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キッチンを片付けて、身だしなみを整えたら、塔を出る。鍵を閉めて、さぁ、どっちだったかな?と思っていたら、前から歩いてきた護衛兵士さんに声をかけられた。
「シロヤマ様、お出掛けですか?」
「はい。騎士団本部に行ってきます」
「おや?本日は昼から休みだと仰っていませんでしたか?」
「ちょっと用事が出来てしまって。城門ってこっちでしたよね?」
「じょっ……はい。こちらですよ。ご案内しましょうか?」
「お世話をお掛けします」
何度か迷ってたら、護衛兵士さんには私の方向音痴はバレバレになってたんだよね。
「遠慮せず、笑ってください」
「いえいえ。そんな事は……。プッ」
「結局笑ってるじゃありませんか」
「申し訳ありません」
肩を震わせながら、謝られた。
「騎士団本部までは大丈夫ですか?」
「まっすぐですから、さすがに迷いません。ありがとうございました」
「では、お気を付けて」
護衛兵士さんと門番さんに見送られて城門を出る。ここからはまっすぐ歩けば良い。だいたい30分位かな?
道端に咲いている花にフラーを感じる。家の生け垣に使われているミモの花が目に鮮やかだ。濃い緑の葉の間から覗くレモン色の丸い花は、香りは無いけれど視覚でフラーを感じさせてくれる。
30分の道程に何故か40分程かかるのはいつもの事だ。
「無事にたどり着かれましたね」
「皆さん心配してくださってるようで、嬉しいんですけど複雑です」
受付で話をして、騎士団本部に入る。施術室のドアをノックすると、アイビーさんが顔を覗かせた。
「サクラさん、無事で良かったです」
「ありがとうございます」
苦笑するしかない。
4の鐘までもう少しあるから、ハーブの仕分けをしていた。
コンコンコン。ノックの音が響いた。
「失礼。騎士団の施術室はここかね?」
厳格そうなおじ様が入ってきた。
「いらっしゃいませ。お話は伺っております。どうぞこちらへお掛けください」
「女性施術師だけかね?」
「はい。私がサクラ・シロヤマ、こちらがアイビーです」
「うむ。若いな。私はケネス・ルメディマン。昨日薬師として診た患者についてだが」
「レリオさんですね」
「そのような名前だったな。ここでなにやら飲んでいたと聞いたのだが」
「眠れないとの訴えが聞かれましたので、ハーブティーを飲んで奥の休養室で休んでいただいておりました。ハーブはマンサニージャとオレンジピール、ジャスモンを組み合わせています」
「誰から学んだ?師は誰だね?」
「師事したことはありませんが、王都のジェイド商会のハーブ専門の方と王都の薬師の方に教えていただいて、ジョエル先生に確認していただきました」
「ほぼ独学かね?」
「はい。元は私の精神安定の為でしたので」
「レリオ君はここでは寝ていたのかね?」
「私がソムヌス《眠り》を使ったりもしていました。だいたい2/3刻で目覚めていました。眠れないとの訴えが頻繁でしたから、薬師に相談を、と勧めていたのですが」
「来なかった理由を何か聞いているかね?」
「時間が無いとだけ。健康とどちらが大切か?と半分脅してもみたのですが聞き入れて貰えませんでした」
「ふぅむ。聞いた限りでは症状の見当が付かん」
「あの、精神的な負担で胃が荒れてしまったという話を、聞いた事があるのですが」
「精神的な負担で、かね?」
「はい」
「それをどこで?」
「実体験です。施術師を始める前の事なのですが、精神的に追い詰められた事があって、その時に薬湯を処方してくださった方から伺いました。再度訪ねた時にはいらっしゃらなくて、その後はどこに行かれたか……」
「ふむ。こちらでもそういう症状を調べてみよう」
「お願いします」
「ところで、ハーブの香りがするが、他にも扱っているのかね?」
「扱っているのはマンサニージャ、オレンジピール、ジャスモン、レモングラス、ロザルゴサ、ローゼルですね」
「それだけかね?」
「確実なものでないと手に余ります。それに私は施術師で薬師ではないので、そこまで詳しくありません。薬草辞典もありますけど、専門家の方の知識量には敵いませんし」
「詳しく知りたいかね?」
「知りたいのはやまやまですが」
「教えても良いが?」
「本当ですか?」
「私じゃなくて、弟子になるが、それでも良いのなら、聞きに来ると良い」
「分かりました。連れていってもらいます」
「ん?」
「私1人ですと、間違いなく迷子になって辿り着けませんので」
アイビーさん、笑わないの。
「ほぉ。良いだろう。これを渡しておいてやろう。受付で見せなさい」
貰ったのは名刺のようなカード。
「ありがとうございます」
「いやいや、有用な時間であった。ところでな、君の淹れるハーブティーを頂けないかね?」
「これは気付きませんでして。少々お待ちください。何かご希望はありますか?」
「マンサニージャ、オレンジピール、ロザルゴサ、ローゼルで頼めるかね」
「畏まりました」
ハチミツを用意する。急いでお湯を沸かして丁寧に淹れる。美味しくなりますように。クッキーを添えてお出しした。
「このクッキーは?」
「私が作りました。お茶請けです」
「ふむ。温度も濃さもちょうど良い。クッキーも旨いが……」
「何か?」
「真剣に弟子にならんかね?」
ガバッと身を乗り出したルメディマンさんに説明する。
「私は施術師ですので。それに1年という期限があるんです」
「1年?」
「はい。来年の芽生えの月に王都に戻ります」
「事情があるのかね?」
「元々、私は王都の王立施療院に在籍しておりました。来年の芽生えの月には王都の王立東施療院が設立されますので、そこに所属することが決まっています。ターフェイア領に来たのは、気分転換と1種の療養の為です」
「気分転換と療養……。それは無理は言えんな」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「気が向いたらいつでも来なさい」
「はい」
そう言い残して、ルメディマンさんは帰っていった。
「サクラさん、もしかしてなんですけど、レリオさんの症状も治せたりするんですか?」
「どうでしょう?手術による治療方法は知ってますけど、出来るかどうかは分からないです。胃潰瘍は内服薬による治療方法が主な治療手段で、手術は今はあまり行われないんですよね」
「そうなんですか?」
「胃の内部を見ることの出来る機械を介しての治療とか」
「ぅえぇぇ。そんな物、どうするのぉ?!」
「細い管を飲み込ませるんですよ」
胃カメラは説明しても分かってもらえない気がする。私にも原理は分かんない。こうかな?って想像は出来るけど。
胃の内部を想像したのか、アイビーさんがものすごく嫌そうな顔をしている。まぁ、そうなるよね。
ルメディマンさんとの話が濃密だったのか、アイビーさんと話していると5の鐘が聞こえた。
「あ、5の鐘だ」
「トキワ様が迎えに来てくれるんじゃないですか?」
「そうだと嬉しいです」
ガヤガヤとした声が近付いてきた。何かを止める声と、それに言い返す声?
「だーかーらぁ、あの娘は俺に惚れているんだって」
「そんな事は無いって言っているだろう」
「アンタに何が分かるんだよ。オヤジに認められてもいないくせに、中途半端に辞めやがって」
「それとこれとは今は関係ないだろう」
「とにかく邪魔するなよ。あの娘と俺は相思相愛なんだから」
「だからっ、彼女はセント様と付き合ってるんだよ!!」
「それはアンタが言っているだけじゃないか。強引に言い寄られて迷惑してるんだよ、あの娘は。俺の助けを待ってるんだって。俺には分かるんだ」
脳内妄想劇場を盛大に喚きながら、バァンとドアを開けて、ギース君が姿を現した。
「アイビー、帰るぞ」
「セント様がもうすぐ来てくれますから、御遠慮します」
「恥ずかしがってないで、来いよ」
腕を掴んで、強引にアイビーさんを連れていこうとするギース君。
「恥ずかしがってなんかいません」
「良いから来い!!」
「やめてください!!」
「はい。そこまで」
ギース君が浮き上がった。物理的に。ギース君の後ろには大和さんとセント様。大和さんはギース君の襟首を猫の仔を持つように掴んでいる。
「教官、首が絞まるっ!!」
ギース君が大和さんの手をタップする。
「突撃しないなら降ろす。良いな?」
大和さんがギース君を降ろした。とたんにこちらに駆け寄ろうとするギース君。
「だから、突撃するなと言っただろう?」
再び襟首を掴まれている。持ち上げられてはいないけど。
「色恋の惚れた腫れたに口を出すつもりはないが、言っただろう?アイビー嬢はバーナードと付き合っている。アイビー嬢の親父さんもそれは了承済みだ」
「セント様が貴族だから断れなかっただけでしょ?」
「その脳内の妄想をまっさらにしろ。現実を見るんだな」
「現実?」
ギース君の前で楽しそうに話をするセント様とアイビーさん。
「納得出来ない!!」
「どうすれば納得するんだ?」
「どうすれば……って……」
施術室の前に、人集りが出来ていた。みんな興味津々の目をしている。
「何かで勝負とか?」
「何の勝負だ?」
「えっと、えぇっと……」
思い付かないらしい。剣の腕はおそらくセント様の方が上。さらに今年の騎士団対抗武技魔闘技会の指揮をしていたから、そこも考えているんだろう。
「思い付かないな?今日はいったん解散だ。アイビー嬢の親父さんとの約束があるから、バーナードはアイビー嬢を送ってやれ。不満そうだな、ギース」
「そんなのズルい。俺も送りたい」
「アイビー嬢次第だな。どうする?」
「セント様と帰りたいです」
そうだよね。
結局アイビーさんとセント様は一緒に帰っていった。それを見送るギース君は悲しそうだ。失恋したって事だしね。
ギース君を送っていくルカ君達を見送る。チョンチョンと大和さんが肩を叩かれた。
「面白い事になってるって聞きましたが、終わったんですか?」
ルブライト団長様と文官長さん達が顔を揃えていた。
「一応の決着は着きましたが」
「なんとかならない?」
「何をどうするのですか?」
「アイビー嬢を巡っての決闘とか」
「面白がらないで下さい」
もうね、6人ともワクワクした顔をしているの。娯楽が少ないから、こういった事も楽しみの1つなんだと思う。
「ヒポエステスの大会でも開催しますか?」
「良いねぇ」
「貴殿方も参加ですよ?」
「イタタタタ、腰痛が……」
「運動は止められていてなぁ……」
「トシもトシだし」
「子ども相手なら、もしかするかも?」
「そうだな。孫くらいの年齢の子なら」
「お孫さん、おいくつですか?」
「5歳」
「3歳」
「実りの月に生まれた」
「乳児じゃないですか」
すっかりお爺ちゃんと化している文官長さん達と別れて帰路に付く。
夕食を食べて、リビングで寛ぐ。
「アイビー嬢を巡っての恋の鞘当てか」
「アイビーさんとセント様は付き合っているんですから、ギース君の横恋慕では?」
「そうだね。横恋慕だ。ギースが納得すれば良いんだけど」
「失恋は決定的って気がしますけど」
「それをギースが分かっていれば良いけど、なんとなく納得してなさそうだったから」
「私には分かりません」
「分からなくて良いよ。咲楽は俺だけを見ていて?」
「アインスタイ領でも言われましたね」
「そうそう。じぃーっと見ていてって訳じゃないからね?それでも構わないけど」
クシャクシャっと私の頭を乱暴に撫でて、大和さんはお風呂に行った。もぅっ!!髪がぐちゃぐちゃになっちゃう。
明日のスープを作る。ギース君かぁ。自信満々の子だったなぁ。ああいうタイプは苦手だ。自分に自信があって、実力もある程度有って、だからこそはっきりと自分を出せる。それだけなら良いんだけど、何でも自分の思い通りになると思っている。強引で自分の思い通りにならないと、力に訴えようとする。
ギース君の手が伸ばされて、アイビーさんが捕まれた時、助けられなかった。あの手が自分に向けられたら?って思って怖くなった。
「咲楽」
「大和さん」
ソファーで膝を抱えていたら、大和さんがお風呂から出てきた。
「私もお風呂に行っちゃいますね」
膝を抱えていた理由を知られたくなくて、足早にお風呂に行く。たぶんバレているとは思うけど。
お風呂で考えていた。アイビーさんは自分の意見をはっきり言って、セント様を選んだ。私はあの状況になった時、自分の意見が言えるだろうか。大和さん以外に触れて欲しくないし、触れられたくない。でも、手を伸ばされ、腕を掴まれた状況では、たぶん萎縮してしまって、自分の意見なんか言えない。意思表示が出来ないと思う。
お風呂から出ると、大和さんが待っていてくれた。心配そうな顔で。
「何か考えてたね」
「はい」
俯いていると、ヒョイっと横抱きにされて寝室に運ばれた。
「大和さん、歩けます」
「大人しく運ばれなさい」
「だって……」
「だってじゃないの。どうせ、動けなかった自分を責めていたんでしょ?」
「……その通りです」
ベッドに降ろされた。
「余計な事は考えなくて良いから、寝なさい」
「大和さんは?」
どこかに行こうとした大和さんの袖を掴んだ。
「ちょっと瞑想を……。甘えっ子だね。不安?」
「大和さんの側に居たいです」
「4階に行くけど、付いてくる?」
「はい」
4階に上がって、大和さんの瞑想をソファーで見ている内に眠くなってきた。そのまま睡魔に負けてしまったらしい。