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「ねぇ、アンタ、さっきグランテの家から出てきたでしょ?何?こんな子どもにまで手を出したの?アイツは。やっぱりサイテーなヤツね」
耳元でギャンギャン喚かれて、耳が痛い。
「大丈夫?咲楽」
「はい」
「ちょっと聞いてるの?」
「聞いてます。貴女はどなたですか?」
「アタシを知らないの?」
「はい」
「このグリザーリテでアタシを知らないなんて。グランテのヤツと付き合ってるからよ」
意味が分からない。大和さんが何かに気付いたように、その人に声をかけた。
「失礼。キタール施術師では?」
「そうよ。グリザーリテ領で1番の施術師よ!!」
「えっ?この人が?」
ヒステリックなおば様にしか見えない。
「お家までお送りしましょう」
「いいえ、結構よ。アタシを知らない人に送って貰いたくないわ」
「申し遅れました。ターフェイアから参りました。高名なキタール施術師を、お送りする栄誉をお与えください」
「高名な、と来たわね。良いわ。送らせてあげる。ところでその子は何なの?」
「私の婚約者です」
「グランテ施術師の家に行っていたのは何故?」
「あの家のお爺様に、私が用事があったのですよ。用事はすぐに済みましたが、お爺様と話が弾みまして」
「お爺様ってグレーゴーア様?」
「いいえ。グレーゴール様ですね」
「あぁ、そうだったわ。グレーゴール様ね」
様子がおかしい。なんだかフラフラしている。
「足元が覚束ないようですが、どうかなさいましたか?」
「グランテのヤツの事を考えると、いつもこうなるのよ。心配要らないわ」
血圧が上がっての脳血管障害とか、引き起こさないと良いけど。さっきのヒステリックな勢いはすっかりナリを潜めているけど、フラフラと危なっかしい。虚血性脳貧血とか、心配になってくる。怒りは血圧を上げるけど、急な血圧の低下は脳貧血の状態が心配だ。
「楽になってきたわ。ありがとう。お嬢さんも酷いことを言ってごめんなさいね」
「いいえ。グランテ施術師の事を考えるとってどういった事を?」
「おばさんの愚痴になっちゃうわよ」
「構いません。聞かせてください」
「もうね、ずいぶん前になるんだけど、グランテと付き合っていたのよ。結婚も考えていたの。でもね、その話が進む前に、グランテが女性と産婆の家から出てきたの。浮気されたって思ってね。それからよ。グランテのやる事なす事が信用出来なくなってね。彼が全く言い訳をしないものだから、こっちもカッとなっちゃって。顔を見ると悪口を言っちゃうのよ」
「あの、それって何か事情があったとか?」
「知らないわ。彼も何も言わないもの」
「何年くらい前の事ですか?」
「かれこれ20年前かしら?貴女が生まれる前ね」
「私、いくつに見えますか?」
「成人はしていないでしょう?15歳か16歳?」
「23歳です」
キタール施術師がピタッと止まった。
「嘘でしょう?」
「本当です」
「彼は婚約者だって言ったわよね?政略とか?」
「私は彼女の10歳年上ですが、ちゃんと恋愛ですよ」
大和さんが楽しそうに言う。
「あ、あぁ、そう……」
再び歩き出す。
「あの女性は誰だったのかしら?」
「ご親族では?」
「分からないわ。グランテ施術師の親族はグレーゴール様しか知らないもの」
「グレーゴール様とは面識はあるんですか?」
「えぇ。実はね、グレーゴール様に憧れて、施術師を目指したのよ」
「先生~」
「あ、ブレイク先生」
「ブレイクを知っているの?」
「はい。2度ほどお目にかかりました」
「ブレイクにはさっきの話は秘密ね」
「はい」
言ってしまった方が良い気がするけど、プライベートな事も含まれてるし、難しいなぁ。
「キタール先生、あ、シロヤマ施術師」
「こんにちは、ブレイク先生」
「どうしてグリザーリテに?何かご用事でも?」
「それは……」
「彼がグレーゴール様に用だったんですって。彼女はそれに着いてきたのよ」
キタール先生がそう言って笑う。
「そうだったのですか」
そう言いながら、ブレイク先生の目は大和さんの手に注がれている。キタール先生を支えているから、かな?
「ブレイク、そんな目で見ないのよ。ふらついちゃってね、危ないからって送っていただいたの」
「そう、でしたか。ありがとうございました」
たぶん、キタール先生はこっちが本当の性格だ。穏やかで周りに気を配れる素敵な女性。ただ、グランテ先生が絡むと冷静で居られなくなるって感じかな?
「自宅までお送りしようと思いましたが、もう大丈夫そうですね。頼りになる方もいらっしゃいましたし」
「えぇ。もう大丈夫ですわ」
「おっと。まだふらついておられますね」
「先生の施術院がすぐそこです。そこで少し休憩してはいかがですか?」
その言葉に、キタール先生の施術院に向かうことにした。
キタール先生の施術院は白い瀟洒な建物だった。普段のキタール先生によく似合ってる。
「綺麗。可愛い」
「咲楽、行くよ」
「はい」
施術院に招き入れられて、キタール先生をソファーに座らせる。ブレイク先生はお茶を淹れに行った。
「ごめんなさいね。迷惑をかけてしまって」
「いいえ。この位で迷惑って言ったら、私なんかもっと迷惑をかけてます」
「あら、そう?そうは見えないけど」
「彼女は落ち着いているように見えて、思いもよらない事をしますから」
「ヒドイです」
「自分の事を放っておいて、他人を気にかけるし」
「性格です」
「夢中になると、食事を忘れるし」
「うぅぅ……。ごめんなさい」
「その辺りが放っておけないんだけどね」
「仲が良いわねぇ」
ハッと気が付く。キタール先生がニコニコして私達を見ていた。
「どうしたんですか?」
ブレイク先生が紅茶を持ってきてくれた。
「お2人がね、本当に仲が良くってね、微笑ましくなってしまったわ」
「そちらの男性は騎士でしたね」
「はい。ヤマト・トキワと申します」
「サクラ・シロヤマです」
「あの時は、グリザーリテの者がとんでもない事を」
「怪我もなにもしておりませんよ?私は」
「とんでもない事ってなぁに?」
「勝負事に熱くなっただけですよ」
「あの時の騎士は……?」
「ターフェイアにおります。お2人はラフォン家をご存じですか?」
「あの高慢ちきの家。最近お取り潰しになって、みんながホッとしてたわ」
「そんなに評判が悪かったのですか?」
「悪いなんて物じゃないわ。脅しに暴力、気に入らなければ権力を使っての冤罪の擦り付け。あの家に睨まれたからって、グリザーリテを出ていった一家も多いのよ」
「あの時の彼はラフォン家の3男です」
「3男?あそこには3男は居なかったはずよ。当主そっくりの2人の男と当主夫人そっくりの2人の女の、子どもはその4人……いえ、待って。そういえば何度も噂にはなっていたわ。隠された子が居るって」
「ラフォン家から追い出されたり、虐げられている子を見た覚えは?」
「あるわ。使用人の子だと思っていたけど……。まさか」
「それが彼です。オーブリー・ラフォン。今はオーブリー・ラヴェルとなっています」
「ラヴェル?」
「オーブリーの乳母の家です」
「交流戦であんな事をしたのは?」
「相手の騎士を傷付けてでも勝ってこい。それがオーブリーにくだされた父親からの命令だったそうです。そうすれば認めてやると言われたそうです」
「でも、そんな事をすれば、何らかの処分が……」
「えぇ。他領で騒ぎを起こした。それを大義名分として始末する予定だったのだろうというのが、グリザーリテの上層部の結論です。今はターフェイア騎士団で元気にやってますよ。まだ受け入れられない者も居ますが、大半の者は受け入れています」
「トキワ様は?」
「怪我がありませんでしたからね。直接攻撃魔法が飛んできて、少し驚きましたが。自分に地属性があって良かったと思いましたよ」
「あの時は、シロヤマ施術師が心配になるほどでしたよ。血の気が引いた顔で、表情は強張っているし、穏やかなシロヤマ施術師とは思えない状態でしたから。帰りの馬車の中でグスタフ施術師と、思わずしみじみと話してしまいました」
「あの時は帰りに素っ気ない対応をしてしまいまして、すみませんでした」
「謝罪は不要と言われたと聞きましたが」
「怒っていましたので。自らの罪悪感を軽減する為の謝罪は、不要だと申し上げました」
「咲楽、そんな事を言ったの?」
「『自らの罪悪感を軽減する為』とは言っていませんよ」
「謝罪の言葉は便利だからね。そう思ってなくても謝って頭を下げておけば、相手はそれ以上言えなくなる場合が多いし」
「人目を引きますしね。謝ったのに許さないのかって、言われたりもします」
「色々あるわよね。反省しなきゃ」
「事実を正しく知る事も大切ですよ」
「耳が痛いわ」
キタール先生が笑って仰った。
キタール先生の施術院を辞して、ターフェイアに帰る。
「20年前の事で怒りを持続させるとか」
「それだけ好きだったって事じゃないんですか?」
「俺が言いたいのは、気が短いのか、長いのかって事。カッとなりやすい上にその感情が持続しやすいって大変だよね」
「絶対的に対話が足りないと思います」
「咲楽はあの2人に上手くいって欲しいの?」
「それには20年前の真実を知らなければいけませんよね。キタール先生が望むならともかく、赤の他人の私がそれを知って良いのかって思うんです」
「余計なお世話って事もあるしね」
「そうですよね」
ターフェイアに着いたら5の鐘が鳴っていた。屋台街で夕食を買って、塔に帰る。
「先に風呂に行ってきても良い?」
「はい。暑かったですもんね。私も大和さんの後に入ります」
「一緒に入る?」
「入りません」
「うん。予想通りの答えだね」
分かってるなら言わなくて良いのに。
大和さんを待ってる間、ぬいぐるみを作ろう。何にしようかな?クルーラパンとかコルスーリにしても良いかも。まずは完成予想図を……。コルスーリが角の生えたカピバラになるのはどうしてでしょう?これはこれで可愛いけど。コルスーリは大きなハムスターなんだよね。形としては。
「咲楽、何を唸ってるの?」
「コルスーリが、どうしてもカピバラになっちゃうんです」
「あれはキンクマでしょ?」
「キンクマ?」
「キンクマハムスター。ゴールデンハムスターの中でも、全身クリーム色の個体がキンクマハムスターって呼ばれてる」
「へぇぇ。確かにコルスーリはクリーム色ですね。ちょっと濃いけど。茶色とクリーム色の中間色かな?」
「咲楽、風呂はどうするの?」
「あ、行ってきます」
急いでお風呂に行く。リビングから大和さんの笑い声が聞こえた。そんなに笑わなくても良いじゃない。大和さんの笑い声は楽しげで大好きだけど。
グランテ先生とキタール先生の仲って修復不可能なのかな?グランテ先生は口下手だと思う。嫌われているからって、尊大な態度を取って、人を寄せ付けないようにしている。キタール先生はカッとなりやすくて、そうなったら人の話を聞かない。
私が考えていても仕方がないし、そもそも恋愛スキルの無い自分には何をどうして良いのか分からない。こういうのを考えるのも大きなお世話だもんね。
グランテ先生の気持ちは聞いてないけど、キタール先生はグランテ先生を未だに好きだよね。そうじゃなかったら、1度の出来事であそこまで怒りを持続させないと思う。怒りはエネルギーを使うから。
お風呂から出て、リビングに行くと、大和さんが何かを描いていた。
「おかえり」
「戻りました。これ、コルスーリですか?」
「魔物なら描けるね。人物はまだ無理だけど」
「それって……」
「夕食にしよう。腹ペコだよ」
誤魔化されたよね。テーブルに買ってきた屋台飯を並べる。
「大和さん、スタージョン湖の土地ってどうなったんですか?」
「今度の休みに、商業ギルドで詳しい話を聞こうかって思ってる。土地の値段とか分からないし」
「そうですね。買うにしても買わないにしても、何も分かりませんもんね」
ポツリポツリとしか続かない会話。屋台で買ってきた物だからか、食事は割合早く終わった。
「寝室に行こうか」
「もうですか?」
「後は寝るだけだからね」
「そうですけどね」
後片付けを終えたら、寝室に上がる。
「咲楽、ちょっとベッドに避難してて」
「何ですか?」
私がベッドに上がると、大和さんが魔空間から2振りの刀を取り出した。
「それ、持ってきちゃったんですか?」
「自分達には価値が分からないからって、くれたんだよ」
チキッと音がした。スラリと刀身が引き抜かれる。
「鯉口もしっかりしているし、刃紋も素晴らしい。使わないけどね」
「使わないんですか?」
「俺しか扱えないだろうし、扱い方がそもそも違うからね。これは剣舞に使えると思って貰ってきたんだし。刃は潰すつもりだし」
「地属性で出来そうですね」
「出来ると思うよ。錆び落としも出来たし。少しだけ練習してからだけどね。失敗できないし」
「長さが違うのは何故ですか?」
「長い方が打刀、短い方が脇差だと思う。鈴木 大治郎氏は武士だったってことだし、江戸時代以降は武士の正装として定められていたから、二本差だったんだろうね」
「でも、刃紋が綺麗です」
「300年前の本物だからね」
本物って凄いなぁ。大和さんが刀を仕舞って、ベッドに上がってきた。そのまま抱き締められる。
「今日は予想外の事が起こりすぎて、疲れた」
「お疲れ様でした」
「ごめんね」
「何の事ですか?」
「色々とね。スズキ家でも放っておいたし」
「大丈夫ですよ。男性同士の方が話しやすい事もあるでしょうし」
抱き締められながら、大和さんの背中に手を回してその背中を撫でる。
「咲楽の手って優しくて落ち着くね」
その夜は抱き締めあって眠った。