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酷熱の月、第2の闇の日。
ジェイド商会にダフネさんが来ていると連絡を受けて、今日、ジェイド商会を訪ねる事にした。大和さんも一緒に行ってくれる。
目的はこちらの世界のウェディング事情について聞くこと。正直に言って、ダフネさんに聞くのは物凄く悩んだ。大和さんも酷な事じゃないかって考えていたみたい。でも、その前にアレクサンドラさんに出した手紙の返事に、ダフネさんから『何でも聞いて。喜んで答えるよ』ってあって、アレクサンドラさんの返事にも『ダフネに聞くと良いわ。ダフネも詳しいから』って書いてあったから、思いきって今日訪ねる事にした。
今日もよく晴れている。暑くなりそうだ。騎士団内は水分補給の徹底を騎士団長様が朝の訓示で仰ってくださって、脱水で施術室を訪れる日とも減った。
着替えてダイニングに降りる。大和さんは帰ってきていない。時間はいつもと変わらないんだけど。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
薬湯を飲んでいると、大和さんが帰ってきた。
「先にシャワーを浴びてくる」
「はい。ずいぶん汗だくですね」
「ハハッ。ちょっとね。旧練兵場に行ったら、昨日まで無かった障害物が出来ていて、パルクールをしてたら領主様に見つかって、何度かアンコールされてね。障害物は城詰めの騎士、兵士達の訓練で出来たんだってさ」
「へぇぇ。見たかったです」
「食べ終わったら、もう一回行こうか?」
そう言って、大和さんはシャワーに行った。
パルクールかぁ。見てみたいけど、時間が無い気がする。朝食の準備をしながら考える。準備をしちゃって良いよね?あ、剣舞はこの後かな?
塩抜きをしておいたパンチェッタを使って、ベーコンエッグを作る。長いまま焼くんじゃなくて、小さく拍子木切りにして、炒めてから白身の上に纏めて乗せて、黄身を真ん中に乗せる。こうするとベーコンが散らばらないし、味付けにもなる。手間はかかるけど、大和さんにも好評だ。今回はパンチェッタだけど、やり方は同じで良いよね。
「咲楽、剣舞はどうする?」
「見ます。ついでに朝食も持って上がります」
「分かった。先行ってるね」
「はい」
大和さんが屋上に上がっていった。朝食を急いで作って異空間に入れたら、大和さんを追いかける。
「お待たせしました」
屋上に着いたら、瞑想は終わっていた。日陰部分に大和さんがテーブルと椅子を並べてくれていた。
「じゃあ、始めるよ」
私が椅子に座ったのを見て、大和さんが剣を持って構える。舞われたのは『冬の舞』。黒く見える木立と白い雪原。蒼穹との対比が美しい。今日の雪原を走る動物は馬。エタンセルだよね、あれ。もう1頭居るなぁ。エタンセルより小さい白馬だ。並んで雪原を駆けている。
「ふふっ」
「咲楽?」
思わず笑ったら、舞い終えた大和さんに訝しげに聞かれた。
「今日の動物は馬でした」
「『冬の舞』の時は、動物が登場するんだっけ。それで何を笑ってたの?」
「あれってエタンセルだと思うんです。その横に白馬がいて、仲良く雪原を駆けていました」
「エタンセルに恋の予感?」
「さぁ?でも『冬の舞』って最初に見た時はブリザードだったのに、すっかり穏やかな景色に変わりましたね」
朝食をテーブルに並べながら言う。
「そうかもしれないね。咲楽と会ってから、イメージが穏やかになっていくんだよね」
「それは良いんですか?」
「良いと思うよ。イメージってずっと同じじゃないでしょ?根底にあるものが変わらなければ、それで良いんだよ」
今日は暑いけど、風があってジリジリした暑さは感じない。日本と違って、吹き抜ける風に涼しさを感じられる。
「今日はダフネに会いに行った後、どうする?」
「どうしましょう?」
「スタージョン湖の土地を、どうするかも決めなきゃね」
「購入する気ですか?」
「咲楽はどうしたい?」
「あそこは静かですし、景色も良いですし、気に入ってはいますよ。でも別荘って事ですよね?」
「そうだね」
「そうなると躊躇しちゃいます」
「だよね。それは俺も考えた。1度見ないと決められないから、ちょっと見てみようと思ってるんだよね」
「購入する方に傾いていますね?」
「まだ決めてないって。水練とかに良さそうではあるけど」
「それじゃあ、ダフネさんの所が終わったら、スタージョン湖に行きましょう」
今日の予定を決めて、朝食を終える。片付けをして着替えを済ませた。カーディガンは必須アイテムだし、ストローハットも私には必須アイテムだ。後は、膝下丈のワンピースかな。足元はアインスタイ領に行く時に買ったサンダル。
キッチンで洗い物を済ませて、大和さんと塔を出る。
「すっかりホア仕様だね」
「大和さんも格好いいです」
下は普通のパンツだけど、上半身はオフホワイトのシャツだ。暑いからか袖を捲っていて、綺麗な上腕二頭筋が見える。綺麗な上腕二頭筋?私って筋肉に興味、あったっけ?
「ダフネに飛び付かれる覚悟を、しておかなきゃね」
「別に嫌ではないんですけど、毎回熱烈歓迎をされて、ちょっと引きそうになる時があります」
「よし。ダフネに言っておこう」
「止めてください。ダフネさんが拒絶されたって思ったらどうするんですか」
「俺がそんな伝え方をすると思う?」
「思いませんけど」
「大丈夫だよ」
「分かりました。信じます」
「咲楽の信頼が重い……」
ふざけて胸を押さえる大和さん。やがてジェイド商会が見えてきた。
「店頭に居るよ」
「ダフネさんですか?」
「それ以外に誰がいるの?」
「そう言われると居ませんとしか、答えられないじゃないですか」
「ピョンピョン跳ねてアピールしてる。俺は見えるけど、咲楽は見えないよね?」
「見えませんね。魔力を目に集めて、望遠鏡みたいにすれば見えますけど。でもこれって目が疲れます」
「今すぐ解除しなさい。疲れる事はしないの」
「あ、肉眼でも見えてきました。米粒サイズですけど」
「何か叫んでる」
「えっ?何を言ってるんでしょう?」
近付くにつれて、何を言ってるのか、だんだん分かってきた。「いらっしゃああい」って言ってるんだ。天使様って叫ばないだけ、良いかな?
「いらっしゃい、天使様、トキワさん。ごほっ。ごほっ」
「叫びすぎだ」
「ダフネさん、お水を飲んでください」
叫びすぎで噎せちゃったダフネさんに水を渡す。
「ふぃ~。ありがとう、天使様。久し振り。トキワさんも」
「あんなに跳び跳ねなくても、良かったんじゃないか?」
「いやぁ。ついつい喜びが溢れちゃってさぁ。あ、暑いから、中へどうぞ」
ジェイド商会の中に入って、個室に案内される。
「結婚式についてだっけ?」
「あぁ、そうなんだが、その、な……」
「あのね、トキワさん。私は天使様が好きだよ。恋愛感情だと思う。でもね。トキワさんと天使様が一緒にいるのって、見ていて良いなぁって思うんだ。そこに妬みは……ちょびっとはあるけど」
「あるのかよ」
「悪かったね。天使様が私の側で居てくれたら、幸せだと思うよ。でも、それじゃあ、天使様が幸せになれない。トキワさんの側に居るときに、天使様は一番幸せそうに笑うんだよ」
「そうか」
「だからね。天使様とトキワさんが一緒に居たいって思いは、自然だと思うし、結婚って選択も自然だと思う。でもね。お願いがあるんだ。私が次に天使様位好きな人を見つけるまで、天使様を好きでいさせてください」
ダフネさんは対面の椅子に座ったまま、ペコリと頭を下げた。
「気持ちを強制して変えさせるつもりはないさ。彼女の伴侶の席は譲ってやれないが、親友の席なら用意してやれる。それで良いか?」
「うん。ありがとう、トキワさん」
元気よく頭をあげたダフネさんの目に、光る物が見えた気がした。
「こっちの結婚式についてだったね。参考までに聞きたいんだけど、どんな感じの事を知ってる?」
「ルビーさんの時に見せてもらった位です。宣誓の儀式は神殿の真像の前で、2人きりで行う事、親族が立会人となる事、その後、お披露目のパーティーをする事位ですか」
「披露目のパーティーは、友人が企画することも含まれるか?」
「うん。大体あってるよ。宣誓の儀式の時はお互いにシンプルな服装でって事が多いね。お披露目のパーティーでドレスを着るかな。それから国民証の魔力交換。これは真像の間で行うらしいよ。私はしたことがないけど、兄さんが話してくれた。前に居た世界での結婚式ってどんな感じだったの?」
「あまり詳しくはないですよ?様式が神前式、仏前式、人前式……でしたっけ?」
「誓いの対象によって、キリスト教式・教会式、人前式、神前式、仏前式がある。キリスト教式・教会式が人気があって、教徒でしか認められない式を行う為の専門の会場もあったな」
「大和さん、詳しいですね」
「調べたからね。神前式はもっと詳しいよ。一般に門戸は開いてなかったけど、一応神官系の家系だから」
「色々あるんだね。1番人気の……なんだっけ?」
「キリスト教式または教会式だな」
「それが1番人気なのは何故?」
「真っ白な神殿、幻想的な光の演出、祭壇まで続く長いまっすぐな特別な通路、会場内に響き渡る賛美歌の歌声。そんなまさに結婚式らしさ溢れる神聖な空間で執り行なわれる挙式。どうだ?想像すると、憧れないか?」
「あぁ、うん。分かる気がする。特別な空間って事なんだね。人前式って何?」
「集まった親族、友人達に、自分達の想いを告げて誓うんだ。信じる宗教が無いカップルに人気だったと聞いた」
「じゃあ、神前式は?」
「神前、仏前共に宗派による違いだな」
「さっき、神前式は詳しいって言っていたけど、トキワさんは神官様だったの?」
「家は独自の系統だったから、神官と言わずに舞人と言っていた。そのままの意味だな。俺は主舞人は務めたことはあるが、祭司はした事がない」
「えっと?」
「大和さん、それって、神官役はした事があるけど、教主様役はしたことがないって事ですか?」
「その解釈であってるよ」
「し、神官様でも上の方だったって事かな?」
「そうだな」
大和さんのお家って、本当に独自の系統だったんだなぁ。
「えぇっとね、2人には言いにくいんだけど、一般的なお式にはならないと思うよ、たぶん」
しばらく考えていたダフネさんが申し訳なさそうに言った。
「何故だ?」
「どうしてですか?」
「黒き狼様と天使様の結婚式だよ?情報紙が嗅ぎ付けたらその神殿に殺到するよ?それを知って参加したいって人がどれだけになると思うのさ。2人がこっちに来た頃の情報紙の大予想コーナーで景品として『2人の結婚式にご招待』ってあったでしょ?あれ、一組だけって所に抗議が凄くって、企画事態が中止になったけどさ。情報紙も情報誌も記者が押し掛けると思うよ。お嬢様とか、フリカーナ様とか、サファ侯爵様とかがその辺は何とかするだろうけど、そうしたら次はお披露目のパーティーだよ。絶対にこじんまりなんて出来やしないよ」
「言われてみればそうだな」
「忘れてました」
「両陛下とか、王族様が参加するって言いそうだしね。師匠が言っていたけど」
「言うな。お2方だと」
「もうさ、一般的なのをターフェイアでやって、王都では派手にやったら?」
「2回するって事か?」
「1回で良いです」
「そこはおいおい考えるとしてさ、2人は結婚式に何か、これだけは、って無いの?」
「咲楽に白いウェディングドレスを着せたい」
「白いウェディングドレス?」
「フルールの御使者の時のような衣装だな」
「それさ、お披露目のパーティーでやったら?人前式だっけ?そんな感じで。王都の神殿には改めて行ったら?エリアリール様もスティーリア様も、楽しみにしてらっしゃるだろうし」
「それしかないか」
「うん。それで、いつ位って決めてるの?」
「具体的にはまだだな」
「そういう話が出たのも、最近です」
「王都に戻ってからだと……水の月は避けた方が良いかな?」
「一応の対処はしていただきましたけど」
「どうなるか分からないしな」
「お嬢様のお式が風の月辺りになりそうなんだよね。実りの月とか?いっそのこと、コルドにするって言うのは?」
「コルドに?」
「寒いかな?。いつ位って決まったらまた言って。協力しちゃうよ」
「ジェイド商会挙げてってことになりそうで怖いんだが」
「師匠も旦那様方も、そのつもりだよ?」
今さら何言ってんの?って顔で告げられてしまった。これは派手から逃げられない?
「シンプルに慎ましやかに、が天使様の希望でしょ?そこは任せて。派手にはしないよ。約束する」
「ジェイド商会挙げては変わらないのか」
「変わらないよ。諦めようよ、トキワさん」
「あいにく俺は諦めが悪いんだ」
「それ、この件では通用しないからね」
ダフネさんににっこりと告げられてしまった。




