51
翌日、昨夜の雨は上がっていた。
ちょっと昨夜の事を思い出して自己嫌悪。
我儘を言って困らせたよね。ラフな格好に着替える時も、キッチンに行くときも気が重い。
朝御飯とお昼の用意どうしよう。
野菜とベーコンを細かく切って、炒めてスープを作ろうかな。お昼はいつものサンドパンかな。
気は重いけど休みじゃないから朝食とお昼は作らないとだよね。スープのために、野菜を炒めて水を入れて火にかけておく。
そこまでしておいてから庭に出る。
「おはようございます。サクラ様」
「おはようございます。シロヤマ嬢。元気がありませんがどうかしましたか?」
「おはようございます。何でもありません」
「今日はヤマトもおかしかったですけどね。昨日は寄った騎獣屋に寄らなかったり、急にスピードを上げてみたり、無茶苦茶でしたね」
「えっ?」
「瞑想を始めてしまえばあの通り、ですけどね」
大和さんの周りを取り巻く炎のような靄は、日に日に濃くなっている気がする。
瞑想を解いた大和さんはこっちを見て、少し驚いた顔をしてこっちに歩いてきた。
「咲楽ちゃん、大丈夫?」
私の頬に手を当てて聞く。
「そんなに酷い顔をしてますか?」
「酷いって言うか、元気がない?」
「ちょっと昨夜の事を思い出して自己嫌悪です」
「どれを思い出しての自己嫌悪?」
「大和さん、剣舞は良いんですか?」
「分かりやすく話をそらしたね。お前ら、何も聞いてなかったよな?」
ダニエルさん達は急いで頷いたけど、ゴットハルトさんは大笑いしていた。
「ゴットハルト?」
「はいはい、聞いてません」
大和さんは笑うゴットハルトさんをしばらく眺めていたけれど、諦めたようにため息を吐いて私の頭をポンポンしてから舞台に向かった。
舞台に向かう大和さんが何かを呟いてるのが分かる。その度に大和さんの纏う空気が変わっていく気がする。
舞台に上がった大和さんはサーベルを抜くと2~3回深呼吸してから舞始めた。
いつもは枝垂桜が見える。今日は花畑が見えた。幻想的な風景だった。
私は枝垂桜の元に拡がる広大な花畑なんて知らない。大和さんは『その人の心象風景』だと言っていたけどこんな風景は知らない。
優しい暖かな風が吹き抜けた気がした。
今は秋、アウトゥの空の月のはずだ。最近寒くなって暖炉もいれている。
他の人にはどう見えてるんだろう。聞くのが怖かった。
大和さんの舞が終わる。大和さんが舞台を降りる。無意識の内に大和さんの元に歩いていた。
「咲楽ちゃん?」
「知らない景色が見えました。どうしてですか?」
「知らない景色?」
「枝垂桜の元に拡がる広大な花畑です。どうして見えたんですか?私はあんな景色は知らない」
大和さんがため息を吐いた。
「お前らはどうだった?」
「昨日と一緒です。フラーの花畑が見えました」
「今日は少し暖かかった気がしたけど」
「ゴットハルトは?」
「大きな木が見えた気がした。大きなピンク色の木だ」
「皆、悪い。ちょっと家に入っていてくれ」
大和さんが真剣な声で言うと、ゴットハルトさんが皆を促して家に入ってくれた。
「咲楽ちゃん、知らない景色が見えたんだね?」
黙って頷く。
「あいつ等はこっちの人間だから、当然こっちのフラーの風景のはずだ。それが混じったって考えられない?」
「混じったって……分かりません」
「ゴットハルトの言ってたピンクの大きな木って、咲楽ちゃんの枝垂桜だと思うんだけど」
「けど、どうしてですか?」
「それは俺にも分からない。思い付くのは咲楽ちゃんの元気がなくて、それをあいつ等が気にしてたから、何らかの精神感応が起こった、って事だけだ」
「剣舞の前に舞台に向かうときに、大和さん、何か言ってましたよね。何を言ってたんですか?」
「あれは『すべての事柄に感謝を、日々を送れていることに感謝を』って言ってた。ちょっと集中したかったからね」
「私のところに来てくれたから……」
「咲楽ちゃんのところに行くって決めたのは自分だよ。咲楽ちゃんが気にすることはない」
「ヤマト、時間は良いのか?」
ゴットハルトさんが呼びに来た。
「あぁ、悪い。咲楽ちゃん、行こうか」
私の肩を抱くようにしながら家に向かう。
「シロヤマ嬢は大丈夫なのか?」
「大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「こう言ってるから、それを信じるしかないな」
家に入って、大和さんはシャワーに、私は朝食とお昼の準備。
ゴットハルトさんがずっとダイニングで居てくれた。
「ゴットハルトさん、今朝ってピンクの大きな木が見えたって言ってましたけど」
「まぁ、うっすらと幻のように、ですがね。あれが貴女が見る風景ですか?」
「多分そうです」
「とても綺麗だ。貴女と同じ風景が見れて……っと」
「残念。気付くなよ」
「俺は友人の婚約者を口説く趣味はない」
「友人?」
「違うのか?そう思っていたんだが」
「いや、違わないと思っているが。面と向かって言われると気恥ずかしいものだな」
「大和さん、コーヒーは淹れますか?」
「今日はやめとく。その代わり、咲楽ちゃんの水をくれる?」
「はい」
『ウォーター』でお水を入れる。いつものように疲れがとれるように願って。
「その水は特別なものですか?」
「普通の『ウォーター』ですよ?」
「私にもいただいても?」
「はい」
大和さんのと同じように『ウォーター』でお水を入れてゴットハルトさんに出す。
「これが普通?かなり旨いですが」
「そうですか?」
「それに疲れが取れる気がする」
「ゴットハルト」
「分かってるよ。問い詰めるな、だろ?」
ゴットハルトさんはそう言って私を見た。
「追求する気はありません。答えたくなければ黙っていて良いんです。答えないことを気に病む必要はない。自分の中に秘めておきたい事は誰にもありますからね。私にもありますし、ヤマトにもあるでしょう。私は貴女を困らせたい訳じゃない」
ゴットハルトさんはそう言ってくれた。
朝食のプレートを運ぶ。
「ハルト兄さん」
ダニエルさんが呼びに来た。
「今行く」
リビングに行こうとするゴットハルトさんに大和さんが話しかけた。
「ゴットハルトは今日もダニエル達の付添いか?」
「いや、今日は王都での家を紹介して貰うことになっている。エスターと神殿に行く予定だが?」
「今日、咲楽ちゃんを送っていく時に付き合ってくれ」
「分かった」
そう返事を残して、ゴットハルトさんはリビングに行った。
朝食を食べている間も、私はさっきの花畑と枝垂桜の風景が頭から離れなかった。
そんな私を大和さんが心配そうに見ていた事に、私は気が付かなかった。
私達が食べ終える頃、ダニエルさん達が出ていった。これから冒険者ギルドかな?
私は出勤前の着替えに自室に行く。服を着替え、練り香水を手に伸ばし、髪を纏める。
リビングに行くと、大和さんがゴットハルトさんと顔を寄せあって話をしていた。
この光景ってあの時のお嬢様がたが見たらどう思うんだろう。葵ちゃんの友達が所謂『腐女子』で、男性2人が顔を寄せ合ってたりしたら、きゃあきゃあ言ってたのを思い出した。男性が怖かった私にしてみたら、きゃあきゃあ言う要素がどこにあるかわからなかったけど。
「咲楽ちゃん?準備出来た?」
はっとする。いけない。浸ってちゃダメだよね。
「はい。お待たせしてすみません」
「それじゃあ行こうか。ゴットハルト、悪いな。付き合わせて」
「2の鐘までに神殿に行ったらいいんだから大丈夫だ」
3人で家を出る。
「ところでさぁ、咲楽ちゃん?さっき何を考えてた?」
「えぇっと、2人を見て、『腐女子』の方が見たらどうなるかなぁって思ってました」
「咲楽ちゃん、腐女子?」
「違いますっ!!友人の友人がそうだったんです」
「婦女子が見たらって?」
ゴットハルトさんが困惑してる。
「咲楽ちゃん、責任もって説明してあげてね。俺は説明したくない」
大和さんがうんざりした顔で言う。
「腐女子って……。大和さん助けてください」
「さんざん題材にされた俺から説明したくない」
「題材にされたって……」
「女子衆も多いとそんなのが混ざってくるんだ。好き勝手描きやがって!!」
大和さんが吐き捨てるように言った。
「待て待て、どういう事だ?」
「咲楽ちゃん、説明よろしく」
あ、丸投げされた。
「あの、男の人同士の、が好きな女の人の事です」
「?あぁ、衆道の事?えっ?シロヤマ嬢は?」
「私は違いますっ!!あっちでの友人の友人が、そういうのが好きで……私は男の人って怖かったから」
「いろんな人がいるんですねぇ。ヤマトが題材にされたって言うのは?」
「知るかっ!!」
大和さんがかなり不機嫌になった。
「それで?俺にシロヤマ嬢の送迎に付き合わせたのは?」
笑いが残る顔でゴットハルトさんが言う。大和さんがため息を吐いて、真剣な表情になった。
「ゴットハルト、お前、ピンクの大きな木が見えたって言ってたな」
「あぁ、あんな木は見たことない。とは言ってもフラーの花畑に重なって、うっすらと見えただけだぞ」
「咲楽ちゃんははっきりと見えたそうだ」
ゴットハルトさんが私を見た。
「あの木はずっと見えてたんです。でも花畑に立つ枝垂桜なんて風景は知らないんです」
「サクラって言うのは早春に咲く。枝垂桜はもうちょっと遅いが、まぁ探せば花畑と枝垂桜って言うのはある。けど咲楽ちゃんは見たことないんだよね」
「私は花畑って言うのもネモフィラとか芝桜とか菜の花しか知りません。でも今日のはそのどれでもなかった」
「シロヤマ嬢の言ったのは花の名前ですか?」
「はい。ネモフィラって言うのは青い花を咲かせます。菜の花は黄色、芝桜は濃い赤とピンクと白?かな」
「ゴットハルトはあの時、咲楽ちゃんを心配してたよな」
「俺は別にっ」
「真面目な話だ。心配してたよな?」
「いつもの笑顔が見えなくて元気がないんだぞ。誰だって心配するだろう」
「と、なると、やっぱり精神感応か?ゴットハルト、特定の場所が嫌な感じがしたり、怖かったり、って言うのは?」
「小さい頃はあったな。今は平気だが」
「なるほど」
大和さんがニヤッと笑う。
「俺の舞を見るときは、2人は『混ぜるな危険!!』の状態だな。ゴットハルト、明日も来るか?」
「ヤマトと一緒に走ると体力はつきそうだしな。明日もお邪魔して良いか?」
「なら、明日は咲楽ちゃんから離れて見ててくれ」
気が付いたら王宮への分かれ道まで来ていて、ローズさん、ライルさん、副団長さんがいた。
「おはようございます」
「おはようサクラちゃん」
「おはようシロヤマ嬢」
「ずいぶん深刻そうに何を話していたんですか?」
「昨日の事についてですよ」
「おや、昨日の女性はお気に召さなかったようですね」
「あれは貴方の差し金ですか」
大和さんが副団長さんを軽く睨む。
「昨日のって?」
ゴットハルトさんとローズさんとライルさんがこそっと聞いてきた。
「言って良いんでしょうか?」
「良いのよ。ほら、言っちゃいなさい」
ローズさん、言い方が悪巧みしてそうです。
「大和さん、言って良いですか?」
「止めておいてね」
「分かりました。ということです。言えません」
「えぇ。面白そうなのに」
「本当に。面白そうなのに」
「言っちゃいましょうよ。楽になりますよ」
ローズさん、ライルさん、ゴットハルトさんの順に言われた。ゴットハルトさんも言い方が悪巧みしてそうです。
「言いません」
「こうなるとサクラちゃんって絶対に言わないわよね」
「おはよう、って何?何かあったの?」
「おはよう、ルビー。それを聞き出そうとしてたのよ。けどサクラちゃんが絶対に言わないって口を噤んじゃって」
「皆さん、時間は良いんですか?」
副団長さん、貴方の発言が原因です。と言う勇気は私にない。
「まぁ行きましょうか」
「あぁ、私はこれで」
ゴットハルトさんは1人で違う方に行っちゃった。
「あの方は?」
「今日はお家探しだそうです」
「神殿騎士だったら神殿地区ですよね?アインスタイ副団長様」
「そうですね。その傾向が多いです……ってことは、彼がトキワ殿のご近所に?」
「はいはい。副団長、行きますよ」
大和さんが副団長さんを押して、王宮の方に行く。
「良いのかしら?あれ」
「ますます衆道の噂に拍車がかかりそうね」
「ヘリオドール様もその中に入れられるのかしら?」
「そういうの、王宮内で密かに流行ってるらしいわよ」
「そういうのって?」
「誰が書いたのかは分からないけど、アインスタイ副団長様とトキワ様の衆道の本らしいわよ。他にも何組かのペアがあるみたい」
「なんだそれ?僕には理解できない」
「バレたら大和さんが怒りそうです」
「トキワ様だけじゃないでしょ?アインスタイ副団長様もお怒りになると思うわ」
歩きながら話す。この世界にも腐女子っているのかぁ。
「別に自分に関わらなければ良いんだけどね。アレクサンドラさんみたいな人もいるし。でもやっぱり身構えちゃうんだよね」
「サンドラを最初に見た時、『男がなぜ女の格好をしてるの!?』って言っちゃって、すごくお父様に怒られたわ」
「見た目で判断するな!!って言われたわね」
施療院に着いた。
その日の診察は昨日の強盗事件の話ばかりだった。
外傷で通ってくる人だけでなく、普段なら来ないような「手荒れが」とか「肩凝りが」みたいな奥様方がたくさん来て、治療よりお喋りに時間をかけて、帰っていく。
何故か東地区や神殿地区からの人が多い。
「あら?ここにいたの?」
次に入ってきたのはプロクスさんのお母様、アウローラさんだった。
「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」
「えぇっと、ごめんなさい。大したことはないのよ。膝をぶつけちゃっただけだから」
「大したことないって、結構大きな内出血ですよ。腫れてますし。どうしたんですか?」
「テーブルの足にぶつけちゃったの」
スキャンをかけたけど、骨折はしていない。良かった。
「骨は折れてないみたいです。痛みを取って血液の吸収を促進しておきますね」
「シロヤマさん、だったわね。強盗事件の事、何か知ってる?」
「それは……ごめんなさい」
「黒き狼様も騎士だったわね。そりゃあ言えないわよね。ミメット様が昨夜カトリーヌに会いに来て話そうとされて、夫に叱られてたわ」
「部隊長さん……」
「あら、ミメット様をご存じ?」
「私が休んでいる間、大和さんも何日か休んでて、大和さんの馬のお世話に見えました」
「休んだって何が……もしかして西の森の話かしら?黒き狼様が冒険者達を助け出されて、そのときに負った怪我を天使様が治したって……お嬢さんが天使様だったの?」
「その呼び名は恥ずかしいので、呼ばないでくれると助かります」
「分かったわ。呼ばない。プロクスも言ってくれれば良かったのに」
「あの時はお世話になってしまって」
「そのあとも大変だったんでしょ?王宮の練兵場での話はプロクスから聞いたわ」
腫れと内出血が引いてきた。
「痛みがすっかり無くなったわ。すごいのね」
「良かったです」
「ありがとう。また家にも遊びに来てね」
「はい。ありがとうございます」
その後、何人かを治療して、3の鐘が鳴った。
みんなが診察を終わってお昼になったのに、ルビーさんだけが出てこない。
「どうしたのかしらね?」
しばらく待っていると1人のおばさまとルビーさんが何か言い合いながら出てきた。
「もう少し話を聞かせてよ」
「ですからそれ以上知りませんって」
「もう。意地悪ねぇ」
「意地悪してるんじゃあ、ありません」
「ルビーちゃんなら話してくれるって思ったのに。誰かもう1人居たんでしょ?それは誰なの?」
「いませんよ。私とマルクスと所長だけです。ちょっと残って片付けをしてただけです。散らかっちゃってたから。私達はお昼ですからね。お嫁さんと息子さんに心配かけちゃダメですよ」
おばさまはぶつぶつ言いながら帰っていった。