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風の月第3の土の日。今日は雨が降っている。雨が降っているということは大和さんが塔内で居るということだ。
あの日から、あの不意の恐怖の夜から、少しずつ恐怖に囚われる時間が増えている気がする。大和さんやアイビーさんと一緒にいる時は大丈夫なんだけど、長時間1人で居ると、訳の分からない恐怖感がせり上がってくるようになった。
どうしてかは分からない。大和さんは思い当たる事があるようだけど、言ってくれない。「大丈夫だから。きっと熱の月には治まってるから」って言って抱き締めてくれる。大和さんも悩んでる事があるのに、私の事を最優先してくれる。それが申し訳なくて、ついつい謝ってしまって、ため息を吐かれる。
目を覚ますと、大和さんが居た。今までのように覗き込んだりはしていない。窓から外を眺めていた。少し厳しい表情をしている。
「おはようございます、大和さん」
「おはよう、咲楽」
「どうかしたんですか?」
「雨が降っているのに、やけにミエルピナエが翔んで来ている。8の鐘過ぎに何かが崩れたような音がしたし。女王蜂や巣に何かあったんじゃないと良いけれど」
「崩れたような音?」
「ズーンっていうか、ズシーンっていうか。地震みたいな音」
「何の音でしょう?」
「さぁ?すぐ後に雨が降ってきたから塔に居たんだけど、少し前からミエルピナエが飛び回り始めた」
「大和さん、屋上に行きましょう」
あそこには屋根がある。雨宿りをしているミエルピナエも居るかもしれない。
「雨宿りか。そうだね。少しでも中に入れてやらないと」
一応着替えだけさせてもらって、屋上に向かう。大和さんには先に行ってもらった。タオルや毛布を魔空間に入れて屋上に着くと、そこには15匹位のミエルピナエが居た。大和さんが防水布を屋上に張っている。
ミエルピナエ達の濡れた体を乾かす。1匹1匹じゃ間に合わない。少しでも早く乾かしてあげないと。魔法でミエルピナエ達の濡れてしまった体から雨水だけを分離させる。いきなり乾いた被毛に目をぱちくりとさせるミエルピナエ達が可愛い。実際には複眼だからそんな感じがするだけだ。
「女王様は?」
1匹に聞いてみる。話せないなりになんとか言葉を伝えようとしてくれているらしく、身ぶり手振りで一生懸命だ。
「領城か?」
大和さんが聞くと、一斉に頷いた。それにしてもこんな雨の中、どうして翔んでいたの?
「何があったのかは、領城で聞くしかないかな?」
「そうですね」
「咲楽、1人で大丈夫?起きたばかりだから、俺だけで行ってこようと思うんだけど」
「大丈夫です。行ってきてください」
ミエルピナエ達が身を寄せてくれた。フワフワで気持ちいい。
「じゃあ、行ってくる」
「はい。お気を付けて」
傘を持って大和さんが駆けていく。その後ろ姿を見送って、キッチンに上がった。リビングダイニングにはミエルピナエ達が5匹居た。あれ?他の子達は?
「他の子達はどうしたの?」
ピッと一斉に手(?)が上げられる。上?
「上かな?4階?」
コクコクと頷くミエルピナエ達。
「あなた達は一緒に居てくれるの?」
再びコクコクと頷く。
「ありがとう」
キッチンで薬湯を煎じ始めると、1匹のミエルピナエが近付いてきた。
「お薬だよ。あまり美味しくないけど、飲まないとね」
コテンと首をかしげる。可愛い。
「もしかして、お腹空いてる?」
コクコクどころじゃない。ブンブンと縦に首を振られた。ミエルピナエって何を食べるんだろう?ハチミツ?
ミエルピナエの森で貰ったハチミツを小皿に出してみた。手で掬おうとしているけど、掬えないらしい。うーん。どうしよう。
ハチミツに小麦粉を混ぜて茹でてみる。小さなお団子状にしてみると、受け取って食べ始めた。仲間にもあげている。その内2匹が飛び立った。手にお団子を持っている。
「待って待って。持っていってあげるよ。みんなにあげるんでしょ?」
お皿にお団子を盛って、4階に向かう。ミエルピナエ達はみんなで仲良く分けあって食べ始めた。
「咲楽?どこ?」
大和さんだ。帰ってきた。
「4階です」
「事情を聞いてきた。そのミエルピナエ達も領城に移動するよ」
「はい。でもこの子達はどうやって移動するんですか?」
「何人かラウンジで待ってる。止まり木みたいなのに掴まらせて運ぶらしい」
「結局、何があったんですか?」
「馬鹿がバカをやらかしたらしい」
大和さんがため息を吐きながら言った。何をやらかしたの?
ミエルピナエ達を引き連れて、ラウンジに降りる。
「朝早くからすみませんね」
「いいえ。いったいどうしたんですか?」
「酔っぱらいが馬鹿をやらかしたんです」
「早朝に咲くという花を採取しにミエルピナエの森に数人で入って、泊まり込みだったから寒さ対策に飲みすぎて、酔っぱらってケンカをしたあげくにミエルピナエの巣を壊したんですよ。全く迷惑な」
「何を血迷ったのか、あそこで魔法を使ったそうです。幸いにもミエルピナエ達に怪我はなかったようですが、巣が半壊してしまって」
「やらかした犯人達の酔っぱらいは、怒ったミエルピナエ達が麻痺をさせて置き去りにしてきたそうです。さすがにミエルピナエ達には運べませんからね」
「ミエルピナエの巣ってどこにあるんですか?」
「森の中のどこかです」
「正確な場所って分からないんですか?」
「森の中に幾つかあるのですよ」
ミエルピナエの森の入口で声をかけて女王蜂を呼んでもらう訳がやっと分かった。それなりに広い森だから、幾つもある巣を探していたら迷っちゃうんだね。
領城に着くと、女王蜂が翔んできた。
「全員揃ッタワネ。狼ノ所に居タッテ聞イタワヨ。アラ、何ヲ食ベテイルノ?」
「お腹が空いたという感じでしたので、ハチミツ団子を。女王様も召し上がられますか?」
「イタダクワ」
ズイっと手を出されたので、異空間のお皿を引っ張り出す。
「美味シイワネ」
領城に居たミエルピナエ達も寄ってきて食べていた。
「ありがとうございます」
「馬鹿達を連れてこないとね。きっちり償わせてやるわ」
「当然ヨ。サーシャ、雨ガヤムマデココニ居テイイ?」
「えぇ。ゆっくりしていって」
領城の料理人さんが、朝食としてサンドイッチを渡してくれた。お礼を言って1度塔に帰る。
食べる時間はあるから、頂いたサンドイッチを食べる。
「どうやって犯人達を運ぶんでしょうね?」
「人海戦術かな?ホバーが出来てりゃそれで運ぶんだけど」
「先に飛行装置の方に行っちゃいましたからね」
少し急いで朝食を食べて着替える。
「準備が出来たら行こうか」
「はい」
大和さんと一緒に出勤する。
「今日は訓練ってどうするんですか?」
「今日ね。どうするんだろうね。迷惑犯の捕縛が先かな?」
「花の採取って事は冒険者さんでしょうか?」
「そうかもね。今日は仔狼達を王都の魔物管理部の担当者が、見に来るって予定だったんだよね」
「あの仔達もどうなるんでしょうか?番犬……番狼として認められると良いんですけどね」
「番狼……。確かに」
騎士団本部に着いて、施術室に向かう。
「アイビーさんおはようございます」
「おはようございます、サクラさん。今日は王都の魔物管理部の人が来るって聞きましたよ」
「その前に一仕事ありそうですよ」
「何があったんですか?」
「お馬鹿さんがおバカな事をやらかしたそうです」
「バカな事?」
掃除をしながら、朝からの事を説明する。
「馬鹿なんですか?」
「そうなんでしょうね」
「この場合、騎士団が捕縛に行くんですか?」
「私も分かりませんけど、大和さんは行くかもしれないって言ってました」
「風邪を引かないと良いですね」
「そうですね」
雨はまだ降っている。
どやどやと足音がした。騎士様達が出ていくようだ。
「捕縛に行くんでしょうか?」
「そうでしょうね。雨なのに」
「何か用意をしておきます?」
「身体を暖める物とタオルくらいでしょうね。暖める物は食堂に言うしかないでしょうし、タオルは備品庫?」
「そのくらいですよね。手配は終わってる気もしますけど」
「とりあえず言っておきますか?」
2人で騎士待機室に向かう。文官さんが働いているのが見えた。
「施術師先生、どうなさいましたか?」
「騎士様達が雨の中出ていったので、帰ってくる頃には身体が冷えているんじゃないかと」
「あぁ、心配になって来てしまったと。手配は終わってますよ。大丈夫です」
「やっぱり終わってましたね」
「そうじゃないかって言ってたのが合ってました」
「食堂の方にスープの依頼はしましたし、身体を拭く為のタオル類は今取りに行ってますね」
そう言っている間に男性が入ってきて、魔空間からタオル類をドサッっと取り出した。
「施術師先生、アイビーちゃん、心配で来ちゃったの?」
「2人ともカレシが心配なんでしょ」
「良いよなぁ。施術師がカノジョだと心配してくれて」
「そうそう。家の奥さんなんか心配もしてくれないで放っとかれてるよ」
「何を言ってるの。騎士様は大変なんだからね」
「そうそう。アンタらとは違うのよ」
「アタシ等が働けるのは、騎士様達が頑張ってくれているからなんだからね」
「あの、それですけど」
私が口を挟むと、一斉に見られた。ちょっとビクッとする。
「騎士様達が以前、自分達が安心して活動できるのは、文官さん達が居てくれるからだと言っていました」
「え?」
「自分達には書類仕事とか無理だから、それをしてくれる文官さん達には感謝しかないし、細々したものを管理してくれているから、騎士として安心して動く事が出来るって」
アイビーさんも補足する。
「騎士様達が活躍してくれるから、文官さん達は働けるけど、文官さん達が居てくれるから、騎士団が騎士団として成り立ってるんだと思いますよ」
シン、とした静寂が室内に流れた。
「何て言うかさぁ」
「あぁ、この仕事やってて良かったって、初めて思った」
「男なのに事務仕事なの?って言われた事があるんだぜ」
「そうだよな。それでフラれた事、あるもんな」
「アタシ等なんか、騎士団で事務の仕事をしているって言うと、男目当てだとか言われたりしたよ」
「騎士以外と結婚した時なんか、『騎士を捕まえられなかったから、妥協したのね』って言われたよ。違うっての!!」
「女の世界って怖い……」
おしゃべりをしながら手を動かしている文官さん達にお礼を言って、施術室に戻る。
「雨、まだ降ってますね」
「そうですね。捕縛に向かったならミエルピナエの森でしょうから、もうちょっと時間がかかりますね」
「あの森で魔法を使ったって言いましたっけ?」
「らしいですよ。早朝に咲くという花を採取しに来ていたらしいですけど」
「早朝に咲く花?冒険者でしょうか?」
「依頼を受けたキニゴスかもしれませんね」
「依頼の失敗ってどうなるんでしょうね?」
「さぁ?王都に居た頃には冒険者さんの知り合いも多かったんですけど、ターフェイアに来てからはあまり会いませんからね」
「カークさんとかですか?」
「そうですね。いろんな方が居ますよ」
「私は、冒険者に知り合いはほとんど居ないんですよね」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
王都ではご近所さんが冒険者だという人が何人も居たから、身近な物だと思っていた。
「私の家は鍛冶屋だけど、子どもの内は危ないからって鍛冶場の方には行かせてくれなかったし、成人する前には鍛冶の仕事には近寄らなかったから」
「施術師になるんだって頑張ったんでしたっけ?」
「そうです。アニキが後押ししてくれなかったら、今頃は鍛冶屋で受け付けでもしてたかなぁ」
「良いお兄さんですね」
「見た目はガリーラみたいですけどね」
「ガリーラ?」
「魔物じゃないんですけど、筋肉が凄くて力も強いブラサンジュみたいな感じです。色は黒いんですよ」
ゴリラっぽい気がする。
「何となく分かりました。筋肉が凄くて力自慢って事ですよね?以前の世界ではゴリマッチョとか言ってました。こちらだとガリマッチョ?」
「ガリマッチョって、ガリガリなのか筋骨隆々なのか、分かんなくなりそう」
笑いあってると、騎士様達が帰ってきたらしい。
「施術師先生、麻痺毒って抜けますか?」
「たぶん?診てみないとなんとも言えません」
毛布でぐるぐる巻きにされた男性が4人、運ばれてきた。
「この人達ですか?」
「はい。冷えきっていたので暖めてます。放っておく訳にいきませんのでね」
「放っておいて良かったのに」
アイビーさんがボソリと言った。施術師がそんな事を言っちゃいけません。気持ちは分かるけど。
軽く嗜めて、患者を診る。
「麻痺毒だけじゃないですね。切傷、引っ掻き傷、打撲傷。この辺りはケンカの痕でしょうね」
麻痺させている毒だけを抜く。血液内をミエルピナエの蜂毒が流れていたのが感知できたから、それだけをトキスィカシオンで分離させた。アイビーさんも分離に成功したようだ。
「イテテテテ!!」
いきなり大声をあげた患者の男性を見た騎士様が、前に出てくれた。麻痺が治って痛みがぶり返したんだと思う。
「施術師が居るんだろ?早く怪我を治せよ」
「そうだ、そうだ。手を抜かないでちゃんと治せよ」
「出来ないくらい腕が悪いのか?」
「どこの施術院だよ?言い触らしてやるぞ」
「ここは騎士団本部の施術室だ。施術師先生には麻痺のみを治して貰った。さぁ、楽しい楽しい尋問の始まりだ。取調室へ連れていけ」
毛布を巻いているから、低体温症の心配は無いと思うけど。




