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3の鐘が鳴って、お昼休憩になった。休憩室に行くとローズさんが居た。
「サクラちゃん、久しぶりね」
「ローズさん、お久しぶりです」
ハグをされながら挨拶をする。
「今日はどうなさったんですか?」
「復帰の挨拶にね」
「まだ日がもう少しあるんじゃないですか?」
「後3日よ、サクラちゃん。来週の光の日から復帰だから。ユリウス様が復帰の挨拶をしておいた方が良いって言うから来たの。スルステルのお土産を持ってきたのよ」
「スルステルに行ってきたんですか?」
「気持ち良かったわ。オンセンの水を使ったお料理とかね、オンセンの中に小さな魚が居て、足を浸けると悪いものを食べてくれて美容に良いって聞いたから、体験してきたのよ。くすぐったかったわ」
ガラ・ルファかな?別名ドクターフィッシュ。
「そのお魚って?」
「えっとね。ガラ・ルファって言っていたわ」
名前が一緒だ。
「それでね、これはサクラちゃんに。オンセンの水を使った化粧水よ。こっちは皆さんに。ロクムって言うらしいんです。私も食べましたけど、甘くて美味しかったわ」
ロクムは食感が柚餅子に似ていた。でもバラの香りがして、ドライフルーツが入っていたりする。
ローズさんはヴェルーリャ様……。もうエメリー様だね。エメリー様とのこの1ヶ月の話を興奮気味に話して帰っていった。幸せそうだったなぁ。
「やれやれ。まるで嵐じゃったの」
「でも幸せそうでなによりだね」
「エメリー家の毎日が目に浮かびます」
所長とマックス先生とフォスさんの会話に、ハハハ……とライルさんが乾いた笑いを漏らす。何か知っているのかな?
「エメリー家は僕の出勤経路に有ってね。当然周りの評判も知っているけど、悪くはありませんよ。明るいお嫁さんだとか見ていると飽きないだとか」
「見ていると飽きない?」
「大声で笑ったり忙しなく動き回ったり、貴族としては失格だけど、あの辺りは男爵家も多いからね。そこまで言われたりしないんだよ。むしろ暖かく見守られているね。施療院の施術師だってみんな知ってるし」
「ローズちゃんの人柄もあるだろうしね」
お昼休憩が終わって、みんなが席を立つ。
お昼からの診察をしていると、4の鐘半に所長から集合がかかった。所長の診察室にみんなが集まると、イライジャ先生が入ってきた。クリストフ様も一緒だ。後、男性1人と女性が1人。
「みんな集まったかの?」
所長が話し出した。先週の南門外のレギールスコルピオの件の事を話し出す。
「以前から考えておったんじゃが、何かあった時に施術師を呼び出せる魔道具をこちらのイライジャ殿に作っていただいた。各々に渡す」
クリストフ様とイライジャ先生と一緒に居た男女に、黒いスマホ位の大きさの箱が渡された。
「呼び出しはできますが、通信機ではないので会話は出来ません。呼び出しを出来るのは親機を持っているナザル所長です。ナザル所長からの呼び出しは必要な用件が文章で浮かび上がります」
イライジャ先生の説明を聞いていた。所長からのみのメール機って感じ?
「これは魔空間に入れない方が良いのかな?」
マックス先生が聞く。
「はい。出来ればいつも持ち歩いてくださると」
「どうやって持ち歩こうね?」
バッグとか普段使わないしね。ウエストポーチでも作っちゃおうかな?
「それではいったん体験してみようか」
各々の診察室に戻る。1分程経った時、ビー、ビー、ビーと大きな音が鳴り響いた。箱の表面には『至急』『診察室』『ナザル』の文字。同時に○と×が浮かび上がる。これが返事になるのかな?行けない時もあるからね。○を押してから所長の診察室に向かう。
「先輩、2階の療養室と会議室でも届いたよ」
マックス先生とフォスさんが、遅れてのんびりと歩いてきた。
「マクシミリアン、急がんか!!」
「えぇぇ、試運転でしょ?」
「それはもう済んでおる!!何の為にイライジャ殿に頼んだと思うとるんじゃ!!」
「さしあたっては、緊急じゃないんでしょ?同じ施療院内に居るんだし」
「それでもじゃ!!」
「所長、これって何度か訓練をしないといけませんね」
ライルさんが冷静に聞く。
「そうじゃな。召集訓練をせねばならんな」
緊急呼び出し訓練は要るよね。夜間と休日の昼間の、2回はしないといけないと思う。
「場所って変えられるのかな?」
マックス先生がイライジャ先生に聞く。
「場所ですか?」
「今は『至急』『診察室』『ナザル』だったでしょ?例えば各街門。例えば王宮。闘技場。集合場所は色々あるけど、先輩の診察室だけ?」
「そこは変えられます」
「それから東と西に施療院の分院が出来るけど?」
「各施療院の所長となられる方に親機をお渡しします。次の騎士団対抗武技魔闘技会の前にはこちらに来ますから、その時には」
「施術師が増えたら?」
「量産の準備は出来ていますよ」
マックス先生が質問を重ねていく。私とライルさんとフォスさんはどうやって持ち歩くかを話していた。
「ベルトで巻き付ける?」
「それが一番じゃないですか?」
「でもそのままだと目立ちますよ?バッグにしてみるとか?」
「バッグって夜会で令嬢や夫人が持っているような?」
「すみません。夜会で令嬢や夫人が持っているようなバッグって、どういうのですか?」
「私も分かりません」
「小さいのだよ。ハンカチ位しか入らない」
「さっきライルさんがベルトで巻き付けるって言いましたけど、ベルトにこの緊急呼び出し装置が入る位のバッグを取り付けたらどうでしょう?」
「作れる?」
「無理です。さすがにこれは本職の方に頼んだ方が良いです」
「やっぱりか。誰に頼む?」
「ジェイド商会?」
「えっ?ジェイド商会?あんな大商会、伝手が……。あ、ローズ先生」
「個人的に伝手はありますけど」
「サクラ先生は服飾部責任者のお気に入りだから」
若干話がズレながら話していると、質問が終わったマックス先生が近寄ってきた。
「何を話していたの?」
「緊急呼び出し装置の持ち歩き手段です」
「手に持ってって訳にいかないしね。何か良い案は出たの?」
「ベルトで巻き付けるとか、そのベルトに小さなバッグを付けるとかですね」
「良いね。でもどうやって作るの?」
そう言いながら、マックス先生が私を意味ありげに見る。
「アレクサンドラさんに頼んでみようかと」
「彼……彼女ね」
帰りにライルさんと私でジェイド商会に寄ることにした。
5の鐘が鳴って、施療院を出る。大和さんとカークさんが遠くに見えた。
「咲楽、お疲れ様」
「お疲れ様でした、大和さん、カークさん。ジェイド商会に寄っていきたいんですけど」
「ジェイド商会に?分かった。行こうか」
ジェイド商会に向かいながら、ライルさんが緊急呼び出し装置を大和さんに見せていた。
「持ち運び方法が課題ですね」
「そうなんだよ。魔空間には入れないでほしいって言うし」
「それでジェイド商会ですか。これは見ても良い物でしょうか?」
「ちゃんと許可は取ったよ」
「それならよろしいのですが。しかし、緊急呼び出し装置ですか。良いですね」
「騎士団でも使ってみれば?」
「非番の者に呼び出しをかける事態が、そうそうあると困ります」
「そうだけど。さっきの『良いですね』はどういう意味?」
「いえ、これがあれば施術師が咲楽1人という事態が、避けられるのではないかと」
「あぁ、そういう事ね。この間は危うくそうなりかけたらしいね。ごめんね。優雅にお茶をしていて」
「お茶をしていたのですか?」
「友人とゲームをね。なかなか面白かったよ。トキワ殿が好きそうなゲームだね」
「ほぅ。楽しそうですね」
「今度一緒にどう?カーク君も」
「私もですか?」
話をしながらジェイド商会に着いた。ライルさんがネリウムさん達と話をしている間に2階に上がる。
「天使様、いらっしゃい」
いつものようにダフネさんに抱きつかれた。
「こんばんは、ダフネさん。アレクサンドラさんはいらっしゃいますか?」
「師匠?居るよ。呼ぼうか?」
「ライルさんが一緒なんです。ライルさんと一緒に話します」
ライルさんが上がってきて、アレクサンドラさんを呼んでもらう。緊急呼び出し装置を見せて持ち運び方法について話をする。ここに居るのは全員が私達の事を知っているから、こちらに無い道具についても話せる。
「ベルトにバッグをね」
「はい。そうすれば持ち運びも容易だと思うんです」
「分かった。作ってみるわ」
「材質なんだけどね、革で出来ないかな?」
「革って?あぁ、ベルトと違和感が無いようにって事ね。任せておいて」
私は少し口を出しただけで、主にアレクサンドラさんとライルさんで話を進めていく。
「支払いは僕に」
「えっ、ちょっと、ライルさん。それは駄目です」
「良いから良いから」
「支払いの方は話し合って決めてちょうだい。今は支給品じゃないんでしょ?」
アレクサンドラさんがそう言って、その場はお開きになった。
買い物をして家に帰る。
「カークさん、すみません。遅くならせてしまいましたね」
「大丈夫ですよ」
「ユーゴ君やリンゼさんが待っているのではないですか?」
「今日はユーゴ君は遅番ですし、リンゼは冒険者活動で留守なんです」
「そうなんですか?」
「はい。ですからお気になさらないでください」
家に帰って、大和さんが先にお風呂に行った。私は夕食を作る。今日はプティポワとフェーヴを頂いたから、これらを使ってパスタを作る。
カイマークがあるからクリームパスタにしよう。すりつぶすのはいつものように風属性を使う。飾りとして半分のプティポワはそのままにしておく。飾りというか、パスタに散らすんだけど。
「咲楽、風呂に行ってきたら?」
「はい」
作業が一段落したところで、お風呂に行く。
緊急呼び出し装置かぁ。オンコールみたいだね。オンコールとは、医療従事者が患者さんの急変時や、救急搬送時に勤務時間外であっても呼ばれればいつでも出勤できるように待機していることを指す。当然私は使った事は無い。実習先で「昨日はオンコール出勤したよ」なんて先輩看護婦さんの言葉を聞いていただけだ。そういえばターフェイアでも話が出ていたなぁ。トニオさんが話を聞いて、すぐには無理だって返事をしたんだっけ。
お風呂から出て、パスタを仕上げる。
「グリーンが綺麗だね。この時期らしい色彩だ」
「今日はプティポワとフェーヴを頂きましたので、パスタにしてみました」
「頂いた?あぁ、いつもの人?」
「はい」
「確か広い農地を持っているんだっけ?」
「そう聞きましたけど」
「確かポワンシュも頂いてたよね?」
「はい。あれが最初ですね。頂けませんって言ったら、所長に許可を取りに行ってしまって。以来、来院される度に何かを頂いています」
「ご家族は知っているのかな?」
「以前一緒に来られて、ご家族からも頂きました」
「以前?もしかして干し棗?」
「はい。そうです」
「あれは旨かったね」
「まだ異空間にありますよ」
「クリームチーズが無いんだよね?」
「はっきりと覚えていませんけど、作れると思います」
「作れるの?」
「うーん。はっきりとした細かい分量は覚えてないんですけどね」
「珍しいね。そういう風に言うなんて」
「私にも知らない調理法はたくさんありますよ。こし餡だってそうだったじゃないですか」
「そうだったね。でも、何とかするんでしょ?」
「しますけど、そんなに食べたいですか?レアチーズケーキ」
「うん」
とても良い笑顔で頷かれた。
食器を一緒に片付けて、寝室に上がる。
「緊急呼び出し装置ね」
「ん?」
「持たされてたけどさ」
「はい。傭兵さんの時ですか?」
「慣れちゃうと呼び出しが鳴っても無視しちゃうんだよね」
「そうなんですか?」
「訓練を真面目にするのが大半だけど、誰かが行くだろう、って考えるのも居るから」
「それって持っている意味が無いのでは?」
「たぶん、あれはステータスの象徴として持っていただけだと思うよ」
「私はそういう経験が無いですけど、それってまずいんじゃないんですか?」
「まずいね。作戦に参加せずに『自分抜きでとはどういう事だ』って怒る奴も居たし」
「自分勝手なんですね」
「そういうのはすぐに除隊していったけどね」
「そういう人が居ないことを祈ります」
「大丈夫なんじゃない?知っている限りだと責任感が強い人ばかりだし」
「そうですね」
こちらで緊急呼び出し装置がどういう風に使われるのかは分からない。でも、東施療院は東門に隣接だ。夜中に呼び出される事もあると思う。
「急に呼び出されても、俺が付いていくからね」
「ありがとうございます。良いんですか?」
「咲楽1人で行かせるなんて、危なっかしくて」
「方向音痴って治らないんでしょうか?」
「さぁ?自分がなった事がないから分からない」
「ですよね」
大和さんは方向音痴とは無縁だろうし。
「あれこれ考えるのは明日にしよう」
「そうですね。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」