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霜の月、第5の闇の日。今日は大和さんも私もお休みだ。お休みなんだけど、私が体調を崩してしまった。と、言っても発熱しただけ。風邪症状はないし、寝ていれば治ると思うんだけど。発熱したのが昨日。施術室でエミディオさんに闇属性や光属性を教えていたら、悪寒がした。その後アイビーさんに顔が赤いって指摘されて、トリアさんにちょっと熱いんじゃない?って言われて、エミディオさんとトニオさんが飛び出していってジャクリーンさんを呼んできて、大騒ぎになった。熱冷ましの薬湯を飲まされて、帰りは馬車を出してくれて、大和さんにはいつも以上に過保護にされるし、大変だった。食事は聞き付けた領城の料理人さんが持ってきてくれた。領主様の指示だって。
今朝になって自分の感覚的に熱は下がっているんだけど、大和さんはもう一日寝てなさいって言うし、ジャクリーンさんが診に来てくれる予定だから、外に出る気もない。この程度なら動けるんだけどなぁ。真冬とか締め出されていたから熱が出るのはしょっちゅうだったし、それでも母や兄の食事は作らなきゃいけなかったから、寝込んでいる暇はなかった。解熱剤も私には貰えなかったから、出来るだけ早く家事を片付けて寝るしか方法が無かったんだよね。
「咲楽、起きたの?」
「おはようございます、大和さん。もう大丈夫です」
風邪だとうつしちゃうから、大和さんは一応マスクを付けている。私も付けているけど、不織布マスクじゃないから意味が無い気がする。
「駄目。今日1日寝てろって言ったでしょ?ぶり返したらどうするの」
「正確な体温は分かりませんけど、この位でしたら普通に動いていましたよ?」
「ここは日本じゃないでしょ?ジャクリーンさんが来てくれるまでは、大人しくしていなさい」
「でも……」
「でも、じゃないの」
「……はい」
大和さんは言い出したら聞かない。ましてや、今は私の事を心配して言ってくれているのが分かるから、大人しく従っておく事にした。
「大和さん、運動とかはどうしたんですか?」
「塔内で済ませたよ。俺の事は心配しないで、自分の心配をしなさい」
「はぁい」
「なにかな?その不満そうな声は」
「もう大丈夫ですよ?って思いを籠めました」
「大丈夫そうだけどね。お昼までは大人しくベッドの住人になっていなさいね」
そう言って優しく頭を撫でてくれる。その撫で方に安心して、うとうととしたらしい。
次に目が覚めた時、私を覗き込んでいたのは、ジャクリーンさんとエミディオさんだった。
「あ、起きた。トキワ様、シロヤマ先生が起きたよ」
「あぁ。ありがとう」
大和さんが苦笑しているのが分かる。すぐ近くで声がしたし、大和さんも同じ室内に居るんだろう。
「シロヤマさん、手を出して」
ジャクリーンさんに言われて手を出すとその手を握られた。何をしているんだろう?
「熱はもう少しあるわね。動けるとは思うけど、お昼までは寝ていた方がいいわ」
「はい」
「朝食は食べてないんでしょ?お湯にアフルのフリュイを溶かしたものよ。飲んでみて?」
「母ちゃんのアフルフリュイのお湯割りは効くんだぜ。オレもよく熱を出してたけど、すぐに引いたもん」
「エミディオの熱はコルドに薄着で外で遊んでいたからだよ。シロヤマさんと一緒にしなさんな」
「バラすなよ、母ちゃん」
仲が良いなぁ。ジャクリーンさんのアフルフリュイのお湯割りは、優しい甘さで飲みやすかった。
「全部飲んだわね。もう少し寝ていなさい」
「そこまで眠れませんよ」
「眠らなくて良いのよ。横になって身体を休めて。薬師の言う事はちゃんと聞いてね」
「はい」
ジャクリーンさんが寝室で付いていてくれるからか、大和さんとエミディオさんは寝室を出ていった。
「最近忙しかったんじゃないの?」
「そうですね。雪の日の救援に演奏会の準備」
「それとエミディオの受け入れね。感謝しているわ。ホンの数日で変わったもの」
「私は何もしていませんよ?」
「それでもね。施術室でこう言われた、施術室でこんな事を教えてもらった。毎日そんな感じなのよ」
「そうなんですか?」
「言葉にも刺々しさが無くなってきたしね。1人で育てたからか、厳しく言い過ぎちゃって」
「あれ?ジャクリーンさんって……」
「私は未婚よ。別れてからあの子がお腹に居るって分かったの」
どこかで聞いた話だなぁ。あぁ、アリーチェさんだ。確かアリーチェさんも別れてから気が付いたって。その時の子どもがイグナシオ君。ただいま19歳。あれ?エミディオさんは18歳だったよね?
「ジャクリーンさん、エミディオさんは18歳でしたよね?」
「そうよ?もうすぐ19歳」
「もうすぐなんですか?」
「えぇ。芽生えの月ね」
「わぁ。お祝いしなくちゃ」
「そうねぇ。もう成人しているから特にお祝いなんてしていないんだけどね」
「誕生日って産まれてくれてありがとう。ここまで成長出来ておめでとう。って意味もありますけど、産んでくれたお母さんや育ててくれた人達に、感謝する日でもありますよね」
よほどの毒親でない限り。私の母のような。
「そう考えると楽しいわね」
「はい」
ジャクリーンさんと話をしていると、少し眠くなってきた。
「大丈夫よ。側に居るからね」
その声に誘われるように眠りに落ちた。
ーーー大和視点ーーー
咲楽をジャクリーンさんに任せて、エミディオと寝室から出る。
「トキワ様ってさ、強いんだよね?」
「ん?まぁ、それなりに?」
「どういう訓練をしてるの?」
「知りたいか?」
強く頷いたエミディオを4階のトレーニングルームに案内する。
「スゲー、何ここ?」
「領主様に許可を得て作った訓練室だな」
「この吊り下げられているロープってどう使うの?」
好奇心で目がキラキラしているな。興奮しているらしい。
「腕の力だけで登るんだ」
「難しくね?」
「やってみるか?」
「先にお手本を見せてよ」
「良いぞ」
床に座ってロープを握る。足を使わずに登るのはコツがいる。上腕三頭筋と広背筋を上手く使わなければならない。
ロープを上まで登って降りてくると、エミディオにロープを渡す。
「身体が全く浮かないんだけど?」
悪戦苦闘していたエミディオがロープを離した。
「腕の力だけで登ろうとするからだ」
「昨日さ、シロヤマ先生が具合が悪いの、オレ、気付けなかったんだ。すぐ側で魔法を教えてくれていたのに」
「しかし、気がついてすぐにジャクリーンさんを呼びに行ってくれたんだろう?」
「でも、もっと早く気付けても良かったんだ」
悔恨をにじませて、エミディオが言う。
「咲楽は隠そうとするから。たぶん、誰にも気付かれなかったら、帰ってくるまで無理してでも『大丈夫』って言い続けただろうな」
「トキワ様にも隠そうとするの?」
「あぁ。出来るだけ迷惑をかけたくないって言っているが、こっちからすればそんな事は気にするなって怒鳴ってやりたくなる。甘えるのが下手なんだ」
「魔力量は多いし、とんでもない事をやっても平然としているし」
「ちょっと待て。とんでもない事って何だ?」
「あ、えぇっと……」
「どうせ無意識にやらかしたんだろう?」
「ハクオボク村で、染料で手が染まっちゃった婆さんの手を綺麗にした」
「は?」
「本人は洗浄の魔法とか言っていたけど、洗浄の魔法って光属性は使わねぇし」
「咲楽……。あの娘は……」
「怒らないでやってくれよ?シロヤマ先生は良かれと思ったんだろうから」
「あぁ。分かってる」
カークにさんざん注意されたのに、やってしまうんだよな。咲楽は。
「でもさ、剣舞って聞いたけど、どんな剣を使うの?」
「あぁ。これだな」
魔空間からサーベルを取り出す。
「サーベルという。俺の剣舞はこの細身の剣を使うんだ」
「オレ、剣ってあまり見た事がないんだよね」
「鞘に入ったままで良ければ持ってみるか?」
「良いのっ?」
ずいぶんと嬉しそうにするな。魔空間からショートソードを出して持たせてやる。
「その魔空間って、何本の剣が入ってるの?」
「剣か?剣は6本だな」
「剣はって他に何を入れているのさ?」
「捕縛用のロープに救助用の毛布、ナイフに食器、後は……」
「どこに行くつもりだったの?」
エミディオに真顔で聞かれた。
「どこにも行かないぞ。何かあっても対応できるようにしているだけだ」
再び真顔で見られた。カークにもこんな顔をされたな。エミディオからショートソードを受け取って、魔空間に仕舞う。ついでにポッシュ時計を見ると、11時頃だった。
「咲楽の様子を見てくるか」
「母ちゃんが無理にでも寝かせていると思うけどね」
「その隙を見て、動こうと画策しそうだ」
「あり得る」
エミディオと寝室に向かう。楽しそうな笑い声が2階から聞こえてきた。2階から?索敵を使うと咲楽とジャクリーンさんが居るのが分かった。
「なんか下から笑い声が聞こえるんだけど」
「咲楽とジャクリーンさんだな。どうせ無理を言って起き出したんだろう」
ため息を吐く。どうやら何かを作っているらしい。
「楽しそうだね」
階段室から顔を覗かせると、咲楽がキッチンに隠れた。ジャクリーンさんはその姿を見て笑っている。
「母ちゃん、なにやってんの?」
「お料理よ?見て分からない?」
「分かるけどさ。シロヤマ先生に無理はさせてねぇよな?」
「当たり前よ。私を誰だと思っているの?」
「母ちゃん」
母子の会話が終わりそうもないので、強引に割り込む。
「咲楽の熱は下がりましたか?」
「えぇ。もうすっかり。今日はゆっくりするように厳命したのですけど、料理をしたいと言いまして」
「料理は趣味だと言い張る娘ですからね」
「お菓子作りも得意だと聞きましたよ?」
「えぇ。彼女のお菓子は絶品です。普段甘い物は食べないのですが、咲楽のお菓子は別ですね」
「施術室で出てくるおやつって旨いんだよね。特に絵入りのクッキーが好き」
「絵入りのクッキー?って王都で流行ってるっていう?シロヤマさん、買ったの?」
「作りました」
相変わらずキッチンに隠れたままで、咲楽が言う。
「咲楽、出ておいで?」
「怒りませんか?」
「ジャクリーンさんが許可をしているんでしょ?」
こくこくとジャクリーンさんが頷く。
「薬師のジャクリーンさんが許可をしているなら、怒らないよ。動き過ぎは厳禁だけど」
ホッとした顔で、咲楽がキッチンから顔を覗かせた。
「お昼だけ作っちゃいますね」
「無理はしないでね」
「大丈夫ですよ」
「ちゃんと見てるわよ。大丈夫」
その言葉にリビングに移る。咲楽とジャクリーンさんが楽しそうに昼食を作っている。
「トキワ様、何を見てるの?」
「『対の小箱』の術式だ。これの改造を試している」
「例えば?」
「今、みんなで考えているのは複数人に1度に送れないかと、届いた時に知らせる機能を付けられないかって事だな」
「『対の小箱』って知らせる機能って無かったの?」
「無かったらしい。咲楽に聞いて、それは不便だと思ったんだ」
「確かに?でもさ、時間を決めて覗けば?」
「急ぎなら?覗いた直後に届いてしまうと、次の時間まで気付けない。それじゃ遅くなってしまう」
「施術室の『対の小箱』は届くと音が鳴るよ?チリンって鈴の音が」
「あれはな、鈴を付けてあるんだ。咲楽とトニオさんのアイデアだな」
「箱の中に鈴が入ってるの?」
「あぁ」
エミディオが何故か俺にぴったりとくっついてくる。いったいどうした?
「エミディオ、トキワ様にベッタリね」
ジャクリーンさんが笑いながら言う。
「えっ!!あ、すいません」
「いや……」
正直に言って戸惑う。俺はそこまで懐かれるタイプじゃない。
「エミディオさん、大和さんの事を気に入ったんですか?」
「気に入ったっていうか、強いし格好いい」
「ふふふ。大和さんは優しくて強くて格好いいんです」
「うわぁ。ベタ惚れ……」
「咲楽は可愛くて可愛くて可愛いから」
「こっちもベタ惚れね。あら、シロヤマさん、真っ赤よ?熱が上がっちゃったかしら?」
イタズラっぽくジャクリーンさんが笑う。
「熱は上がってません。大丈夫です」
咲楽が慌てて言う。
「あれって分かってない?」
エミディオが小声で言った。
「ジャクリーンさんの言葉を、そのまま受け取ったんだな」
「あぁ、そういう事。シロヤマ先生って素直だね」
「そうなんだ。素直なんだよ」
チラッとエミディオを見る。
「惚れるなよ?」
「ほっ!!惚れないよ。トキワ様にベタ惚れって分かってんのに、惚れても虚しいだけじゃん」
ボソボソと小声で話をする。
「昼食が出来ましたよ」
ジャクリーンさんが咲楽を伴って、ダイニングに料理を運ぶ。手伝う為にソファーから立ち上がった。
「手伝います」
「あら、ありがとう」