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結局馬車には乗れなかった。ステップがどうしても昇れなかった。
「もう止めておきなさい」
「……はい」
ジョエル先生に止められてしまった。悔しい。どうしてこの足は動いてくれないの?
「サクラちゃんの応援がいると判断したら、誰か迎えに来てもらうわ」
「はい。お願いします」
出ていく馬車と騎士様達を見送って、ジョエル先生と施術室に戻る。
「シロヤマさん、馬車がダメになったのはいつから?」
「先月末頃からです」
「先月末頃。あぁ、分かったよ。シロヤマさんの事件が今月だったね」
「はい」
「馬は平気なの?」
「見るのは平気です。乗るのは試してないので分かりません」
「そっかぁ。そうだよね。乗馬は試せないよね」
「ジョエル先生は、私の状態をご存じだったんですね」
「うん。王都のナザル施術師から聞いたよ。僕の方がちょっと上だけど同じジジィだからね。知り合いではあるんだよ」
「そうだったんですか。所長から聞いていたんですか」
「くれぐれもって頼まれたよ。異変があったらすぐに知らせてくれって。でも、シロヤマさんは言わないからねぇ」
「すみません」
「いつだって他の人が優先で、自分の事は後回し。駄目だよ。もっと自分を大切にしようよ。最終的には自分の事は自分しか守れないんだから」
「はい……」
「今、出来る事をやっちゃおうか。まずはカルテの整理かな」
「はい。お悩み相談は別にしておきますね」
ジョエル先生とカルテの整理を進めていく。その間も状況が気になって仕方がない。
「落ち着かない?」
「あ、すみません」
「確かに気になるよね。シロヤマさんは現場で携わっていたいタイプだね」
「そうですね。そのタイプかもしれません」
「ここだけの話ね、トニオは待ってる方が性に合うんだよ。彼は研究とかをしている方が好きなんだ」
「そうなんですね」
「トリアは動いていたいタイプ。シロヤマさんと違うのは何となくでやれちゃう部分もあるって所かな?」
「あぁ。そういう感じですね」
浄化も説明したら「良く分かんないけど、こんな感じ?」って成功させちゃったんだよね。トニオさんは理詰めで考えるタイプだと思う。それでも無菌空間のイメージには2人とも苦労している。
「失礼しますっ!!施術師先生、騎士トキワがいらっしゃいましたっ!!」
「大和さんが?」
「迎えに来たんじゃない?用意して」
「はい」
用意と言っても防水加工されたコートを着る位だ。
「失礼します。施術師サクラ・シロヤマをお迎えに上がりました」
「トキワ君、そんな改まらなくても良いんじゃない?」
「勤務中ですので」
「でも、彼女を迎えに来たのは立候補?」
「当然です」
「若いって良いね。シロヤマさん、みんなが戻ってくるまでボクが居るから、安心して行っておいで」
「はい」
騎士団本部の入口には、エタンセルが待っていた。
「無理をさせるが頼むぞ」
大和さんが声をかけると、エタンセルがブルルっと返事をした。
大和さんに抱えられる形でエタンセルに乗る。すっぽりとマントで覆われた。
「ちょっと飛ばすよ。しっかり掴まってて」
「はい」
雨の中をエタンセルが疾駆する。私はマントで覆われているけど、大和さんはずぶ濡れだ。何とか出来ないかな?雨に濡れないように……。うーん。ドーム状のビニールハウスとか大きなビニール傘かな?結界の要領で雨避けを張ってみる。
「咲楽、何したの?」
雨が当たらなくなったのを感じ取った大和さんが、エタンセルのスピードを落として聞いた。
「私を中心に、大きなドーム状の傘をイメージした結界を張りました」
「なるほど。助かるよ」
「エタンセルは驚いていませんか?」
「うん。大丈夫そう」
「良かったです。あ、水分も取っておきますね」
水魔法で水分を取る。
「乾いたね。このまま維持出来る?」
「はい」
「よし。エタンセル、行くぞっ」
エタンセルがこれまでより速く走り出した。
「着いたよ」
30分も走っただろうか。大和さんに声をかけられた。
「サクラさんっ。ごめんなさい。私達ではどうしようもなくて」
「案内してください」
「はい。あれ?サクラさん、濡れてない。どうして?」
「雨避けの覆いを張ってます。怪我人は?」
「こっちです」
案内された先で寝かされていたのは3人。2人は傷が化膿している。タープは張ってあるけど、これじゃ保温が出来ない。1人は子どもだ。
「この傷はいつから?」
「もうずっとだよ。放っておいてやってくれ。このまま魂の休息所に行かせてやってくれ」
「助かる命を見殺しには出来ません」
化膿していない1人は、木片が傷にたくさん食い込んでいる。
「木片を取り除いて下さい。トリアさんは浄化を」
「分かったわ」
「トニオさん、アイビーさん、全ての異物を除いたら、洗浄してから施術を。アイビーさん、血液の浄化を忘れないで下さい」
「「はい」」
化膿している2人に向き直る。絶対に死なせない。まず血液の浄化を掛ける。闇属性で痛みをブロックする。
騎士様達が天幕とベッドを運んできてくれた。協力してベッドに3人を寝かせてくれる。
「ありがとうございます」
「いいえ。私達は見ている事しか出来ません。お願いします」
「全力を尽くします」
天幕内には外傷の3人と、さっき答えた男性が残った。
全身に炎症は広がっているけど、全身は冷やせない。すでにずぶ濡れで熱が上がってきている。水属性で水分は取ったけど、発熱してきている。化膿による炎症と雨に濡れた事による発熱だろう。腋窩と頭部を冷やす。これ以上発熱するようなら鼠径部のクーリングも考えなければいけない。
化膿して膿が出ている箇所は先に丁寧に拭き取る。
「ぅぅっ」
男の子が呻いて薄く目を開けた。
「大丈夫ですよ。眠ってください。目が覚めたら良くなってますよ」
「ボク、助かるの?」
「絶対に助けます。さぁ、眠ってください」
男の子に微笑む。男の子は安心したように目を閉じた。
集中して傷の修復を行う。怪我をしてから時間が経っているらしく、治癒術の通りが悪い。
「サクラさん」
「はい」
「こちらの人は終わりました」
「異物は全て除去しましたね?」
「はい」
「では保温をして寝かせておいてください」
「手伝う事はありますか?」
「この子の保温を。もう少しですから」
施術しながら指示をする私に、トニオさんが目を丸くしていた。
男の子の施術を終えて、男の子をアイビーさんとトニオさんに託して、大人の女性の施術に移る。
こちらの方は背中に大きな切傷があった。これが1番大きい。30cmのまっすぐな切傷だ。肺には達していないけど、背骨に傷が付いている。何これ?こんな傷、どうして?
考えている暇はない。丁寧に膿を拭き取り浄化をする。痛みの軽減の闇属性を使う。まずは背中の傷の修復。これも時間が経っているらしい。
それに全身の栄養状態も悪い。たぶん満足に食べられていなかったんだよね?こういう時に栄養を取らせようと、急に栄養たっぷりの食事をさせてしまってはいけない。リフィーディング症候群の可能性があるから。
リフィーディング症候群とは、慢性的な栄養障害がある状態に対して、急激に栄養補給を行うと発症する、代謝性の合併症だ。飢餓状態が長く続いた後に急に栄養補給されると、心不全や呼吸不全、腎不全、肝機能障害ほか多彩な症状を呈することがある。
飢餓状態で急激に栄養たっぷりの食事をしてしまうと、ミネラルが欠乏している細胞内に無理に栄養を詰め込む事になり、ひいては身体に無理をさせることになってしまうのだ。
意図したのかは不明だけど、日本の歴史上でこれを行ったのが豊臣秀吉だ。1581年、豊臣秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際に、籠城から助け出された人に食事を振る舞い、振る舞われた人が何人も亡くなったという記述がある。当時は毒を盛ったとか言われていたみたいだけど、今ではリフィーディング症候群によるものだと言われている。
本来なら点滴補液から始めるんだけど、ここには点滴が無い。どうしよう。
「お聞きしたいのですが、10日以上の絶食状態だったとか、無いですよね?」
付き添っていた男性に聞いてみた。
「それを聞いてどうする?さらに苦しめようとでも言うのか」
「苦しめたくないから聞いてます。教えてください」
男性に頭を下げる。
「そんなに絶食していた訳じゃない。満足に食べさせてはやれなかったが、出来るだけ食事はさせてきた」
苛立ちを隠さないながらも答えてくれた。
「ありがとうございます」
これならリフィーディング症候群の発症確率は低いと思う。
「サクラさん、どうするの?」
「スープを作ります。手伝ってください」
騎士様達は大半が帰ったらしい。ここは少し高台になってるから、浸水はしない。
スープを作りながら天幕内の温度と湿度を上げる。
「そういえば、アイビーさん達は帰らなくて良いんですか?」
「私はそろそろマズいです」
「私達はもうちょっと居ても大丈夫よ」
アイビーさんだけ帰ってもらうことにした。ジョエル先生への伝言を頼む。
小さい鳥肉団子を作って、スープに入れていく。野菜は異空間の物を使った。鳥肉団子は出汁になっちゃうかな?最初はあまり食べさせたくないんだよね。リフィーディング症候群が怖いから。
外では炊き出しが行われているらしい。大和さんの「ゆっくり時間をかけて食べろ」という声が聞こえた。大和さんもリフィーディング症候群を知ってるんだろう。慎重になっているようだ。
「食べてください。急がずにゆっくりと時間をかけて。大丈夫ですよ。まだありますから」
付き添いの男性にスープを渡す。
「アンタは食べないのか?」
「後で頂きます」
トリアさん達にも食事をしてきてもらう。いったん天幕を出ていったトリアさんとトニオさんは少ししたら戻ってきた。
「サクラちゃん、貴女も食べていらっしゃい」
「はい。この方達が目覚めたら、まずは薄めた方のスープのみを飲ませてください。時間をかけて、ゆっくりと」
「分かったわ」
「お願いします」
救護用天幕を出ると大和さんが何か作業をしていた。
「何をしているんですか?」
「ウッドストーブを作ってる。この天幕は高さがあるから、これなら中で使っても大丈夫だから」
「救護用にも下さい」
「ちゃんと用意してるよ」
軽い食事を済ませて、急いで救護用天幕に戻る。
「サクラちゃん、もういいの?」
「はい」
「ちゃんと食べた?」
「食べましたよ」
普段の食事量から信用されていないんだろうなぁ。
付き添いの男性に2杯目のスープを差し出す。今度は具材が入った普通の物だ。
「なぁ、さっきのにはあまり具材が入ってなかったんだが?味も薄かったし」
「ワザとですよ。長い間満足に食事をされてなかったのでしょう?そういう時にいきなり通常の食事をしちゃうと、身体がビックリするんです。これも通常より薄味にしています」
「外の連中は?大丈夫か?」
「その辺りに詳しい人が居ますからね。見せてもらいましたが、大丈夫そうでした」
「咲楽、入っていい?」
「はい」
大和さんの声がして、天幕に大和さんが入ってきた。
「これ、ウッドストーブね。火をこっちに移しておくから」
「はい。一酸化炭素とか大丈夫でしょうか?」
「ん~?大丈夫かな?換気は出来ているみたいだし」
「それなら良かったです」
「帰宅はどうする?」
「この方達が目覚めるまでは、付いていたいです」
「分かった。幸い明日から休暇だしね」
「はい」
大和さんが出ていって、トリアさん達も帰ってもらうことにした。
「アンタは帰らなくていいのか?」
「はい。明日は休みですし、万が一容態の急変が有った場合に対処できませんから」
「そうか。オレも出てるよ。アンタもこんなおっさんと一緒より、さっきの騎士と一緒の方が良いだろ?」
「さっきの騎士って大和さん?」
「それを持ってきたヤツだよ」
少しだけ笑って男性は出ていった。
処置をした3人はまだ目覚めない。熱は引いてきているし、呼吸も落ち着いてきている。額に浮かんだ汗を濡れタオルで拭き取った。
どれ位時間が経っただろう。アイビーさん達が処置をした男性が目を覚ました。
「気が付かれましたか?」
「ここ、は?」
「救護用天幕です。貴方は怪我をしていたので治療しました」
「他の連中は?」
「他の天幕で休んでいただいています」
「助かったのか……」
「食欲はありますか?スープを用意していますが」
「あぁ。ありがたい」
1杯目のスープを手渡す。
「ゆっくりと時間をかけて飲んでください。おかわりもありますからね」
そう言っている間に男の子が目を覚ました。
「いい匂いがする」
「スープがありますよ。ゆっくりと時間をかけて飲んでくださいね」
体を起こしてやって、少しずつスープを飲ませる。
「美味しい」
「良かった」
さっきの男性が女性を連れて入ってきた。どうやらお身内らしく喜びあっている。スープの飲み方を教えて、その方に任せることにした。
女性はなかなか目覚めない。呼吸は平静。脈も平常。スキャンで診てみたけど、頭蓋内の異状は無い。
「大丈夫か?」
「怪我は全て治しましたし、眠っているだけです。もうすぐ目覚めると思います」
男性はナジェフと名乗った。この女性は妹だと言う。ナジェフさんも妹さんも伴侶を亡くして、故郷を捨ててきたと自嘲気味に笑った。
女性が目を覚ました。ナジェフさんが声をかけて、スープを飲ませ始めた。そっと天幕を出る。
「お疲れ様」
「大和さんもお疲れ様です」
「今日はここに泊まりかな?」
「そうですね」
雨はすっかり止んでいた。私が着いた時がピークだったらしい。
「仮眠用の天幕があるよ。休んできたら?」
「今、どれ位ですか?」
「もうすぐ7の鐘かな?」
「少しだけ休みます。大和さんも休んでくださいね」
「分かってるよ」
その日は天幕で毛布にくるまって眠った。