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「よく来てくれたね。マクシミリアン先生、天使様」
モルガさんが手を拭きながら出てきてくれた。
「ルビーちゃんは?」
「あぁ、ちょっと長引いていてね。マクシミリアン先生は立ち会った事があるんだよね?助けてもらえないかい?」
「もちろん良いよ。どんな事でもって言いたいけど、僕は男だからね。シロヤマさんを連れてきたよ」
「出来る限りの事はやります。指示を下さい」
「モルガさんっ!!」
ナリヤさんの声が飛んだ。
「頭が見えました」
「よぉし、良いよ。そのままいきんで。大丈夫。マクシミリアン先生と天使様が来てくれたよ」
モルガさんが戻っていって、話しかけているのが聞こえた。日本なら血圧を測るけど、ここにはそんな物は無い。全てモルガさんの経験則にかかってくる。
「シロヤマさん、出産直後に母体の意識が飛ぶことがあるから、心の準備だけしておいて」
「分かりました」
ナリヤさんが私を呼んだ。ルビーさんが呼んでいるらしい。
「ルビーさん」
「サ、クラ、ちゃん、ごめ、んね」
「何を謝るんですか?新しい命の誕生の瞬間に立ち会えるなんて、素晴らしい時間をありがとうございます。さぁ、もう少しです」
「あ、りが、とう」
「大丈夫ですよ」
大きな産声が聞こえた。
「元気な男の子だよ。ちょっと待っておくれね。綺麗にしてもらうから」
モルガさんがこそっと私に囁く。
「天使様、アンタ魔力は探れるかい?」
「はい。特訓してきましたから」
「後1人居る気がするんだよ。探っちゃもらえないかい?」
意識を集中する。ルビーさんの中にゆっくりと魔力を浸透させる。居た。弱い反応がある。
「1人居るようです。でも反応が弱いです」
「分かった。後は任せとくれ」
モルガさんの言葉が頼もしい。
「さぁ、もう1人もこの世に迎えてあげよう。ルビーちゃん、大丈夫だよ」
再びルビーさんを鼓舞するモルガさん。ナリヤさんは必死になっていて、他に意識が向かないようだ。
そっと産室を出る。
「ルビーちゃんは?」
マックス先生に聞かれた。
「頑張っています。意識もあります。でも、もう1人の反応が弱くて」
「魔力の反応?でも、感じ取れたんだよね?」
「はい」
「それなら大丈夫かな。命が危ないと反応その物が無くなるから。その、胎児の存在は?」
「小さいけれど、しっかりと主張していました」
「それなら安心だよ。後はルビーちゃんと胎児の頑張り次第だね」
生まれたてピカピカの赤ちゃんを、ルビーさんのお母さんが見せに来てくれた。しわくちゃだけど可愛い。
「しっかりしてるねぇ。男前になりそうだね」
「ありがとうございます」
「シロヤマさん、来てくれていたんだね」
「マルクスさん。おめでとうございます」
「僕が父親かぁ。急に実感が湧いたよ」
「マルクス君、今からだよ。言っておくけど今からはマルクス君が頑張らないと。ルビーちゃんは今まで命を守っていたんだからね。しばらくはゆっくりさせてあげて。それから……」
「マックス先生、マルクスさんが聞いていません」
マルクスさんのお家で昼食を食べさせてもらって、4の鐘前に再び呼ばれた。今度はマックス先生も一緒だ。
「ルビーちゃん。もう少しだよ。ルビーちゃん」
「話しかけとくれ。ルビーちゃんを繋ぎ止めるよ」
ルビーさんの意識が朦朧としていた。出血はそこまでじゃない。この場合はどうすれば良いの?話しかけるだけ?思い付いて闇属性を使った。ルビーさん、戻ってきて。
「天使様が見守ってくれているよ。大丈夫だよ」
モルガさんの声が聞こえる。
弱々しい産声が聞こえた。マックス先生が飛んでいく。ギュっと手を握られた。目を開けるとルビーさんが私を見ていた。
「ルビーさん、立ち会わせてくれてありがとうございました」
「疲れたわ」
弱い笑顔を見せるルビーさんにモルガさんの叱咤が飛ぶ。
「コラコラ。まだ早いよ、ルビーちゃん」
後産がありますもんね。もうひと頑張りです、ルビーお母さん。
「シロヤマさん、ちょっと祈ってあげて。特に後に生まれた方の子。元気に育ちますようにって」
「えっと、はい」
2人が並べられている所で祈る。この子達が元気に育ちますように。元気に大きくなりますように。健康でありますように。
「シロヤマさんのお祈り姿って、綺麗だよね。でもあまり人が居るところではやらない方がいいね」
「先生が祈ってやってくれって言ったんじゃないですか」
「そうだっけ?」
「誤魔化さないでください」
あははと陽気に笑うマックス先生と施療院に帰る。施療院に着いてみんなに報告をすると、歓声が弾けた。待合室の患者さんも喜んでくれていた。
「双子さんでしたの?」
診察室に入ると、リディー様に聞かれた。ずっと何かを言いたそうにしていたけど、この事を聞きたかったのかな?
「男の子の双子ちゃんでした」
「お名前は何ですの?」
「まだ決まっていませんよ」
「そうですの?」
キョトンとして真顔で聞かれた。
「名前はその子達に贈られる最初のプレゼントです。ルビーさんとマルクスさんが良い名前を着けてくれますよ。それまで待ちましょう」
「そうですの?」
「また見せてもらえますよ」
「でも、私はフルールの御使者までですもの」
「実りの月に卒業じゃなかったでしたっけ?」
「そうですわ。卒業致しますの。天使様、所長様に話した方がよろしいでしょうか?」
就職の事かな?
「卒業後の進路ですよね?話しておいた方が良いと思いますよ」
5の鐘になって、リディー様が所長に話をするのに付き合わされた。袖を引っ張って離してくれないんだもん。所長の返事はもちろんOK。いつから来るのかはまた話し合うって事になった。
「天使様とは離れてしまうのですのよね?」
「そうですね。東の施療院に決まっていますから」
「淋しいですわ」
「ローズさんはここですよ?」
「聞きましたわ。それでもルビー様と天使様とローズ様が一緒に居るのがずっと続くと思っていましたの」
「リディー様……」
困ってしまった。東の施療院に行く事は決まった事だし、異動には慣れてもらわないと。
しょんぼりしちゃったリディー様を連れて施療院を出る。大和さんとリディー様のお兄様が待っていた。
「リディー、どうしたんだい?」
「お兄様、私が卒業してすぐに、天使様はここに居なくなられますの」
「ん?」
リディー様のお兄様が困った顔で私を見る。
「私は次の次の花の月には、東の施療院に移ることが決まっています。リディアーヌ様はそれが淋しいと仰られて」
「なるほどね。分かったよ、そこは説得するから。迷惑をかけたね」
「いいえ。とんでもないです」
リディー様達と別れてまずはバザールに向かう。途中でカークさんとユーゴ君が一緒に歩いてくるのに行き合った。あれ?カークさんって今日は大和さんと一緒だったはずだよね?
「カークには冒険者ギルドとの連絡係をしてもらっていたからね。光神派の事があるから」
「トキワ様、サクラ様お疲れ様でした。今日はいかがでしたか?」
「あ、そうだ。ルビーさんの赤ちゃんが産まれました」
「へぇ。おめでとう。どっちだった?」
「男の子の双子ちゃんです」
「双子ですか。大変ですけど楽しみですね」
「カークは子育てでもした事があるのか?」
大和さんが揶揄いの口調で言う。
「子育ての経験はありませんが、郷里ではよく子守りをさせられましたから。働きに出るまで、ですけどね。小遣い稼ぎでやっている連中はけっこう居ましたよ」
「それは安心だ。任せられるな」
任せられる?
今日は少し遅くなったから、バザールで買って帰る。それぞれに好きな物を買って、家に向かう。
「大和さん、あの時の矢なんですけど、普通の矢と違いましたよね?」
「あの時?あぁ、演出の矢の事?」
「はい」
「神頭矢って言うんだよ。普通の矢は刺す事が出来るようになっているけど、神頭矢は当てて破壊する事が出来るんだ」
「そうだったんですね」
「流鏑馬なんかも神頭矢を使ったりするよ」
「那須与一の話のは?」
「鏑矢だと言われているね。神頭矢も鏑矢の一種だけど」
「そうなんですか?」
「矢の種類と言うよりは、矢の先端に取り付ける武具だね。鏑は中がくりぬかれていて、神頭はくりぬかれていない。音が鳴るのは蟇目。鏑に数ヶ所穴を開けたものだね。その穴から空気が入って笛のように音が鳴る」
「色々あるんですね」
家に着いたら、私の異空間から買った物を出して夕食にする。ユーゴ君は今日は依頼のランクについて教わったらしく、色々教えてくれた。
「護衛依頼って受けられるのがラルジャランク以上って決まっているから受けた事がなかったけど、色々確認事項があるんだよ。どこを通るかとか、依頼主の要望とか」
「後は日数も関係してきますね」
「日数?」
「○日までにどこまで、とか○日までに出発とかですね」
「そうなんだ。今日はそこまで習わなかったよ」
「これからだな。知っていくのは楽しいだろう?」
「うん。あ、そうだ。正式採用になったら、ランク調査とかもあるって言われたけど、それってカークさんみたいなの?」
「ランク調査はその依頼が受注した冒険者のランクに合っているかどうかの調査ですね。クルーラパンの捕獲と駆除の依頼なら、難易度が高いのは捕獲の方でしょう?」
「クルーラパンの駆除って、そんな依頼があるんですか?」
驚いてカークさんに聞いた。
「クルーラパンもコルスーリ程ではないですが、木を齧りますからね。後は木の根元に穴を掘って木を倒す等の被害があるのですよ」
「そうなんですね」
クルーラパンって愛玩用だとばかり思っていた。毛をファーに使うっていうのは知っていたけど。
夕食が済んで、カークさんとユーゴ君は帰っていった。
「風呂に行ってくるね」
「はい」
ルビーさんの赤ちゃん、可愛かったなぁ。手も足も何もかも小さくて。無事に産まれてきてくれて良かった。モルガさんは「ちょっと長引いている」って言っていたけど、どの位だったんだろう?陣痛が始まってから出産までにかかる時間は、初産婦さんで12~15時間、経産婦さんで5~7時間と習った。こっちでもそう大きく変わらないよね?
友人のお姉さんが遷延分娩で、陣痛が来てから40時間掛かって結局カイザーになったらしいけど、笑い話として「産まれてきてくれて、『はーい、女の子ですよ』って2秒位で連れていかれて、『綺麗になりましたよ』ってまた2秒位顔を見せられて、すぐに外に出されちゃって、私、赤ちゃんの顔を見たのは4秒だったのよ」って言っていた。カイザーだとそういう事もあるらしい。未熟児だと顔も見せられずに保育器へ、ってパターンもあるそうだ。
「咲楽、風呂に行っておいで。何してるの?」
「フリュイを作っています」
考え事をしながらジャボレーとフレイズのフリュイを作っていたら、大和さんに怪訝な顔で聞かれた。パンの仕込みは済んでいるし、スープも作っちゃったから、ただいまフリュイを大量生産中なんだよね。フリュイはパンにも使うし、ジュレッタにもジェラートにもゾルベットにも使える。かき氷に掛けても良いよね。だから大量生産してビン詰めにしておく。
「風呂にいても甘い匂いがしてきたよ」
「すみません。フリュイを作っているとどうしてもこうなっちゃうんです」
「うん。知ってる。ついでに咲楽も甘い匂いになる」
「えぇっと、お風呂に行ってきます」
大和さんの笑い声が聞こえた。
この前、結婚したら、とか夫婦の生活が、とか話をしてから、大和さんがそっち方面に話を持っていこうとする事が増えた。その度についつい逃げてしまう。免疫がないから恥ずかしい。大和さんは慣れている気がする。こういう時に私は子どもだなぁって思う。大和さんは私よりずっと年上で、経験も豊富で、色々教えてくれて。こんな子どもの私が追い付くのを、ずっと待っていてくれている。
戸籍の年齢差は埋まらない。精神年齢は埋めることが出来るけど、私の精神年齢が、大和さんに追い付く事はあるんだろうか?
お風呂から出て寝室に上がる。
「おかえり」
「戻りました」
「どうしたの?もっとこっちに来たら?」
「笑ってましたよね?」
「ん?咲楽が風呂に行く前?」
「はい」
「相変わらず初心な反応で可愛いって思って」
「私って子どもですよね」
「子ども?こっちに来た頃よりは、かなり成熟した女性になってると思うけど?」
「でも、さっきみたいな話に上手く応えられないし」
「応えなくても良いよ。というか、そのままで十分大人だと思うよ。もしかして考え込ませた?」
「だって、大和さんは大人で、経験も豊富で、あんな会話もさらっと出来て、私は逃げるしか出来なくて」
「焦らせちゃったかな?ごめんね。俺はそのままの咲楽が好きだよ。いつも一生懸命で、知らない事は貪欲に学ぼうとしていて、純粋な咲楽が大好きなんだよ。そのままの咲楽を愛してる。焦らなくて良い。ゆっくり知っていって。俺も協力するから」
「よろしくお願いします」
「お願いされました」
「なんだか今日は疲れました」
「初めての事をしたからじゃない?出産のお手伝いなんて初めてでしょ?」
「はい」
「今日はもう寝よう。おやすみ、咲楽」
「おやすみなさい、大和さん」