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3の鐘までに施術室を訪れたのは数人。騎士見習いさんは、自主練習をしに来た全員が何らかの怪我で施術室を訪れた。怪我の治療をしながら聞かされるのは、「自分はやっていけるのか」という不安。その度にスティーブさんと同じ様に励まして、訓練に送り出す。
お昼の為に食堂に行くと、大和さんがずっと側に付いて離れなくなった。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
「見習い達に何を言ったの?」
「あ、そうだ。言おうと思っていたんです。今朝から施術室に来た見習いさん達、みんな訓練がキツいって言っていました。大和さん、調整するって言っていましたよね?」
「調整してるよ。正騎士の2/3量だし」
「分けた方が良いんじゃないですか?」
「正式に見習い期間が始まったら分けるよ。でも、今は自主的に訓練に参加している時期だから、分けられないんだよ」
「それにしたって……」
「そんなにキツいって言ってる?」
「自分は騎士としてやっていけるのか?って不安に思っているようです。3人共ですね」
「それで、何を言ったの?」
「みんな、一朝一夕で強くなった訳じゃないんだから、少しずつ積み重ねていくしかないって言っただけです」
「施術室に行って、戻ってくると、みんなやる気を取り戻しているから、不思議がっていたよ。シロヤマ先生はいったい何をしたのかって」
「話をしただけですけど」
「だけ、ねぇ」
「騎士を目指していて、先輩に弱音を吐くって出来ないですよ。ましてや初日です。だから正騎士の先輩には言いにくいんじゃないですか?情けないって思われたく無いでしょうし」
「咲楽になら言える?」
「無関係でしょう?施術師なんですから。だから口から出ちゃったんですよ、きっと」
「そっか。でも、それは咲楽の才能だと思うよ。暖かくて優しい雰囲気に受け入れてもらいたくて、何でも話しちゃうんだよ」
「そんな事はないですよ」
「あるって。ユーゴも最初、咲楽に何でも話したくなるって言っていたでしょ?」
「言っていましたっけ?」
「覚えてない?」
「かもです」
「魔力量が減っている時期だったからね。そういう事もあるよね」
と、言うことは、施療院で目覚めたすぐ後って事かな?あの頃って時々記憶が抜け落ちてるし。魔力量が減った直後の記憶が曖昧だというのは、珍しい事じゃない。半分位の人は記憶の欠如を訴えるそうだ。ましてや私は枯渇状態だったと聞かされた。目覚めた後にユーゴ君が来たのは覚えているけど、何か話をしたというのは覚えていない。覚えているのは謝罪するカークさんとユーゴ君の姿。それから何かを堪えるような大和さんの顔。
魔力量が減った直後の記憶の欠如のメカニズムは分かっていない。分かっていないながらも「そういう事がある」というのは知られてはいるそうだ。
お昼からは巡回を交代して、お昼まで巡回だった騎士様達が訓練を始める。この時間を利用して、ミントの乾燥作業をする。コルドになると、ミントはそう使わない。でもコルドでもたまに使うから、乾燥ミントを作っておく。しかし、増えたなぁ、このミント。さすが爆殖植物。トリアさんが嬉々として増やしてるんだよね。
「シロヤマ先生」
「あら、ドロシーさん。いらっしゃいませ」
「今日はお1人ですか?」
「はい。休日出勤です。ドロシーさんもですか?」
「そうですね。チャロアト様にこき使われています」
チャロアト様は文官長様の1人で各部署の人員の調整をしているらしい。人事担当って感じかな?
ハーブティーを淹れて、少し話をする。
「最近、放牧場に行って、ムトンに乗せてもらうのが、癖になっちゃって」
「あのムトンって乗れるんですか?」
「乗れるんですよ。フワフワで気持ちいいですよ」
「いいなぁ。乗ってみたいです」
「シロヤマ先生なら、乗れると思いますよ」
「私ならって?」
「ムトンが警戒心を抱かなければ、ですね。シロヤマ先生には警戒心なんて抱かなそうです」
「確かに?」
ドロシーさんは最近険しさが取れてよく笑うようになった。最近は男性に声を掛けられることが増えたそうだ。ムトンの放牧場にもデートで行ったらしい。
「ムトンに乗っていると癒されます」
「良いですね。レーヴァとクラウには会いましたか?」
「会ったというか、見たというか。子ども達に囲まれて、もみくちゃになってました。子ども達が尻尾とか引っ張っていて、見ているこっちがヒヤヒヤしました」
「尻尾を引っ張られて大人しいとか、野性味が無くなってますね。人間にとっては良いことですけど」
「それから牧羊犬が何故かレーヴァとクラウに従ってました」
「え?」
「管理人さんの話だと、来てしばらくした時に、牧羊犬と睨み合っていたそうです。お互いに牙を剥き出しにして唸っていて、トレープールだし、やっぱり魔物なんだと思っていたら、数日後には仲良くなっていたというか、牧羊犬がレーヴァとクラウに従っていたようです。ムトンの追い込みが楽になったって笑っていました」
「どういう心理なんでしょうね?」
「さぁ?」
ドロシーさんが帰っていって、5の鐘になった。見習いさん達はそれぞれ2回は施術室に運び込まれていた。それを見て、騎士様達は「さもありなん」と頷いていた。慈愛の表情が見えていたのは、気のせいじゃないと思う。
「咲楽、帰るよ」
「はい」
迎えに来てくれた大和さんと塔に帰る。
「今年の新人達はやる気が満ち溢れてるってさ」
「どなたが言っていたんですか?」
「古参の騎士達。あの人達は毎年見てきているからね。評価は間違っていないと思うよ」
「施術室にいらっしゃった方は、私なりに励まして訓練に送り出しましたけどね。見習いって今日いらした方だけですか?」
「後2人居る。どちらもターフェイアの出身じゃないから、遅れているのかもね」
「でも、訓練は今日からじゃないんですよね?」
「うん。今日からって言うのは、見習い達の自由だから。明日も来るかどうかは本人達の自由意思だね」
「見習いさんって5人ですか?」
「そうだね」
塔に着いて、大和さんはシャワーに行った。
今日のお夕食はカルボナーラ。塩漬けのバラ肉が少なくなっちゃったなぁ。大事に大事に使ってきて、たぶん今日で使いきっちゃうんだよね。
カルボナーラはタイミングが大切だけど、パスタの茹で加減も大切だよね。ここにはタイマーが無い。だから本当に気を抜けない。
「咲楽、風呂はどうする?」
「行きたいですけど、もうちょっと……」
「あ、途中だった?」
「パスタは茹で終わっているんですけどね。すみません。行ってきます」
「行ってらっしゃい。ごゆっくり」
ムトンに乗ってみたいなぁ。大和さんに言ってみようかな?フワフワだってドロシーさんは言っていたし、ちょっと憧れがあるんだよね。
ムトンは大きいから、ナイオンに乗るよりも高いだろうけど、大丈夫かな?落ちちゃうかもって思っちゃうとダメなんだよね。でも、ムトンは横幅もあるから、大丈夫だよね。
お風呂から出ると、大和さんはリビングのソファーで何かを読んでいた。書類だけど、かなりの枚数がある。
「出てきたね」
「はい。何の書類ですか?」
「騎士団関係」
「なるほど。すぐにお夕食にしますね」
「咲楽はしつこく聞いてきたりしないね」
「今の事ですか?騎士団関係は聞いても分からないし、大和さんは知って欲しかったらもっと詳しく話してくれると思うので」
「めっちゃ信頼されてるっ?」
おどけたように大袈裟に大和さんが言う。
「してますよ」
「咲楽もノってよ」
「ノリが悪くてすみませんね」
「拗ねた?」
「どうしようかな?」
パスタを食べながら、じゃれあいのような会話をする。
「さっきの書類ね、王都に帰ってからの東街門騎士の書類。咲楽にも関係ある事かもね」
「じゃあ、その部分だけ、後で聞かせてください」
「今でもいいんだよ?」
「食べながらだと頭に入らない気がします」
「分かった。膝枕をしながら聞かせてあげましょう」
「えっと、ありがとうございますって言った方が良いんでしょうか?」
「うん」
「さらっと肯定しましたね」
「否定しても仕方がないでしょ?」
「まぁ、そうですけどね」
「それに、膝枕は決定だしね」
「決定なんですね」
「そういえばさ……」
「はい」
「白ネコパジャマ、しばらく見てないんだけど?」
「封印しますって言ったじゃないですか」
「今日は着替えちゃってるから、明日以降にお願いね」
「えぇぇ……」
「えぇぇ、じゃなくてね」
夕食後の片付けをしながら、大和さんが言う。私は隣で食器を拭いていた。
「今日は膝枕でしょ?今週中に白ネコパジャマでしょ」
「今週中?」
「お願いね」
「語尾にハートが見えます……」
「さぁ、寝室に行こうか」
キッチンを綺麗に片付けて、大和さんが私を横抱きにした。
「ほら、首に手を回して」
「あ、はい」
落ちちゃうといけないもんね。前に言われたし。
「本当に素直だねぇ」
くっくっくっと喉の奥で笑いながら、大和さんは私を楽々と寝室に運んだ。
「はい、到着。少し重くなって嬉しい」
「誉められてるんでしょうか?」
「誉めてるよ。前はさすがに痩せすぎだったって、自覚はあるんでしょ?」
「ありますけど」
「でも女性に重くなったは禁句だったね。ごめんね」
「大和さんに悪気が無いのは分かってますよ。私が過剰反応しちゃったんです」
「良い娘だね、咲楽は。さて、このまま抱いていたいけど、どうしようかな?膝枕もしたいし」
「あ、ごめんなさい」
慌てて大和さんの首に回していた腕を外す。大和さんがちょっと残念そうな顔をした。
「じゃあ、膝枕だね。おいで」
「はい」
ベッドに上がって、大和さんの足に頭を乗せる。すかさず頭を撫でられた。
「私に関係がある王都の東街門の事って何ですか?」
「急かすね。もう少し堪能させて?」
「だって寝ちゃうかもしれませんもん」
「あぁ、そういえば、俺が撫でると寝ちゃうんだっけ?」
「そうですよ。早く教えてください」
「寝ちゃう前に?」
「大和さんっ」
「はいはい。もっと堪能させてよ」
ブツブツ言いながらも、大和さんが教えてくれたのは、東街門は施療院を併設する事。日中は施術師が5人、夜間に2人常駐する事を予定している事。施術師の内訳が分からない為確定ではないが、街門の騎士の宿舎とは別に、施術師の宿泊室が用意される事。今の所、マクシミリアン施術師、フォス施術師、シロヤマ施術師、ルビー施術師が従事予定である。
「これによると、東街門施療院には7人の施術師が従事することになるね。院長はマクシミリアン殿だっけ?」
「はい。特に変更がなければ」
「俺も夜勤がありそうだし、咲楽もあるかもね」
「女性施術師を固めてくれると嬉しいんですが」
「そうすんじゃないかな?そうじゃなければ色々マズいでしょ」
「後の3人がどうなるかが、心配です」
「それは今から考えても仕方がないでしょ」
「そうですね」
「咲楽が夜勤とかするなら、その時は俺も夜勤にしてもらおう」
「それは心強いです」
「まぁ、後1年あるしね」
「そうですね。忘れてました」
「東街門騎士も、知ってるのや異動してきたらしい俺の知らない騎士や、色々混じってるね」
「東街門だと、マイクさんの騎獣屋が通り道だったりしますか?」
「通り道だね。毎日ナイオンに会えるよ」
「嬉しいです」
「そういえばさ、今日、施術室で誰かとお茶してた?」
「あぁ、ドロシーさんですね」
「ドロシー?」
「チャロアト様の部下の方です。出会った頃はストレスが上手く発散できなかったみたいで、トゲトゲした雰囲気だったんですけど、今は上手くストレス解消できているみたいで、雰囲気が柔らかくなりました。ドロシーさんに教えてもらったんですけど、放牧場のムトンって乗れるんですって」
「ムトンに?」
「フワフワで癒されるようです」
「咲楽が乗ってるのを想像すると、和むね」
「今度の休みに、放牧場に連れていってください」
「ムトンに乗りたいの?」
「はい」
「満面の笑みだね。分かった。行こうか」
「ありがとうございます」
「お礼は態度で示してね」
「……ハグで良いですか?良いですよね?」
「必死だね」
「ハグで良いですよね?」
「良いよ。おいで」
両手を広げてくれたから、起き上がって抱きついた。
「よく出来ました」
「大和さん、くすぐったいです」
私を抱き締めて、首元に顔を埋めたまま話されたから、息と唇が当たってくすぐったい。
「咲楽は良い匂いがするね」
「石鹸ですか?」
「それに抱き心地も良くなってるし」
「言い方がイヤらしいです」
「イヤらしい……。仕方がないでしょ?男だもん」
「もん?」
「いちいち反応するね」
「このハグっていつまで続ければ良いんでしょう?」
「俺が満足するまで」
「えぇっと……」
「もう少しね」
「はい」
2~3分位で、大和さんが身体を離した。ちょっと寂しい。
「もう寝ようか」
「あ、そうですね」
「横になったらまた抱き締めてあげるから、そんな寂しそうな顔をしないの」
「おやすみなさい、大和さん」
「そんなに慌てなくても」
寂しいって思っていた事を見透かされて、なんだか恥ずかしくなって、お布団に潜り込んだ。
「おやすみ、咲楽」
大和さんも横になって、言ったようにぎゅうっと抱き締めてくれた。