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翌日。目が覚めると室内が暗かった。クローゼットの方は少し明るい。と、言うことは、クローゼットの鎧戸は開いているのかな?寝室の鎧戸を開ける。外はまだ薄暗い。
「うぅ~ん」
冷気が入り込んだからか、アイビーさんが身動ぎした。クスリと笑ってクローゼットで着替える。
キッチンに降りて、暖炉に火を入れたら、薬湯を煎じつつお湯を沸かす。昨日はスパイススープだったから、まだダイニングにカレーっぽい匂いがする。気になったから浄化を使った。消臭剤をイメージしたんだけど、匂いは消えたかな?
「ただいま、咲楽」
「おはようございます、シロヤマ嬢」
「おはよう、シロヤマさん」
「おかえりなさい、大和さん。おはようございます、セント様、トニオさん」
「アイビーちゃんは?」
セント様が聞いた。
「まだ寝ているようですね。今日は休日ですから、ゆっくり寝かせてあげませんか?」
「アイビーさんは剣舞は見ないのかな?」
「起きてきてからで良いのでは?咲楽も薬湯を飲んでいますし」
「何の薬湯だっけ?」
「食欲増進と末端冷え症の改善ですね」
薬湯を飲み終わった頃、アイビーさんが起きてきた。どうやら階段を駆け降りてきたらしい。
「おはようございますっ」
「アイビーさん、おはようございます」
「降りてきたアイビー嬢には悪いけど、4階に上がろうか」
「4階に?サクラさん、何があるの?」
「大和さんの剣舞です」
みんなで4階に上がる。アイビーさん達をソファーに案内して、私はリュラを台にセットする。大和さんはその間に瞑想していた。
「そっか。サクラさんも演奏するんだ」
「合わせなきゃいけませんから。ちょっと緊張します」
「あの時の男の子は?」
「あの時の男の子?」
「前に訓練場でトキワ殿の前に舞ってたじゃない。彼はトキワ殿の弟子なんでしょ?」
「あぁ。ユーゴ君ですね。弟子、になるのかな?」
「弟子だって認めてあげてよ」
「私にはその辺りはよく分からなくて」
「ユーゴは俺の弟子で合ってるよ。咲楽、指慣らしは?」
大和さんが瞑想を解きながら、笑って言った。
「少々お待ちください」
エチュード《練習曲》を弾いて指慣らしをする。
「大丈夫です」
その声に大和さんがサーベルを持った。構えを取ったのを見てから演奏を始める。
煌めく陽光に映える枝垂桜。周囲に広がる鮮やかな花園。麗らかな春の日。
私は大和さんの剣舞を見ていない。いつものようにリュラを弾いていた。なのに脳裏に浮かぶ光景があった。見えている訳じゃないのに見える、不思議な感覚。
曲が終わると、脳裏の光景も消えた。
「凄い……」
誰かの呟きが聞こえた。
「咲楽、大丈夫?」
「あの?」
「ぼぅっとしてたから。どうしたの?」
「『春の舞』って大和さんの剣舞は見られないんです。でも、なんだか春の光景が脳裏に浮かんで」
「今までそういう事は?」
「無かったです」
ふわりと抱き締められる。
「咲楽のリュラがその域に達してきたのかな?」
「ご冗談を」
「でも、咲楽のリュラは、素直な音で舞いやすいんだよね」
「誉められるのは嬉しいんですけどね」
「お~い、お2人さん。戻ってきて~」
トニオさんの間延びした声が響いた。
ハッと気が付いて大和さんの胸を押し返す。動かないけどね。
「良いところで邪魔をしなくても」
恨めしそうな大和さんの声が聞こえる。腕の中だから声しか聞こえない。
「シロヤマさん、大丈夫~?」
半分笑ったトニオさんの声が聞こえた。
「大丈夫ですけど、助けてください」
助けを求めると、大和さんに低く笑われた。
「咲楽、良いの?」
「朝食も作らなきゃだし、こんなの、公開処刑並の恥ずかしさです」
「恥ずかしがらなくて良いのに」
笑いながら腕から解放してくれた。
「いやぁ、激甘空間だね」
トニオさんはからかってくるし、セント様とアイビーさんはニヤニヤ笑っていた。
赤くなった顔を隠して、キッチンに駆け込む。朝食を作らなきゃ。そう思いながら座り込む。
「サクラさん、手伝います。大丈夫ですか?」
「アイビーさぁん」
「トキワ様ってサクラさんにべたべたに甘いですよね。今朝のは私達に見せつける為だったぽいですけど」
「え?」
「セント様とトニオさんに平然と『羨ましいか?』ってニヤッとしながら言ってました。私はその隙に降りてきました」
「大和さんったら」
アイビーさんと話していたら、落ち着いてきた。2人で朝食を作る。いつも通り卵とスープ、ウィンナーの朝食。いつもなら朝食の用意が出来る頃には、大和さんはシャワーを浴びている。でも今日は降りてこない。
「降りてきませんね」
「何をやってるんでしょうか?」
アイビーさんと4階に上がる。
「皆さん、朝食が出来ましたよ」
「分かった。すぐに降りるよ」
「……何をやってたんですか?」
「ロープ登り」
「見れば分かりますけどね」
セント様が一生懸命ロープを登ってるんだもの。一目瞭然だ。トニオさんは床で転がっている。
「トニオさん、大丈夫ですか?」
「あの2人、体力の化け物だね」
「失礼な」
セント様と大和さんが傷ついた顔をする。
「騎士と施術師の体力は比べちゃいけませんよ」
「分かってるよ」
そう言って床に座ったトニオさんは、私が差し出したお水をグイッと飲み干した。セント様にはアイビーさんがお水を渡している。
「俺にもちょうだい」
「はい」
大和さんにもお水を渡す。
「どうされますか?朝食を持ってきましょうか?」
「魅力的な提案だけどね、降りた方がいいかな?トニオさんが降りれるようなら」
「ちょっと休んでから降りるよ。先に行ってて」
そう言われても、お客様を1人にしておくわけにもいかない。大和さん達には先に朝食を始めてもらうように言って、私はトニオさんの側に残る。
「悪いね」
「いいえ。朝からも走っていたのでしょう?無茶しすぎです」
「面目無い」
「昨日はちゃんと眠れたんですか?」
「気が付いたら、ベッドの中だったよ。トキワ殿は強いね」
「結構強いお酒でも大丈夫だって、言っていましたからね」
「ヨーヘイだっけ。その話も聞いた」
「あぁ……」
「ああいう体験はキツいね。魔物と戦うのとは訳が違うし」
「対魔物でも命の危険は同じですよ。どちらがより危険だというのはありません」
「シロヤマさんはそういった現場は知らないんだよね?」
「私は平和ボケとまで言われた国に居ましたから」
「平和ボケね。コラダームもそんな感じだね」
よっこいしょ、と立ち上がって、トニオさんは部屋を出た。私も後に続く。
ダイニングでは、みんなが朝食を食べていた。
「サクラさんのオムレツ、美味しいですよ。トニオさんも食べてください」
「あぁ、ありがとう。トリアが拗ねそうだね」
みんなで朝食を食べる。その中で今日の予定を決めた。
「予定と言っても、特に予定はないんですよね。雪も積もってるし」
「トリアは今日は施術室の当番だしね」
「トニオさんは帰らなくて良いんですか?」
「朝食を頂いたら帰るよ。奥さんが怒っていそうだし」
「同行して説明しましょうか?」
「悪いよ、それは。家の子も『ぬいぐるみのお姉ちゃん』が来たら嬉しいだろうけど」
「ぬいぐるみのお姉ちゃん?」
「シロヤマさんの事だよ。直接会えなかったってあの後大変だったんだよ」
ヘルプストの時の事かな?
「お送りしましょう。アイビー嬢はバーナードが居れば大丈夫でしょうし」
「そうかい?悪いね」
「いいえ」
朝食後、私と大和さんは少し休んでから、トニオさんのお宅へ向かう事になった。
汗をかいた男性陣はシャワーを浴びるらしいから、私とアイビーさんで食器を洗う。
「結婚したら、毎日こんな感じなのかな?」
「アイビーさん?」
「朝はダンナさんと一緒で、自分の作った朝食を2人で食べて、片付けるのも自分でダンナさんは好きなことをしていてって」
「今日は変則的な感じでしたけど、いつもなら朝食の前に大和さんはシャワーに行くんです。片付けはほぼ大和さんですね」
「トキワ様が食器洗いを?」
「はい。朝食時も夕食時もです。悪いからするって言うのに、サッサと洗っちゃうから、私は隣で食器を拭いています」
「楽しいですか?」
「私は楽しいと思いますよ」
「バーナード様と付き合って、結婚の文字がちらつきだしたら、なんだか不安になっちゃって。母ちゃんみたいに出来るのかな?とか色々と」
「最初からすべて上手くやろうなんて、考えちゃダメですよ」
「でも、サクラさんは最初から出来てたんですよね?」
「私はあちらでも食事を作っていましたから、慣れているだけですよ」
「え?」
「料理とかの時間配分は慣れです。最初は時間がかかっても良いんです。慣れていけば動きながら次の手順に繋げられるようになります」
「それって難しいですよね?」
「治癒術と同じですけどね」
「同じですか?」
「まず傷を洗い流して、浄化が必要なら浄化する。その後、傷の修復。これを意識せずにやっているでしょう?」
「は……い……」
「最初は1人の処置に時間がかかりましたよね?」
「はい」
「今は?」
「前よりも早くなってます」
「慣れてきて、次どうするかを順序だてて出来ているんですよ。だから早くなっているんです」
「そうなんですね」
「お母様という素敵な見本が側に居るんです。その手伝いをしても、感覚は身に付くと思いますよ」
「手伝いでもいいんだ」
「無理はしないように、注意は必要ですけどね。後、一番大切なのが、やらされているという感覚を持たない事」
「持っちゃったらどうするんですか?」
「いったん離れます。それから、やって良かったな、って思うことを出来るだけ思い出します。そうすれば、またやろうって思えますから」
「何?何?新婚の心得?」
「トニオさん」
「人と比べないっていうのも大切だと思うよ。自分は自分。出来ないって放り出さずに出来る事をやる。それが大切だよ」
「さすが妻帯者。素晴らしいアドバイスですね」
セント様と大和さんに誉められて、トニオさんが照れた。
「時間ですか?」
「そうだね。そろそろ出ようか」
「雪はどんな感じですか?」
「結構降ってる」
「また積もりますね」
全員で塔を出る。途中まではみんなで歩いた。男性陣の話し合いによって、まずはセント様のお屋敷に行って、馬車を借りてアイビーさんを送った後、トニオさんのお家へ行く事になった。アイビーさんは盛大にズルいと騒いでいたけど、セント様に宥められていた。
「こうしてみると、2組とも年の差カップルだね」
トニオさんが馬車に揺られながら言った。
「珍しくはありませんでしょう?」
大和さんが言う。
「私と咲楽は10歳離れていますが、私の事を支えてくれるのは、咲楽だけだと思っていますよ」
「トキワ殿、昨夜のように、俺って言ってくれて良いんだよ?」
「目上の人に対して、それは……」
「お家の教育かな?」
「家の……そうかもしれません。国としての教育はそこまででもなかったですから」
「シロヤマさんも丁寧な言葉を使うよね」
「私の場合は、教育というか環境というか」
「環境?上流階級だったの?」
「いいえ。普通の家ですよ?」
あれは普通で良いんだろうか?という疑問は浮かぶけど。
「目指していた職業柄、こちらの口調が身に付いちゃって」
「そういう事なんだね。みんなにはバレているから言っちゃうけど、奥さんの話し方もシロヤマさんと同じ感じだからね。トリアは口調もすぐに慣れちゃったけど、奥さんは慣れなくてね」
「私は1人だけ庶民って感じですね」
アイビーさんが拗ねたように言った。
「アイビーさんも丁寧に話すじゃない。使い分けが出来ているんだから、大丈夫だよ。貴族も気取っている時には丁寧だけど、どんな口調のも居るからね」
アイビーさんのお家に着いた。
「あらあら、まぁまぁ。わざわざ送っていただいて。ありがとうございます」
「こちらこそ、大切な娘さんにご無理を言いまして。お陰で彼女が寂しい思いをせずにすみました」
大和さんがにこやかに言う。何かを言おうとしていたアイビーさんのお父様が口をつぐんだ。
「アイビーさん、ゆっくり休んでくださいね」
「はい。サクラさんもゆっくり休んでください」
私とアイビーさんとお母様が話をしている間に、大和さんとセント様とトニオさんはお父様と何かを話していた。
「あ、父ちゃんったら、ハンマーを持って出てきたの?」
「心配だったんじゃないですか?」
「サクラさんもまた泊まりに来てやってくださいね。たいしたもてなしは出来ませんけど」
「ありがとうございます」
「サクラさんっておいくつでしたっけ?」
「23歳です」
「しっかりしているねぇ。アイビーはいつまでもお転婆で」
「私はいつもアイビーさんに元気を貰っていますよ」
「お役に立てていますかねぇ?」
「えぇ。とっても。仕事面でも丁寧な仕事ですし、優しくて明るいから、人気者なんですよ」
「もぉっ。サクラさん、誉めすぎです」
「本当の事ですから」
アイビーさんのお家を辞して、トニオさんの家に向かう。




