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大和さんは仔狼の前でしゃがみこんで何かをしていた。エサじゃないのかな?何も持っていないみたいだし。
やがて大和さんが施術室に向かって歩いてきた。
「咲楽、アイビー嬢、昼食に行かないの?」
「行きますけど。仔狼達の所で何をしていたんですか?」
「あんまりこっちに来ようとしているから、ヴァシューカのスジ肉をあげてきた。食堂の人がくれたからね」
「スジ肉ですか?」
「牧場の犬が喜ぶんだって。犬とトレープールは違うけどね。アキレス腱らしいね。ヴァシューカのは固くて煮込んでも柔らかくならないって言ってた」
「それで、何故、大和さんが持っていっていたんですか?」
「頼まれたから。黒き狼って呼ばれてるから、怖くないでしょ?って笑って言われた」
食堂に向かいながら、大和さんが笑う。
「トキワ様、セント様はどうされたんですか?」
「先に食堂でアイビー嬢を待っていますよ」
真っ赤になったアイビーさんと食堂に入ると、女性がセント様を囲んでいた。
「セント様、アイビーちゃんは?」
「ヤマトが連れに行ってくれています」
「じゃあ、今の内よ」
「そうよね」
「あのね、セント様……」
「よろしいですか?」
こそこそ話している女性達に大和さんが声をかけた。
「きゃあ、どうして後ろにいるの?」
「アイビーちゃんも居るわよ」
「施術師先生も。ちょうど良かったわ」
「うふふふふ」
少し怖いんですが。
「セント様、トキワ様。施術師先生とアイビーちゃんをお借りして良い?」
「彼女達の意思次第ですね」
食事をしてから、連れていかれたのは衣装管理部。
「2人とも、脱いで?」
「怖くないわよ」
「普通に言い方が怖いですよ」
手に持ってるメジャーを見れば分かる。採寸に連れてこられたんだよね?
トレープールの討伐の時に私とアイビーさんが私服だったのが気になって、女性騎士様が衣装管理部の方に話して、みんなで上層部に施術室の制服を作らせろと押し掛けて直談判したらしい。その剣幕に無事に予算が降りて、この状態になった、というわけだ。
良いんだけどね。採寸は慣れているし。何度も採寸されたから。
採寸の後でデザインを見せてもらった。女性騎士服と基本は同じ。でも裾の部分がウエストから広がっている。
「色がね、迷ってるのよ。白と空色と淡いグリーンと。どれが良いと思う?」
「地方騎士団の騎士服はグリーンですから、淡いグリーンで良いのでは?」
「そうねぇ。施術師先生が居なくなっちゃって、その先に男性施術師が入ってこないとも限らないものね」
「1年なんでしょ?」
「はい」
施術室に戻った。
4の鐘の少し前にレリオさんが来室した。
「レリオさん。もう大丈夫なんですか?」
「はい。施術師先生にもアイビー嬢にもご心配をおかけしました。明日から復帰します」
「絶対に無理は駄目ですよ?薬師さんからも注意されているでしょう?」
「それはもう。口うるさく注意されました」
「当たり前です」
私からも注意されて、レリオさんは帰っていった。
5の鐘になって、大和さんと冒険者ギルドに急ぐ。ハンネスさんとの話をする為だ。マリオさんから何も連絡が無かったから、とりあえず冒険者ギルドに行ってみることにした。
「咲楽はちょっと待ってて」
冒険者ギルドの入口で、大和さんに中に入るのを止められた。たくさんの人がいる気配というか、ザワザワしているのは私でも分かる。
「お守りでクエイムをかけておきますよ?」
私はまだ自己暗示をかけちゃう可能性があるからと、暗示系は教えて貰ってないけど、お守りの魔石がある。
「それでも……」
「逃げたくありません」
「無理だと思ったらすぐに言う事。約束して」
しぶしぶという感じで、大和さんが許可をくれた。
お守りのクエイムをかけてから、冒険者ギルドに入る。やっぱり一斉に見られた。思わず大和さんの袖をギュっと掴んだ。
「お待ちしていました。すみません。連絡出来なくて」
マリオさんが走ってきてくれた。一室に案内される。
「黒き狼様と天使様が来てくださった」
「知らせるなと言っただろう。何故知らせた。まだお2人には会えないんだ」
ドアの向こうから、ハンネスさんの声が聞こえた。
「ハンネス、入るぞ」
「ヤマト・トキワ。何をしに来た。笑いに来たのか?」
「申し訳ないが、いったん退室していただけませんか?」
大和さんが室内に居たみんなに言って、部屋の中には私達3人だけになった。
「ハンネス・アクチノイダ。何を焦っている?1年で2ランク上げただけでは不満か?」
「まだキュイールランクだ。ラルジャランクになってから会いに行くつもりだった」
「1年で2ランク昇級だけでも凄いと思うがな。何が不満なんだ?」
「まだ届かない」
「何に?」
「貴様の剣の腕だよっ」
「あぁ……。そういうことか。それは仕方がない。経験の差だ。この国は長い間平和が続いている。陛下や王族方がその手腕を発揮しておられるし、貴族も陛下の政策に従っている。魔物との交戦はあっても、対人戦は無い。俺はある事情から対人戦の経験がある。だからどう攻めるか、どう守るかが分かる。本来なら経験しなくても良い事だ」
「私も対人戦の経験があれば強くなれるのか?」
「なれるかもな。だが、そこに必ず元騎士としての誇りを持て。強くなりたいからと無闇に対人戦を吹っ掛けていては、魔物と同等に堕ちる」
「魔物と同等は人としてマズいな」
「あぁ。それに1年で冒険者ランクを2ランク上げるのは並大抵の努力じゃないと聞いた。称賛に値する」
「天使様は私をどう思いますか?」
「以前の貴方は嫌いでした。傲慢で、歪んだ自信を持っていて。でも今の貴方からはそれを感じません。ひたむきに努力をする貴方は好きですよ」
「好きですか。貴女はまっすぐですね」
「臆病なだけですよ」
「ハンネス、何故騎士を続けなかった?」
「家を放逐されて、貴族籍を抜かれたとき、それまで信じていたモノが崩れ去った。自分は尊敬されて当然だと思っていた。しかし、貴族でなくなったとたんに手のひら返しをする人にたくさん会った。そうじゃない人にも出会ったが、騎士を続ける自信が無くなったんだ。悩んでいたら元の領の騎士団長殿と、副団長殿が冒険者を勧めてくれた。ただし反省も含めてピエレランクから始めることを条件付けられた。人の話を聴くことの練習になるから、と言われてな。実際に子どもに混じっての講習を聞くのは精神的にキツかったが、同じ年代の奴らと励まし合って乗りきった。今のパーティー仲間は、その、天使様と面識がある奴らばかりで、天使様ならどうするか考えて行動している」
「なんですか?それ」
「天使様なら困っている人を放っておかないだろう。周りを見ずに飛び出す事はないだろうが、その時は他の人が声をかけて思い止どまらせること。その2つを活動の柱としてます……。どうかなさったんですか?」
「衝動のままに飛び出すのは良くないよね?咲楽」
「反省してます」
「何か?」
「助けたい一心で確認せずに飛び出して、痛い目に遭いました」
「何があった?ヤマト・トキワっ。答えろっ!!」
ハンネスさんが大和さんにつかみかかる。大和さんはされるがままになっていた。
「……。誘拐された」
大和さんが苦渋に満ちた顔で答える。
「誘拐……天使様が?犯人は?どうした?」
「捕縛後、罪人の塔に入れた。今は刑を執行中だ」
「なんだってそんな事に」
「さっきハンネスさんが言った事をしちゃったんです。周りを見ずに飛び出しちゃったんですよ」
「お怪我はされなかったのですか?」
「治してもらいましたから」
私の表情を見たハンネスさんが何かを言いかけて黙った。
マリオさん達と一緒に屋台で夕食を済ませる。1年後に王都に戻ると言うと、ターフェイアで活動を続けて、たまに王都に行くと言ってくれた。
塔に戻ると後ろから抱き締められた。
「咲楽……」
「はい」
「少しだけこのままでいて」
「はい」
ダイニングに上がらず、ラウンジのソファーに座る。たぶん思い出しちゃったんだよね。私の恐怖のみの思いと違って、大和さんのあの時は後悔と怒りに満ちている。
あの時の誘拐事件は、私の不注意が原因の何割かを占める。犯人達が計画しなければ起こらなかった事件だけど、私の責任も少なからず有る。
「大和さん、いったん上がりましょう?」
30分は経ったと思われた頃に声をかける。
「もうちょっと」
大和さんのくぐもった声が聞こえた。
「仕方がないですね」
「咲楽は大丈夫?」
「恐怖はまだ残ってますよ。でも大和さんが居てくれますから」
「俺?」
「はい。大和さんが居てくれますから乗り越えられます。大丈夫だって思えます。あの事件を思い出した時に私、独りならたぶんパニックになってます」
「女性だからというべきか、咲楽だからというべきか」
「なんですか?」
「寝室で言うよ」
2人でダイニングに上がる。大和さんはそのままお風呂に行った。
ハンネスさん達は冒険者だ。そのハンネスさん達も、私の誘拐事件を知らなかった。やっぱり情報網が構築されていないから?
この世界の通信手段は主に手紙だ。馬車で届けたり、急ぎだと早馬で届けるって聞いた。それでも地球のネットワークには遠く及ばない。魔人国の魔道具の通信装置はほぼ国家間かその国が重要だと判断した施設のみに使われている。後はギルドとかかな?商業ギルドには転送装置っぽいのが有ると聞いたけど、実物は見ていない。ドログリエの一件で、大きな物を送る転送装置はかなり大きいということは聞いたけど、見ていないんだよね。
「咲楽、風呂に行っておいで」
「はい」
そういえば大和さんがさっき言っていた「女性だからというべきか」って、何だろう?誘拐事件の事?でも、私はいまだに引きずっているし、何の事を大和さんが言いたいのか分かんないなぁ。
大和さんは必要以上に自分を責めているように感じる。自分に厳しい人だから自分に課した誓いの「咲楽を護る」を守れなかった事に怒っているんだと思う。最終的に私を助け出してくれたのは、大和さんだ。あの事件に関して、大和さんが自分を責めるのは違うと思う。
お風呂から出ると、大和さんが待っていてくれた。
「大和さん、寝室で待っていてもらっても良いんですよ?」
「俺が待っていたいから、待ってるんだけどね」
「私は嬉しいですけど」
「何となく不安になるんだよね。咲楽が存在しているのか、感じていたいんだよ。索敵は禁止されたし」
「だって、危険がない所で索敵を使う理由が見出だせません」
ベッドに上がると、大和さんが私を抱き締めた。まるで私の存在を確かめるかのように。
「大和さん、ラウンジで言っていた『女性だからというべきか』って何ですか?」
「あぁ、あれ。誘拐や監禁事件の時に女性の方が生き延びる可能性が高いって事」
「高いんですか?」
「うん。そういう事を研究している学者が居るんだよ。脳科学の分野になるのかな。誘拐、監禁なんかの極限状態に限らず、女性の方が生命的に強いって結論が出てるんだよ」
「強い?でも、男性に敵うと思えませんけど」
「腕力や身体能力では男性の方が強い場合が多いよ。でも、精神的というか、生存能力でいうと、女性の方が強い。女性は子どもを生み育てていかなくてはいけないから、何を犠牲にしても「まず生き延びる」という優先順位で遺伝子が働くんだって。その為に命の危機にたった時に、女性は意外と冷静になれているんだそうだよ。それから、子どもを守る為にはプライドも何もかも捨てられるのが母親というもの。男性にはそれが出来ないんだ。どうしてもね。プライドが保たれないのならば、敗北を選んでしまうのが男なんだよ。男から見たら、女性の冷静さやしたたかさは"強さ"として写るんだよね」
「そうなんですか?」
「そうらしいよ。よく言うでしょ?『女性は弱い。でも母は強い』って」
「聞きますね」
「子どもを産むと、女性は否応なしに母親になる。なによりも子どもを守るという本能がそうさせるんだ。遺伝子レベルでね。男性はそこまでじゃない場合が多い。子育てに関しても、母親に任せっきりって父親は珍しくなかったでしょ?今はそうじゃないけどね。積極的に子育てに関わろうとする男性が増えてきている。まぁ、たまに人前でだけ育児をしてますって男性も多いらしいけどね」
「父が女親に任せっきりのタイプでしたね。たぶん。母がまともに母親をしていたかは定かじゃないですけど」
「家はどうだったかな?母が亡くなってからは、父が頑張ってた?いや、女子衆が居たから、そっちの世話になってたかな?ちょっと覚えてないな」
「でも、大和さんは良いお父さんになりそうです」
「咲楽も良いお母さんになると思うよ」
「そこの自信が無いんですよね」
「大丈夫。俺が保証する」
「大和さんの保証は力強いです。それ以前の問題もありますけどね」
「それは大丈夫。俺が気を付けるだけだから」
「気を付ける?」
「そろそろ寝ようか」
「?はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」
何を気を付けるんだろう?