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王都から無事に帰ってきた眠りの月、第1の光の日。今日から見習いさん達が騎士団で本格的に訓練を始める。その初日に相応しいのか、今日はとても良い天気だ。雲一つ無い晴天。
見習いさん達は結局先週には全員揃って訓練を受けていた。本来なら今日からの、グループ分けをしての訓練は、先週から始まっている。教官役は大和さんを含めた6人。ほぼマンツーマンで指導している。大和さんの担当はあがり症の彼、スティーブ・バックルさん。精神的面でのケアをしながら訓練をしているから、一番大変らしい。大和さんが王都に帰った後は違う騎士様が引き継ぐ。一緒にスティーブさんの訓練をしている人で、アランさんと言う大和さんと同い年の騎士様だ。アランさんはオーブリーさんとマルタンさんをごく普通に受け入れた人で、「中堅処としては柔軟な思考の持ち主」とは大和さんの評。
起床して着替えてキッチンへ降りる。薬湯を煎じてふうふう冷ましながら飲む。あれ?大和さんが帰ってこない。いつもならもう帰ってきている頃だ。何かあったのかな?
心配だけど、塔を出て探すなんて事は出来ない。この領城もそれなりに広いから、迷子になる自信しかない。
「咲楽、悪い。降りてきて」
今日はお味噌汁を作ってあるから、朝食用のご飯を炊いていると、階下から大和さんの声が聞こえた。降りてきて?何かあったんだろうか?
後は蒸らすだけのご飯を異空間に入れて階段を降りると、ひどい出血の兵士さんが1人横たわっていた。ジョエル先生も付いてきている。
「シロヤマさん、悪いね」
「いえ、どうされたんですか?」
施術をしながら聞く。
「ミエルピナエの森にウルージュが出てね。討伐してた」
「えっ?」
「ほら、旧練兵場ってミエルピナエの森に隣接してるでしょ?ミエルピナエ達が助けを求めて来てね。こっちに来られても迷惑だし、討伐してきた」
「僕が呼ばれた時には、ウルージュは倒された後だったよ。軽傷者は治療したんだけど彼は腹部をやられててね。僕では手に負えなくて」
大腸が破れて、肝臓が傷付いてる。他に損傷は無し。良かった。大腸の修復と腹腔内の浄化をして、腹部の傷を閉じる。
「終わりました」
「相変わらず綺麗だね。シロヤマさんの施術は」
「綺麗、ですか?」
「小さい怪我なんかだとそうでもないんだよね。でも、命に関わる程の大怪我だと、シロヤマさんが淡く光るんだよ」
ねぇ、と同意を求められた兵士さん達が、うんうんと頷く。
「シロヤマさんって病気は治せたりしないの?」
「無理ですよ。病気は原因が多岐にわたりますから。だから薬師さんが居て、その症状に合った薬湯を処方されるんです」
「でもさ、血液の浄化をしたら、良くなった人も居るんじゃないの?」
「そう簡単な話じゃありません。私の施術で病気が治ったって人は、血液の浄化の効果ではありませんし、血液の浄化のみで治る病気も無いと思います」
「上手くいかないもんだねぇ」
施術した兵士さんは、眠っている。その兵士さんを他の兵士さんが運んでいった。
「今日は剣舞は止めにするよ。シャワーを浴びてくるから、手早く食べられる朝食をお願い」
「分かりました」
手早くといえばおむすびだよね。でも、具材を用意していないなぁ。卵焼きを焼いて、ご飯を塩むすびにする。トラウトの塩焼きとか焼いていれば、それを入れたんだけどなぁ。卵焼きをおむすびに入れるって手もあるんだけどね。
玉ねぎとじゃがいものお味噌汁と、塩むすびと卵焼きの朝食を急いで食べて、着替えをする。
「久しぶりに塩むすびを食べた気がする」
「中に具材を入れたかったんですけどね。時間がなくて塩むすびになっちゃいました。すみません」
「塩むすびも旨いよね。欲を言えば海苔が欲しい」
「ですよね。この世界に海苔の原料があれば良いんですけど」
城門を出て、急いで騎士団へ向かう。
「海苔の原料がって作り方は知ってるの?」
「細かく刻んで紙漉きの要領で四角くして乾かすって事だけです。その海藻名は知りません」
「板海苔って食べられる海藻だったら良いんじゃなかったかな?オゴノリとかスサビノリとかアサクサノリとか」
「アサクサノリって商品名じゃないんですか?」
「海藻の分類名でもあるよ」
「スサビノリは?」
「それも分類名。アサクサノリよりもスサビノリの方が使われているらしいよ」
「そうだったんですね。知らなかったです。だって海苔は海苔ですもん」
「確かにね。大丈夫?」
「たぶん。大和さんの方がコンパスが長いから、着いていくのにたまに走ってますけど」
「知ってる。抱いていこうかな?ってその度に思ってるからね」
「それは遠慮しますけど。間に合うでしょうか?」
「大丈夫だよ、たぶん」
騎士団本部に着いたのは、本当にギリギリだった。
「シロヤマ先生、大丈夫ですか?」
「はい、大丈、夫です」
「息切れしてるけどね」
「大和、さん、笑い、ながら、言わない、でくだ、さい」
「はい、吐いて、吸って、吐いて、吸って」
「トキワ様、お先にどうぞ。シロヤマ先生は落ち着いたら施術室に行っていただきますので」
一礼して、大和さんは行ってしまった。しばらくスゥ、ハァと呼吸を落ち着かせて、気遣わしげに見ていてくれた受付の人にお礼を言って、施術室に行く。
「サクラさん、どうしたんですか?」
「サクラちゃん、大丈夫?」
「何かあったの?」
「領城の裏手のミエルピナエの森にウルージュが出たんです。大和さんと訓練中の兵士さんが討伐したそうですけど、兵士さんが負傷しちゃって。朝から施術してきました。ジョエル先生が軽い怪我は治してくださってましたけど」
「朝から大変だったのね」
「どんな怪我だったんですか?」
「右腹部を抉られて、大腸と肝臓が傷付いていました」
「うわぁ……」
「僕なら目を逸らしてるなぁ」
トニオさんが嫌そうな顔をする。トリアさんもアイビーさんも眉間にシワが寄っている。
「それで?サクラちゃんの事だから、治したんでしょ?」
「はい。大腸を修復して、腹部を修復しました」
「肝臓って抉れたままで良いの?」
「肝臓って、少し切り取られても再生することができる、ただ一つの臓器なんです。元にもどる力が強いのが特徴で、実験では、3分の2を切り取られた肝臓が、1週間ほどで、元の大きさにもどっています。そのくらい強いんです」
「その実験って誰にやったの?」
「小さいコルスーリです。あちらのネズミには角はありませんけど。大きさも手のひらで掴めるくらいです」
「そんなに小さいの?」
「コルスーリ位の大きさのはカピバラって呼ばれてました。ヌボーっとした顔で可愛いんですよ」
「ヌボーっとした顔で可愛い?」
全員が想像するように宙を見てから、揃って首を傾げた。想像が出来ないらしい。そうでしょうね。私もコルスーリを話だけでは想像できないもの。
見習いさんと担当の騎士様が出てきた。今から体力作りかな?剣術かな?
「あら?魔力循環かしらね?」
「トリアさん、分かるんですか?」
「えぇ。トニオがやらされていたのよ」
「あれは難しいんだよね。何ヶ月と毎日続けて、やっと出来るような感じだから」
「バーナード様も苦労したって言ってました」
「トキワ様は?出来るんでしょ?」
「えっと……」
「出来ないの?」
「1ヶ月位で出来たって言ってました」
「嘘だろ……?1ヶ月?」
「はい。武術の何かに似てるとか言ってましたけど。私には分からなくて」
「同時発動は?」
「私が氷魔法を練習している時に、アッサリとやっちゃいました。右手と左手で別々の属性を使うんでしょ?とか言って」
「トキワ様って何者?」
「同時発動は、双剣を使う感覚に似ているって言ってました」
「あぁ、そうか。黒き狼様といえば双剣遣いだったね」
「魔力循環ってどうやるんですか?」
「どう言えば良いだろうね。魔力操作で胸辺りから手に魔力を動かしたでしょ?それを足の先まで持っていくんだ。そして戻す」
魔力を足の先……まで……。ダメだ。
「だから、普通の人は3ヶ月はかかるからね。すぐには出来ないよ」
「サクラちゃんなら、出来てしまいそうだけどね」
ぐぬぬぬぬっと動かそうとしていたら、トニオさんとトリアさんに笑われた。
「でも、魔力循環が出来れば、地属性だと中距離発動が出来るんですよね?バレる事無く」
「地属性だけ?」
「水属性も湖とかならイケそうですね」
「あぁ、そうね。頑張ってみようかしら?」
「トニオさんは出来るんですか?魔力循環って」
「教えては貰ったけどね」
「サクラさんは複合魔法の時にどうやったんですか?」
「氷魔法は氷の成長過程を思い浮かべて発動させました。樹魔法は種を持って、植えておいたら食べられるよね?って芽の出る過程を思い浮かべちゃって」
「まさかそれで、樹魔法を発動させちゃったの?」
「はい。施療院のみんなに呆れられちゃいました」
「だろうね」
「元の世界の事を聞いていなかったら、天才だって思ってるわね」
「カークさんには自重してくださいってしょっちゅう言われます」
「あの人なら言いそう……」
「カークって?」
「王都の冒険者ギルドの調査員さんで、大和さんの従者になりたいって頑張ってる人です」
「頑張ってる?」
「大和さんが必要ないって言っているので」
「トキワ様はなんでも出来そうよね」
「そのカークって人は、元の世界の事を知ってるの?」
「はい」
訓練場ではみんなが走り出した。体力作りかな?
「トリアちゃん、聞いて~」
ノックの音がして、シトリー様が飛び込んできた。一目散にトリアさんに話しかけている。
「ティナちゃん、珍しいわね。どうしたの?」
「それがね。グリザーリテに行く事になったの」
「異動?」
「そうじゃないわ。出張っていうのかしら?グリザーリテで新部署の立ち上げの指導を任ぜられたのよ。期間は1ヶ月」
「新部署?」
「騎士団付き施術師をグリザーリテも作るらしくって。必要な物品とか纏めておいてくれって。トリアちゃん、助けて」
「もちろんよ。でも、そういうことなら、施術師は要らないの?」
「向こうの施術師と協力しろって」
「あら。ティナちゃん以外に誰が行くの?」
「こっちからは私ともう1人ね」
「あちらの施術師は?」
「それが分からないのよ。3人居るって事なんだけど」
キタール派とグランテ派とマルティネス派から1人ずつ出したって事かな?
トリアさんとシトリー様が必要物品なんかを話し合っている。
「サクラさん、グリザーリテの施術師の派閥問題って、解決したんでしょうか?」
「したんじゃないですか?騎士団付きの施術師の話が出てるんですし」
グランテ先生とキタール先生のあれこれは詳しく知っているのは私と大和さんだけだ。アイビーさん、トリアさん、トニオさんはなんとなく察しているかもしれない。でも、私は喋る気はないし、アイビーさん達も聞いてこない。
「騎士団付きの施術師かぁ。ジョエル先生に聞いてみたらいいんじゃないかな?ここの立ち上げの時に居たのって、この中には居ないんだし」
「あぁ、そうね。ジョエル先生に聞いてみましょ。サクラちゃんからは何か無い?」
「騎士様の外傷だけなら良いですが、もし、騎士団の文官さんの健康管理もという話でしたら、薬師さんとの連携も要りますね」
「そうねぇ。軽い不調ならサクラちゃんのようにハーブティーを使うっていうのも有りだけど、それにも知識は必要だものね」
「シロヤマ先生はハーブティーの知識をどこで?」
「私は完全に趣味からです。後は自分の為でしょうか」
「自分の為ですか?」
「軽い不調が自分で対処出来たら、って考えたんです。薬師さんや詳しい方に教えてもらいました」
「はぁ、なるほど」
「だから、知識が限定的なんですよ」
転倒したらしい見習いさんが2人やって来た。
「あの、こんな怪我で来てもいいんですか?」
「はい。痛みを我慢してたら集中できませんからね。遠慮無く来てください」
「これからもっと増えるでしょうし」
アイビーさんが余計な事を言った。本当の事だけど。
「増える?」
「剣術の稽古で打撲、とか、増えると思いますよ」
「あぁ。剣術はやってきてるけど、いつかは武術大会に出たいよな」
「騎士団対抗武技魔闘技会だろ?でも、前回から剣での勝負じゃ無くなったじゃないか」
「今年の騎士団対抗武技魔闘技会、見に行ったけど、頭を使う感じだったぜ」
「連携がどうとか言っていたな。教官が」
「俺、あんまり聞いてなかった」
「おい……」
眠くなっちゃったとかかな?でも教官の話はちゃんと聞きましょうね。なんだか微笑ましくなってしまう。
一頻り喋って、見習いさん達は戻っていった。
「騎士団の入団試験って、教養とか無いのかしら?」
「無かったと思いますよ。魔力操作と記述試験と体力測定と剣術の試験だけだったと思いました」
シトリー様が教えてくれた。