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星の月、第5の緑の日。雪は降ったり止んだりを繰り返していて、積雪が1mを越えた。さすがに大通りは綺麗に除雪されているけど、道端に集められた除雪後の雪は、私の身長はとっくに追い抜いて、大和さんに迫る勢いだ。アイビーさんの話では霜の月辺りには積雪が2mを越えるらしい。領城は毎日綺麗に除雪されている。大和さんも除雪作業に、毎朝参加しているらしい。知らなかった。
大和さんの取り組んでいる『対の小箱』改造計画は、トニオさんや魔道具に興味のある騎士団職員まで巻き込んでいる。この時期には訓練場ではトレーニングが出来ないから、室内訓練場でのウェイトトレーニングが主になるらしく、騎士団長様までたまに参加しているらしい。意外にもというと失礼だけど、マルタンさんが魔道具に詳しくて、みんなで喧々諤々としているそうだ。私はその集まりには参加していないけど、報告書を届けに行った時に通りかかった事がある。ドアは開いていなかったけど、女性の声も聞こえていて、楽しそうな議論の声が響いていた。
エミディオさんには今日、来てもらう予定になっている。面接というか、簡単な試験を受けてもらう為だ。
いつものように起床する。窓から見える外はまだまだ暗い。何かの灯りに反射しているのか、雪が白く光っているから、少しだけ明るい気がする。着替えてキッチンに降りた所で大和さんが上がってきた。雪だらけになっている。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん、雪だらけですね」
「うん。先にシャワーに行ってくるよ」
浴室に向かった大和さんを目の端で見送って、暖炉に火を入れる。火が付いたのを確認してから、薬湯を煎じる。
浴室から出てきた大和さんの髪が湿っているのに気が付いて、飲みかけた薬湯を置いた。
「大和さん、髪の毛が」
「乾かして?」
「久し振りですね」
ソファーに座った大和さんの後ろに回って、大和さんの髪の毛を乾かす。
「大和さん、どうしてあんなに雪だらけだったんですか?いつもはあそこまでじゃないのに」
「除雪に混ぜてもらおうと思って、玄関を開けたら、目の前が真っ白だったんだよ。ほら、ここって内開きだから。どうやら吹き溜まりのようになってて、扉を塞いでいたらしい。外に出られなかったから、窓から飛び降りた。雪が良いクッションになってくれたよ」
「良かったですね。とでも言うと思いましたか?」
「ちゃんと障害物の無い所を選んだから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃありません」
「はいはい。心配させてごめんね」
ちょっと私の方を向いた大和さんの腕が、私の頭を引き寄せる。そっとキスされた。
「髪は乾いたかな?」
「はい」
言いたい事はあるんだけど、言葉が出てこない。
「真っ赤なりんごちゃんになってるよ」
「誰の所為ですか」
「誰だろうね。ほら、剣舞に行くよ」
「うぅぅ……。大和さんのバカぁ」
「機嫌直して?リクエストを聞くよ」
「『春の舞』を。久し振りにちゃんと見たいです」
薬湯を持って、大和さんの後を付いていく。
「『春の舞』?伴奏抜きって事だね。良いよ。サーベルの方が良いかな?」
「そこは楽しみにしておきます」
「お任せコース?」
「はい」
4階の部屋に入って、大和さんが瞑想を行う。私はソファーでそれを見ていた。
今はターフェイア領の領城の敷地内の塔の中だから、こうして毎日見る事が出来る。でも、ターフェイアでの暮らしも、後2ヶ月かぁ。定期的にローズさんやルビーさんやライルさんが来てくれて、王都での出来事を教えてくれている。ダフネさんは2~3ヶ月に1度は来てくれて、アイビーさんとも仲が良い。
王都に帰るって思うと、寂しくなっちゃうから、出来るだけ思い出さないようにしていたのに。何故だろう?急に思い出しちゃった。
大和さんが立ち上がる。手に持つのはサーベル。
目の前に広がる色とりどりの花畑。舞い上がる花弁。華やかでウキウキしてくる光景。枝垂桜はすっかり見えなくなった。忘れてしまうのは寂しいな。刺繍にして残しておこうかな。
大和さんの剣舞が終わった。サーベルでの『春の舞』は華やか。その一言に尽きる。刀の時は少し厳しさが混ざる。例えるならサーベルが桜、刀は梅。
「咲楽、おいで」
「はい」
その声に立っていって、素直に抱き締められる。
「どうだった?」
「色とりどりの花畑が見えました。気が付いたんですけど、『春の舞』って、サーベルだと華やかで桜って感じで、刀だと少し厳しさが混ざって梅って感じです」
「そんな感じなんだ」
「私の主観ですけどね」
「咲楽の見る景色は咲楽にしか見えないんだから、主観で良いんじゃない?」
「そうなんですけどね」
抱き締めていた腕を緩めて、私を解放した後、2人でダイニングに降りる。朝食を作る私を大和さんはダイニングの椅子に座って見ていた。
「『対の小箱』改造計画は、どんな感じですか?」
「難航中。今取り組んでいるのは多人数に同一文書を送るって、いってみればグループ機能なんだよ。実際にはD.Mの状態になるのかな?」
「一斉送信機能ですか?」
「まぁ、そうだね。だんだん話がずれていって、同じ手紙をどうやって書き上げるかって事に移ってるけど」
「パソコンもプリンターもありませんしね」
「タイプライターでも作ろうか」
朝食を並べる。
「タイプライターですか?」
「インクリボンをどうするかが問題だけどね」
「インクリボン?」
「インクを塗布したり染み込ませた、長いリボン状のフィルムや繊維の事だね」
「それは分かりますけど」
「分かるんだ」
「使った事はないですよ?」
笑って言うと、大和さんにじっと見つめられた。
「generation gap」
「英語……」
朝食を終えて、大和さんが食器を洗ってくれている間に、着替えに上がる。雪、止まないなぁ。
窓から外を眺める。
「今日は早く出ようか」
「はい」
少し急いで着替える。リップを付けてマフラーを巻く。
「行こうか。しっかり掴まっててね」
「はい」
そこまでの雪なのかな?
「滑って転んじゃうとダメだからね」
ニヤッと笑って言う大和さんを黙ってポカポカと叩く。
「痛い痛い」
笑いながら痛がるフリをする。
塔を出ると、雪が静かに降り積もっていた。
「思ったより積もるかもね」
「そうですね」
あの大雪の時の事が頭をよぎる。
「大丈夫だよ。あの時とは状況が違うから」
「でも、この雪が王都に行ったら……」
「情報収集しておくよ」
「すみません」
「気になっちゃうんでしょ?」
私に出来る事は何だろう?私には王都の状況を知る術がない。でも、何か出来ないかな?
「咲楽は今日、やる事があるんでしょ?」
「はい。でも、何か出来ないかって思っちゃって」
「焦っても良い事はないよ。今は気になっても出来る事はないよ。情報収集は俺に任せておいて」
「はい」
騎士の方が情報は集まりやすいよね。それに大和さんはいろんな伝手があるし、情報収集が上手い。
そういえばハンネスさんも情報を集めるのが上手いって、大和さんが言っていたな。
「ほら、考えすぎない。咲楽の手はそこまで大きいの?」
「……大きくないです」
「それが分かってるだけでも良いよ。咲楽の手が足りない分は俺が貸すから。それでも足りなきゃ他の人にも声をかけて、手を貸してもらおう」
「はい」
「まずは目の前の事を片付けよう」
「はい」
「今日の面接は彼だっけ?星見の祭の時の彼」
「はい。エミディオさんです」
「可愛らしい敵意を向けてきた彼ね」
「可愛らしい敵意?」
「咲楽に格好良い所を見せたかったんでしょ」
「えっと……?」
「何でもないよ」
何でもないって風でもなかったんだけど。
騎士団本部に着いた。施術室に向かう。施術室にはトニオさんとトリアさんが居た。
「おはようございます、トニオさん、トリアさん」
「おはよう、サクラちゃん」
「おはよう、シロヤマさん」
「お掃除は?」
「済ませたわ。浄化も済んでいるわよ」
「おはようございます」
「アイビーさん、おはようございます」
「おはよう、アイビーちゃん」
「おはよう、アイビーさん」
「今日ですよね?なんだかドキドキします」
「そうね。そう言われたら、私も緊張してきちゃったわ」
「彼と面識が無いのはアイビーさんだけだね」
「えっ。あ、そっか。サクラさんは星見の祭で会ってるんですね」
「はい」
「質問は光属性の使い方と浄化の範囲と、応急処置についてで良かったかしら?」
「良いんじゃないでしょうか。他にも聞きたいことがあれば、聞いても良いでしょうけど。あぁ、でも、騎士団付きの施術室で働きたいって、動機は聞いておきたいです」
「動機か。そうだね。シロヤマさん目当てとかだったら許可は出来ないしね」
トニオさんがおどけたように言った。
「あら、アイビーちゃん目当ても許可は出来ないわよ?」
「身元調査が入るかも、というのは言っておかないといけませんね」
「そうだね。騎士団付きだし、ビビアナ先生が話しているだろうけど、それは絶対だね」
「身元調査って私もしてたんでしょうか?」
「アイビーさんねぇ。してただろうね。ただ、アイビーさんは生まれも育ちもターフェイアだから、形だけって可能性はあるね」
「エミディオさんも、生まれも育ちもターフェイアですよね?」
「たぶんね」
「私達はエミディオ君を知っているけど、そこまでは、ねぇ。私達がターフェイアに来たのがもう……何年前だっけ?」
「トリア、忘れたのかい?ミゲルが生まれた年に引っ越してきたんだよ。もう10年前になるのか」
「そうだったわね。マリアーナの悪阻が酷くて、可哀想だったもの」
「悪阻ってそんなに大変なんですか?」
「人によると思うわ。私はそこまででもなかったし。あぁ、でも、何かを食べてないと駄目だったわね」
「食べづわりですか。それはそれで大変ですよね」
「食べづわり?」
「妊娠中の空腹時に現れる胃のムカムカ感のことをいいます。悪阻って本当に人によって症状が違うんです。極軽い人なんか、体重が増えてきたな、って思って運動してたら、妊娠してたって話もあるくらいですから。重い人になると、食べる事も出来なくなって、入院するって事もありました」
「入院って施術院に泊まって、お世話してもらうことだっけ?」
「でも、悪阻を抑える薬湯もあるじゃない?」
「その薬湯も飲めないんですよ」
「そういう人もいるわね。本当に人によるわよねぇ」
エミディオさんはお昼から来ることになっている。それまでは通常業務をする。
「ねぇ、サクラちゃん、今日も演奏会をするの?」
「先週のアレは特別ですよ?」
「でも、要望というか、聞きたいって声は多いわよ。私も何人かに言われたし」
「僕もだね。シロヤマ先生に頼んでくれって頼まれたよ」
「あ、私もです」
「私は何も言われてませんよ?」
「そりゃあ、ねぇ。騎士団長様はじめ、何人かの文官長がシロヤマ先生に迷惑をかけるな、無理をさせるなって言ってるからねぇ」
「えっと、その所為で、皆さんに迷惑がかかっちゃってるんでしょうか?」
「たぶんやっかみも入っていると思うわ。『その前から聞いてたんですよね?ズルいです』って言われたから」
「ズルいって……」
「バーナード様も楽しみだって言ってました。シロヤマ嬢には言わないけどって」
「あの曲、フェイドラージは難しいんですよ。もう少し練習させてください」
「フェイドラージ?最初はなんだか落ち着かないのよね、あの曲」
「トリアは賑やかな曲が好きだよね。アエスタースみたいな」
「えぇ。でも、アエスタースはリュラには向いていないのよね」
「どうしてですか?」
「正確には、1台で弾くようなものじゃないの。大勢で演奏するものなのよ」
「トリアさんは楽器って演奏出来ないんですか?」
「一応は習ったわよ?でもね辞めちゃったのよ」
「あれは教え方だと思うけどね。見て覚えろっておかしいでしょ」
「そんな事を言われたんですか?」
どこにでも子ども相手にマウントを取る大人って居るんだなぁ。
「トニオに告げ口されて、すぐに辞めさせられていたわね」
「トリアも言えば良かったのに」
「私は言えなかったのよ」
「今と逆の性格だったよね。僕の後ろに隠れて、言いたい事を言わずに我慢して。いつの間にかこんなになっちゃったけど」
「こんなって失礼ね。フランクはこの方が良いって言ってくれているのよ」
「失礼します」
4人でワチャワチャやってたら、呆れ顔のドロシーさんが居た。
「ドロシーさん、どうなさったんですか?」
「お手紙です。それからこちらを」
バサッと渡される数枚の紙。
「要望書だそうです」
「要望書ですか」
「いや、領主様、何やってんの?」
大きく『要望書』と書かれた紙の、次のページの最上段に「トゥリアンダ・ターフェイア」「領城付き施術師ジョエル」の2名の文字。
「シロヤマさんの演奏会は避けられないようだよ」
「困ります……」