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水の月、第5の闇の日。
今、私は、オトリュットラングの牽く、荷馬車に乗っている。『オトリュットラングが牽いてても、荷馬車?』と考えてはいけない。荷馬車というグループの車両の1つだと思っておけば良い。
オトリュットラングの荷馬車には問題なく乗れた。荷台に上がれなくて、大和さんに持ち上げてもらった事は問題にならないよね。とにかく恐怖心は無い。荷馬車の上にはアレクサンドラさんも乗っている。アレクサンドラさんは馭者台だけど。大和さんも少し前まで乗っていたんだけど、今は荷馬車の横を歩いて……走っている。
「速いわねぇ」
「もう少し速くても良いですよ?」
「これ以上になると、振動がヒドイと思うわ」
「それはいけませんね。俺の咲楽に無理はさせられません」
「わざわざ強調しなくても分かってますって」
「おや、失礼」
この荷馬車の馭者台にはもう1人乗っている。ジェイド商会の布系統の仕入れ担当の1人で、へルマンさんという。今朝、私に「ずっと好きでした。結婚を前提にお付き合いしてください」と言って、アレクサンドラさんにゲンコツをもらっていた人だ。私は覚えてないんだけど、王都のジェイド商会で何度か見かけて、良いなって思って、でも、大和さんがいるって分かって、諦めたって言っていた。だから、やってみたかったんだって。お付き合いの申し込みの告白を。
それを見た大和さんは笑ってた。本気じゃないのが丸分かりだったからって。私にも分かった位の大根演技だったけどね。それ以来、大和さんにからかわれ続けている。
「見えてきたわよ。あそこがグリザーリテ領。ジェイド商会と契約を結んでいるワタミュール村よ」
「アレクサンドラさん。あの白く見えるのって……」
「あれがグランシュニーね。可愛いのよ。マーリーの葉を差し出すと、イボのような手で持って食べるのよ」
想像すると可愛い……の?
「思っていたよりも大きいですね」
「そうでしょ?」
「外で放し飼いにしていると思いませんでした」
大和さんが言うように、私も室内で飼育しているんだと思っていた。
「統括長、先に仕入れ先に挨拶に回りますよ。トキワ様も荷馬車に乗ってください」
へルマンさんがアレクサンドラさんと大和さんに声をかける。
「歩いても良いですよ?」
「下手をすると、糸でグルグル巻きにされますが」
へルマンさんにそう言われた大和さんは、即座に前言撤回して急いで荷馬車に乗ってきた。糸でグルグル巻きは避けたいよね。
やがて、周りより大きな家の前に荷馬車が停まった。
「ここは?」
「この村の村長宅ね。村長なんだけど、製糸もやっちゃうのよ。ジョシュアさんって言うんだけど、彼の糸が1番品質が良いのよ。彼の糸を使った布は高級品なのよ」
「そうなんですか?」
「シロヤマちゃんなら、見たら分かるんじゃない?」
「分かりませんよ、品質なんて」
「あら、でも、シロヤマちゃんが選ぶ布は良い品質の物ばかりよ?」
「そうだったんですか?」
手触りとかを考えてただけで、品質なんて考えてなかったんだけど。だって日本に居た頃は手芸店で買っていたし、手芸店では品質なんて考えなくてもいつでも同一の品質の物が売っていたし。
「やぁやぁ、これはサンドラさん。お久しぶりですねぇ。おや?そちらのお嬢さんと男性は?ジェイド商会の新入りさん……ではないですよね?」
「えぇ、違います。彼女達はジェイド商会の職人ではないんです。お嬢様のご友人よ。ちょっとね、ここのグランシュニーを見せてあげたくって」
「はぁ。グランシュニーをねぇ」
「見た事が無いって言いましたのでね」
「まぁ、そうでしょうね。お嬢さん、いかがですか?実際に見てみて」
「まだ遠目にしか見ていませんが、思ったより大きいな、と思いました。同僚に聞いてきたんですけど、やっぱり自分の目で見ないと分からないものですね。それから、綺麗ですよね。真っ白かと思ったらちょっとクリーム色なんですね。それにコロンとしていて、可愛いです」
「シロヤマちゃん、落ち着いて。またちゃんと見せてもらえるから」
「すみません」
思わず興奮して話しちゃって、アレクサンドラさんに窘められた。
「グランシュニーをそんな風に思ってもらえるのは、嬉しいですね」
ニコニコ顔の村長さんが言う。
「お嬢さん、先に見に行きますか?」
「良いんですか?」
アレクサンドラさんとへルマンさんはこれから仕入れの交渉だそうだ。グランシュニーの所へは、村長さんの息子さんに案内してもらう。1m位って聞いていたけど、寸胴型だからかもっと大きく見える。
「目の部分が仮面をしているみたいですね」
目の部分が横に黒いんだよね。アイマスクみたい。
「そう言われると、そうですね」
「可愛いです」
「エサをあげてみますか?」
「良いんですか?」
エサは葉っぱ。マーリーという葉っぱだ。アレクサンドラさんが言っていたようにイボのような手で持ってモシャモシャ食べている。よく見ると、綺麗に葉脈を残していた。硬いから食べないんだって。無くなると短い小さな手を伸ばしておねだりしてくる。その仕草が可愛い。
残った葉脈は丁寧に洗った後、乾燥させて薬師さんに渡すらしい。薬湯の材料になるんだって。そういえば桑の葉茶って聞いた事があるような?
「今なら触れますよ」
「良いんですか?」
良いんですか?ってばかり言っているなぁ、私。そっと手を伸ばしてグランシュニーの身体に触れる。しっとりした肌触りで、絹を触っているみたい。弾力があって気持ちいい。
「お嬢さん、グランシュニーを見たいって、どうしてなんですか?」
「織物はしたことがあるんです。でも、その糸がどこからどういう風に来ているのかって知らなくて。グランシュニーの事を聞いて、見てみたくなったんです」
「コイツらはね、自然の中で生きているんですよ。糸をくれるのもマーリーの葉を貰ったからってお礼のようなんです」
「飼育って形なんですよね?」
「形はね。コイツらの住まいとエサの提供の代わりに、コイツらは素晴らしい糸をくれる。あっちにある建物がコイツらの住まいですよ。天気の良い日はここに自分で出てくるんです」
指差された方には、平屋の横に長い建物があった。
「不心得者は居たりしないんですか?」
大和さんの質問に、息子さんがあっけらかんと答える。
「居ますよ?糸でグルグル巻きになった不心得者が、発見されたりします。グランシュニーを盗みに来て、自分達がグランシュニーにされちゃうんですよ。見て笑ってやった後で領兵詰所に引き渡します」
糸でグルグル巻きの泥棒さんも間抜けだし、その後笑われるって踏んだり蹴ったりだなぁ。もちろん泥棒自体が悪い事だから同情はしない。魔物に関しては冒険者と領兵が、協力しあって防衛しているらしい。特産品を産み出してくれるグランシュニーを守る使命感に燃えているらしい。泥棒さんはグランシュニーの方が敏感に気付いて、冒険者や領兵よりも先に捕まえちゃう事があるんだって。
「先月生まれた子達も見てみますか?」
「はい、是非」
案内された先に居たのは、Cの字形で寝ている50cm位のグランシュニーだった。
「こっちはこっちで可愛いですね」
「この子達が外にいたグランシュニーの大きさになるのが1年後です」
「結構時間がかかるんですね」
「そうなんですよ。セリウス種は食べる葉の選り好みが激しくて、手間が掛かるんです。生まれた周辺のマーリーしか食べないし」
「そうなんですか?」
「水もこの辺りの水源から汲み上げたものを好みますね。水属性で出したのも飲むんですが、どうも好みが別れるようで」
「好みが別れる?」
「この人のには寄ってくるけど、こちらの人のには寄ってこない、って感じですね」
「何が違うんでしょうね?」
「さぁ?それも1匹ずつ変わるんですよ。この子は僕の水属性を好んでくれるけど、あっちのは見向きもしません」
「不思議ですね」
話をしている間に、商談が終わったらしい。アレクサンドラさん達がやって来た。
「ここにいたのね。どう?可愛いでしょう?癒された?」
「はい」
「それなら連れてきた甲斐があったわね」
「ありがとうございます」
「良いのよ。お嬢様達にも頼まれたしね。ダフネが大変だったわ。同行するって聞かなかったもの。酷熱の月には会えるからって説得してきたの。悪いけど相手をしてあげて?」
「私でよろしければ喜んで」
「それから、トキワ様、手伝ってね」
「元よりそういう約束でしたからね」
大和さんがアレクサンドラさんと出ていった。集められた布を荷馬車に運ぶお手伝いを頼まれていたから、その為に出ていったんだと思う。同時に村長さんの息子さんも出ていって、代わりにおば様が付いてくれた。
マーリーの生育方法や、セリウス種の生態まで詳しく、分かりやすく教えてくれて、とても勉強になった。
「あら、アタシったら夢中になっちゃったわ。熱心に聞いてくれるんだもの。嬉しくなっちゃって」
「とても分かりやすくて、勉強になりました。私は、セリウス種の服を着る機会なんてそう無いですけど、貴族様のドレスにも使われているんですよね?」
「そうなんだよ。そういえば、隣の子が織った布を天使様が気に入って、いつも着てらっしゃるって、アレクサンドラさんが言っていたけど、本当かねぇ」
「聞いたことがありますよ。軽くて涼しくて、着心地が良いって愛用してるって。でも、凄く手間が掛かるって聞きましたけど」
「あの子もそう言っていたよ。ジェイド商会の協力でその為の織機を開発中なんだよ。ターフェイアの職人さんも来てくれてね」
「へぇ。新しい布ってワクワクします」
「お嬢さんも職人さんかい?」
「私は手芸が好きな、ただの施術師ですよ」
「小さいのにエライんだねぇ」
「私、成人してますからね?」
「おや、そうだったのかい?そりゃ、失礼したね」
「慣れてますから」
彼女は私が天使様だと知らないようだったから、私も知られないように返事を返した。
「シロヤマちゃん、次の所に移動するわよ」
「はい。お世話になりました」
「お世話なんてしちゃいないよ。また来ておくれね」
「ありがとうございます」
荷馬車に乗って、次の仕入れ先を目指す。
「次はね、ちょっと珍しい布を仕入れるわよ。植物から作られるの」
「植物から?麻布ですか?」
「そうよ。3種類あるの。今日仕入れるのは、リネンね」
「リネン?」
私のイメージではリネンというとテーブルクロスやシーツ、枕カバーなどの事なんだけど。リネン室とか言うし。
「リネンは天然繊維だね。亜麻の繊維から作られる。吸水・発散性に優れ、タフで肌に優しい布になる」
「リネン室って言ってるのは違うってことですか?」
「合ってるよ。昔のホテルや病院などにおいて使われていた、シーツ、枕カバー、タオル、テーブルクロスなどの布製品を総称してリネンと言ったんだ。現代では必ずしもシーツ類にリネン製品が使われているわけではないけどね。他に優れた素材が出来てきているし。布製品を洗濯したあと保管するための部屋をリネン室と言っていたのが、引き継がれたんだね」
大和さんが小声で教えてくれる。へルマンさんもいるもんね。車輪の音であまり聞こえないかもだけど。
「アレクサンドラさん、リネンってどんな特徴があるんですか?」
「布としてはさっきトキワ様が言った通りよ。植物としては、そうねぇ。へルマン、貴方がリネンって聞いて思い浮かぶのは?」
今はへルマンさんだけが馭者台に座ってる。アレクサンドラさんは私達と荷台の上だ。
「へ?リネンですか?そうですね。丈夫で使いやすくて、フラーからアウトゥまで使える使い勝手の良い布ですね。後は花が可愛いです」
「花って今見られたかしら?」
「リネンの花ですか?もうそろそろ終わりますね。運が良ければ見られると思いますよ」
「シロヤマちゃんの運の強さにかけましょうか?」
「かけないでくださいよ」
「ウフフ」
素敵な笑顔を返された。
「次の村の名前はグニツタール村。ここの手前で昼食にするわ。素敵な景色の場所があるのよ」
「素敵な景色ってどんな感じですか?」
「それは内緒よ。それまで目を瞑っておいて?」
「はい」
素直に目を閉じたら、アレクサンドラさんと大和さんの声が聞こえた。
「素直ねぇ」
「私には無い美点ですね」
「あら、素直じゃない?彼女に関する事は」
「それはそうでしょう。好きな女性に対して、ひねくれてどうするんですか」
「まぁねぇ。メリットは1つもないわよね」
なんだか声が私を向いているような気がして、そぉっと目を開ける。ニコニコしながら私を見ている2人と目が合った。
「閉じなくても良かったんです……か?」
「当たり前よぉ。素直に目を閉じちゃって、どうしてやろうかと思ったわ」
「お陰で襲われそうになってましたね、彼女が」
「人聞きが悪いわねぇ。ちょっとこの隙に愛でようと思っただけじゃない。トキワちゃんに阻まれたけど」
「当然です」
2人が言い合いをしていると、へルマンさんの声が響いた。
「統括長、いつもの場所に着きましたよ」