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水の月、第3の火の日。
あの闇の日に特に症状が無かったことから、封印術に綻びは無いと判断したと術者さんは言った。術者さんは今日帰国するという。もっと魔術を習いたかったな。私が習った魔術はテレパスとアティスとボヤンス。ボヤンスといっても服が透けて見えるとかじゃないよ。壁越しに物が見えるって術だ。術者さんは封印術の術者だけど、カエリースタトゥスと呼ばれる気象を操る魔術も得意らしい。どんなものですか?と聞いたら、上空から空気の塊を降ろしたり、雷を纏ったりだそうだ。後は上昇する見えない龍を呼ぶとか。それは竜巻じゃないのかな?大和さんに上空から空気の塊を降ろすって話しをしたら、それはダウンバーストじゃないの?と言われた。ダウンバーストは積雲や積乱雲から爆発的に吹き降ろす気流だったりそれが地表に衝突して吹き出す破壊的な突風の事で、この突風は風速50mを超える場合があるらしい。地球じゃ飛行機事故もあったんだって。
雷を纏うと言っていたけど、実際には静電気の強いものという認識らしい。相手に触れて意識を刈り取るとか言うんだもん。スタンガンって感じだね。やり方は教えてもらったけど、成功しなかった。説明を聞いていると、ミストシャワーを凍らせて、高速回転させるイメージ。それを体外魔力操作で行う。ミストシャワーだけで水属性と風属性を使っているんだけど、さらに重ねて氷魔法を発動させて、さらにさらにプティトルナドを発動するとか、物凄く難しい。確かに氷の粒子である氷晶が上昇気流にあおられながら互いに激しくぶつかり合って、摩擦したり砕けたりすることで静電気が蓄積される。これが雷の元とは言われていたけど、大和さんによると完全に解明されていないらしい。
身体強化の説明も受けた。これは大和さんがたまにやっているソーリュストに似ている。ソーリュストは身体の外に見えない鎧を纏うイメージだけど、身体強化は人体組織が堅くなるらしい。大和さんはやってみたいと訓練している。手解きも受けたと言っていた。
起床して服を着替えてキッチンに降りた。パン種を出してきて、成形を始める。今日作るのは食パンとベーコンエピ風のパン。ベーコンエピ風のパンは大和さんの評判が良かった。美味しいって食べてくれた。
パンが焼き上がったら、庭に出る。ミストシャワーで水撒きをしていると、大和さんが帰ってきた。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「あの鍵ね、王宮の書庫の鍵だったらしいよ」
ストレッチをしながら、大和さんが教えてくれた。
「あの鍵?闇の日に見つけた鍵ですか?判明するのが早くないですか?」
「なんでもね。王宮の書庫に1つ開かない引き出しがあって、もしかしてってやってみたら見事に開いたんだって」
「それでこんなに早く分かったんですか」
「あの地図はまだだけどね」
「ウィフレットさんが王宮の地図だって言っていましたけど」
「外郭は王宮と一致するんだけど、内部がね、全く違うんだ。ウィフレットさんはお義姉さんに連絡を取ってみるって」
「お義姉さんに?お兄さんにじゃないんですか?」
「お兄さんは他国に行っているらしいよ。息子さんと一緒に」
「誰に聞いたんですか?」
「プロクス」
「いつの間に……」
大和さんは瞑想に入った。
庭を見ていると、イリスメサジェの蕾が膨らんでいるのに気が付いた。バラは摘み取って花びらを乾燥中。これはポプリにするつもりだ。
今、ちょっと思い付いた事を試している。乾燥させた花びらをスライム液で固められないかな?と、実験中だ。レジンアクセサリーのように出来たら嬉しい。家のスライムさんが特別なのか、「固めるスライム液が欲しい」と言ったら、器に入れてくれた。今は四角く固めて飾れないかの実験中だ。
大和さんが立ち上がった。急いで舞台の正面に行く。ウッドデッキでも良いんだけど、正面の方がよく見える。
大和さんが『冬の舞』を舞い始めた。雪原を駆ける黒い影。馬かな?一頭だけだ。キラキラと輝く雪原をまっすぐ駆けていく。雪を被った山脈が見える。その上に広がるのは雲1つ無い蒼穹。
大和さんの剣舞が終わった。朝食の為もあって、離れに歩いていく。
「咲楽、隣に座って」
「はい。大和さん、大丈夫ですか?」
大和さんは答えずに私にぎゅっと抱きついた。大丈夫かな?
抱きつかれている間は何も出来ない。アティスでウッドデッキのテーブルを引き寄せて、朝食を出す準備をする。
「咲楽?いつの間にテーブルを持ってきたの?」
顔を上げた大和さんに聞かれた。
「さっき、アティスで引き寄せました。大和さん、大丈夫ですか?」
「うん。ありがとう。落ち着いた。精神修養が足りないのかな?『冬の舞』の後は咲楽を抱き締めたい」
「うふふ。私は大和さんのカイロですね」
「咲楽は俺の春だから」
朝食を並べながら、大和さんがそんな事を言う。
「大和さん、さっき『精神修養が足りない』って言いましたけど、寒い時に温もりを求めるのは駄目なんですか?」
「駄目とは言われてないけど。でも、神々に御覧頂くにあたって、側に咲楽が居なきゃ舞えないっていうのはね。それじゃ神々に満足していただける舞いをお見せできない」
「舞台の上でもって事じゃないんですから、良いと思いますけど。大和さんが抱きついてくるのって、いつも舞台を降りてからじゃないですか」
「まぁ、そうだね」
「舞台上では神々に四季をお見せして、四季を感じていただいているんです。舞台を降りた少しの時間位は神々の舞人じゃなくて、ただの人に戻っても良いんじゃないですか?」
「咲楽は優しい考え方をするね」
「そうですか?」
大和さんが普段から剣舞の為に自分を律している事は知っている。でも神々に御覧頂いた後の一時位は気を抜いても良いんじゃないかな、と思う。
「そういう生き方はしてこなかったからね」
「じゃあこれから少しずつ、そういう生き方を一緒にしていきましょう?」
「そうだね」
朝食を終えて、家に戻る。大和さんはシャワーに行った。昼食を作って包む。
大和さんはまだ戻ってこない。自室に上がって着替える。髪を纏めてリップを塗って、階下に降りる。
「おかえり。キッチンに置いてあった昼食は持ったよ」
「お待たせしました」
「サクラ様、おはようございます」
「おはようございます、カークさん」
3人で家を出る。
「サクラ様、魔術は楽しいですか?」
「ふぇっ!?どうして知っているんですか?」
「俺が話した」
笑いを抑えずに大和さんが言う。
「あの方には、私も教えていただきましたから」
「何を教えてもらったんですか?」
「アティスとフェアシュテッケンです」
「フェアシュテッケン?」
「姿を隠すことですね」
「それは俺も教えてもらった」
「姿を隠して何をするつもりですか?」
「潜入以外で使いませんよ。完全に使いこなせれば他人にも掛ける事が出来ますので、魔物の討伐に役に立つのではないかと」
「フェアシュテッケンって犯罪に転用出来そうですけど?」
「使わないよ!!」
「使いません!!」
大和さんとカークさんの声が重なった。
「咲楽は俺達をなんだと思ってるの?そういう事をしそうに見える?」
「見えませんよ。大和さんとカークさんの話じゃなくて、可能性の話です」
「可能性ね。可能性なら、まぁ、そうだね。犯罪に使われるって事も念頭においておかないとね」
「サクラ様は何を教えてもらったんですか?」
「テレパスとアティスとボヤンスです。テレパスは今のところ大和さんとしか成功してないですね」
「ボヤンスというのは?」
「壁越しに物が見えるんです。便利ですけどかなり疲れます」
「疲れるとは?」
「長時間目を酷使した状態になるんですよ。使いすぎると頭痛が酷いし、術者さんにはいざという時以外は使わない方が良いって言われました。術者さんも封鎖区域の生存者確認くらいにしか使わないんですって」
「封鎖区域の生存者確認?」
「洞穴で岩盤が崩落して、とか、救助活動ですね」
「あぁ……」
大和さんが遠い目をしたのは、地球に居た頃に使えていたら、って思っていたんだと思う。災害被災時の72時間の壁は有名だけど、ボヤンスがあればやみくもに探さなくても良いからね。
「フェアシュテッケンを潜入以外では使わないって言いましたけど、どこに潜入するんですか?」
「敵のアジトとか」
「何の敵ですか?」
「……。何だろうね?」
「大和さん、便利そうってだけで覚えましたね?」
「今までの技術もそうやって習得したものばかりだし」
「私は潜入と言いましたが、実際には魔物から身を隠す為ですね」
「カーク、それ、今考えた理由だろ?」
「違いますよ。元からこのつもりです」
「どちらでも良いですけど、危険な事はしないでくださいね?」
「肝に命じます」
「そんな事を言っていたら、騎士の仕事は出来ないよ」
「大和さん?」
「出来るだけ気を付けます」
「よろしい」
少し偉そうに言うと、自然と3人の口から笑い声が漏れた。カークさんは我慢していたけど、大和さんに笑わされていた。
「楽しそうだね」
「おはようございます、ライルさん」
「何の話をしていたのかな?」
「魔術についてです」
「魔術?僕はアティスしか習得出来なかったんだよね。そんなに使う機会もないけど」
「便利なんですけどね」
「扱いに慣れると動かなくなるね」
「便利なのも良し悪しですね」
大和さん達と別れて、施療院に向かう。
「サクラ先生は他にも習っていたね」
「テレパスとアティスとボヤンスですね。カエリースタトゥスも教えていただきましたけど、正直に言って使い道がありません。使えませんし」
「説明は聞いたけど、あれだけ規模が大きいとね。辺境なら使い道もあるんだろうけど」
「辺境ってやっぱり魔物も多いんですよね?」
「多いって聞くよ。大きさも桁違いだって聞いた」
「カークさんに聞けば教えてくれそうですけど」
「けど?」
「最近魔物の事を聞くと、見たいのですか?ってやたらと聞かれるんです」
「サクラ先生が見に行きたいって思ってるとか?」
「あの時からですね。南門外のレギールスコルピオが出た時。倒された後だと聞いて、見てみたいって言ったんです。その後からですね」
「レギールスコルピオなんて王都付近では滅多に見ないしね。サクラ先生は好奇心が旺盛だから、心配されたんじゃない?」
「ちゃんと規制された先には入らないようにしてますよ」
「それでも心配なんでしょ」
「心配されるのは嬉しいんですけどね。そこまで無謀な事はしませんよ。私は攻撃魔法が下手ですし」
「下手と言うか……」
「ライルさん、ヒドいです」
「おはよう、ライル様、サクラちゃん」
「おはようございます、ローズさん。どうしたんですか?」
ローズさんが、朝に似合わないショボくれた顔をしていた。
「引っ越したのは早計だったかしら。サクラちゃんと話をする時間が少ないわ」
「結婚しても変わらないねぇ。ある意味安心したよ」
「それで?ライル様と何の話をしていたの?」
「魔物についてです。魔物についてというか、カークさんについてというか。カークさんが最近、魔物について聞くと説明してくれた後で『サクラ様、見たいのですか?』って聞いてくるんですよ」
「心配されてるんじゃないの?」
「心配はされているんでしょうけどね。その魔物がどういった生態でどう危険なのかって詳しく教えてくれた後に聞かれるんです。『サクラ様、見たいのですか?』って」
「あらあら」
「そうじゃないって言っても、それはもうしつこく聞かれるんです。信用されてないですね」
「サクラちゃんだったら『ここにこんな魔物が居る』って知ったら、見たいって言っても納得しちゃうわ」
「そんな事はしませんよ。私は臆病者ですから」
「魔物じゃないけど、霊獣のユニコーンやグリフォンやペガソスも見たいって言っていたじゃない」
「私達の間では、神話の世界の生物でしたからね」
「たぶん、王太子殿下の即位式には見られるよ」
「楽しみにしておきます」
施療院に着いて、更衣室で着替える。
「サクラちゃんの世界には居なかったの?」
「魔物も霊獣も居ませんでしたね。居るかもしれないという言い伝えはありましたけど」
「どんなものなの?」
「古い話だと、九尾の狐とか座敷童、海坊主、一反木綿、猫又、鵺、河童、鬼、天狗は有名どころですね。私でも知っているくらいには」
「たくさん居るのね」
「私が知っているのは名前だけですけどね」
「名前だけって事は詳しくは知らないの?」
「知りません」
「どうして?」
「臆病者ですから」
診察室に行く。待合室にあの人が居た。光神派のトップだと名乗った男性だ。所長とマックス先生が相手をしている。
「また来てるのね。迷惑だわ」
ローズさんが呟いて、私の手を引いて足早に診察室に入る。
「サクラ先生とローズ先生は隠れていてくださいね。今、ライル先生が騎士団に通報しましたから」
1番奥の診察室に私達を隠して、フォスさんは出ていった。いつまでこの騒動は続くんだろう。思わずため息が漏れた。
「なんだかここまで妄信的だと気味が悪いわ。誰かに操られているんじゃないかって思うわね」
「操られている?誰がですか?」
「あの男よ」
「操られているようには見えませんけど」
「すべて自分の意思って事?それはなおさら気味が悪いわ」
「そうですよね」
アティスは引き寄せる魔術です。アポートとはまた違います。アポートは別の場所にある物体を取り寄せたり、物体をどこからともなく登場させる事ですが、アティスは目に見えている物を自分の近くに運ぶ感じです。
実際にあるのかは分かりませんが、そういうものだと思っておいてください。