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酷熱の月に入った。先週にナジェフさん達の住居が完成した。就職先も決まって、リアム君とイネスちゃんは学門所に通えることになった。酷熱の月だから学門所はお休みだけど、編入試験的な物を受けて、無事に7歳クラスに入れたらしい。支援者さん達のお孫さんも通っている学門所で一緒に通えるらしく、リアム君とイネスちゃんは喜んでいた。アメリアちゃんはまだ小さいから、騎士団に週に1度来てくれる。その他の日はお家でお留守番だけど、近所にいるのが支援者さんのだから心配は要らないとナジェフさんが言っていた。
密入領に関しては、入門料を払えば良いと結論付けられた。領主様達で一応の身元調査をして、犯罪歴は無いことが確かめられたから。途中に現れた盗賊とグルであろう冒険者達は今、冒険者ギルドが対応している。具体的には賞金首にされた。dead or aliveの張り紙が一斉に貼り出されたと、ハンネスさんが教えてくれた。
今日は酷熱の月、第1の火の日。酷熱の月に入ったから、という訳でもないだろうに暑すぎる。お陰でいつもより早く目覚めてしまった。仕方がないから起きて着替える。ダイニングに降りて、薬湯を飲んで、朝食を作る。ブロッコロとグランマイスを茹でて軽く塩コショウを振ったものに、ゆで卵を荒く潰して加えて混ぜる。コンコンブルは砂糖小さじ2、塩小さじ1、酢小さじ1、ロコト1本の浸け液に浸けて、時間促進を掛ける。これでコンコンブルの1本漬けの出来上がり。1本漬けを作ったからって、そのまま出さないけどね。
「咲楽?早いね」
「おはようございます、大和さん。おかえりなさい」
「おはよう、咲楽。ただいま」
「暑くって、いつもより早く目が覚めました」
「寝不足ではないよね?」
「そんな感じはしませんよ」
「今から瞑想と剣舞だけど、行く?」
「はい」
大和さんに付いて、屋上に上がる。屋上に出たとたんに熱気が押し寄せてきた。
「朝から暑いですね」
「暑いね。この暑さで咲楽の食欲が落ちているのが心配」
「まぁ、多少は落ちてますけど、今までに比べればそこまででもないと思いますよ。食べない事もありましたし、葵ちゃんによく叱られました。その後で冷房ガンガンの部屋で食べさせられるんですけどね」
「葵って子の気持ちが分かる」
大和さんが足を組んで、瞑想を始めた。屋根のある所でそれを見守る。
瞑想をしている大和さんが纏うモヤは深紅だ。今日は『夏の舞』かな?
『夏の舞』は激しい動きが多い。何度か舞う大和さんを見たけど、いつも汗をかいていた。作った改良版経口補水液が異空間に入れてあるから、瞑想の後に飲んでもらおう。脱水が心配だし。この経口補水液は砂糖無しの物。お湯250ccにはちみつ大さじ1と2/3、岩塩小さじ3/4~2/3を溶かして、水1250ccとアウランティかシトロンを2ml加えた物。全部で1500ccになる特別製の経口補水液を作った。例によって大和さんが覚えていた材料で試行錯誤した。分量は覚えていないって言うしね。本来はコップ1杯分らしいけど、量が欲しいって言うから5倍にしてみた。私はそれを少し薄めた物を飲んでいる。
「咲楽、4階に降りようか」
「4階に降りたら水分補給をしてくださいね?」
「『夏の舞』だから?」
「はい。『夏の舞』の時は、かなり汗をかきますよね?」
4階に降りながら、話をする。
「凄いね。舞った後に水分をっていうのは、よく言われたけど、前にもって言ったのは咲楽が初めてだ」
「そうですか?」
「後にっていうのはみんな気が付くんだよね。まぁ、俺も後にしか飲まなかったけど」
そうかもしれない。私も「運動の前後に水分補給する事が望ましい」って習ったから、運動の前にも水分をって言ったけど、知らなかったら、運動後だけで良いって考えていたと思う。
4階のトレーニングルームに入って、大和さんに経口補水液を渡す。少し冷やした物だ。
「冷たいのは?やっぱりダメ?」
「少しは冷やしてありますでしょう?」
「もうちょっと冷たいのを……」
「14度位にしてあるんですよ?」
「その根拠は?」
「水温は10~15℃の範囲が適温と言われているからです」
「軟水であれば夏は7度~12度、冬は15度~18度、硬水であれば夏は7度~10度、冬は12度~15度ほどの水が適温だと言われているんだよ?」
「範囲内じゃないですか」
「水の適温だよ?」
「冷たすぎる飲み物は、胃腸に負担がかかってしまいます。脱水予防や水分補給を目的にしている場合には、冷えた飲み物は逆効果になることもあります」
「はいはい。そうだね。咲楽が考えてくれているのは分かってるよ」
笑顔で言って、大和さんが剣を手にした。剣舞が始まる。
『夏の舞』の時は景色が見えない。大和さんはそれを「感情やイメージを乗せていない」からだと言った。舞う時に感情やイメージを乗せるというのは、私にはいまいち分からないけど、「この季節と言えばこれ」みたいなイメージを考えながら舞う事だと思う。
舞い終えた大和さんに経口補水液を渡す。大和さんが一気に呷った。
「もう1杯貰える?」
「はい」
大和さんはもう1杯の経口補水液を、ゆっくりと飲んでいる。
「今日も暑くなりそうですね」
「朝から暑いからね」
「大和さん、ずいぶん焼けましたね」
「咲楽は焼けると赤くなるんだっけ?」
「はい。保湿用の軟膏は手離せません」
「保湿用の軟膏って、こっちで買った羊脂のだっけ?」
「そうですね。ミエルピナエの女王様から貰った軟膏はコルドに使ってます。羊脂のはサラサラしているので、今の時期に使いやすいんです」
ダイニングに降りて、大和さんはシャワーに行った。朝食の準備は終わっているし、作っておいたヴァレニエをジェラートに混ぜて、ベリーのジェラートを作る。これは今日のおやつ分。後は何をしよう?
シャワーから出てきた大和さんと朝食を摂る。コンコンブルの1本漬けを見せたら「食べたい」と言われた。切ろうとしたらそのままでって言われて、切らずに渡したら、美味しそうに齧っていた。
朝食後、大和さんが食器を洗ってくれて、その間に着替える。大和さんも洗い終わったら着替えに上がってくる。
「こっちでは制服を作って貰ったけど、王都に戻ったらまた私服になるの?」
「白衣が有りますよ?」
「白衣ね。統一性が無いよね?」
「施術を目的としている施術師に、何を求めているんですか」
「日本だとナース服とかナースキャップとか、あったじゃない。そういう一目見て医療関係だって分かるような、制服があれば良いのにって思っただけ」
「今ではナース服はパンツ型ですし、ナースキャップは廃止されている所がほとんどですよ?」
「ナース服は分かる。動きが制限されるし、不都合があったんでしょ?ナースキャップの廃止はどうして?」
「引っ掛かるんです」
「何に?」
「病院の点滴って、天井から吊るすのが一般的ですよね?そのチューブやカーテンに引っ掛かるんです。危険ですし患者さんにぶつかる事もあります。元々ナイチンゲールが『自立と職業の象徴として』取り入れたナースキャップですけど、いつの間にか「女性の地位は男性よりも低い」ということを意味するアイテムになっていたという背景もあります。それに男性看護師も増えてきて、時代にそぐわないといった事も重なったと聞きました」
「なるほどね。ちゃんと意味があったんだ。「女性の地位は男性よりも低い」ということを意味するアイテムっていうのは調べた中にあったよ。でも、今は違うよね?」
「だから、時代にそぐわないんですよ」
「国際医療団のナース……ナースって呼ぶと怒られたな。RNって言わされた。Registered Nurseの略だね。RNは医師に張り合う位の気の強いのが多かったよ。男性看護師が女性看護師に顎で使われたりしてるんだよ。ナースって単語は、男性看護師にも使えるからね」
「白衣の天使なんて、医療現場では、特にERでは幻よって実習で言われました。外来や病棟では生き残ってるかもねって、ER勤務の看護師さんに笑って言われました」
「白衣の天使。知られたら咲楽の新たな呼び名になりそう」
「止めてください」
出勤の為に塔を出る。
「話を蒸し返すようだけど、王都でも統一の制服を提案してみたら?」
「制服ですか?拘りますね」
「単純に見たいからね。咲楽の制服姿を」
「制服フェチですか?」
「咲楽のが見たいんだよ。どんな格好でも、絶対に可愛いから」
「制服フェチですか?」
「違うから。2回も言わなくて良いから。そんな変態を見るような目で見ないで?いつもと違う格好って、新鮮だし」
「また民族衣装保存館にでも行きますか?」
「お着替えよろしくね」
「大和さんもしてくださいね?お着替え」
「俺はサイズが無いんじゃないかなぁ」
「サイズ、あると良いですね」
「無い事を祈ろう」
「ある事を祈りましょうよ」
「俺のなんて見ても、誰も得しないよ?」
「私が喜びます」
「咲楽が喜ぶか。咲楽の笑顔は見たいけどね」
「乗り気じゃないですか?」
「あんまりね」
騎士団本部に着いた。
「おはよーごじゃいます」
「おはようございます、アメリアちゃん。今日も元気だね」
アメリアちゃんが出迎えてくれた。20cm位の台に乗っている。
「この台、どうしたんですか?」
「マイストが作ったんですよ。本当はもっと高くしたかったって、言ってました。安全性を考慮してこの高さになったみたいですね」
「アメリアちゃん、お出迎えが終わったら、この飲み物を飲んでね。途中でも良いからね」
受付に、アメリアちゃん用の飲み物を預ける。ここは屋根はあるけど、暑いしね。
「おはようございます」
施術室には誰も居なかった。私が一番乗りかな?施術室と療養室を掃除をして、浄化をかける。
「おはようございます、サクラさん。早いですね」
「今朝はいつもより早く目が覚めちゃって。ゆっくりしてから来たと思ったんですけど」
「おはよう、サクラちゃん、アイビーちゃん」
「おはよう、シロヤマさん、アイビーさん」
「おはようございます、トリアさん、トニオさん」
「おはようございます、トニオさん、トリアさん。トニオさんが施術師ちゃん達って呼ばなかった。何かあったの?」
「一纏めにするのは違うんじゃない?ってトリアに言われてね」
「サクラちゃんは私達より術の発動は速いし、正確でしょ?アイビーちゃんもサクラちゃんに教えてもらってるからやっぱり速くて正確。それなのに名前で呼ばないのはどうなの?って思ったのよ」
トリアさんがフルーツミント水を作りながら言う。今日のフルーツはカンタロープとアナナスらしい。
「トリアさん、アナナスはどこで買ったんですか?」
「母に貰ったのよ。まだあるけど、食べきれないわ」
「そんなに?」
「それぞれ5個ずつ貰ったわ。サクラちゃん、要らない?」
「要ります」
「じゃあ、どうぞ」
「あ、僕も」
合計4個のアナナスが私の前に積み上げられた。
「サクラさん、どうするの?そのアナナス」
「ジュースとゾルベットにします。今すぐは無理ですけど」
「良いわねぇ。氷魔法が使えると」
「保冷庫の魔石もシロヤマさんが補充しているんだよね?」
「はい」
「サクラちゃん、樹魔法を教えてくれない?」
「樹魔法ですか?」
「そうよ。これを芽吹かせたくてね」
「母上から貰った種か。僕は素直にフラワーポットに植えたよ?」
「トリアさん、これってアーモンド?」
「そうよ、アイビーちゃん。私達の家では初孫が生まれたら、苗木を贈るの。私達の場合は知らせてなかったから、いつ会えるか分からないからって、種を持ち歩いていたらしいのよ」
「定住したら植えなさいって渡されたんだよね」
「トニオは王都に行くかもしれないでしょう?でも私はターフェイアにずっと住むつもりだから、庭に植えたいのよ。芽吹かせてからの方が定植しやすいでしょう?」
「アーモンドって今植えて良いんでしょうか?」
「植えちゃダメな時期があるの?」
「はっきりと覚えてませんけど、たぶん」
「僕のもかな?」
「分かりません。詳しい友人に聞いてみましょうか?」
「待って。母に聞いてみるわ。母は理解してくれているし、そこまでお世話をかけちゃね。申し訳ないもの」
「トリアさんとトニオさんって、本当に貴族様だったんですね」
「もう貴族じゃないわよ?離籍届けは出して貰ったし」
「そうなんですか?」
「そうだよ。跡は弟が継いだらしいしね」
「ご家族はどうなんですか?学園で知り合ったって事は、お互いのパートナーも貴族様じゃないんですか?」
「貴族よ。でもね、そっちは話が付いているのよ」
「へぇぇ。いろいろあるんですね」
「アイビーちゃんもセント様と、お付き合いしているなら、いろいろあるかもよ?」
「あ、それで思い出しました。今度バーナード様のご家族がターフェイアに来るそうなんです。それでお2人のお母様のお店を使わせてもらえないか、聞いてくれって」
「良いわよ。アイビーちゃんも一緒?」




