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水の月、第2の闇の日。
今日は私の状態がどうなるか分からないからと、大和さんが1日側に居てくれる。カークさんとリンゼさんも隣で居てくれると言うし、大和さんやカークさんで対応出来ない時は筆頭様と術者さんが来てくれると言っていた。皆さんのお手を煩わせて申し訳ない。
そういう訳で、というのか、大和さんは今日はランニングに行っていない。
先週の術者さんによる私の封印術の改善策は一回り大きな封印箱を作るという物だったらしい。私はその時眠っていたから分からない。ただ、起きた時、大和さんに抱き締められた。施療院で掛けてもらったはずなのに、起きたら自宅でビックリした。なんと半日眠っていたらしい。翌日は大事を取って施療院は休んだ。正確には休みなさいと所長から命令された。大和さんもお休みで元四阿の離れでトラヴェルソとリュラで演奏したり、のんびりさせてもらった。
光神派の人達はただいま取り調べ中らしい。筆頭様はじめ、魔術師の皆さんがクエイムをかけたり、術者さんまで加わって光属性至上主義の考えをなんとか捨てさせようとしている。術者さんがクエイムより強力なレフェドゥシェセフェブという洗脳魔術を掛けるしかないとか言い出して、ちょっと大変らしい。
術者さんはテレパシーを教えてくれた。相手と感覚を繋げて発信者と受信者の間に見えない線を構築する、らしい。糸電話?術者さんがテレパシーを教えながら実演してくれた。魔力の流れも見えたけど、属性の色が着いていない透明な糸が私に伸びてきた。
これをやっていたのは施療院。先週はお昼を挟んで1刻程度しか働いていない。朝から1時間位とお昼から2時間位だけ。それ以上は私の負担になると筆頭様と所長が判断した。大丈夫だと言ったんだけど、聞き入れてくれなかった。施術をしていない時間に一緒に居てくれたのは術者さんだ。毎日1刻程度来てくれて、魔術も色々見せてくれた。私に直接関係のある封印術以外だけど。
魔術を使うと複合魔法のような事も出来る。一定区域の重力を操ったり粉塵爆発のような事も出来るらしい。大和さんと話していた超能力系の事も出来ると言っていた。大和さんのやってみたいというサイコキネシスの一種も教えてもらった。アティスって言うんだって。見えない線を作って物体を引き寄せる。親切丁寧に教えてくれて術者さんとの間ならテレパシーは成功した。アティスもなんとか成功。でも、魔術は消費魔力が大きい。術者さんは慣れていくと消費魔力を抑えられると言っていた。
「咲楽、おはよう」
久しぶりだなぁ、寝起きどっきり。
「おはようございます、大和さん」
「おはようのキス、して良い?」
こういう風に聞く時って、本気でしようとしていないんだよね。出来ればラッキーみたいな。
「起きて洗顔だけさせてください」
「その後なら良いんだね?」
良しって小さな声で言って、私を抱き上げた。
「ちょっ!!大和さんっ」
「このまま地下に行こうかな?」
「着替えをさせてください」
「仕方がないね」
自室の前で降ろしてくれたから、簡単なワンピースに着替えた。自室を出るとまた大和さんに抱き上げられた。
「降ろしてください。自分で歩けます」
「嫌だ。離したら消えそうだ」
「消えませんよ。大丈夫です」
大和さんの方がよほど情緒不安定に見える。手を伸ばして大和さんの頭を撫でたら余計に抱き締められた。
「私は辛い記憶と辛い感情を封じて貰いましたけど、大和さんはそうじゃないですもんね。大和さんも封じてもらった方が……」
「このままで良い。咲楽が居れば後は要らない」
「大和さん……」
話をしながら地下へ向かおうとする大和さんを引き留める。
「大和さん、もしかしてずっと地下に隠る気ですか?」
「あそこが一番咲楽を守れる」
「一種のシェルターですもんね。そうじゃなくて、結界具があるんです。敷地内から出なければ大丈夫ですよ。私も物理無効、魔法無効の結界を張るつもりですし」
「結界を?」
「私だって考えるんです。あの時は騙されて連れ出されました。それなら今日は1歩も敷地内から出なければ良いんです」
「馬車が通る度にビクついているのに?」
「恐怖は無いんですけど、やっぱりビックリしちゃうんです」
大和さんが少し考えて私を降ろした。
「本当は閉じ込めておきたいんだけどね」
「監禁は止めてくださいね?」
「ここなら属性魔法で出来ちゃうんだよね」
「本当に止めてくださいね?」
「まぁ、運動はしたいから、地下には付き合ってね?」
「雰囲気が豹変しましたけど」
「今朝は夢見が悪くて」
地下に降りながら大和さんが言う。
「夢見が?」
「見渡す限りの荒野に仲間達と俺が立っていてね。次々と仲間は消えていって、最後は俺1人になるの。気が付いたら荒野が血に染まってた。孤独ってこういう事だって悟らされたよ」
「だから朝から私の存在を確かめていたんですか?」
「うん。それもある。あれは以前よく見た夢だって気が付いて、不安になった」
「以前よく見た?」
「帰国してすぐの頃は頻繁に見たよ。しばらく見なかったんだけどね。どうしてこのタイミングかな」
地下に着いて、大和さんが魔空間からタオルと着替えを5組ほど取り出す。それをシャワーブースの前の棚に置いて、ストレッチを始めた。私は床に絨毯とクッションを出して、そこに座って濡れタオルを作って顔を拭いた。洗顔したいって言ったのに地下に直行だったんだもん。
夢かぁ。以前は追いかけられる夢とか突き落とされる夢とか見たなぁ。こちらに来てからは見なくなった。最初の時だけだ。以来そういった夢は見ていない。
大和さんはストレッチを終えて、腹筋や懸垂をしている。あ、今度は縄跳びを始めた。ピシッピシッという音が高速になっていく。背筋は伸ばしたままで下半身のみで跳んでいる感じが格好いい。
大和さんが運動しているのを見ていても飽きる事はないんだけど、じっと見られていてもやりにくいかな?と思って、編み物を始めた。作っているのは離れに置いておく膝掛け。暖房装置も冷風装置も付けてもらってあるんだけど、雰囲気というか、安楽椅子に膝掛けってセットだと思うの。安楽椅子はまだ買って無いけど。
大和さんは縄跳びを終えて、次に移っている。あれ?あれはサンドバッグ?作らないって言っていたのに、結局作っちゃったの?
大和さんはパンチだけじゃなくてキックもサンドバッグに入れているけど、痛くないの?ズガッ、ドスッ、って音がしてるんだけど。気になって編み物が進まない。やがてサンドバッグの前から移動して、シャワーブースに入った。今日はバトルロープは使わないのかな?
「編み物?」
シャワーから出てきた大和さんに聞かれた。
「はい。膝掛けを。大和さん、サンドバッグは作らないって言っていたのに、作っちゃったんですか?」
「カークがね、作ってくれた。ケトルベルを作ったのもカークだよ」
「あぁ、あのボウリングの球に取っ手が付いた、あれがケトルベルですか」
「そう。どうする?いったん上に行く?」
「お気は済みましたか?」
「済んだよ。朝食にしよう」
「お待ちください」
階段を登りながら聞いてみた。
「大和さん、あのサンドバッグを殴ったり蹴ったりしていましたけど、痛くないんですか?」
「キックは痛くないよ。パンチもそんなに痛くない」
「そうなんですか?」
痛くないんだ。どこかを痛めていないなら安心だけど。
今日は起きてそのまま地下に行ったからパンを焼いていないんだよね。朝食用のパンはあるけど、焼いておきたいな。
「大和さん、朝食の後にパンを焼いて良いですか?」
「良いよ。見ていて良い?」
「良いですけど、楽しい事はないと思いますよ」
朝のジュースを大和さんに任せて、オムレツと温野菜の朝食プレートを作る。出来たら一緒に朝食を食べた。
「朝食前にあんな激しい運動をしているから、大和さんはよく食べるんですね」
「そういう訳でもないだろうけどね」
「お家でも食べていたんですか?」
「食べていたね。咲楽は?」
「私は朝食を抜く事も多かったですから」
「家族の所為で?」
「はい。まぁ、それは確かにありましたけど、単純にお腹が空かないし、量も食べられないんですよ」
「最初は驚いたけどね。そんな量で良いのかって思った」
「作るのは好きなんですけどね」
「そのお陰で俺は旨い飯が食べられる」
「あ、レアチーズケーキ、出来てますよ。いつ食べます?」
「4の鐘頃かな?」
「分かりました。来客の無いことを祈りましょう」
「食べ終わったら離れに行こうか」
「はい」
「結界は張ってね?」
「分かりました」
どの結界にしようかな?水か風か。水かな?物理も魔法も弾くなら闇が一番なんだけど、闇は見た目がね。
朝食を食べ終わって、パンの成形に入る。
「咲楽、菓子パンだけじゃなくて、惣菜パンは出来る?」
「1つベーコンエピのようにしようと思ってますけど」
「ウィンナーロールは?」
「ウィンナーも有るし、出来ますね」
「ところで何をしてるの?」
「アフルのコンポートを巻いてバラのパンを作ってます」
「器用なことをするね」
「巻いているだけですよ?」
パンを焼き終わったら、離れに行った。今日は良い天気だ。家の中のお掃除をしてないなぁ。お昼が終わったら掃除をしよう。
結界具が反応した。大和さんが顔を上げる。
「咲楽、エメリー夫妻が来ている」
庭の入口でブンブンと大きく手を振るローズさんが見えた。大和さんが結界具を操作して、2人を招き入れる。
「いつの間に家を建てたの?」
「家というか、休憩所ですけどね」
「ここってアズマヤが無かった?」
「四阿をベースにコンクラーウェさんに改築してもらいました」
ユリウス様が大和さんと話をしている間、ローズさんと話をする。
「これをサンドラから預かったわ」
「あ、可愛い」
受け取ったのは小さいポーチ。ポシェットっていうのかな?マチがないからサコッシュかな。ショルダーが付いている。色は深みのあるボルドー。開口部にかぶせが付いていて、その部分の色が本体より色の薄い赤。かぶせ部分の裏に型押しの模様が入っていた。
「それね、サンドラのマークよ。ジェイド商会での販売じゃないから、お父様に許可を貰って入れていたわ。サクラちゃんのはサンドラが作っていたから。私のもサンドラ製。お揃いね」
ローズさんのサコッシュはアイスブルー。
「ローズさん、緊急呼び出し装置は?」
「ちゃんと持ってきているわ。ハンカチも入るし、ちょっとした小銭も入るから便利ね」
「私も入れておこう」
「これの名前をサンドラが悩んでいたわ」
「あちらではポシェットとかサコッシュっていってました」
「サコッシュって良いわね。サンドラに言っておくわ」
大和さんとユリウス様がチェスを始めた。
「これは時間が掛かるかしらね?」
「どうでしょう?」
「ユリウス様も強いんだけどね」
しばらくしたら勝負がついたようだ。
「あら、ユリウス様が負けちゃったわってユリウス様、何を……」
「あれって何ですか?」
ユリウス様がチェスによく似た盤と形の違う駒を魔空間から取り出した。
「チャトランガって言うのよ。チェスと似ているけど、駒が違うの。ルールも少し違ったと思うわ」
「ユリウス様、お得意なんですか?」
「得意ね」
「チェスで負けたから自分の得意な物で勝とうと?」
「そうなんでしょうね」
この離れには簡単なキッチンが付いている。コンロ位だからミニキッチンかな?ターフェイアの騎士団の施術室に付いていた物とそっくりだ。
「ローズさん、お茶を召し上がりませんか?」
「良いわね。お願いできる?あ、そうそう。ヌガーを持ってきたの」
「ヌガーですか」
ローズさんはヌガーと言ったけど、このヌガーは柔らかくない。ヌガーはハチミツ、砂糖、卵白、焙煎したナッツ類で作るけど、ナッツを粉にしているのと、水分を飛ばしているから、ポリポリ食べられちゃう。大和さんが「水屋」と呼んだミニキッチンで紅茶を淹れて、ヌガーを小皿に分けてローズさんの前に置く。
ユリウス様はコーヒー派で、この辺りも大和さんと気が合っているようだ。コーヒー豆をローズさんとガリガリと挽いて、2人で大和さんとユリウス様のコーヒーを淹れる。私は大和さんから、ローズさんはユリウス様からコーヒーの淹れ方を教わった。
「ローズさん、お昼はどうしますか?」
「サンドイッチを持ってきたの。私も一緒に作ったのよ」
「美味しそうです」
蓋を開けられたバスケットの中には、いろんな種類のサンドイッチが入っていた。
「でも、もう少し後にしませんか?ヌガーも食べちゃったし」
「そうね。あちらはゲームに夢中だしね」