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花の月、第5の土の日。今日はちょっと曇ってるかな?室内に射し込む光は日に日に長くなってきていて、季節の移り変わりを感じさせる。
目覚めて鎧戸が開いているのを見て、クローゼットに行く前に外を覗いてみた。今日は大和さんもトゥリアンダ様も見えなかった。ちょっと安心してクローゼットに入って着替えを始める。
コンコンコン。
着替え終わってクローゼットを出ようとしたら、窓が叩かれた。窓を見ると、大和さんが居た。さっきは居なかったよね?
「おはよう、咲楽」
「おはようございます。大和さん、ちゃんと玄関から入ってきてください」
「クローゼットに咲楽が居ると感知出来たから、つい」
「感知出来た?索敵を使っていたんですか?」
「領城の中の事は感知しないように制限したよ」
「大和さん、索敵ってどこまで分かるんですか?」
「誰がどこに居るか、何をしているか、位かな?」
「私が着替えをしていることも分かったりとかっ?!」
「さすがにそこまでは分からないよ」
「ですよね」
ちょっと安心した。
「咲楽がクローゼットに移動したから、今から着替えるのかな?って推測はしたけど」
「着替えを覗いていたとか言いませんよね?」
「言わない言わない。そこまでのマナー違反は、ちょっとね」
良かった。
「願望はあるけど」
「大和さん?」
「仕方がないでしょ?心底惚れている女性がここにいて、ちょっと想像しちゃうのは」
「知りませんっ!!もぉ、もぉっ!!朝から何を考えているんですかっ!!」
「剣舞、見る?」
「見ます」
反射的に答えちゃった自分が恨めしい。
喉の奥で笑いながら階段を登る大和さんを、後ろから追いかける。
「薬湯は良いの?」
「いいです。剣舞を見てから煎じます」
4階のいつものソファーに座って膝を抱える。まだ怒ってますよ、のポーズのつもりだ。そんな私を笑って見て、ソファーの正面に座りかけて大和さんが固まった。
「今日は咲楽の隣で瞑想をしよう」
「どうしたんですか?」
答えてくれないまま、大和さんが足を組んで瞑想を始める。ソファーに座る私が、横に手を伸ばせば届きそうな位置で。どうしたんだろう?いつもはソファーの正面で瞑想をするのに。
いつもより長い瞑想の後、大和さんが立ち上がった。舞われたのは見た事の無い舞。
飛び上がったり、ちょっとヒポエステスを思わせる動きが入る。何の舞だろう?景色は見えない。
でも予感はあった。これはもしかして『夏の舞』?
「どう思った?」
舞い終わった大和さんに聞かれた。
「すごく楽しそうでしたけど」
「けど?」
「大和さんが楽しそうに見えなかったのと、景色が見えませんでした」
「俺のイメージを乗せていないからね」
そのまま階段を降りていく大和さんを追いかける。
「イメージを乗せていない?」
「さっきのは型だけ。どうしても駄目なんだよ」
言い置いて、大和さんはシャワーに行った。
何が駄目なんだろう?『夏の舞』が上手く舞えなくなった事は知っている。不思議に思いながら、薬湯を煎じる。
朝食が出来る頃には大和さんもシャワーから出てきて、一緒に朝食を食べ始めた。
「バーナードがあちらの話を聞きたいって言ってきた」
「地球のですか?」
「とりあえず俺だけで話してくるよ」
「いつですか?」
「次の休みの前の日だから、明後日の夜かな?」
「お泊まりでもしてきます?」
「そうなるかな?1人で大丈夫?」
「たぶん大丈夫です。私も闇の日はお休みですし」
「ごめんね」
「良いですよ。飲みに行くなら、飲みすぎないようにしてくださいね」
「分かってるよ。気を付ける」
大和さんはいつもと変わらなく見える。会話もいつもと同じだ。
食後に大和さんが食器を洗ってくれて、その間に出勤用の服に着替える。
「咲楽、準備は出来た?」
「はい」
「じゃあ、出ようか」
塔を出て、出勤する。しばらく歩いて、違和感に気が付いた。大和さんが手を握ってくれない。
「大和さん」
ツンツンと大和さんの服の袖を引っ張った。
「どうしたの?」
「手、繋いでください」
手を差し出すとハッとしたように繋いでくれた。
「ごめん」
「どうかしたんですか?」
「どうもしないけどね。どうにも上手く感情が纏まらなくてね」
「『夏の舞』の事ですか?」
「ん?そうそう。それもあるね」
「大和さん、何を言っているんですか?」
しどろもどろというか、心ここにあらずというか、答えが答えになってない。こんな大和さんは初めてだ。
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ」
手が離された。代わりに肩を引き寄せられる。
「いや、もう、なんというか、今日は咲楽をポッケに入れて仕事をしたい気分」
「マスコットサイズになれたとしても、大和さんがマスコットを持ってたら、みんなが二度見しそうです」
「それもこんなに可愛いしね」
「ずいぶん季節が進みましたよね」
「露骨に話を逸らせたね」
もう少しで騎士団に着くところで、私達の足が止まった。騎士団本部の前に人集りが出来ていた。
「今日って何もありませんでしたよね?」
「無いはずだけど……。咲楽、急いで。誰か倒れてる」
大和さんが索敵を使って、原因を探った。その人集りは倒れた人を取り囲んでいるらしい。
「失礼します。通してください」
声をかけると一気に通り道が出来た。
「施術師先生、危ないよ。近寄らない方が良い」
「危ない?」
中心で倒れていたのはボロボロの服を着た冒険者さん。
「ハンネス……」
大和さんの口から呻くような言葉が洩れた。ハンネスって、ハンネス・アクチノイダ様?
「分かりますか?大丈夫ですか?」
軽い刺激を与えながら、声をかける。呼吸はあるけど弱い。脈も弱い。どうしてこんな状態になっているの?
「ぅぅ……」
小さな声が洩れた。うっすらと開眼するけど、すぐに閉じてしまう。意識はある。ジャパン・コーマ・スケールだとⅡー30の状態だ。JCSとは、意識障害の分類で使う医療指数だ。日本で使われているJCSは、覚醒の程度によって分類したもので、分類の仕方から3-3-9度方式とも呼ばれ、数値が大きくなるほど意識障害が重いことを示している。
「誰か2m位の丈夫な棒2本と、毛布を持ってきてください。棒が無ければ毛布だけで構いません」
大和さんの声がする。その間に外傷の有無を調べた。
酷い怪我をしている。左腕に何かに噛みつかれたような傷口。この傷口には見覚えがある。
「大和さんっ、トレープールの噛み痕です」
「トレープール?」
辺りが騒然となる。
「誰か、団長殿をお呼びしてください。冒険者ギルドの方にも走って情報収集を!!」
魔力判定紙を使う暇がない。トレープールの魔力を吸い取るイメージで傷口に手を当てる。
「サクラさん」
「アイビーさん、トレープールの傷です。残滓魔力は吸い取りました。いつものように浄化をかけてから処置をお願いします」
腕の処置をアイビーさんに任せて、私は他の外傷を診る。肩や足、右腕にも噛み痕と裂傷や 剥皮創が至るところに見られる。次々に魔力吸引をしてから施術室に運んで貰った。
「今日の訓練は中止っ!!全員訓練場に集合せよっ!!」
号令が聞こえる。
「アイビーさん、もしトレープールがいたとして、討伐隊が組まれた場合、私達も救護として行かなければならないと思います。どうしますか?ここで残りますか?」
「サクラさんはどうするんですか?」
「もちろん行きますよ」
「私も行きます。連れていってください」
「分かりました。ここはどうしましょうね?」
「ジョエル先生を呼びましょうか?」
「連絡は行っていると思いますけどね」
休養室に寝かせたハンネス・アクチノイダ様と思われる人物は、まだ目覚めない。
「サクラさん、あの人、知っているんですか?」
「王都に居た頃に王宮騎士として赴任してこられた人だと思います。当時問題を起こして、郷里に帰ったはずなんですけど。貴族様なんですよね」
「貴族様?でも、あの格好って冒険者がよく着ている服装ですよね?」
「そうですよね?何があったんだろう」
話をしながら応急措置の物品を魔空間に入れていく。
ガチャリとドアが開いた。ジョエル先生と2人の男女が立っていた。
「遅くなってごめんね」
「ジョエル先生」
「この子達は施術師だよ。僕の元弟子って所かな。トニオとトリアっていうんだよ。双子でね。どっちも施術師を志した変わり者兄妹だよ」
「ジョエル先生、それを言うと、この場に居る全員が変わり者になっちゃいます。よろしくね、施術師ちゃん達。トニオだよ」
「トリアよ。よろしくね」
「サクラ・シロヤマと申します。よろしくお願いします」
「アイビーです。よろしくお願いします」
「救援要請が来そうなんだよね。シロヤマさんとアイビーちゃんとトニオが現場に行って。現場での指示はシロヤマさんが出してね」
「私が?トニオさんの方が適任だと思います」
「良いから良いから。トニオも良いよね?」
「ボクはそういった事に向いていないからね。よろしくね。シロヤマさん……。サクラさんの方が良い?家名が付いてるってことは、貴族様?」
「違います。貴族じゃありません。呼び名はお好きなようにお呼びください」
「ん~。じゃあ、シロヤマさんで。そうした方が良い気がする」
「天使様でも良いんじゃない?黒髪に緑の瞳。天使様でしょ?」
「天使様は止めていただきたいです」
「普通は誇るんだけどね。ねぇ、ジョエル先生、この子達、気に入っちゃった」
「ダメ。シロヤマさんは来年王都に戻るし、アイビーちゃんは大事な騎士団付きの施術師なんだから」
「じゃあ、シロヤマさんの後に私がここに来る」
「ボクも。って言いたいけどね。ボクも来年、王都の施療院に行くんだよね」
「決まってるんですか?西、東、王立、どこですか?」
「まだ決まってないわよ。一次試験に通っただけ」
「一次試験に通ったなら、人体の基本的構造は大丈夫ですね?浄化はどの範囲まで?」
「浄化?ボクは人、3人分くらいかな」
「分かりました」
トニオさんに聞いていると、ジョエル先生の声がした。ここに残ってくれるらしい。
「シロヤマさん、何か聞いておくことはある?」
「奥に冒険者と思われる人が寝てます。トレープールによるものと思われる咬傷が5ヵ所ありました。その咬傷は全て治しましたが意識が戻っていません」
「分かったよ。身元は?」
「たぶんなんですけど、ハンネス・アクチノイダ様と仰る貴族様だと思います」
「たぶん?」
「私の知っているハンネス・アクチノイダ様とずいぶん風貌が変わってて。でも、大和さんがその方を見て、アクチノイダ様だと」
「ふぅん」
「服装も冒険者と思われる格好ですし」
「サクラさん、意識が戻ったみたいよ」
様子を見に行っていたトリアさんが私を呼んだ。
「分かりますか?アクチノイダ様ですよね?」
「天、使様?」
「はい」
「ここ、は、王都?」
「ここはターフェイア領の騎士団本部の施術室です」
「ターフェイア領?」
「はい」
「大変だ。トレープールが群れでいる。ここから北西の方向。村が襲われてっ」
「良いかな?」
「ジョエル先生」
「救援要請だよ。シロヤマさん、行って」
「はい。アクチノイダ様、この方はジョエル先生です。私はしばらく離れます。ジョエル先生の指示に従ってください」
「天使様、私はもう、アクチノイダではないのです。どうぞハンネスと」
「え?」
「サクラさん、馬車の用意が出来ました」
「はい。すぐ行きます」
アクチノイダじゃない?どういう事だろう?
問いを返している時間はない。馬車へ急ぐ。
馬車の中でトニオさんが説明を受けていた。
「シロヤマさん、代わりに聞いておいたよ。討伐対象はトレープール。冒険者ギルドと騎士団が対処に当たっている。問題は襲われた場所なんだけど、北西のドミィエンヌ村。負傷者が多数居るらしい」
「村ですか。先程休養室にいた方が目覚めました。その方の言っていた情報と一致します」
「確か、貴族だって言っていた男だよね?」
「それが、最後に気になる事を言っていて」
「気になる?」
「自分はもう、アクチノイダではないから、と」
「アクチノイダが家名だよね?」
「はい。最後にお会いしたのは1年前になりますが、その時に『ハンネス・アクチノイダ』と名乗っておられました」
「何か不祥事でも起こして、貴族籍から抜かれたのかな?」
「不祥事ですか?」
あの時確か、王宮騎士として処分は受けていたけど、それだろうか?
「サクラさん、どう動きますか?」
「負傷者の状況にもよります。負傷者が室内に居るなら、まずは室内の浄化を行います。その後、アイビーさんはスキャンをして治療の順番を決めてください。トニオさんは重傷者から施術してください。最重傷者は私が受け持ちます」
「シロヤマさん、魔力は大丈夫?」
「私は魔力量が多いので、大丈夫です」
「差し支えなければ聞かせてくれる?どの位なの?」
「37500ですね」
「さんまんっ!?」
久しぶりだなぁ。この驚かれ方。
「アイビーさんは?」
「12300ですね」
「ボクは13800だよ。良かった。てっきり2人とも20000越えなのかと思ったよ」
「驚きますよねぇ。私なんて知ったのは今年の花馬車の上ですよ。笑顔を崩さないようにするのが大変でした。メルディアさんも絶句してましたよ」
「メルディアさんを絶句させるなんて、やるねぇ」