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翌日は天気が悪かった。雨は降っていなかったけど、今にも降りだしそうだ。
こんな日はいつもより暖かいものが欲しくなる。スープを仕込んでおいたら良かった。
着替えて廊下に出ると、いつもより暖かい気がする。リビングの暖炉に燃えた後があった。いつもよりテーブルやソファーが暖炉から離してある。
あれ?昨日大和さんがちゃんと火の始末をしてたよね。そんな事を考えながら食料庫で必要な食材を出す。
庭に出るとゴットハルトさんとダニエルさん、ブランさん達が居た。
「おはようございます。サクラ様」
みんなにそう挨拶されてビックリする。1人、ゴットハルトさんだけが苦笑していた。
「おはようございます。皆さん、朝早くからどうされたんですか?」
「ヤマトから提案されまして。朝のランニングから一緒です」
え?1時間くらい走るって言ってたけど。
「もちろんヤマトの半分ほどの距離を倍の時間掛けて、ですよ」
私の困惑を見たのか、ゴットハルトさんが説明してくれた。
そんな大和さんは瞑想の最中だ。
「皆さん、朝食はどうされるんですか?」
「市場で買ってきました。スープはサクラ様の分もありますよ」
ブランさんが答えてくれた。
大和さんが瞑想を終えて舞台に向かう。
「黒き狼殿は今から何をされるのですか?」
ダニエルさんに聞かれた。
「剣舞です。次の週の闇の日に神殿で奉納舞をするので、その練習です」
「剣舞、ですか?」
大和さんの舞が始まった。みんなの目が釘付けになる。
「花畑?」
誰かの声が聞こえた。強く作用する要因は結界だと言っていたけど、今結界ってどういう設定なんだろう。
私に見えるのは大きな枝垂桜。みんなに見えるのは?ゴットハルトさんはフラーの花畑だと言っていた。
大和さんの舞が終わる。拍手が起きた。
「どうだった?」
大和さんがダニエルさんたちに聞く。
「フラーの花畑が……今は無い?どこに行ったんですか?」
「この中でフラーの花畑が見えたのは?」
3人が手を揚げた。
「半数か。ありがとう。助かった」
大和さんが笑顔で言うと、ダニエルさんが私に聞いた。
「シロヤマ嬢は何も見えなかったのですか?」
「私にも見えてますけど、皆さんのとは違う景色だと思います」
「どのような?」
「大きな木です。懐かしい、多分この先見ることの出来ない景色です」
ダニエルさんの頭にゲンコツが落ちた。ゴットハルトさん……。
「ハルト兄さん、何するんですか!!」
「まぁ、中に入れ。玄関からな」
大和さんがそう言って家に招き入れる。
「咲楽ちゃん、急に連中を連れてきてごめんね」
「いえ、ビックリはしましたけど。あ、そうだ、暖炉って朝から入れたんですか?」
「うん。今朝はかなり冷え込んでたから、少し暖めておいた」
「廊下に出たら、なんだか暖かい気がして、そっちもビックリしました」
そう言いながら家に入る。リビングではゴットハルトさん以外立っていた。
「座ってていいのに」
大和さんが言ったけど、皆頑なに座ろうとしない。
「シャワーに行ってくる。咲楽ちゃん……」
「分かってます」
「じゃあ、よろしくね」
朝食の準備と平行して紅茶を淹れる。ブランさんが来てくれた。
「サクラ様、手際がいいですね」
「慣れてるだけですよ。あ、紅茶、頼んでいいですか?」
「サクラ様達のスープはどこに置けばいいですか?」
「ありがとうございます。ちょうどスープが飲みたいな、って思ってたんです。そちらのテーブルに置いてください」
自分達のお弁当と朝食を仕上げる頃、大和さんがコーヒーを淹れ始める。キッチンからはリビングは見えないけれど、香りは漂ったようで、ゴットハルトさんがキッチンに来た。
「ヤマト?何をしてるんだ?」
「コーヒーを淹れてる。飲んでみるか?」
「コーヒー?」
ゴットハルトさんはコーヒーを知らなかった。大和さんがゴットハルトさんの分も注ぎ分ける。
「なかなか苦味があるな」
「それがいいんだけどな。苦いなら砂糖やミルクを入れると飲みやすくなるぞ」
「このままでいい」
朝食の用意ができたんだけど……。
「お2人共、朝食はどこで食べられます?」
「私はあいつ等と食べますよ」
「俺は、ダイニング?」
大和さんがリビングで食べたら、ダニエルさん達が緊張しそう。
ゴットハルトさんはリビングに行って、そっちで食べ始めた。
私達が朝食を食べ終える頃、ゴットハルトさん達が動き出した。これから冒険者ギルドで依頼を受けると言う。
「気を付けてくださいね」
そう言って送り出すと笑顔で出ていった。
私達は出勤の準備。大和さんがお皿を洗ってくれている間に自室で着替える。
出勤用の服に着替え、練り香水を少し手に伸ばしてからシュシュで髪を纏める。これでいいかな?大和さん用の編みかけマフラーは魔空間に入れた。
「お待たせしました」
「じゃあ行こうか」
2人で家を出る。
「大和さん、今朝はダニエルさん達が居ましたけど、結界の設定ってどうしてたんですか?」
「解除はしてあったんだが、それでも6人中3人がフラーを見た。って事は結界は関係ないのか?」
「でも、私は神殿にいるときから枝垂桜が見えてますよ」
「うーん、咲楽ちゃんは『巫女』ということを差し引いても、感応性が強いんだと思うよ」
「感応性?」
「特定の場所を通ると嫌な感じがするときがあるって言ってたでしょ?その場に残された過去の想いを無意識に受け取ってしまう人を、俺達は『感応性が強い』って言ってた。そういう人は巫女の素質があるからね。咲楽ちゃんはそれにプラスして榛色の瞳を持つ。この場合は『巫女姫』と呼ばれてた。超常のモノを見る眼を持ち、尚且つ感応性が強い人をね」
「大和さんは巫女姫さんに会ったことあるんですか?」
「俺が小学に上がる前に亡くなった婆さんが巫女姫と呼ばれてた。ゆるーい感じのおっとりした婆さんだったな。あんまり覚えてないけど」
「お婆様ですか?」
「祖母じゃない。一族ではあったけど。分家筋の婆さんだよ」
「その人は大和さんの緋龍を見てないんですか?」
「あの人は見てないね。俺が奉納舞をしだしたのは中学からだし、瞑想姿も見てないはずだよ」
おっとりしたお婆さんかぁ。私の祖母は躾に厳しかったけど優しかった。編物も刺繍も楽しさと基本を教えてくれたのは祖母だ。
王宮への分かれ道に居るのはローズさんとライルさんと副団長さんともう1人?
「おはようサクラちゃん」
「おはようございますローズさん」
「へぇ。これが黒き狼と天使様?黒き狼は確かに強そうだけど、天使様は可愛いだけだね」
男の人が私達の周りをぐるぐる回りだした。
「クリストフ殿、失礼だ」
「兄さん、止めてくれ」
副団長さんが窘めて、ライルさんは頭を抱えている。
「副団長、この方は?」
大和さんが私を庇いながら聞いた。
「その人は私の3番目の兄で、クリストフと言います。昨日帰ってきたのですが、変人ぶりに磨きがかかってしまって……申し訳ない」
ライルさんが頭を下げる。
「魔道具の職人さんって方ですか?」
側に来てくれたローズさんに聞いてみる。
「そう。こんな方だったわ。観察が好きなのよ」
「ねぇ、天使サマ、どんな怪我でも治せるって本当?」
「どんな怪我でも、ですか?それは無理です。損傷処置の範囲なら治しますけど、欠損は治せません」
「古い怪我は?」
「見てみないと分かりません」
「『自分に任せてください!!』って言わないの?」
「出来ないことを出来ると言い切ることはできませんし、私は私に出来ることをしているだけです」
「へぇ。いいね。気に入ったよ」
「クリストフ殿、気はすんだか?」
「天使サマの天使様たる由縁を見たいですね」
「兄さんいい加減にしてくれ!!今朝も無理に付いてきて彼女に失礼な事を!!」
「ねぇ、クリストフ様、私達はもう出勤しなきゃなの。いい加減にしてくださる?!」
あ、ローズさんが怒ってる。
「ハハハ、ローズちゃんは変わらないね。分かったよ。またね、天使様」
クリストフさんは王宮方面に歩いていった。
「クリストフ殿、待ちなさい。トキワ殿、行きますよ!!」
「なんだか……じゃあ咲楽ちゃん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「トキワ殿、兄が申し訳ない」
「お気になさらず」
大和さんはクリストフさんと副団長さんを追いかけて行った。
「おはよう、サクラちゃん、ローズ、ライル様」
おずおずとした声がかけられた。
「ルビーさん、おはようございます。どうしたんですか?」
「クリストフ様は?」
「行っちゃいました」
「兄が迷惑をかけます」
項垂れるライルさん。
「何かあったんですか?」
施療院に向かいながら聞く。
「ここにいる3人は被害者よね」
「本当に申し訳ない」
「ライル様は一番の被害者でしょ」
「もしかして光魔法の、とかそういう魔道具を、って感じですか?」
「よく分かったね」
「その、あちらで読んだ本の中にたまに出てきたんです。治癒魔法の籠められた魔道具とかって」
「すべて想像なんでしょ?」
「早い怪我の治療は、向こうでは人類の夢でしたから。1ヶ月かかる骨折の治療が数分で治るとか出来たら、それは魔法みたいですよ」
「魔法よね」
「魔法がない世界で、ってことです」
「あぁ、そういう事。光魔法が無い、施術師がいないところでは、時間がかかるって聞いたことがあるわ」
「元の世界では骨を正しい位置に固定して、1ヶ月程かかるんです。1ヶ月というのも平均です。若い人は早く治りますし。とは言っても20日以上はかかります」
「治ったってどうやって分かるの?」
「レントゲンとかCTスキャン……すみません説明が難しいです。えっと、骨を写す機械があって、それで判断します」
「凄いわね」
「でも欠点があって、その機械に使われている物質は有害なんです。少量なら問題ないんですが」
「有害?」
「放射線って言うんですが、大量に浴びる、被曝すると健康を損なって、最悪死に至ります」
「それで骨折とか判断するって言ってなかった?」
「骨折1回分の被曝量は大したことありません。それが百回とかになれば別ですが。薬師さんと一緒です。薬草とか、大量に使用すると有害な物ってありませんか?」
ちょうど施療院に着いちゃった。
「その答えはお昼にするよ」
そう答えたライルさんと別れて、更衣室で着替える。
朝の診察が始まった。
治癒魔法の魔道具かぁ。あれば便利だよね。治癒師さんが居ない所なんかだと絶対に有った方がいい。骨折とかより外傷の方がそういった処置は早い方がいい。
そんな事を考えながらも処置を続ける。今日は切傷とか酷い擦過傷とか挫傷が多い。何かあったのかな?
3の鐘が鳴った。ローズさんがお昼に誘いに来てくれたけど、ローズさんも疲れてる。
休憩室に居た皆が疲れている感じがする。
「今日はやけに切り傷とか擦り傷が多かったわね」
ルビーさんが疲れた顔で言う。
「魔力量はどうじゃ?」
「3割程度減ってます」
「私は2割程度減ってます」
私は……1割も減っていない。
ローズさん、ルビーさんに続いて私を見た所長は、そっと目をそらした。所長……。
「いったい何があったんでしょうか?」
「何人かが盗賊がどうの、って言ってたね」
「私は小火って聞いたわ」
「犯人でも追いかけたのかしら?」
「昨日の不審者?」
「あぁ、あの人ね。トキワ様が何か違和感を感じたんでしょ?」
「結局、なにも教えてくれませんでしたけど」
「そうなの?」
「それって何?」
「昨日ね、気味悪い人が来てね、サクラちゃんの手を離さなかったのよ。しかも仮病で」
「その人を回収しに来たのが、濃緑に金ボタンの騎士だったのよ」
「濃緑に金ボタン?地方騎士は濃緑に銀ボタンだろ?」
「そういえば変じゃったの。トキワ殿は話だけで違和感を覚えたのか」
みんなで考えてみたけど、結論は出ない。
「そうそう、今朝の話だけどね」
ライルさんが話し出した。
「薬草にも摂りすぎると駄目な物はあるよ。それに毒草を使って解毒剤を作ることもあるって聞いた」
「元の世界でも問題となっていました。オーバードーズって言うんですけど、訳すると過剰摂取でしょうか。元は心の病の人が不安や痛みから逃れるための過量服薬という意味だったんですけど」
「色々あるのね」
「薬も多すぎちゃ駄目ってこと?」
「だからよく言われていたのが『薬は用法用量を守りましょう』でした」
お昼からの診療が始まった。
朝よりは少ないけど、やっぱり擦過傷とかの人が多い。
挫傷の治療で来た患者さんの1人から、事情が聞けた。
どうやら盗賊が商家や民家に押し入って、追いかけた人と逃げた人が擦過傷と切傷の原因らしい。一晩に何件も事件が起きて、何人も怪我人が出た、と言う。小火の出たところもあって、逃げるのに目眩ましに火を付けたって、捕まえた犯人の1人が言ってたらしい。犯人はほとんどが捕まったけど、まだ何人かが逃げてるんだって。今も騎士様と兵士さんが協力して捜索しているらしい。被害区域は主に西地区。東地区は貴族が多いから避けたんだろうとは、その患者さんの推理。
「ここも気を付けてくださいね。アイツ等はどこから忍び込むか分かったもんじゃない」
そう言い残して患者さんは帰っていった。
西地区が被害地域?ルビーさんのお家は大丈夫なのかな?診察室を出て、ルビーさんの診察室に行ってみる。
ルビーさんもちょうど患者さんが途切れたようだったので、話をしてみた。
「ルビーさん、どうやら西地区で強盗被害があったみたいですけど、大丈夫ですか?」
「さっきマルクスが来て教えてくれたわ。被害に遭ったのは家とは反対側の地域みたい。西地区と言っても結構広いからね。大丈夫そうよ」
「それならいいんですけど気を付けてくださいね」
何となく気掛かりだった。
マルクスさんはそのまま待っていたみたいで待合室にいた。5の鐘が鳴ったけど大和さんは来ない。
捜索が長引いているのかな。
「ここで待っていてもよいぞ」
とナザル所長が言ってくれたので編物をしながら待っていることにした。ルビーさんとマルクスさんが一緒にいてくれた。
「それ、何を編んでるの?」
「マフラーです。大和さんのを編んでます」
「へぇ。ルビーは編んでくれないの?」
「私がそういったのが苦手だって知ってて言ってるわね」
ルビーさんがマルクスさんをちょっと睨む。
「この機会に習ってみたら?」
「難しそうだもの」
「マルクスさん、編んで欲しいんですか?」
「あはは。からかっているだけだから気にしないで」
「私は片付けとかお掃除はするんだけど、料理は完全にマルクス任せね」
「マルクスさんは主夫ですね。あれ?マルクスさんってお仕事は?」
「家が家具とか作っててね。それを手伝ってるよ。事務仕事の方でね。シロヤマ嬢もそういうのは否定的?」
「以前大和さんが言ってくれたんですけど『出来る人が出来ることをやれば良い』んだそうです。どうしても家の事は女が、外の事は男がってなっちゃいますけど、料理が得意な男性もいるし、身体を動かすのが得意な女性もいますよね」
「さっきボクに『シュフ』って言ってたけど、どういう意味?」
「普通は主婦って婦人って言う意味ですよね。でも家庭内で家庭を支える男性もいても良いと思うんです。そういう方も主夫と呼んでます。私だけかもしれませんが」
「なるほどね。面白いことを言うね」
「ねぇ、さっきから話をしながらそんなに出来たの?」
「模様とか考えなくて良いから、早く出来ますよ」
外はもう真っ暗になっていた。
「お2人とも、時間とか良いんですか?」
「別に大丈夫だけど、トキワ殿は遅いね」
「お気になさらず、帰ってくださいね」
ナザル所長が所長室から降りてきた。所長室は2階にあって通信設備とか貴重な物が置いてあるらしい。
「おや?まだ居たのか?トキワ殿はまだなのかね?」
「すみません」
外でガタッと音がした。