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ジャクリーンさんとエミディオさんは、昼食を食べて帰っていった。ジャクリーンさんは薬湯を4回分置いていった。今日は必ず飲むようにって何度も念を押して、エミディオさんに「しつこい!!」って止められていた。
「さて、今からは何をしようか?」
「大和さんは何かしたい事はないんですか?」
「『対の小箱』の改造?」
「私はリュラの練習をしちゃいます」
「来週だしね」
「はい。練習して少しでも自信を付けたいんです」
「一緒に居て良い?」
「はい。ここでやっても良いですか?」
「良いよ」
リビングの暖炉の前で『春の舞』を弾く。
「咲楽、奉納舞の時のスープなんだけど」
「はい」
「浄化を掛けてくれる?」
「浄化、ですか?」
「うん。それからやっぱり水垢離はしようと思う。正式に籠れないからね」
「分かりました」
水垢離って冷水を浴びるんだっけ。大丈夫かな?
「当日はすぐに温まってくださいね」
「すぐには無理だよ」
「どこでやるんですか?」
「水垢離?屋上かな?」
「時間は?」
「日の出までには終わらせたいから、1の鐘の前にするよ。当日はトレーニングルームで1人で寝るから」
「1人で……」
「ごめんね」
「謝らないでください」
この時期に水垢離なんて、心配ではある。前日から離れなきゃいけないのも不安だ。でも、奉納舞である以上、大和さんの中で譲れない儀式なんだと思う。大和さんの剣舞は、神々に捧げるモノであって、私達はそのおこぼれを見せていただいているに過ぎない。
「でも、毎年やっている気がする」
「奉納舞ですか?毎年ですね」
こちらに初めて来た年の空の月、次の年の実りの月、そして今年の氷の月。実際には1年空いてるけどね。
「あの時のエリアリール様の、要望通りになっている気がするのが悔しい」
「偶然が重なっちゃいましたからね」
「カークも巻き込んでやろうか」
「カークさんは喜びそうです」
2人とも完全にやっていた事から、手も思考も離してしまっている。
「このままだと常磐流がこっちの世界で舞えるのが俺だけなんだよね」
「ユーゴ君は?」
「この先、『四季の舞』まで覚えてくれるかどうかだね」
「『秋の舞』は覚えたそうでしたけど」
「覚えたそうだった?」
「アインスタイ領から帰ってきて、少し経った頃に言っていたんです。アインスタイ領の舞いも覚えたいけど、今やっているのを中途半端に出来ないって。だから、大和さんから合格を貰って、それからアインスタイ領の舞いを覚えたいって」
「他のは何か言ってた?」
「ん~、『冬の舞』はずっと『あれは無理』って言ってました」
「避けては通れないんだけどね。『夏の舞』はまだ見せてないし、王都に帰ってからかな?」
「ユーゴ君の場合、周りの雰囲気を敏感に感じ取っちゃうから、大和さんの雰囲気が変わるのが、怖いって感情になっちゃうんじゃないでしょうか?」
「雰囲気か」
「春は普段接している感じだし、秋は少し厳しく感じるけど、冬は少しどころじゃなく厳しいんです。雰囲気だけですけど」
「そんなになる?」
「はい。私がたまに、『冬の舞』の時に寒さを感じちゃうのと同じだと思います。私は体感温度が下がるって感じますけど、ユーゴ君は心理的に感じちゃうのかも」
「なるほどね。それはあるかもね。日本で居た時も、『冬の舞』の時は逃げ出すのがいたし」
「逃げ出す?」
「そぉーっと離れていくんだよ。諒平がソイツ等を後で叱ってた。そんな事で側仕えなんて出来るかって」
「諒平さんは変わらなかったんですか?」
「最初に俺の『冬の舞』を見た時にはひきつっていた」
「中学生でしたっけ?」
「そうだね」
「それは仕方がない気がします」
「仕方がない?どういう意味かな?」
「諒平さんがどういう人かは知りません。でも、大和さんの『冬の舞』ってブリザードだったから、あれを中学生で感じ取ったなら、ひきつっちゃうと思いますよ」
「そっか。最初はブリザードだったっけ?」
「今はそうじゃないですけどね」
「やっぱり大切な女性が居るからかな?」
「そこは分かりません」
「照れてるねぇ」
「面と向かって、大切な女性ってまっすぐ見つめられたら、照れない方が難しいです」
「照れてる咲楽も可愛い」
ソファーを移動して、私の頭を撫でてくれる。私はリュラを演奏する為に椅子に座っているから、抱き寄せようとして途中で止めたのが分かった。
「ソファーに移っても良いですか?」
「駄目。ソファーじゃなくてここにおいで?」
示されたのは大和さんの膝。乗っけられるならともかく、自分で座れと?いやいや、それはまだハードルが高すぎますって。
「来ないの?」
「大和さんの膝にですか?」
「そうだよ?」
「そうだよって……」
「ほら、おいで?」
「うぅぅ……」
「どうしたの?」
にっこり笑ってそう言いますけど、分かって言ってますね?
「失礼します」
そう言って大和さんの隣に座ったら、くっくっくっと喉の奥で笑われた。
「膝はハードルが高かった?」
「自分からは、ちょっと……」
「仕方がないね」
よっと私の膝下に手を入れて、膝に乗っけてくれた。もちろん腰の辺りでがっちりホールドされている。
「リュラの練習は良かったの?」
「しておきたいです。けど」
「けど?」
「それには降ろしてもらって、移動しないといけません」
「またここに戻ってくるなら、良いよ?」
「自主的に?」
「自主的に」
「自分から?」
「咲楽から俺の膝に座るんだよ?もちろん」
「隣じゃダメですか?」
「駄目です」
「えぇぇ……」
「どうする?ずっとここにいる?1回離れて戻ってくる?」
「と、隣に座るっていうのは?」
「却下」
「えっと、えぇっと……」
「もう無い?」
「『対の小箱』の改造は良いんですか?」
「必死だね。そんなに嫌なのかな?」
「大和さんの膝に座るのは、恥ずかしいですけど慣れてきました。でも、自分からは無理です」
「あぁ、ほら。真っ赤になってるよ。ベッドで休む?」
「誰の所為ですか。誰の?」
「誰だろうねぇ?」
「惚けないでください。大和さんです」
「何故だろう?」
「大和さんっ」
「まぁ落ち着いて」
そう言いながら、さりげなくキスされた。
「どさくさ紛れにキスしないでください」
「可愛い咲楽にキスしたかったんだよ」
いろいろと弄ばれている気がする。
「人を弄ばないでください」
「弄ぶなんて人聞きの悪い。可愛い咲楽を愛でているだけなのに」
「私の反応を楽しんでいましたよね?」
「そんな事無いよ」
「そんな事、ありましたよ」
「無いって。リュラの練習は良いの?」
「します」
「俺もしようかな?」
「何を?」
「剣舞。咲楽に合わせたい」
「4階に行きますか?」
「行こうか」
大和さんと4階に上がる。
「そういえば、エミディオさんと何をしていたんですか?」
「トレーニング。ここにある器具の使い方を教えていた」
手早く剣舞が出来る空間を作りながら、大和さんが教えてくれた。
「トレーニングって、エミディオさんは出来たんですか?と、いうか、付いていけたんですか?」
「なかなかの根性は見せたよ」
リュラをセットして、大和さんの準備を待つ。
「良いかな?」
「はい」
「口上から行くから」
「本番の時ってタイミングは?」
「いつもと同じで良いよ。構えをとってから、3拍位してから」
「分かりました」
大和さんが足を組んで、魔空間からサーベルを出して捧げ持つ。深く一礼して口上を述べる。
『只今より、常磐流第28代が2子、常磐大和、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』
サーベルをすらりと抜いて、鞘を魔空間に仕舞う。構えを取って、3拍置いてリュラを弾き始める。脳裏に浮かぶ枝垂桜の大木と1面の色とりどりの鮮やかな花畑。フッと視線を上げれば舞い散る花弁。
「合わせてみてどうだった?」
「いつもより鮮やかというか、はっきりした風景というか。途中で視線を上げたら、花弁が舞ってて慌てて視線を下げました」
「いずれは視線を上げたままに出来ると良いね」
「はい」
「もう一差し、行っとく?」
「お願いします」
「良い心がけだね」
もう一度大和さんが口上から始める。それに合わせてリュラを弾く。
「うん。良いね。舞いやすい」
「大和さん、私のリュラは舞いやすいって言ってくれますけど、カークさんのトラヴェルゾはどうなんですか?」
「カークかぁ、カークはなぁ。なんというか、思い入れが強すぎて合わせやすいんだけど、舞いにくい」
「合わせやすいけど舞いにくい?」
「主張しすぎる時があるんだよ」
「そうなんですか」
私が聞いている時はそう感じないんだけど。2人だと違うのかな?
もう1回合わせたら、お夕飯の支度をする。大和さんはお風呂に行った。
今日のお夕飯は買ってあった牛肉を、叩いて伸ばして広げて重ねて厚みを出したカツレツ。これもミルフィーユカツと言えるよね。
「咲楽、行っておいで」
「はい」
「湯冷めしないようにね」
「はい」
湯冷めかぁ。こちらは魔道具でセントラルヒーティングのように家中暖かい。1つの暖炉で家中暖かいって凄いよね。
後1週間で奉納舞の日だ。緊張なんて言っていられないけど、緊張するのは許して欲しい。大和さんと一緒だから、まだ心強い。これで1人でって言われたら、絶対に逃げている。逃げても良い事はないし、事態が悪化する方が多いけど、たぶん、確実に逃げ出している。後ろ向きな考えだけどね。
お風呂から出て、キッチンに行く。
「おかえり。キッチンに出してあったパン。温めておいたよ」
「ありがとうございます」
牛カツを切って盛り付けて、テーブルに運ぶ。
「さすがだね。旨そうだ」
「ソースをウスターソースにしようか、トマトソースにしようか迷ったんですよね。トマトソースにして良かったです。ウスターソースをかける余地も残っていますから、お好きにどうぞ」
「じゃあ、この余白部分にウスターソースをかけよう」
「今回のウスターソースは自信作です。スパイスの配合も上手くいきました」
「配合の割合は記録してあるの?」
「はい。後はコンソラットゥ・テーレとかトラットリア・アペティートで試してもらいます」
「権利はどうするの?」
「レシピ登録ですよね?話し合って決めます」
「それが賢明だね」
「たぶん受け入れられるとは思いますけど、こちらの方の口に合うかが心配です」
「大丈夫じゃない?黒餡白餡も受け入れられたんだし」
「あれは甘味じゃないですか」
「あ、そっか。今まで登録したのは甘味ばかりだね」
「お食事系はトマレガパスタ位なんですよね」
「旨けりゃ受け入れられるでしょ。大丈夫だって」
「そうでしょうか。見た目も心配です」
「それは気にしても仕方がないよ」
「ココアパウダーの黒褐色も最初「何が入ってるの?」とか「炭でも入れたの?」とか言われたんですよ?」
「1度食べれば分かってくれると思うけどね」
夕食を終えて、2人で食器を片付ける。明日のスープの用意は済んでいるし、後は寝るだけで良いかな?
寝室に上がって、ベッドで話をする。
「大和さん、『対の小箱』改造計画はどこで頓挫しているんですか?」
「不特定多数に送れるかって所だね」
「携帯電話のようにナンバー付けしちゃダメなんですか?」
「あぁ、1~10とかナンバリングしてって事?」
「はい」
「問題はどこにその文字を入れるかなんだよね」
「文章をぶった切っちゃいけませんもんね」
「そういう事」
「魔道具って奥が深いですね」
「そうなんだよ。正しい術式にしないと意味をなさない処か、誤作動を起こすんだよ」
「誤作動は怖いですね」
「俺は一斉送信の方だから、まだそんな大事になっていないけど、複製の方の魔道具は怪文書を作成しだしたりしていた」
「怪文書?」
「見せてあげようか?持っているから」
見せられた紙には『ぢjybdfら死きおwrんfsw死qpむ』のように、意味をなさない文章が縦横斜め関係なく書かれていた。
「死だけ主張してませんか?」
「怖いでしょ?」
「怖いですね。元の文章って何だったんですか?」
「恐ろしい事にね、『abcdefghijk』ってこちらのアルファベットだったんだよ」
「それがこうなったと?」
「女性は悲鳴をあげるし、一気にchaosになったね」
「でしょうね。何かの呪いかと思いますもん」
「この怪文書以来、複製の魔道具は開発をストップしてる」
「ほとぼりが冷めるまでは、手を付けたくないですよね」
「お陰で着信の工夫の方に人員が流れた」
「あらら」
「そっちの方が急務かな?って思うんだよね」
「緊急時に困りますもんね」
「そういう事。ところで、薬湯は飲んだ?」
「飲みましたよ?食後に」
「後は明朝に上がらない事を祈るだけだね」
「お祈りしておこうかな?」
「しておきなさい。後は冷やさないようにしないとね」
そう言って、毛布を掛けてくれる。
「そろそろ寝ますね。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」