ふっ……。そうだね」
「あ、嫌だ。大和さん、笑わないでください」
「よく考えなくてもそうだな、って思ってね」
ジェイド商会に着くと、服飾部の有る2階に上がった。
「いらっしゃい、天使様」
「こんにちは、ダフネさん。ちょっとお聞きしたいんですけど」
「ん?何かな?」
「飾り紐って有ります?」
「飾り紐?こっちだよ」
案内された先にあったのは、様々な太さの飾り紐。ただし色は金色オンリー。
「色って金色だけですか?」
「うーん。違う色はたまにオーダーで受けたりするけど。何に使うの?」
「ポッシュ時計の紐です」
「金属の鎖じゃダメなの?」
「金属だと、引っ掛かった時に、ちょっとな」
「ふぅん。ちょっと待ってて」
ダフネさんは奥に入っていった。少ししていろんな紐を持ってきた。長さは10cm位。
「どれか好きなのを選んで。決まったらオーダーを受け付けるよ。糸の物は物によっては日がかかるよ。金属製だったらすぐに作れるけど」
「色は?」
「好みの色で作れるよ。よほど特殊でなければね」
大和さんが選んだのはセリウス糸の飾り紐。
「良いのを選ぶね」
「良い品質の物を長く使う方が良いからな」
「そうだよね。色はどうする?」
「黒で」
「黒、と。分かったよ。注文しておく。セリウス糸だから次の闇の日には出来ると思う」
「世話をかけるな」
「良いよ。仕事だからね。天使様は何も欲しい物は無いの?」
「今は無いです」
「あ、そうだ。ねぇ、天使様。こっちとこっち、好みはどっち?」
見せられたのは2枚のデザイン画。ネックレスかな?太めでアウトゥの木の葉や木の実がデザインされている物と、宝石をいくつも連ねた大ぶりの物。大和さんと覗き込んだ。
「こっちかな?」
「咲楽にというなら、こっちだな」
私と大和さんが指差したのは、太めでアウトゥの木の葉や木の実がデザインされている物。
「私に?」
「これって……だろ?」
「トキワさん、よく分かったね」
何の話?
「こっちだね。分かった。ありがとう。こちらの方向で考えるよ」
「あぁ、楽しみにしてる」
「大和さん、何の話ですか?」
「分からなかったら、それで良いよ」
「ん?」
本当に何の話なんだろう?大和さんはダフネさんと、あぁでもない、こうでもないと話している。私の置いてきぼり感がスゴい。
「サクラちゃん、お待たせ。あら?どうしたの?」
「ローズさん。えっと、大和さんとダフネさんがなんだか盛り上がっていて」
「ふぅん。で?紐は有ったの?」
「有りましたけど、金色だけだったので、注文しました」
「そう。ねぇ、アルジャンの所に行かない?」
「行きます」
「トキワ様、ダフネ。アルジャンの所に行ってますからね」
ローズさんが2人に声をかけて、階段を降りた。
「おや、いらっしゃいませ。お久し振りでございます」
「アルジャンさん、お久し振りです」
「ねぇ、アルジャン、新しく仕入れたっていうあのお茶、出してあげてくれない?」
「あれでございますか?」
少し逡巡しながらも、アルジャンさんがお茶を淹れてくれた。白磁のカップに注がれたお茶の水色は黄色がかったグリーン。緑茶?
「ローズさん?」
「サクラちゃん、飲んだ事、無い?」
「これって……」
一口飲んでみる。渋味は強いけど、これは緑茶だ。
「プッセラワ領から仕入れたのですが、飲んでいただいた通り渋味が強いのですよ」
「これ、お湯の温度が高すぎるんだと思います。後は蒸らしすぎ?」
「お湯の温度と蒸らしすぎですか?紅茶と同じように淹れてみたのですが」
「紅茶は沸かしたてのお湯を使いますよね?このお茶はもう少し冷ましたお湯を使って淹れた方が美味しいです」
「お詳しいのですね」
「好きなだけです。淹れてみて良いですか?」
「はい。どうぞ」
ティーポットとカップとお湯を渡してもらう。うーん。荒茶ってタイプかな?
沸かしたてのお湯をティーポットに入れて、少し置いて冷ましてカップに注ぎ直す。これで80度位になったはず。その間に茶葉をティーポットに入れて、カップのお湯を注ぐ。蒸らし時間は20秒から40秒。私は30秒位にしていた。
時間が経ったらカップに注ぎ分ける。
「どうぞ。飲んでみてください」
「あら?渋味が少ないわね」
「それにわずかに甘味が感じられます」
「そうね。でも、私は紅茶の方が好きだわ」
「あー、お嬢様、何飲んでるの?」
「ダフネ、トキワ様。お話は終わったのかしら?」
「えぇ。咲楽がお世話になりました。緑茶ですか?」
「リョクチャ?あぁ、そうですね。お飲みになりますか?」
アルジャンさんがお茶を淹れてくれる。大和さんは美味しそうに飲んでいた。
緑茶を分けていただいて、帰宅する。
「緑茶が有るとは思わなかった」
「プッセラワ領から仕入れたらしいです」
「へぇぇ。淹れ方、教えたの?」
「はい。最初に頂いたものは渋くて。お湯の温度が高かったのと、蒸らしすぎだと思います」
「紅茶と同じ感じで淹れたのか」
「はい。そうみたいです」
家に帰って、夕食の用意をする。
「俺は先に風呂に入ったからね」
「はい」
どうしよう。夕食の用意の前にお風呂に行こうかな?
「先に入ってきたら?」
「行ってきちゃって良いですか?」
「うん。行っておいで」
「はい」
緑茶かぁ。確かプッセラワ領ってツァイロン領と並ぶ紅茶葉の産地だったよね。そのプッセラワ領が緑茶を売り出したって事は差別化を図ったのかな?理由はどうであれ、緑茶は嬉しい。和菓子系のお菓子には緑茶の方が合うんだよね。私はそう思っている。緑茶があるなら黒餡を使ってキンツバも作れそうだなぁ。作ってみようかな?あ、でも、また黒餡を作らなきゃ。白餡も作ろうかな?黒豆と白豆は有るから、吸水させておこう。
お風呂から出て、夕食の用意の続きをする。黒豆と白豆の吸水をする為に水に浸けていると、大和さんがキッチンに入ってきた。
「何してんの?」
「黒豆と白豆を吸水させてます。黒餡と白餡を作ろうと思って」
「ふぅん。何を作るの?」
「キンツバを作ろうかと」
「良いね、キンツバ。緑茶と食べたいね」
「その前にお夕食ですけどね」
今日はカルボナーラ。パンチェッタは無いから、ベーコンで作ったけど、美味しく出来たと思う。
「今日ね、ガッジョーとヴァーブルの里に行って、カイマークとヨーグルトを買ってきた」
「食料庫に入っていましたね。ありがとうございます」
「ガッジョーとヴァーブルの里のランヴェルセも入っていたでしょ?」
「はい。デザートにご所望ですか?」
「咲楽と食べたいって思って買ってきた。夕食後に出してね」
「分かりました。ガッジョーとヴァーブルの里ってまた行きたいです」
「何か考えたみたいで、イベントをやってたよ」
「どんなイベントですか?」
「仔ピヨーリレース。鳥券を客が買ってね、1位を当てるの。仔ピヨーリの運動にもなるし、楽しめるし、収入にもなるし、良いことばかりなんだって。収入ったって微々たる物だけどね」
「やったんですか?」
「うん。商品があれ」
ピヨーリの羽根を使ったらしい羽根枕を指し示された。
「カークが今度ユーゴを連れてこようって言っていた。子どもも楽しめると思うよ。距離がネックだけどね」
「あそこまでは歩きだと時間がかかりますもんね」
「途中で盗賊も居るしね」
「やっぱり居るんですか?」
「索敵に3人組が引っ掛かったよ。きっちり捕縛したけど。ついでに説教もしておいた」
「捕縛してどうしたんですか?」
「王都に連行した。また捕縛用のロープを作らなきゃ」
「捕縛用のロープを作る?」
「あのロープね、ワイヤーを編み込んで有るんだよ。ワイヤーは俺の自作。それをロープにするのは職人に頼んだけど」
「そこまでの強度が要るんですか?」
「ワイヤー無しのロープは切れちゃうからね」
「切れちゃう?まぁ、そうですけど。剣とかナイフは取り上げるんじゃないですか?」
「違う違う。腕力で千切れちゃう場合があるんだよ」
「どんな腕力ですか……」
「後は時間の有る時だけだけど、摩擦で切れるとか」
「大和さんが知っているって事は」
「もちろん訓練した。捕らわれた時に逃げる訓練は一通りね」
「うわぁ……」
「ロープを引き千切るのはずいぶんやっていないから、今でも出来るかっていうのは自信が無いけど」
夕食後のデザートにランヴェルセを出してきて、2人で食べた。カイマーク入りなのか、濃厚で美味しい。
「美味しいです」
「蕩けそうな顔だね」
「ランヴェルセは好きなんです」
「こっちも食べる?」
「それは大和さんのです」
「食べさせてあげようか?」
「自分で食べられますよ?」
「俺がしたいの。はい。あーん」
「恥ずかしいんですけど」
「誰も見ていないのに?」
スプーンを差し出し続ける大和さんに根負けして、差し出されたスプーンを咥えた。
「もう一口、どう?」
「自分のをまだ食べ終わってません」
「そっちも食べさせようか?」
「御遠慮いたします」
「遠慮なんて要らないのに」
なんとかランヴェルセを食べ終えて、寝室に上がった。
「緑茶か」
「あれって荒茶ですよね?」
「うん。紅茶と同じやり方なんだろうね。加熱はしてあるだろうけど」
「でも、淹れ方は知られてないですよね?プッセラワ領ではどうしていたんでしょう?」
「どうなんだろうね?」
「そもそも何故緑茶にしようって思ったんでしょう?基本的に紅茶は発酵茶ですし、加熱して発酵を止めてって、どうやって思い付いたんでしょう?」
「東方・美人みたいなお茶が有るくらいだから、有っても不思議じゃないけどね」
「東方・美人?あぁ、最初にプロクスさんが飲んでいましたね」
「ああいう半発酵茶が有るって事は、日本以外の国からの転移者も居たんだろうね。今のところ、知り得た人達は時系列に沿っているけど、過去や未来に飛ばされていてもおかしくはない」
「時系列に沿っているって言っても、ここって中世って感じですよね?」
「じゃあ、俺らは過去に飛ばされたって事か」
「ですよね」
「産業革命が起きていないのも気になるんだよな」
「グリムアール国では公害が発生しているようですよ」
「公害?どうして知っているの?」
「所長に聞かれました。こういう症状に思い当たる病気はないかって」
「過去から未来に飛んだのか、未来から過去に飛んだのか」
結論は出ない。完全に推測だし、そうであるという確証も無い。
しばらく2人で考えていたけど、結論は出なくて、疲れて寝てしまった。