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芽生えの月、第3の緑の日。ルビーさんの出勤が不定期になった。ナリヤさんに確認してみたけど、自信がなさそうに「2人以上居る気がするんです」って言われた。多胎児かぁ。産科はほとんど教科書知識だけなんだよね。モルガさんも付いているから大丈夫だと思うけど、心配なものは心配だ。ルビーさんは「大丈夫よぉ。大袈裟なんだから」って笑っていたけど、どの世界でも出産は命がけだと思う。医療の進んだ地球でもそうだったし、少なくなったとはいえ出産時に母体が危険な状態になる事もあった。こちらでも事情は大きく変わらないと思う。
マックス先生がモルガさんと顔を付き合わせて話し込んでいた。マックス先生は何度も出産に立ち会ったと言っていたから、おそらくルビーさんの出産に関わる事だと思う。
花の月が近くなって、王都全体が浮かれているように感じる。フルールの御使者が近付いているからか、街中で花やリボンを売っているのを見かけるようになった。今年のフルールの御使者様の色は白と緑らしい。どの人が1番馬車になるかは分からないけど、まことしやかに「プラチナブロンドに翠眼」だと囁かれている。患者さんの中に見事に当てはまる人が居て、娘さんが同じ色彩らしく、追いかけ回されて大変だと言っていた。危険を感じる時があるから、信頼できる冒険者にガードを頼んでいるんだって。
今週の光の日に施療院に白い法服の人が現れた。所長とライルさんが警戒MAXで目的を尋ねたら「天使様に会いたい」と言ってきたらしく、即座に王宮騎士団に連絡をしたらしい。白い法服の人は「また緑の日に来ます」と言って帰っていった。白い法服の人との面会は今日のお昼の予定。『白い法服の人』ということで万が一があってはいけないと、騎士団からも何人か来てくれる。大和さんは側に居るからって言ってくれた。
正直に言うと怖い。騎士様達も居るし、施療院のみんなも守ってくれているけど、筆頭様の術も効いていてあの時の恐怖は薄れてきているけど、消えてはいないから怖いものは怖い。
今日の予定を思い出して憂鬱になりながら起床して着替える。今日は今にも泣き出しそうなどんよりとした空模様だ。
いつもなら着替えをしたら庭に出る。でも今週は出たくなくて、大和さん達が帰ってくるまで家の中に居る。結界具は大和さんとカークさんとユーゴ君のみが通れるようになっている。安心安全と言えばそうなんだけど、外に出たくないんだよね。
「ただいま、咲楽」
「サクラ様、ただいま帰りました」
「ただいま、天使様」
「おかえりなさい、大和さん、カークさん、ユーゴ君」
3人が帰ってくるとホッとする。白い法服の人の報告があった次の日から、剣舞は地下でしてくれている。私も一緒に降りてリュラを弾いている。
「不安?」
「はい」
一緒に地下に降りながら、大和さんが聞いた。
「今日は休んじゃう?」
「それは出来ません」
今日の白い法服の人の訪問予定は、カークさんもユーゴ君も知っている。今も大和さんが索敵を使って辺りを警戒してくれている。家の中で索敵を使うなと言ったのは私だけど、さすがに今、それを咎めることはしないし出来ない。私の事を考えてくれているのを知っているからね。カークさんも索敵を使ってくれている。
「今日は施療院まで一緒に行くよ。副団長も許可をくれたし」
「予定を変えさせてすみません」
笑顔を見せたつもりだったけど、通じたかどうかは分からない。みんな心配そうに見ているし。たぶん上手く笑えていないんだろうな。
「また無理をして笑って。禁止って言ったでしょ?」
「いつまでもどんよりと憂鬱な顔はしていられません。ただでさえみんなに心配してもらっているのに」
「そりゃあね。あの時に関係のある人物かもしれないし、心配するのは当たり前でしょ」
「私はその人の顔は見ておりませんが、もしあの集団の幹部クラスでしたら覚えていると思います。ですから私もご一緒しますからね」
「僕も役に立ちたいけど、僕はほとんど何も知らないから、役に立たないね」
「ユーゴは冒険者ギルドで頑張るのが仕事だな。無いとは思うがユーゴに接触するという事も考えられるし」
「もし、白い法服の人が現れたら、ギルド長室に行けって指示されているよ」
「そうか」
「どうでも良いですけど、今日は剣舞は良いんですか?」
「うん。今日は止めておく。咲楽、先に上がって朝食の用意を頼める?」
「分かりました」
大和さん達は何か話し合いをするようだ。地下は話し声が漏れない密室だし、ちょうど良いのかな?
結界具を信じてキッチンで朝食の用意をする。野菜を炒めたものとスープが出来た頃に、地下の大和さん達を呼ぶ。
大和さん達はすぐに上がってきた。地下でシャワーを浴びたらしく、すぐに朝食になった。
「朝は俺が咲楽を送っていく。カークはユーゴを送ってやってくれ。言っておくが、カークも狙われる可能性があるから、警戒を怠らないようにな」
「はい」
「昼前に施療院に来てくれ。くれぐれも油断しないようにな」
「分かりました」
たぶん地下でこういった打ち合わせは済んでいる。今、大和さんが話しているのは私に聞かせる為だと思う。
「カークさん、ユーゴ君、気を付けてくださいね」
「一番危険なのはサクラ様ですよ?」
「私は大和さんも居てくれますし、危険だからってみんなが守ってくれています。でも、カークさんやユーゴ君にはそこまでじゃないでしょう?」
「それでも一番危険なのはサクラ様なのですよ。お気を付けください」
「はい。カークさんとユーゴ君も気を付けてくださいね」
重い雰囲気の朝食を終えて、ユーゴ君に昼食のお弁当を渡す。お配り用のパンは焼けていない。ユーゴ君とカークさんの見送りは大和さんが行ってくれた。
「咲楽、着替えておいで」
ユーゴ君とカークさんを見送って戻ってきた大和さんに促された。
「食器だけ洗っちゃいます」
「じゃあ俺は小部屋で着替えるよ」
「ジャケットだけですもんね」
「まぁ、そうだね」
こんなたわいもない会話もいつもの雰囲気は無い。ここまで緊張感を出した大和さんを私は知らない。西の森の時もこんな緊張感は無かったと思う。
食器を洗い終わって着替えに自室に上がる。いつもの出勤服に着替えて、髪を纏める。リップを塗ってスプリングコートを羽織ってダイニングに降りる。
「お待たせしました」
「行こうか。たぶん大丈夫だと思うけど、俺から離れないで」
「はい」
家を出た瞬間から大和さんの雰囲気が変わった。私に気を使ってくれているけど物凄く警戒しているのが分かる。
「大和さん、こういう任務って有ったんですか?」
「有ったよ。今は咲楽だけだし、襲撃もある程度の予想は付くけど、あっちでは飛び道具も火薬も有ったしね。守る人数も多かったし、複数人でチームを組んでいた。まぁ、こっちでは魔法があるけどね」
人を守る為の結界はやり方が分からない。家の結界具の仕組みは分からないし、光属性で結界が張れるかも分からない。私が結界を張れたら、大和さんもここまで警戒しなくても良いと思う。
「咲楽」
別にぼーっとしていた訳じゃないんだけど、大和さんに注意を促された。
「大和さん、私に出来る事は何かありませんか?」
「特に無いかな?俺の指示には従ってね?」
「はい」
こんな時に何も出来ない自分が情けない。
「咲楽が役に立たないって事はないんだから、落ち込まないの」
「それでも考えちゃうんです」
「咲楽の性格ならそうだろうけどね」
「今日は診察の予定がほとんど無いんですよね。お昼まではマックス先生とほぼ一緒ですし」
「そっちの方が俺は安心だけどね。施療院ではリュラを出しておいた方が良い」
「捕獲装置の方ですね」
「そうだね。これ見よがしに置いておいたら?」
「弾けるのか?弾いてくれって声も出そうですね」
「今日は弾いている時間が無いけどね」
「そうですね」
途切れ途切れになる会話。一瞬たりとも気を抜かない大和さんが心配になる。私を守る為っていうのは分かっている。私が暢気すぎるんだろうな。今も警戒しないといけないのに、大和さんと一緒なのがこんなに嬉しい。
王宮への分かれ道に、ローズさんとライルさん、副団長さんが待っていてくれた。
「おはよう、サクラちゃん。えぇ~っと。何か言える雰囲気じゃないわね」
「警戒するなって言うのも無理だしね。僕には何の力もないけど」
「トキワ殿、よろしいですか?」
「はい」
「今日は特別任務です。チコとアドバンを施療院に向かわせます。独自に動いても良いと第2王子殿下より許可も頂いています。シロヤマ嬢の業務にだけは支障の無いように、配慮しなさい」
「承りました」
「シロヤマ嬢、昼前には騎士達を配備しますからね。気を楽にしていてください」
「ありがとうございます」
王宮に歩いていく副団長さんを見送って、みんなで施療院に向かう。
「チコ君とアドバン君をって事は、彼らにとっては初任務が天使様の警護って事なのかな?」
「そうですね。騎士としての単独での初任務という形になります。あの2人でしたら体術も出来ていますし、ある程度は任せられます」
「ずいぶん高く買ってるね」
「騎士団に入る前に、ドミンゴさんにある程度鍛えられていましたから。チコの父親ですね」
「そうなんだ。強いの?」
「オーガ族の血を引いている人ですよ。身長は私より高いです。神殿騎士団には何度か顔を見せていました。手合わせもさせてもらいましたが、身長と体重を活かした体術を得意としていましたね」
「ふぅん。で?強いの?」
「はい」
「トキワ殿より?」
「私が本気で全力で戦い続けて、良い勝負という感じでしょうか」
「ヴォルフ氏と比べたら?」
「タイプが違いますからね。単純に比較は出来ませんが、私はヴォルフの方が戦いやすいです」
「戦いやすい、ね」
ライルさんが苦笑して言う。
「トキワ様、ピリピリしているわね」
「はい。私に身を守る術があれば良いんですけど。それに、大和さんはまだ自分を許せていないらしくて」
「許せていない?」
「護ると誓ったのに、危険な目に遭わせたって。私が迂闊に着いていったのも悪いんですし、大和さんはちゃんと助けに来てくれたって、何度言っても聞いてくれなくて」
「あの時のトキワ様はいつもの余裕が無かった気がしたわ。サクラちゃんが大切なのは十分分かっていたけど、犯人達の怪我を施術したライル様が『許せない気持ちはあるけど、犯人達に同情したくなった』って言っていたもの」
「そんなに酷かったんですか?」
「私は直接見ていないの。でも手足のどちらかが必ず骨折していたそうだから」
施療院に着いた。私とローズさんは更衣室に行く。大和さんはライルさんと何かを話していた。
「今日もルビーはお休みみたいね」
「ルビーさんの予定日っていつなんですか?」
「予定日?」
「赤ちゃんって母親の胎内で280日過ごすんです。最終月経開始日を0週0日として40週0日、つまり280日目が出産予定日です。この予定日は、排卵が遅れていたり、月経が不順だと大きくずれますけど」
「280日って決まってるの?」
「はい」
「えっと、40週かける6日よね?あら?計算が合わないわよ?私、間違ってる?」
着替え終わって必死に計算をしていたローズさんが、怪訝そうに顔を上げた。
「ごめんなさい。計算式が違うんです。1週7日での計算になります」
「あちらは1週7日だったの?」
「はい」
更衣室から出て、診察室に向かう途中で、ライルさんに呼び止められた。
「シロヤマさん、こっちから行くよ」
「どうかしたんですか?」
「白い法服の男がすでに来ている」
「もう?いったい何なの?」
「今、トキワ殿が所長と一緒に話を聞いているよ」
別ルートから診察室に案内してくれながら、ライルさんが説明してくれた。
「シロヤマさん、大変だね。今日のシロヤマさんの患者は、シロヤマさんの常連さんだけだよ」
診察室に着くと、マックス先生が姿を見せた。
「良いんでしょうか?」
「敵がどう出るか分からないからね。その間にこの資料を見ておいてくれると嬉しい」
「これって?」
「新規採用施術師の資料。経歴とかが載っているよ。王宮調べだから、かなり詳しく書かれているね。僕とフォスの経歴も書かれていて、物凄く恥ずかしかった」
「マックス先生も?新規って訳じゃないのに?」
「そこは色々あるんでしょ。読んでおいてね」
「はい」
今日の診察室はルビーさんの部屋。ここが真ん中になるから、1番安全なんだって。
最初の患者さんはパメラ様だった。旦那様も一緒だ。
「シロヤマちゃんの施術は暖かいのよね。気持ちが良いわ」
「フォスという施術師の時は、そんな事を言っておらんかったじゃないか」
「あら、気持ち良かったんですよ?じわじわと痛みが消えていく感じで」
「ワシには分からんな」
「経験して、という訳にいきませんものね」