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大和さんがグランテ先生と女性を連れてきた。
「お久しぶりです、アリーチェさん」
「お久しぶり、サクラさん。ごめんなさいね。こんな事に巻き込んで」
「私はイグナシオ君に話を少し聞いただけですよ」
「昨夜、キタール施術師がグランテを訪ねてきたの。私とイグナシオもあそこに住まわせて貰ってるんだけど、キタール施術師とグランテの話には私も関わってくるから、同席していたの。話が終わって、キタール施術師とグランテを残して部屋を出たら、イグナシオが居なくて。1/6刻程待ってから家中探して、でも見つからなくて、一晩中探していて。まさかターフェイアに居るなんて思わなくて、騎士団から連絡が来て、ビックリして。グランテに付いてきて貰ったのよ」
「イグナシオ君は出生の秘密を聞いちゃったそうですけど」
「出生の秘密なんて大袈裟なものじゃないわ。妊娠が発覚する前に、彼がお国に帰っちゃったって、それだけよ」
「十分出生の秘密だと思います」
「咲楽、イグナシオ君が目覚めた」
黙って聞いていた大和さんが口を開いた。索敵を使っていましたね?休養室に入って、イグナシオ君の様子を窺う。
「目が覚めましたか?」
「すみません。僕、寝ちゃってましたか?」
「えぇ。隣の施術室にアリーチェさんとグランテ施術師が待ってます」
「母さんと伯父さんが……。今は会いたくありません」
「心配をかけたのですから、その事は謝らないとダメですよ」
「……はい……」
ノロノロとイグナシオ君が施術室に向かう。怒られると思っているのかな?気まずいんだろうな。
「母さん、伯父さん、心配かけてごめんなさい」
口の中でボソボソとイグナシオ君が謝った。アリーチェさんがそんなイグナシオ君を抱き締める。
「咲楽、お昼は?」
感動の再会を見ながら、大和さんがこっそりと聞いた。
「まだですね。イグナシオ君が目覚めるのを待っていましたので」
「トニオさんとアイビー嬢が外で待っているから、休養室から出て行ってきたら?」
「待ってくれてるんですか?そういえば、大和さん、お昼から会議だったんじゃ?」
「もう少ししたら始まるね。咲楽を食堂に送り届けないと、昼食抜きとかしそうで心配だから、咲楽を食堂に送ってから行くよ」
休養室からトニオさんとアイビーさんに入ってもらう。
「えっと、イグナシオ君だったね。お腹は空いてない?軽いものだけど、これ、食べて。食堂のおばちゃん達が作ってくれたんだよ」
トニオさんが殊更明るく言って、サンドイッチをイグナシオ君に勧める。アイビーさんはお茶を淹れていた。
「ありがとうございます」
イグナシオ君が食べ始めると、トニオさんが手で合図した。大和さんが私の手を引いて、食堂に向かう。
「上手くいって欲しいですね」
「大丈夫だよ。イグナシオ君も王都の施術師に応募したらしいね」
「そんな事まで聞き出したんですか?」
「一緒にキタール施術師の弟子の女性も応募して、弟子の女性は不合格だったんだって。イグナシオ君は合格」
「もしかして、『王都の施療院は女性施術師は取らない』って……」
「キタール施術師の周辺から出た話だろうね。何かと噂になりやすい人物だし。本人が言わなくても、普段の言動から『キタール施術師が言っていた』って言われそうではある」
はぁぁ~とため息が漏れた。キタール先生の場合は身から出た錆かもしれない。でも、気の毒になってくる。
「咲楽が気にすることじゃないからね?」
「分かってますよ。私が気になるのは、キタール施術師のこれからです」
「身から出た錆というか、自業自得というか。自分のかつての言動が、我が身に還ってきただけだよ。咲楽が気にすることじゃない」
「そうなんですけどね。気になっちゃうんです」
「仕方がない娘だね」
大和さんが私の髪をくしゃっと撫でる。久しぶりの感覚が嬉しくて、目を閉じた。
「咲楽、こっちに来て」
大和さんに通路の片隅に連れていかれた。そこで軽くキスされる。
「大和さん、こんなところで止めてください」
「大丈夫だよ。誰も見てないから」
「そういう事じゃありません」
「咲楽があんまり可愛くてね」
「大和さん!!」
「はいはい。T.P.O.を考えろって言うんでしょ?」
「その通りです」
「すべて考えて、問題ないと判断した。どこが悪い?」
「どこがって……」
「人が見ていない事は索敵で確認した。今は休憩時間。特に行き交う人も居ない。覗かれる窓もない。俺達は婚約者。どこが悪いの?」
「うぅ……。そういう言い方、ズルいです」
「よし、勝った。さ、昼食を食べておいで」
「勝ったって……。今日はキノコ尽くしですからね」
「何て恐ろしい事を……」
「昼食、食べてきます」
言い捨てて、食堂に向かった。
「シロヤマ先生、遅かったね。はい、これ。先生の昼食だよ」
「ありがとうございます」
タフタさんが昼食を渡してくれた。手早く食べられるように副菜をパンに挟んで、サンドイッチにしてくれてあった。
昼食を手早く食べて、施術室に戻る。待ちかねていたようにトニオさんに聞かれた。
「シロヤマさん、王都の施療院って来年から?その次から?」
「その次からですね。正確には、その次の芽生えの月からです。どうしたんですか?」
「イグナシオ君は王都の施術師に合格しているんだけどね。来年の芽生えの月にもう一度試験をするでしょ?第2次試験とか言っていたけど。その自信がないんだって。グランテ施術師に師事している立場だけど、グランテ施術師が自分では力になれないって言っていてね。グランテ先生がキタール施術師に師事したら?って勧めたんだけど後込みしちゃってね」
「キタール施術師に?ライバル関係ですけど、やる気次第ですね。キタール施術師の誤解は解けたんですよね?」
グランテ先生が大きく頷く。
「最初はキタール施術師の、お弟子さん達の風当たりが強いかもしれません。それでも無駄な経験にはならないと思いますよ」
「こんな取るに足りない施術室からも……」
「グランテ、言葉遣い」
アリーチェさんの厳しい声が飛んだ。
「失礼。えっと、正規に施術院でなくても、施術師が選ばれているんだ。純粋に施術師の資質を見たと考えるべきだろう。イグナシオに足りないのは経験と自信だ。少しでも経験を積むなら、キタール施術師の施術院が最適だと思う」
「えっ、でも……」
「今すぐ決めなくても良いんじゃないですか?早い方が良いとは思いますけど、今ここで決めるものでもないですよね?」
「そうだがな」
グランテ先生が難しい顔で言う。
経験と自信かぁ。少し前のアイビーさんみたいだね。アイビーさんは騎士団対抗武技魔闘技会で自信がついたらしい。私も何も分からなかった頃の西の森の救援出動で、なんとか自信というものが持てたなぁ。最初の頃は無我夢中だったから、現代知識を使っていたんだよね。
「シロヤマさん、この骨格図って、イグナシオ君に渡しちゃダメかな?」
「え?あぁ、良いですよ?出来れば1人だけじゃなくて、みんなに広めたいんですよね」
「何だそれは?見せなさい」
グランテ先生が骨格図を奪い取る。
「それは骨格図です。基本的な人間の骨格とどのような処置を行うかを纏めたマニュアルですね」
「それが完全に頭に入ると、治癒術の発動が早くなるよ。僕もここに来て、シロヤマさんにそれを覚えろって言われて、必死で覚えたら術の通りがスムーズになったし、浄化もすんなりいくようになったんだよね」
トニオさんが解説してくれる。
「空間浄化の必要性……。これがあれば助けられる命が増える。シロヤマ先生、これは施術師にもっと知られるべきだ」
「今、王都の施療院が中心となって、そのマニュアルを増冊、各地に配布する計画が進行中です。その為の第2次試験でもあるんです。各地から王都に集まりますよね?王都施療院に合格したら、王都に移住しないといけませんから、その時に持ち帰ってもらうって計画だって聞きました」
「それで、これは持って帰ってもいいのかね?」
「はい。キタール施術師はじめ、グリザーリテの施術院に広めてもらえると助かります」
「ただね、受け取らないって施術院も一定数あると思うよ。ターフェイアでもそうだったしね。自分のやり方以外は受け入れない施術師が多いんだよね」
トニオさんが困り顔で言う。トニオさんとトリアさんは各地の施術院で仕事をして来たって言っていたから、その経験からだと思う。
「押し付けても放置されたら元も子もないもんね」
グランテ先生に数冊のマニュアルを渡す。身近な所から必要性を説いてくれると約束してくれた。「まずはキタール施術師の所からだな」って言って、アリーチェさんにからかわれていたけど。
5の鐘になったけど、私とアイビーさんは施術室に残っていた。大和さん達に会議が長引くかもって今朝から言われていたから、2人でそれぞれの作業をしていた。私は簡易トレース板を使って骨格図を写しているし、アイビーさんはこれまでの症例の纏めをしている。
「サクラさん、グランテ先生って、サクラさんの事を知っているんですか?」
「あぁ、言ってませんでしたね。グランテ先生は初代が異邦人だったそうです。だから私と大和さんが異邦人だって知っているんですよ」
「そうなんですか?」
「300年前だそうです。元居た国の300年前というと、かなり文化が違っていましたから、かなり苦労されたようです」
「どうして知っているんですか?」
「グランテ先生に初代の残した手記の解読を頼まれましたから。実際に読んだのは大和さんですけどね。私は大和さんの言葉を書き写しただけです」
骨格図とマニュアルを一冊仕上げた頃、大和さんとセント様が迎えに来てくれた。2人とも手に何か持っている。
「夕食をいただいた。帰っても夕食の用意は要らないよ」
「こっちはアイビーちゃんの分ね。俺達は一緒に暮らしている訳じゃないから」
塔に帰る途中で、イグナシオ君とグランテ先生の話をする。
「経験と自信ね。イグナシオ君は今、いくつだっけ?」
「19歳だって言ってました」
「経験不足は否めないよね。マニュアルも渡したんだ?」
「はい。良い機会だと思いましたので」
「まずはキタール施術師からか。もう1つ派閥があったよね?」
「マルティネス派ですね。そこの中心人物がどういった方かは分かりませんけど、グランテ先生の話をちゃんと聞いてくれる人だと良いんですが」
「グランテ施術師は口下手だからね」
塔に着いて、頂いた夕食を食べる。
「キノコ尽くしじゃなくて、ホッとしたよ」
「全てキノコっていうのはやりませんよ。一部に見た目毒キノコを使うだけです。ちゃんとトキスィカシオンも掛けますし」
「咲楽がそんな性格の悪い事をするとは思ってないよ」
「信頼が重いです」
「そういえば、ドングリを売っているのを見かけるんだけど、あれってどうするの?」
「粉に挽いて使うそうです。クッキーとかパンとか味見をさせて貰いましたけど、美味しかったですよ」
「どこで食べたの?領城?」
「はい。領城の料理人さん達に教えてもらいました。粉物屋さんに持ち込めば、ドングリ粉にしてくれるそうです」
「食べてみたいね」
「ドングリクッキーならありますよ?」
「食後にいただこう」
「はい。コーヒー、淹れます?」
「コーヒーの豆も少なくなってきたんだよね。夕食後は止めておくよ」
「じゃあ、紅茶を淹れますね」
粉物屋さんに持ち込めば、ドングリ粉にしてもらえるドングリ。私の持っているドングリクッキーは丁寧に丁寧に作られた希少品。地球のドングリクッキーがどんな味かは知らないけれど、このドングリクッキーはほんのり甘くて、香ばしい。
先にお風呂に行った大和さんがドングリクッキーを矯めつ眇めつ眺めてから、恐る恐る口に入れる。
「想像では渋味とかエグミとか有るって思ったんだけど、全く無いんだね」
「さっき、粉物屋さんに持ち込めば、ドングリ粉にしてもらえるって言いましたけど、2~3ヶ月位かかるそうです。アク抜きに2ヶ月ですって」
「食べ物にかける人間の執念を見た気がする」
「そのドングリ達は庭木として植えられているものだそうです。森や林の物は、食べられないらしくて」
「そうなんだ」
「私も教えてもらっただけですけどね」
時間が遅くなっちゃったから、急いでお風呂に入る。
グリザーリテの施術師の問題がこちらに飛び火して、沈静化したのは良いんだけど、マルティネス派という派閥の人達がよく分からない。実際に会っていないし、話だけ聞いた感じでは良い人っぽいけど、表面上は良い人で陰でこそこそする人はごまんといる。
思い込みは偏見を生む。偏見は危険だ。白い物も黒く見えるから。施術師が偏見を抱くと、それは命に関わる場合が多い。私達施術師が生殺与奪を握っているなんて考えてはいないけど、「気に入らないから」「嫌いだから」と手を抜いた施術をすることは許されない。
グリザーリテ領でキタール先生がした事は、悪質だとは思う。それによって、今、キタール先生が苦しんでいても、それは自業自得だ。自業自得なんだけど……。
モヤモヤと考えながら寝室に上がる。
「おかえり」
「戻りました」
「何を考えているの?」
あっという間に抱え込まれて、大和さんの腕に納まる。
「キタール先生が苦しんでいるんじゃないかと思って。自業自得だって分かってるんですよ?分かってはいるけど、全く言い訳をしなかったグランテ先生にも責任はあると思うんです」
「咲楽は優しいね。それで考え込んでいたんだ」
頭や首にキスを落としながら、大和さんが言う。
「キタール先生の気持ちも分かりますもん。体験したことはないけど、想像なら出来ます」
「様子見しか出来ないって事も分かってるよね?」
「はい」
「それなら、その思考はここまでにして、今日は就寝しよう」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」
横になってからも少し考えてしまって、寝付くまでにいつもより時間がかかった気がする。