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3の鐘が鳴ったから、食堂に移動する。
「今日からか。よろしく。バーナード・セントという」
「俺は知ってるな?ヤマト・トキワだ」
「いやいやいや、騎士がなんで居んの!?」
「いつも一緒ですよ?」
「いつもよねぇ」
「いつもですけど」
「いつもの事だね」
私達に一斉に言われて、エミディオさんが「普通は別だろ」って呟いていた。
「聞きたいんだがな、普通ってなんだ?」
大和さんがエミディオさんに聞いた。
「普通は普通でしょ?」
「その普通は全員がそうだという事か?」
「え?うん。そうだけど?」
「今この場に居るみんなにとってはこれが普通だ。普通とは多数の人間がしている、もしくは思っている事であって、全員がそうである事じゃない。それは覚えておいてくれ」
「あ、はい」
「ヤマト、エミディオ君が萎縮するぞ?」
「普通だと思い込むのは怖いんだ。普段と違う小さな異変にも気付けなくなる」
「言いたい事は分かるけどな」
セント様が苦笑する。
施術室に戻った後、エミディオさんが何かを考えていた。
「シロヤマ先生、さっきのトキワ様が言った事って、施術師に大切なことだよね?」
「大切ですね。施術師に限らず、どんな職業にとっても」
「そっか。考えろって事だよね?それを当然と思わず、考えろって」
「そうですね。自分なりに考える事は大切です」
14時頃にエフィー様が施術室に顔を出して、私は連れ出された。向かった先は施術室の目と鼻の先の会議室に併設された小部屋。
「はい。これが今日の衣装よ」
エフィー様に渡されたのは、シンプルな白のブラウスとアプリコットカラーのミディ丈のサーキュラースカート。それにノーカラーのウエスト部分から裾が広がった山吹色のジャケット。カザカンというらしい。エフィー様は同デザインの寒色系。
「シロヤマ先生はお若いですから、こういう色が似合うと思いますの」
「色違いのお揃いですか」
「そうですわね」
いつもの投網付きリュラはセットして会議室に置いて、もう1つのフリカーナ家から頂いたリュラで指慣らしをする。4の鐘前には騎士団の人達が徐々に集まりだした。そっと覗くと大和さんやセント様、見知った騎士様達はみんなドアの横など最後列に立っている。最前列の中央の椅子は4つ空いていた。あそこに領主様ご一家とジョエル先生が座るんだと思う。
領主様ご一家とジョエル先生が入ってきた。騎士団長様がお席に案内して着席されたのを確認してから、エフィー様と小部屋を出て演奏場所に着いた。
「演奏会にようこそお越しくださいました。本日はシロヤマ先生の演奏が聞きたいと、多数の要望が寄せられたと聞き及んでおります。その筆頭がそちらにいらっしゃる御領主様とジョエル先生でいらっしゃいます。シロヤマ先生はずいぶん悩まれたと聞きました。それでもこうして演奏会を開くことを了承していただきました。シロヤマ先生がお1人だと不安だろうから、と、私も参加させていただく事に致しました」
エフィー様がお辞儀をする。エフィー様が最初にこう言ってくださることで、エフィー様が一緒に演奏する理由を皆様に説明すると共に納得していただいた。私は口下手だから、最初の挨拶はエフィー様にしていただいた。
エフィー様とアイコンタクトをして、最初のフェイドラージから演奏を始める。エフィー様と話をして、フェイドラージをコルドに見立てて、Frühlingでフラーを喜ぶという形にした。3曲目はAh! vous dirai-je, maman、4曲目はベルスーズ、5曲目はバージニーリルア。Ah! vous dirai-je, mamanとベルスーズで眠くなったのをバージニーリルアで吹き飛ばして貰おうという魂胆だ。私のソロでのレキュイレムの後、エフィー様のイエヴァンポルッカ、8曲目のMaison heureuseで締めくくる。
大きな拍手を頂いて、エフィー様と小部屋に下がる。事務職の1人が挨拶をしていた。着替えながらエフィー様と話をする。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。シロヤマ先生、堂々としておられましたわよ」
「緊張して、心臓が口から飛び出しそうでしたけど」
「うふふ。皆様の反応も思った通りでしたわ」
「エフィー様、反応を見ておられたんですか?」
「私はそこまで緊張しませんでしたので。シロヤマ先生がメインで私は添え物ですもの」
「添え物だなんて。エフィー様に支えていただいて、成功させる事が出来ました。ありがとうございました」
「いいえ。後は奉納舞でしたかしら?」
「はい。奉納舞が済んだらターフェイアを離れます」
「寂しくなりますわね」
「私もです。またターフェイアには必ず来ます」
「そうですわね。シロヤマ先生のお好きな布やお魚もございますものね」
「それだけじゃありませんよ?」
「分かっておりますわ。私も王都に行く機会があると思いますから、その時はよろしくね」
「はい」
施術室に戻って、トリアさんに興奮気味にぎゅうぎゅうと抱き締められた。
「大成功ね。良かったわ。感動しちゃった」
「ありがとうございます」
「後は奉納舞だっけ?」
「はい。それで最後になります」
「絶対に見に行くわ。行かなきゃ後悔するって自信があるもの」
「当日はここの当番って……」
「ジョエル先生が来てくれるそうよ。私達は領城で臨時の救護所待機ね」
「お世話をお掛けします」
すでに勤務表作りは私の手を離れて、トリアさんが行っている。1度やってみたかったんだそうだ。
「奉納舞って、星見の祭の時に神殿長様が言っていた?シロヤマ先生は何か関係があるの?……あるんですか?」
チロッとトリアさんに横目で見られたエミディオさんが言い直した。
「あの奉納舞って、トキワ様が舞ってサクラちゃんが伴奏するのよ」
「えっ」
「がんばります」
「その曲って聞けないんだよね?」
「そうですね。でも、エミディオさん以外は聞いた事がありますよ。ユーゴ君が来た時の曲ですから」
「あれね。フラーって感じの華やかな曲だったわね」
「うわっ。オレだけ聞いてない?」
「私達もここから見てただけだから、近くで見られるのが楽しみです」
お昼からは演奏会があった為か、患者さんが少ない。
「シロヤマ先生、闇属性を教えてください」
「闇属性を?」
「雪の日にオレを落ち着かせてくれたでしょ?オレもやれるようになりたい」
「分かりました。闇属性は目立ちませんけど、使い方さえ誤らなければとても有用な属性だと思います」
「使い方さえ誤らなければ有用?」
「精神に作用しますから。その気になれば悪い思想を植え付ける事も出来ます」
「怖っ。やべーじゃん」
「ですから使い方さえ誤らなければと言いました。エミディオさんを信じます。決して悪い方向に使わないでください」
「分かった。約束する」
「サクラちゃん、安心して。そんな事をしたら、ちゃあんとオハナシするから」
OHANASIですか。程々に。エミディオさんが怯えていますし。
「お教えできる闇属性は5つ。コンフューズ、クエイム、ブラインド、ソムヌス、アマディムです。私がよく使うのはソムヌスとアマディム。逆に使えないのがクエイムです」
「使えない?」
「禁止されているんです。自己暗示を掛けるからって」
「自然に解ければ良いけど、サクラちゃんの場合、解ける前に重ね掛けしちゃうのよ。だから禁止。やり方は知っているから、習う事は出来るわよ」
「トリア姐、なんでそんな事知ってんの?」
「魔術師筆頭様に伺ったのよ」
「それってどういう?」
トリアさんはニッコリ笑って答えない。しばらくエミディオさんは不思議顔だったけど、諦めたように私の方を向いた。
「お願いします」
エミディオさんに闇属性を教えていると、5の鐘になった。
「シロヤマ先生、コンフューズってどういう時に使う……んですか?」
「私は使った事はないんだけど、教えてくれた魔術師筆頭様と所長には『魔物から逃げる時に使える』って言われました」
「使った事、無いんだ」
「魔物の居る所に行く事が、まずありません」
「騎士団の緊急要請とかは?」
「私達の場合は救援要請ですね。その場合は後方支援に徹します。私が前に出ても戦えませんから、役に立たない処かお荷物状態になります」
「咲楽、まだ授業中?」
大和さんが施術室から顔を覗かせて、笑った。迎えに来てくれたらしい。
「トキワ様、奉納舞をするって本当?」
「知らなかったのか?」
「今日初めて聞いた」
トリアさんとトニオさんが居ないからか、言葉遣いが元に戻っている。そしてその事に気が付いていないエミディオさん。
「場所は領城だな。来るんだろう?」
「行かなきゃトリア姐に引っ張ってかれるよ、たぶん」
「仲が良いんだな」
「ビビアナ施術院に居たからね。悪いことをしたらキチッと叱ってくれるし、良いことをすれば誉めてくれる。ビビアナ先生は見守ってくれるばあちゃんって感じだけど、トリア姐は年の離れた姉って感じだ」
「今になったら分かるってヤツか?」
「そうそう。そんな感じ」
「トニオさんは?」
「兄かな?見守ってくれるんだ。説明が長いしちょっと理屈っぽいけど」
「それは仕方がない。トニオさんの性格だ」
エミディオさんと別れて、塔に帰る。今日のお夕飯はグヤーシュ。牛肉のパプリカ煮込みとでもいうのか、パプリカパウダーの入ったスープ?シチュー?だ。葵ちゃんの『美味しそうだから、作って?』攻撃に負けて作ったことのある料理で、あちらではコンソメキューブを使っていたけど、こっちにはコンソメキューブは無いから、昨日から野菜くずを使ってコンソメスープを作っておいた。牛肉はホロホロに煮込んである。パプリカパウダーは何故か商店街に有ったんだよね。乾燥させて粉砕すれば出来るものだけど。王都では見なかったから、ちょっと驚いた。
塔に着いたら、大和さんが暖炉に火を入れてから、先にお風呂に行った。私はグヤーシュに野菜を入れて煮込む。ついでに明日のスープ作り。グヤーシュの彩りを考えて茹でただけのジャガイモ、ニンジンも用意しておく。個人的にジャガイモの白とグヤーシュの赤の対比を見たかっただけなんだけどさ。
「咲楽、風呂に行っておいで」
「はい」
無事に演奏会が終わった。少し気が抜けてしまったけど、私にとっての本番は2週後だ。大和さんの奉納舞。その伴奏が本当の本番だと思う。神殿でのご挨拶や舞台の確認は氷の月の第1週に行う。私達の勤務は氷の月一杯だから奉納舞がターフェイアでの最後の仕事になるだろうと思う。騎士や施術師としては後1ヶ月あるけど。
後1ヶ月かぁ。こちらに来て良かったと思う。いろんな体験が出来たし、アイビーさんやトリアさん、トニオさんにも出会えた。ジョエル先生にもお世話になったし、今日の演奏会で少しでも恩返しが出来たかな?
お風呂から出て、キッチンに行く。
「何か手伝うことある?」
「後は盛り付けだけですので、そちらでお待ちください」
「運ぶくらいするよ?」
「じゃあ、運ぶのはお願いします」
グヤーシュとジャガイモとニンジンを盛り付けて、大和さんに渡す。大和さんが嬉しそうにテーブルに運んでくれた。
「今日はどうだった?緊張した?」
「緊張しました。エフィー様が居てくれて良かったです」
「いつもより音が硬いなって思ったけど、やっぱり緊張してたか」
「分かっちゃいました?」
「分かったのは俺だけだと思うよ。バーナードは感激して泣きそうになってたし」
「あれだけの人数はやっぱり緊張しちゃいます」
「視線は大丈夫だった?」
「怖くはなかったんですけど、少しドキドキしました」
「大丈夫なら良いんだけどね」
「1週間後が少し不安です」
「直前に緊張緩和のおまじないが必要かな?」
「おまじないって、ハグですか?」
「そうだよ?」
「直前って、カークさんとか、ユーゴ君が居る所じゃないですよね?」
「居る所になっちゃうかもね」
「せめて2人の所でお願いします」
「その場合はキスもプラスされるけど?」
「えっ」
「そこまで驚かなくても」
「拒否権は?」
「ありません」
「えぇぇぇ……」
「ほら、おまじないだから」
良い笑顔で食器を下げる大和さんを見送ってしまった。
慌てて私もキッチンに食器を下げる。
2人で食器を片付けた後、寝室に上がった。
「お疲れ様」
そう言って優しく抱き締めてくれる。
「演奏会が終わって、少し気が抜けちゃいました」
「そうやって気が抜けた咲楽も可愛い。演奏会の時はキリッとして、綺麗って感じだったけどね」
「綺麗って……。緊張していたからじゃないですか?」
「祈っている時と雰囲気が似ていたね」
「そうですか?」
「咲楽のお祈り姿は綺麗だから」
「そんな事、ありません」
「眠い?もう寝ようか」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」