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酷熱の月第3の木の日。今日はグリザーリテ領の騎士団がターフェイアに来て、交流試合が行われる。その為に少しだけ早くから業務が始まる。グリザーリテに行った時よりは時間的には遅いけど、お迎えする準備があるから、少し早い出勤になる。訓練場には急遽観覧席が設えられた。グリザーリテの騎士団の休憩の場だ。もちろん休憩室は別にあるけど。とにかく準備は万端整った。
朝、少し早く起きて、身支度を整える。そのまま騎士団本部に行ける格好で、キッチンに降りる。薬湯を飲んでいると、大和さんが帰ってきた。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「シャワー、浴びてくる」
「はい。朝食を作っておきますね」
今日の朝食はホブスサンド。具材はレタスとオムレツと厚切りハム。ホブスは商店街のパン屋さんで見つけた、ピタパンのような中が空洞になっているパンで、少し厚みがある。大和さんによると、中東のパンにホブスというものがあって、それとそっくりだと言う。ただしもう少し薄いらしい。
「今日は領主様も見に来るって言ってた。今朝、会った時にね」
「領主様だけですか?」
「予定では自分だけって何度も言っていた。あれは何かあるね」
「何でしょうね?」
「昨日、領城が騒がしかったのと何か関係があるかな?」
「騒がしかったですか?」
「気付かなかった?空気が落ち着かない感じだった」
「気付きませんよ」
朝食を食べ終えたら、今日は私が食器を洗う。大和さんは着替えに行った。
大和さんが降りてきたら、2人で塔を出る。
「シャワーの後、着替える時に騎士服にすれば良かった。ジャケットさえ羽織れば終わりだったのに」
歩きながら、何かブツブツ言ってる。私が先に着替えていて、それに気付かなかった事が悔しいらしい。
「本当は施術師の服で、出勤しない方が良い気がするんですけど」
「良いんじゃない?病院じゃないんだし、毎日浄化しているんでしょ?有害菌の持ち込みは無いんじゃないかな?」
「そうなんですけどね。落ち着かないって感じです」
「王都では白衣だけだったもんね」
「私服の組み合わせを、考えなくて良いのは楽なんですけどね」
「よく似合ってるよ。俺達とお揃いだね」
「それは嬉しいんです。大和さんとお揃いっていうのは」
騎士団本部に着くと、すでに慌ただしく動いている人が居た。当日にしか設置できない日除けタープや、領主様用の観覧席を設えているようだ。あれ?でも椅子が多くない?
「サクラさん、おはようございます」
「サクラちゃん、おはよう」
「おはよう、シロヤマさん」
「おはようございます、トニオさん、トリアさん、アイビーさん。今日はよろしくお願いします」
「よろしくね。フルーツ水はミント入りとミント無しを、2種類ずつ作ってきたわ。今日は私とトニオが中心で動くのよね?」
「はい。手に余るようなら言ってください。私とアイビーさんは主に脱水症、炎熱病の対応をします」
「シロヤマさん、今日って領主様が来られるって聞いたけど、他にも居るのかな?」
「分からないです。領主様の件はお聞きしましたけど」
「グリザーリテの騎士団が到着しました!!」
文官さんが走ってきて知らせてくれた。
「来たわね。行ってくるわ」
「はい。お願いします」
私とアイビーさんは室内で、脱水症や炎熱病の対応の為の準備を続ける。グリザーリテとの交流試合があると言っても、通常業務が止まる訳じゃない。経口補水液や炎熱病の薬湯を保冷庫に仕舞っていく。
「サクラさん、こっちは準備が出来ました」
「こちらもです。ちょっとあちらの様子を見てきますね」
「はい」
アイビーさんの了承を得て、救護室の様子を見る。なんだか様子が……?ギスギスしてる気がする。トニオさんもトリアさんも困惑している感じがする。
「トニオさん、トリアさん、お疲れ様です。どうかなさいましたか?」
「あぁ、シロヤマさん。悪いね。あちらの2人は不仲みたいだね」
「不仲ですか?」
1人はグリザーリテ領に行った時に一緒だったブレイク先生。もう1人は見覚えがない若い先生。どことなくグランテ先生に雰囲気が似ている。
「お疲れ様です。サクラ・シロヤマと申します。お久し振りです。ブレイク先生」
「あぁ、シロヤマ先生。お久し振りです」
「こちらの方をご紹介いただいても?」
「彼ですか。グスタフ先生です。グランテ先生のお身内の施術師です」
「グランテ先生の?そうですか。はじめまして、グスタフ先生。サクラ・シロヤマと申します」
「サクラ・シロヤマ?あの、天……」
「それまでにしておいてくださいね。どうかなさいましたか?」
「あぁ、いや」
「個人的な感情は、今は置いておいてください。お仕事中です。それにご自分の領の騎士様達のご活躍を見逃しますよ」
「貴女は一緒に施術しないのか?」
「私は今日は内勤です。グリザーリテ領に行った時と違って、騎士団で通常業務をしていらっしゃる方もたくさんおられますから」
「そう、ですか」
「もちろん何かあれば駆けつけますよ」
「そうか。その……」
「サクラさん、すみません」
アイビーさんが走ってきた。泣きそうになっている。トニオさんが動いたのが見えた。
「はい。どうされましたか?」
「マイストのサンテさんが足の上に石を落としてしまったらしくて。私では……」
「分かりました。行きます。申し訳ありません。ブレイク先生、グスタフ先生。失礼します」
「あっ……」
グスタフ先生が何かを言いかけたけど、急いで施術室へ向かう。
「スキャンの結果は?」
「なんかいっぱい骨折してて、出血もしてて、私……」
「アイビーさん、落ち着いて。大丈夫ですよ。止血はしましたか?」
「したけど、真っ赤な血がいっぱい出てて……」
軽いパニックになっていて、冷静さを失っている。
「アイビーさん、深呼吸!!」
「はいっ!!」
急ぎ足での深呼吸はちょっとキツいかな?
施術室に入る。トニオさんが処置をしてくれていた。
「トニオさん、代わります」
「ごめん、シロヤマさん。お願いするよ」
スキャンの結果は第3、4、5の中足骨開放骨折。運悪く足背動脈が損傷している。
「足の中足骨というんですが、第3、4、5中足骨を骨折しています。足背動脈を損傷してしまってますので、動脈血の出血が見られます」
まずは痛みのブロック。次いで止血と動脈の修復。出来るだけ血液は戻したいけど、動脈に戻しちゃうと酸化した血液を戻す事に繋がるから、今回は戻さない。その後、中足骨の修復に移る。
「アイビーさん、ここからは普通の骨折と同じです。やってみてください」
「私が?」
「えぇ。アイビーさんがです。落ち着いて。ゆっくりで構いません。どんなに時間がかかっても私が付いていますから。自信を持って」
「はい」
アイビーさんが骨折の修復を始める。その間にサンテさんと付き添いの方に話を聞く。
落としたのは不要になった石材。本来なら2人でやる作業を、サンテさん1人でやろうとしたらしい。その結果、持ちきれなくて落としちゃった、と。
「2人でって言われていたのに、どうして1人でやろうとするんですか」
「いやぁ、面目ない。大丈夫って思ったんだよ。年には勝てないって事かねぇ?」
「それで怪我をして痛い思いをしてたら、良い事がないじゃないですか」
「あはははは……。そうだよねぇ」
「分かってらっしゃるようですから、くどくど言いませんけどね」
アイビーさんは集中して施術をしている。1ヶ所だけ粉砕骨折をしていたけど大丈夫かな?
「サクラさん、この骨折って……」
「それは粉砕骨折と言います。少し複雑ですけど、骨折の施術としては基本的に同じです。無理だと思うなら代わりますけど、どうしますか?」
「少し複雑?これが少し?」
アイビーさんが不安そうにする。不安というか、自信が無いんだろうな。粉砕骨折を治せるという自信が。
「代わりましょうか?」
少し意地悪を言ってみた。アイビーさんは十分に対応できると思う。無理だと言うなら代わるけど、出来れば自分で治癒させて欲しい。それはきっとアイビーさんの自信になる。
「……やります」
決意を秘めた目で私を見て、負傷部分に向かい合う。サンテさんも不安かもしれないけど、アイビーさんに任せてくれている。
私の眼にはアイビーさんの施術する白い魔力が見えている。一つ一つの砕けた骨片が正しい位置にゆっくりと戻っていくのが感じられる。
アイビーさんが施術している間、私もずっと見ている訳じゃない。脱水症状の人は少しずつ来室している。その対処が必要だ。
「終わりました。サクラさん、確認をお願いします」
「はい」
緊張しているアイビーさんに微笑んで、サンテさんの負傷部位をスキャンする。綺麗に修復が成されている。血管の損傷も無い。
「大丈夫ですね。綺麗に修復されています。サンテさん、いかがですか?」
足を投げ出してじっと施術を見ていたサンテさんが、足の指をグーパーと動かして、破顔する。
「痛みも無いし、ちゃんと動くよ。凄いねぇ。ありがとう、アイビーさん」
「良かったぁ」
アイビーさんがホッとしたように呟いた。その声に拍手が贈られた。脱水症状で来室された方や様子を見に来たマイストさんから贈られる、最高級の賛辞だ。
「えっ。あのっ?」
「アイビーさんの施術をずっと見守っていてくださいました。自信を持ってください」
「はい。ありがとうございます。サンテさん、お待たせしました」
「うんうん。ありがとね」
サンテさんの処置が終わって、通常の施術室が戻ってくる。そういえば、訓練場はどうなっただろう。
「アイビーさん、疲れたでしょう?休んでいてください」
「はい。ありがとうございます」
アイビーさんに休んでもらって、経口補水液を追加して作る。今日はすぐに作って運べるから、訓練場と内部で分けはするけど、倍量作っていた訳じゃない。氷魔法で冷やしていると、窓からトリアさんが声をかけてきた。後ろにブランク先生とグスタフ先生が見えている。こっそり近付いてきているけど、トリアさんは気が付いていない。
「サクラちゃん、経口補水液って余裕はある?」
「はい。今作りました。どうぞ」
ちょっとお行儀が悪いけど、窓から受け渡しをする。
「ありがとう。ねぇ、ブランク先生とグスタフ先生から施術室の見学をしたいって、申し入れがあるんだけど」
「私としては構いませんが、1度騎士団長様に聞いてみます」
「分かったわ。そう返事を……。聞いておられましたね?そういう事です」
「あぁ、ありがとう」
「すまない」
ブランク先生とグスタフ先生が離れた。
「トリアさん、あのお2人はどんな感じですか?」
「よそよそしいわね。ただね、2人とも私達には普通に話すのよ。グスタフ先生はちょっと尊大な話し方をするけど、その辺りは慣れているからね。お互いに気になっているけど、どうして良いか分からないってところかしら?」
「そうですか。お昼にでも話してみます」
「そういえば、グスタフ先生がサクラちゃんとトキワ様に話したいことがあるって言っていたわよ」
「心当たりはあります。大和さんにも言っておきますね」
やがて3の鐘が聞こえた。
「ブランク先生、グスタフ先生、こちらへどうぞ。昼食は騎士達と同じで構いませんか?」
グリザーリテ領の騎士様が、ブランク先生とグスタフ先生に声をかけている。話しやすいからかブランク先生に主に話しているみたいだけど。
お昼休憩を利用して、ブランク先生とグスタフ先生の、施術室の見学許可を貰ってこようと思い立った。騎士団長様の部屋に向かう。案内無しで、なんとか騎士団長室にたどり着いて、ノックをした。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
騎士団長様付きの文官さんに入れてもらって入室する。
「失礼します」
室内には団長様の他に、領主様とサファ侯爵様がいらっしゃった。
「久し振りですね、シロヤマ嬢。元気にしていましたかな?」
サファ侯爵様がにこやかに声をかけてくださった。
「サファ侯爵様。いらしておられたのですか?」
「一応公務ですよ。私としては息子と孫に会えて、トキワ殿とシロヤマ嬢にも会えるということで、楽しみにしていましたがね。体調はいかがですかな?」
「すっかり良くなりました。魔術師筆頭様には感謝しております。サファ侯爵様にもご心配をしていただいたと伺いました。ありがとうございました」
「シロヤマ嬢達が王都に戻ってくるのを、みんな待っていますからね」
「父上、その期間を少し延ばす訳には……。いきませんよね。そうですよね」
「分かっているではないか」
お2人のやり取りを聞きながら、騎士団長様に聞いた。
「グリザーリテ領からの施術師のブランク先生とグスタフ先生が施術室を見学したいと仰っているのですが、許可を頂けますか?」
「えぇ。大丈夫ですよ。シロヤマ嬢が良いと判断したのでしょう?施術室長は貴女なのですから、ご自由になさってください」
「ありがとうございます。それでも騎士団内部の案内です。団長様の許可は必要だと思うんです」
「そうですね。騎士団長がシロヤマ嬢を信頼しているのは分かりましたが、許可は必要でしょう。団長、良いね」
「はっ。申し訳ございません」
無事に許可を頂いて、施術室へ戻る。




